たまに自然と意識が浮上するような目覚めをする。そんな時はとても目覚めが良く、体も動くのだ。遠也に言わせれば、目覚めのリズムがどうのこうのと小難しい話になるのだが、翔に一言説明させれば目覚めスッキリ、で終わる。
とりあえず、今日はその目覚めスッキリなパターンで目が覚めた。身を起こし、見伸びをして隣りのベッドを見ればもうそこにルームメイトの姿は無い。
「……あいつ、相変わらず早ぇな」
自分より早く寝ることも遅く起きる事もない友人に思わず感心してしまう。昔の歌でそんな内容の歌詞があったような気がするが、彼の場合は単なる習慣だろう。
昨日は大変だった。炎にまかれ、頭痛や目の痛みを訴えるクラスメイトが沢山いた。どうやらあの小屋があそこまで燃えるのは想定外だったらしく、おかげで次の時間の授業は休止になったのだ。
けれど、おかげ様で昨日の合同演習は自分達のクラスの勝利。
さて、今日はどんな一日になるんだろうか。
そんな時、シャワールームから濡れた髪を拭いながら克己が顔を出した。
「克己、おはよ」
適当にひらりと手を振り、いつもなら彼から「おはよう」と返されるはずだった。しかし、何故か今日はその返事がない。
怪訝に思い顔を上げれば、克己の方も少し微妙な表情で口を少し開き、すぐに諦めたように閉じる。
「克己?」
彼は少し肩を竦めてから、手を喉元に持って行き、軽くそこを叩いてから首を横に振った。そのジェスチャーは分かりやすく、すぐに彼の言いたいことが察せた。
「……もしかして、声、出ない……のか?」
「昨日の煙の所為じゃないですか」
朝食中の遠也の適当な診察に克己も予想していたのか表情を変える事はなかった。その分、隣りで慌てていたのは翔だ。
「な、大丈夫なのか?喉、やっぱり痛いか?」
その問いに克己は一度頷き、二度首を横に振る。声が出ないというだけで何だかいつもの克己より弱々しく見えるのだ。その所為か、翔もどことなく不安げだ。
そんな二人の様子を見ていた正紀は昨日の訓練を思い出す。
「声出し過ぎも一因なんじゃねーの?煙もひどかったけど、お前昨日グループのリーダーだったしな」
昨日の訓練は、他クラスとの合同で模擬戦をやったのだ。作戦指揮を取るのは毎回出席番号順に回ってくるのだが、昨日は克己とその周辺出席番号の者が指揮を取り、クラスメイトの動きを指示していた。おかげで合同訓練はこちらのクラスの勝利だったのだが、この指揮官役は熱が入り声を張り上げてしまう。指揮官をこなすと次の日声が出ないというのはよくあることだった。
「正紀、昨日甲賀に怒られまくってたからな」
はは、と笑ういずるの一言に正紀は昨日の嫌な事を思い出してしまう。克己の指示に従っているつもりでも、何故か克己に怒られてばかりいた昨日の模擬戦。教官より何故かこの友人の気迫は恐ろしかった。
「俺の所為かよ……三宅だって結構怒られてただろ」
同じく昨日の事がトラウマになりかけている大志に話を振ったが、彼は思い出したくないのか顔を背けていた。
「原因はどうあれ、あまり声を出さないことが最良です。そうすればじきに治ります」
遠也も発熱していない克己の様子にそれほど重症ではないと判断したのか、そのアドバイスで終わらせた。
「……本当に大丈夫なのか、克己」
克己がこんなことになるのは初めてで、昨日自分にマスクを貸した所為ではないかと翔はコーヒーを飲んでいる克己を見上げたが、彼は小さく笑い、心配してきた友人の頭を撫でた。大丈夫、ということか。
「なら、良いんだけど……」
「いーや。順調にお前の死亡フラグは立っているぞ!甲賀!」
そこで突然演技でもない事を言い出したのは正紀だった。ビシリと持っていたスプーンで克己の顔を指し、唖然とした克己ににやりと笑う。そして
「……忘れたか?今日は、ホワイトデーだ」
ああ、忘れていた。
正紀以外の人間が忘れていた行事、ホワイトデーは3月14日、つまりは今日だ。バレンタインと違ってあまり盛り上がらない行事ではあるが、正紀はしっかりと覚えていたらしい。が
「何でそれで死亡フラグになるんだ?」
「甘いぞ、日向。今日は好きな女子に告白し返す日。女子としては心待ちにしている日だ。そんな日に、好きな相手に好きと言えなければ破局は免れない。女子はそういうところ面倒だからな。ホワイトデーの三倍返しがなければ振られるに決まってるだろ。御愁傷様甲賀」
御丁寧に合掌までした正紀の克己恋愛死亡論に克己本人はただ呆れたようにため息を吐いた。ホワイトデーとは正しくはバレンタインの時に貰ったチョコレートのお返しをする日だ。だが、生憎貰った女子の中で克己が気持ちを返したいと思う相手はいないし、全ての女子に返すとすると破産してしまう。
お前なんかに心配される筋合いは無い。恐らく、声が出ていたらそう正紀に言っていただろう。しかし
「……それは、深刻だな」
隣りでお人好しの翔が眉間に皺を寄せたなら、また別な問題が出てくる。
「克己!お前、言いたい相手がいれば俺で良ければ代わりに伝えてやるぞ!」
ぐっと拳を握り期待した目で見上げられたが、克己は何も言えなかった。声が出ないのだから当然だが。代わりに結構です、という意味でその握られた拳を押し返してやった。
「……あ、まぁ……そうだよな」
翔はやんわりと拒否されたことに少ししょんぼりした様子だったが、その優しさだけは受け取るというように肩を軽く叩かれて、いつもの笑みを親友に向けていた。
そんな様子だけで、周りは克己の好意が誰に向けられているか気付けるのだが。客観的に物事を見れるというのは素晴らしいことだな、といずるは密かに思い、遠也は二人のそんな様子を見なかったことにした。
「ん?何だ甲賀、お前想い人はいないのか」
そう口を挟む正紀は多分純粋に鈍いだけで
「もてるのに、勿体ないな」
苦笑する大志は男同士に恋愛が成り立つとは知らないだけだろう。
今日も一日、平和に過ごせると良いのだけれど。
遠也は食堂の前に集まり始めた女子を横目で見ながら、そう思った。
「……なぁ、佐古」
「何だ、鍋嶋」
「お前、何見てる?」
鍋嶋は手に持っていた双眼鏡を下ろしながら、思わず隣りで必死に双眼鏡を覗いている友人に問いただしていた。今、自分達は食堂から実測数百メートル離れた木の上で、御丁寧にカモフラージュ用の葉がついた服を着込んでいた。そこから自分達が覗いているのは食堂。授業でこんな事をするのは珍しくないのだが、プライベートでこんなことをするのは鍋嶋にとっては初めての経験だった。
だが、佐古は慌てて双眼鏡から目を上げた。
「ちげぇ!べ、別に日向翔なんて見てないんだからなっ!!俺は今日のミッションのために偵察してるだけで……!」
「……見てたのか」
B組は主にゲリラ戦を中心とした授業を行っている。その所為か、日々忍ぶことが癖になってしまっていた。他クラスからはそのおかげで不気味がられていることは、鍋嶋も知っている。教室をいつ覗いても人がいない、食事もいつとっているのかわからない、などとこそこそ言われているのだ。姿を見せないのが自分達の行動の基本となっているので、どうしようもないのだが。
他クラスに用があるときはクロスボウなどで文矢を飛ばすくらい徹底している。
そんな生き方がすっかり馴染んでしまった男の恋愛の仕方は1つしかなかった。忍ぶ恋、つまりは徹底したストーキングだ。相手に気付かれないくらいの忍び具合なので、訴えられる事はないだろうが、その姿を知る人間から見れば、正直気色悪い。
「それより、鍋嶋お前調べてくれたか?日向翔のこと……ち、違うぞ!俺は昨日日向に負けたから、アイツのデータが欲しいだけだからな!」
解かりやすい態度をとるクラスメイトになんて言って良いかわからず、鍋嶋はため息を吐くしかなかった。
「……E組の日向翔、親しい友人は佐木遠也、篠田正紀、矢吹いずる等々……友人は多いらしいな。ルームメイトはあの甲賀克己らしいぞ」
「甲賀克己なんて目じゃないね。昨日の訓練は日向がいなきゃ間違いなく俺の勝利だったんだ」
「お前は基本、前向きだよなぁ」
「だが、どうやらその甲賀克己は昨日の一戦で負傷したらしいぞ。声が出ないらしい」
タイミングが良い、と言おうか。取り合えず甲賀が咄嗟の指示を出せない事は確実だった。勝因は多い方がいい、と佐古は迷わず手を上げた。
「今日のミッションは昨日の授業のお返しをE組のやつらにする事!野郎共張り切っていくぞ!」
そう、佐古が号令をかけた瞬間、自分の背後の木々がいくつも揺れた。どうやらクラスメイトが大集合していたらしい。
正直、鍋嶋は今回のことに乗り気ではなかった。確かに今までの合同演習では負けたことがなかったのに、昨日の敗北はB組にとっては衝撃だった。たまの敗北も技術向上の種になるとは思っているが。
それに佐古は何だか私情を絡めてきているし。
ちらりと佐古をみれば、なにやら白い箱に青いリボンをかけたプレゼントらしき物をいそいそと胸にしまっている。
「佐古君?それ、何かな?」
「……ち、違うぞっ!別に日向翔にプレゼントなんて用意しているわけじゃないんだからなっ!!」
「……」
前途多難だ。
「圭、喜んでくれるだろうか」
辻はプレゼントを片手に教室に向かって歩きながら、自分の恋人を思った。彼にはバレンタインの時にそれなりに値段の張るものを貰ってしまった。だから、自分も溜まった給料でそれなりのものを買い、ホワイトデーを迎えることになった。
喜んでくれると良い。
そんな、恋人の笑顔を思い浮かべながら歩いていると、手の前に風が横切ったような気がした。
何だ?と手元に視線を落とすと、さっきまで確実に手の中にあったプレゼントが、ない。
「な……!?えっ!?」
落としたかと思い慌てて地面を見るが、そこにもなく、周りを見回してもどこにもそれらしきものがない。まるで神隠しにでもあったかのように、消え去っていた。
「な、な……なんだぁ?」
おろおろと慌てるE組の生徒を近くの芝に伏せていたB組の生徒達は忍び笑いながら見ていた。そのうちの一人の手には、先ほど辻が持っていたプレゼントが握られている。
「指揮官、E組生徒の本命プレゼントを1つ確保しました」
そして無線でそれを報告し、報告を受けた佐古はマスクの下の口元を上げる。
「よし、よくやった。これでターゲットと本命の仲は破綻するだろう。引き続きミッションを遂行しろ」
<了解!>
無線越しにその力の入った返答を聞き、鍋嶋はこの陳腐なミッションにため息を吐く。
「なんつーか、くだらねぇよな……」
思わず呟いてしまったが、そんな友人を佐古は睨み付けた。
「何言ってるんだ。E組の奴等の恋人保有率は約65%!うちのクラスはほぼ0だというのに!そいつらがホワイトデーにお返しが出来なかった所為で恋人と別れれば、士気が一気に下がる!そうすれば次の授業では俺達が完全勝利を遂げられるという完全なる戦法だ!」
「若干哀しい私情も入っているような気がするが」
B組に彼女持ちがいないのは、それなりの理由がある。それはB組の特色である、姿を見せないという点だ。見えない相手と恋は出来ない。だが、姿を見せることは出来ない。そんなどうしようもできない哀しい状況の怒りと嘆きの矛先をE組に向けている。その所為か、妙に皆活き活きしているのだ。
<指揮官!本命を2つ確保しましたー!!>
「うぉっし!よくやったぁぁぁ!!」
再び入ってきた無線に佐古は歓喜の声を上げ、鍋嶋も軽く拍手する。だが、彼らの気持ちもわからなくもない。何故なら、鍋嶋もまた、彼女がいない淋しい男の一人だったから。
お前も喜べと佐古に言われ、口元を上げた。
「次は小野だな。アイツはF組の女子と付き合ってるから、恐らくこのルートを通って……」
地図を広げ、作戦を立てる鍋嶋の目も次第に活き活きとしてきていた。
「秀穂、これ龍から。ホワイトデーのお返しだって」
久々に狼司から呼び出されたと思ったら、思いもよらない用件だった。渡された青く半透明な箱に白いリボンをかけたそれを手に、和泉は一人木の上に座っていた。
バレンタインの時に特に自分は何もしていない。それを受け取るのを断わろうとしたが、狼司は苦笑して首を横に振った。
何かにつけて、お前に贈り物をしたいんだよ、アイツは。
そんな狼司の言葉に、渋々受け取ったものの、矢張り嬉しいものは嬉しい。この小さな箱が、彼が自分を想ってくれている確かな証しだった。
「……蒼様」
そっとその箱を撫で、リボンを引き解こうとしたが、どこか勿体ない。そんな躊躇を先ほどから繰り返し、箱を撫でるだけだったのだが、本人が目の前にいたらきっと早く開けろと急かすに違いない。そんな予想に小さく微笑み、リボンを引こうとしたその手は宙を掴むだけだった。
今までそこにあった小さな箱一瞬で消え去り、近くの木の枝が細かく揺れる。思わず自分の手と木の幹を見比べてしまっても仕方ない。もしや、地面に落ちているのではないかと顔を下に向けても、何も無い。
「これは……どういう」
まさか、白昼夢かとも思ったが、あの箱は確かに現実のものだった。ではどうして、と顔を上げた時に遠くに草むらが走っているのを見つけた。いや、あれは草むらではない。草むらを背に背負った人間だ。
「上手くいったな!」
「これで12個めだ!E組の奴ら、泣いて悔しがるぞー」
B組の二人は走りながらそんな会話を楽しげに交わしていた。手の中には、先ほど和泉興から奪った青い透明な箱がある。彼は恋人持ちだという報告はなかったが、恐らくこれは彼が誰かに告白する為に用意したものなのだろうと解釈し、奪った。
「告れないアイツは振られるの決定だな!」
「だな!」
緑色にペイントした顔をつき合わせながら二人は笑い、次の犠牲者の元へと走っていた。しかし、遠くにあった一本の木が段々大きくなるにつれ、目の前に立ちはだかっている人物の姿も明確になっていく。その相手に、二人は足を止め、瞠目する。
「い、和泉……興?」
先ほど自分達がプレゼントを奪った相手が、いつの間にか目の前に立っている。先に走ってきたはずなのに、彼は息も乱さず二人を迎え、手を差し出した。
「その手の中にある物、返してもらおうか」
そして、その声は重い怒気を孕んでいる。その空気に二人は思わず後退した。しかし、クラスのためと自分自身のプライドの為、その言葉に従う事は出来ない。
「断る!」
「これはもう俺達の物だ!」
その、あまりにも自分が置かれている状況が解かっていない台詞に、和泉は眉を上げた。
「……お前達の、物……だと?」
無謀な威嚇を和泉は嘲笑う。いや、嘲笑うほどの余裕は残っていなかった。これは自然と出た怒りの笑いだ。人は怒りが頂点に達するとどうやら笑いたくなるらしい。
「あまり俺を怒らせないほうが良い」
りん、というどこからともなく聞こえてきた鈴の音と共に和泉の背後に蒼い蝶が舞う。香のような香りと共に唐突に周りが暗くなったような気がして、二人はうろたえた。
「ちょ、何だこれ……!」
「上野!まやかしだ!気をしっかり持て!」
すでに術中にはまっている二人の悲鳴に、和泉は眉間を上げた。
「……夢も醒めなければ現だな」
手の中に戻ってきた青い箱が無事である事を確かめ、和泉は小さく息を吐く。足元には、たまに呻き声を上げる二人が伏せていた。しかし、もう彼らの事はどうでも良い。自分の現実は、戻ってきたのだから。
「これは、俺の物だ」
そう呟き、和泉はその場を後にした。
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