翔って、綺麗だったんだな。
陸はただそんな感想を持って隣にいる彼を見つめた。普段、彼は身軽な騎士服を着て、たまに泥だらけで、そんな姿しか見てこなかった。式典の時も王族でも王位継承位から外されている所為か、兄の背後に騎士の礼服に似た形の礼服を着て立っている姿しか見ていなかった。むしろ、そういう格好をしている時はキリッとしていて格好良いと思ったのだが。
今回の姿には、隣りにいた克己もただ茫然と彼を見ているように見えた。こんなに綺麗なのだから、彼も目を奪われて仕方がない。
じ、と伺うような陸の視線に気付いたのか、翔は戸惑うように視線を揺らしたが、すぐに困ったようにに笑う。
「ったく兄上も変な人だよな!俺にこんな格好させたところで似合うわけないのに。花とか化粧とか有り得ないし、白とかもさぁ、姉さんとか陸さまが着てこそじゃんな!」
「そんなことない。似合ってるよ!」
あの人も、見ていた。
克己の事を言おうと思ったが何かがそれを止め、そんな自分に陸はただ戸惑うしかない。
克己と翔は友人で、翔は彼に恋心を抱いていた。自分に入る隙なんてなかったのに。
「翔、あの……克己様のことなんだけど」
「王子」
意を決して話をしようとした時、更科が片手を挙げて現れる。
「更科?」
「……と、陸さまもいたのか」
更科は陸の姿を捉え、少し困ったような視線を翔に向ける。何か自分に用事があるのだと察した翔は陸に柔らかい笑みで促した。
「すみません、陸さま。先に王のところへ行っていて下さい」
それで陸も何かを察したようで少し残念そうな表情を見せたが、「じゃあ、後で」と小走りで廊下の向こうへと向かってくれた。
それを二人で見送っていると、更科のため息が聞こえた。
「つーか、何て格好してるの、王子」
呆れたような言葉には、苦笑するしかない。
「あー、やっぱ似合わないよな」
「いや、似合ってるけどさぁ。それ、晃様の趣味だろ」
「うん、兄上がご用意された」
「だから微妙。何で頭に花咲いてんの」
「……的確な突っ込みを有難う更科」
やっぱりあまり似合っていなかったか、とガックリ肩を落とせば更科がこちらの落胆など構わず話を始めた。
「王子、大会のことだけど、棄権して」
「……は?」
突然の部下の言葉にただ目を丸くするしか出来ず、そんな翔に更科はもう一度口を開いた。
「だから、大会。棄権してください」
「何でだよ。嫌だ」
あっさりと首を横に振った翔に更科は予想通りとため息を吐く。
「そう言うと思った。王子の次の対戦相手、誰だか知ってる?」
「いや……知らないけど」
「あれ、魔族だよ、魔族」
無表情で言う更科の声は平然としていたが、どこか早口なのは彼がわずかに焦りを覚えていたからだ。
「……何だって?」
「今日、そいつの試合観てきた。アンタの次の対戦相手だからな、変なことがないようにって一応見てきたけど案の定だ」
「ちょっと待て!何で、魔族がうちの国に……アスラか?」
思い当たるのはそこしかなく、翔は思わず眉間に皺を寄せていた。普通なら、結界が張ってあって魔族や魔獣の類は自国には入れない。だが、中から誰かが手引きをすれば入ることが出来る。しかも、力のない魔族なら結界内に入ればそれだけで消滅してしまうが、消滅することなく難なく活動できるという事はその魔族はそれなりに高位だという証拠。
ただの魔族魔獣相手にも満足に戦えない自分では絶対に勝てない相手だった。
「ダメだよ、王子。貴方じゃ絶対に勝てない。俺だって無理だ」
更科も魔力は持っているが、魔族と満足に戦えるという程ではなかった。高位魔族となると腕利きの魔闘士が10人集まってようやく勝てるというレベルだ。今イルに高位魔族に対抗出来る術はないと言ってもいい。それほどまでにあの結界に頼りすぎていた。
「でも、どうにかしないと……どうにかそいつを倒せないのか?」
「今のところそれ考え中。試合が終わったらそいつ姿消しちまって見つけられなかった。試合の時には必ず姿を表すみたいだから、その時が狙い目だな。丁度ガーズの方々が来ているんだ、彼らに任せて、王子は棄権しとけよ」
「……それが、狙いだとしたら」
翔が眉を寄せながら呟いたことに更科は「え」と声を上げる。
「アスラにとって、特に魔族にとってガーズは大敵だ。特に克己様は……一番消したい人物だろ?このトーナメントに克己様が出場されることは公然のこと。一対一であれば彼を倒せると狙ってきたのなら」
「……でも王子、解かってるだろ?」
自分達の力では、魔族は倒せない。
それは翔自身良く解かっている。けれど、逃げることは出来なかった。
「棄権はしない。例え倒すまではいかなくとも、弱らせることは出来るはずだ」
「王子、それは」
「それに、国に魔族を招いてしまったのは俺達王族のミス。俺が出る。てか、多分俺しか相手になるやついないだろ」
「ちょっと待てよ、王子……!」
確かに、翔の腕は騎士団の誰よりも上で、更科自身、翔と戦って勝った事は一度もない。だが、危険すぎる。
「貴方は、騎士じゃない!王子なんだ……!」
王族は騎士に護られる存在。なのに、騎士ではなく王子が戦いに出るなど本末転倒だ。
「王子、だからだ」
けれど翔はそう言い返し、目を伏せた。国の為に生きろと言われ続けて来たのだから、こうして戦う事には何の疑問も感じない。
「他国にガーズから手を借りてイルは魔族を倒したなどと噂が流れたら、イルの力を侮り攻め入ってくる者もいるかもしれない。ただでさえ王族に魔力を持たない者がいるということが嘲りの種になっているんだ。他国の人間が集まっている今、イルの力を示すのには丁度良い」
それに。
ふいに脳裡を過ぎったのは昔の事。昔過ぎて、彼は忘れてしまったようだが、自分はまだ覚えている。
「それに、克己様をお守りしないと」
「翔様……?」
「約束なんだ。それが、俺と克己様の」
「何言ってるんだ……約束?って……」
「この事は内密に。アスラの企みだと知られて国関係が悪化するのはあまり良くない。克己様にも言うな。俺は当日、王子として大会に出る。その魔族がアスラの手のものなら、連れ帰ろうとしている俺となら多少怯むかも知れない」
「ちょ……本気か?」
「俺が刺し違えるまでも出来なかったら、更科、お前が止めを刺すんだ」
真剣な翔の眼に更科は言葉を失う。頼む、と手を握られそう言われてしまっては拒否も出来ない。
「冗談でしょ、王子……観衆の前で……国民の前で、死ぬ気?」
笑おうと思っても上手く笑えなかった更科に翔は目を細める。
「連れ帰ろうとした俺が死ねば、アスラももしかしたら大人しくなるかも知れないしな。大丈夫、死ぬことになっても無様な姿は見せない」
民の前では命乞いや敵前逃亡などは絶対に出来ない。例え勝ち目のない戦いでも、この命が尽きるまで戦わないといけない。それが、王族に生まれた身の素養だった。
「ちょっと待てよ」
確かに、それは王族として必要な気質だが、今回は話がまた違う。翔は魔力を持っていない。その時点でもう相手が違うのだ。翔だってそれくらいは解かっているはず。
だが、それを理解したうえでの決意であることが、翔の横顔から伺えた。
「姉上に面会を頼んでおいてくれないか、更科」
せめて姉に少し魔法で防御力を上げてもらおう。
彼女は普段西の宮に住み、なかなか会えない程の忙しさだ。ここ2週間は顔を合わせていないことを思い出した。
今生の別れになるかもしれない。そんな覚悟もあった。
更科は何とも言えない顔をしていて、そんな表情の彼を見たのは初めてだった。
「……大丈夫、この国は俺が護る」
そして、あの人も。
――貴方より強くなるかは解からないけど、俺も、強くなります。俺も、貴方に何かあったら、誰よりも早く駆けつけて、貴方の力になります。
忘れてしまいそうなほどに昔の約束。
例え彼が忘れていても自分はこの誓いを果たそう。
きっと、今がその時だから。
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