「つーか、何なんだよ!!」
「お前もか?俺もなんだよ……!」
「何か、いきなりプレゼントが消えてさぁ……!」
 教室はなにやら賑やかだったが、翔は一人窓から外を眺めていた。
 やっぱり囲まれてる。
 放課後、掃除を終えて教室の窓から翔は中庭を眺め、女子に囲まれている克己を見つけた。授業自体には声が出ないことはなんら支障はなかったのだが、ホワイトデーという行事にはやはり支障が生じた。声が出ないと、なかなか強く断われないようだ。普段なら一刀両断して終わらせる克己が、珍しく女子に追い詰められている。
 段々不機嫌になっていく表情に、彼の憤りを察した。声が出せたら怒鳴り散らしたいはずだ。
 助けに行った方がいいのかな、やっぱり。
 しかし、女子に囲まれているという状況は同じ男から見れば羨ましいような、憎らしいような。嫌そうな顔をして、実はちょっと嬉しいんじゃないかとか、そんな邪推をしてしまう。
 克己に限ってそれはないか。
 それに、昨日の借りもまだ返せていない。ふっと自分の手を見れば、そこには克己に手当てをしてもらった軽い火傷があった。勿論、ガーゼが貼り付けられているから、患部は見えないが。
 これ位平気だといったのに、克己は「ちゃんと手入れをすればこれくらいなら傷は残らない」と、手当てをしてくれた。別に女の子じゃないんだからこれくらい、と呟いたけれどそれには何の返答もなかった。しかし、克己のそんな優しさが心地良いのも事実だ。そして、与えられた優しさを返してやりたいと思うのも、自然な事だろう。
 助けにいこうかと鞄を手にした時、騒がしかった中庭がさらにそのボリュームが上がった。何かあったのかと窓の下を覗き込み、翔は目を見開く。
 いつのまにか、克己の隣には白いセーターに青いネクタイという制服を着た青年がいたのだ。そしてその癖毛には見覚えがあった。
 唖然として見ていると、彼もこっちに気付いたらしい。親しげに翔に手を振ってきた。
「日向くーん、元気してたかー?」
「………山川さん」
 女子は、突然現れた克己の昔の友人、山川至の登場に黄色い悲鳴をあげた。それもそのはず、この空軍付属の彼の学校はエリート中のエリートが更に選び抜かれたような人物が集まっていて、将来も約束されたようなものだ。それでいて容姿審査もある彼等の学校は美形も多い。つまりは、山川本人もそれなりに格好良い外見をしているということだ。
 そんな人物の登場に、女子が湧かないわけがない。
「えー!甲賀君、空の人と知り合いなの?え、友達!?」
「すごーい!でも、甲賀君なら分かるかもー………」
 そんな声が下から聞こえてくると、流石にいてもたってもいられなくなってしまう。山川の方がその言葉にどことなく嬉しげに笑い、勝ち誇ったように翔を見上げたから尚更だ。
 克己の方は妙に自分にくっついてくる山川に怪訝な目を向けた。普段ならここで一言文句を言いそうなのに黙っている克己に山川もすぐに異常を察す。
「あれ?甲賀もしかして口きけないのか?」
 頷いた克己に山川は人の悪い笑みを浮かべ、その時
「山川さん……克己から離れてくれませんか?」
 タイミング良く教室から全速力で走ってきた翔が乱入してきた。そんな彼を回りにいた女子達はどことなく驚いたように見つめた。
「遅かったな、日向君」
 2分もかからずに来た翔に山川は厳しい評価を下す。鼻で笑われた翔はぴくりと眉を上げたが、喧嘩は売られても簡単には買わない方だった。怒りを流し、背筋を伸ばして山川を見据えた。しかし、いくら背筋を伸ばしたところで山川の身長には届かない。
 くっと心の中でその怒りを踏み付けたが、相手は翔が何に苛立ちを感じたのか分かったらしく、口角をあげてわざとらしく背伸びをしてくれた。そして更に伸びる身長の差。
「克己、帰」
「つーか甲賀お前大丈夫か、喉。一日で喉潰すとか、陸は一体どんな無茶な訓練やっているんだ?」
 翔の言葉を遮るように山川が大きな声を出して不機嫌な表情を隠そうともしていない克己を振り返る。
「どうせお前、自分より能力低いヤツ庇っていつも無駄に怪我してるんだろ?空に来ればそんなこと有り得ないし、お前も伸び伸び自分の能力出せるんじゃないのか。勿体ないんだよ、お前が陸にいるなんて。宝の持ち腐れってやつ」
 ぽんぽんと肩を叩く山川に克己はため息を吐いた。そんな動作に翔は眉を下げる。今日は克己の声がないから、彼の思っている事が解からない。同意しているのか、それともただ呆れているのか。
「なー、君達も甲賀は陸の制服より空の制服が似合うと思うよな?」
 山川は友人の反応など全く気にせず、きらきらと目を輝かせている女子にそう問いかける。女子の返事など満場一致の「思います!」だ。
 そりゃあ、克己ほど格好良ければどんな服でも着こなせるだろうよ、と心の中で毒づきながら翔は山川を睨み上げた。しかし、それに山川は笑うだけで、挑発に乗るような素振りも見せない。
「あ、それより甲賀!俺が何で来たか解かってるだろ?」
 すぐに翔から視線を外し、どこかウキウキとした様子で山川は両手を合わせて首を傾げる。そしてその手を開いて
「ホワイトデーのお返し、お返し!」
 と、催促したのだから回りがざわついてしまっても仕方ない。克己を取り囲んでいる女子はそれが欲しくて彼の回りに壁を作っていたのだから。
 克己は誰にもあげないと高を括っていた女子達は嬉々としてそれを平然と強請る空の生徒に唖然としていた。それは翔も同じだ。今朝話していた克己の死亡フラグ説が脳裡を過ぎるが、まさかそれがこの山川だとは思いも寄らなかった、というか予想もしたくなかった。
 しかし、それを無言で突っぱねると思った克己は、1つため息を吐いて、手に持っていた白い紙袋を山川に押し付けた。女子の垣根で見えなかったが、彼はそれを手に持っていたらしい。空まで行くつもりだったのか。
「お、さんきゅ、甲賀」
 山川は締まりの無い笑みを浮かべ、その紙袋を受け取る。それが、決定打だった。
「克己、俺……先帰るわ」
 じゃ、と手を上げてそのまま適当に走り去るのが何故か精一杯で。
 いや、自分のこの行動は正しかったはずだ。克己も優しい人間だから、自分がいたらゆっくり恋人と話が出来ない。恐らく、気を使って翔を優先するだろう。
 ああ、だから山川さんは俺にちょっと厳しいのか。
 駆けながら思わず納得していた。確かに、恋人である自分ではなく突然ひょいッと現われた友人を名乗る人間を優先されては面白くないだろう。ただでさえ空と陸での遠距離恋愛だ。不安にもなる。
「……俺、邪魔だったのかな」
 翔はしょんぼりと項垂れてその場に立ち竦むしかない。
 そりゃあ、自分はいつも克己の足を引っ張る事しか出来ない。その上声まで出なくさせて、折角の恋人の日の楽しみを潰してしまった。これでは本当に山川には恨まれても仕方ない。
 次会った時には謝らないと。
 でも。
 さっきから無性に胸が落ち着かないのはどうしてだろう。何だか妙にもやもやして不快だ。
「うぁー!!もーっ!!何なんだこれー!!いてっ」
 空に向かって大声を上げてすぐに額にぴしりと硬い何かが当たる。じんわりと痛む額を手でなでながら、その何かが落ちた辺りを見ると、そこには小さな紫色の菓子が落ちていた。
「金平糖……?」
「うるさい」
 金平糖を拾い上げた時、頭上からそんな声が落ちてくる。すぐに顔を上げると、そこには木の枝に寝そべる和泉がいた。
「和泉!」
「安眠妨害は止めろ」
「なぁ和泉、聞いてくれよ」
「……お前が人の話を聞けるようになったらな」
 木によじ登ってきた翔に和泉は呆れたように言うが、翔は情けない顔をしたまま、肩を落とす。その捨てられた子犬のような目には流石の和泉も負けた。
「……なんだ」
「あのな、お前だったら、もしすっごい近くの男の友人が、男の恋人いるって知ったら、どうする?あ、例えば俺に男の恋人が出来たら」
「どうもしない」
 和泉の答えはあまりにもあっさりだった。確かに、自分に男の恋人が出来たところで和泉が慌てる姿は想像も出来ない。例えが不味かった。
 思わずため息を吐いてしまった翔に、その真摯さは彼の言葉のような身の上に置かれてしまったからだろうとは簡単に予測出来た。和泉の知る限り、彼の近くの友人と言えば佐木遠也か甲賀克己。
「……お前は、その友人に男の恋人が出来たのが嫌なのか。同性愛が無理か」
 そんな和泉の問いに翔は慌てて顔を上げ、首を横に振る。
「そんなことねーよ!大切な人が好きな人と幸せになれるなら、それが一番だ!応援する!」
「じゃ、何でそんなに動揺する?」
 力いっぱい否定した翔に、和泉の問いは的確だった。それに翔も眉を下げ、視線も下げた。
「……それは、解からない。でも、何か……ちょっと」
 さっきから収まらないモヤモヤを誤魔化すように自分の胸を撫でる翔に、和泉は目を細める。
「突然の事だったんだろう。落ち着かなくて当然だ。自然の摂理から考えれば、同性間の恋愛は異質だからな。人間は自然の中に生きている。お前の中にある“自然”の部分がその違和感を示しているんだ」
「しぜん……?」
「いわば本能だ。通常ならば、種の存続の為に生殖活動相手は異性が求められる。だが、そうした本能に左右されない恋愛感情……恋愛自体が生殖本能に寄るものだとすれば、また呼び名は変わるだろうが、子を成さない同性間の恋愛はある種理性的な恋愛と言えるかもしれない」
「……つまりは、俺のこの違和感は本能的なものだから別に気にする事でもないってことか?」
 何だか妙に小難しい話をされたような気がするのは気の所為か。それでも、その説に乗っかるしかない。別に今まで同性に恋を出来る人間と出会っても大して違和感を覚えたことはなかったのだ、という事には目を瞑ろう。
 とにかく、克己の良い友達でいられたらそれで良いのだ。
「もしくは単なる嫉妬だな」
「え」
 そしてもう1つ早口で示された可能性に、翔は笑顔のまま硬直する。
「……し、しっと……?」
「お前がそいつをその恋人に取られて嫉妬しているだけの話かもしれない。それが恋愛的な意味か友情的な意味か、解からなかったらそいつの下であっはんうっふん喘いでみれば良い」
「あっはんうっふん……って、解かってるよ、それくらい!そんなことしなくてもっ!」
 和泉にさらりと言われ、翔は思わず目の前の相手に掴みかかっていた。けれど、相手の眼は平静で、どこか本当か?と問われているような気がする。
 本当だ。友情以外、有り得ないだろう。
 友情か。
 思わず思い出してしまった、自分があの親友に抱かれる図。確かにあの親友ならばその手のことは巧い。しかし、山川との図も想像してみたが、あまりにも現実味のない構図だった。まず、どちらが女役なんだという疑問も過ぎる。でも克己の方が多少彼より身長が高いから彼が男役なんだろうか。確かに、山川は高飛車小悪魔系に見えなくも無いが。……いや、小悪魔なんて可愛らしいものではないだろうが。
「わっかんねー!!何で山川さんなんだ!?そういう趣味!?」
 同性間の恋愛は認めるが、山川が相手だということが理解不能だった。思わず頭を抱えて苦悶していた。
 克己の趣味は小さくて胸があってふわふわした優しい雰囲気の女性だと思っていた。だから、本上とか、見た目がそれっぽい男ならまだ解かる。
 それとも、彼が山川を心から想うような、そんな自分が知らない二人の過去があるのだろうか。
 そう考えると、何故か胸が苦しかった。
「なんだよ……」
 その時、ふっと翔の声が消える。
 和泉は少し視線を落とした瞬間に翔の姿が消えたことにただただ目を見開くしかない。木の下に落ちたかと思い、下を見たが誰もいない。
 もう用がないと、さっさと帰ったのだろうか。言葉も言い終わらないうちに?
「……あいつ、いつの間にこんなスキルを」
 自分も敵うか解からない素早さを見せられ、和泉は思わず息を呑んでいたが、遠くの芝生がもぞりと動いたのを見つけ、翔を感心しかけていたのを止めた。
「何だ、捕獲されたのか……」
 見覚えのある動く芝生に、慌てて自分の手の中の箱を確認したが、それはちゃんとあったことに心底ホッとした。中身は白と青と紫の金平糖だった。懐かしい菓子を眺めていたところで翔の強襲にあったのだ。彼が去ってくれて良かった、と思いながら和泉は再び木に寝そべった。人生相談も恋愛相談も、するのもされるのも得意ではない。だが、蒼龍から貰った箱を眺めていて、ある一点に目が留まり、和泉は全身を固めた。




next