「ひとまず、君達が素性を明かしていないのは好都合だったな。一段落つくまでそのままでいてくれ」
 大方の話を済ませてから誠一郎はそれだけ言って部屋から出て行った。夕日はただ難しい表情で今までの話を受け止め、そんな部下に克己は軽く息を吐く。突然の話に戸惑っているのだろう。
「とりあえず、陸殿の警護は頼んだぞ。俺は試合を勝ち抜く事に専念する」
「あ、ああ……解かりました」
 陸の事は放っておけないから、言われなくとも彼の側についているつもりだった。この国の結界の為に自由を奪われている彼を守ってやりたいと思う。
 だが、いい加減自分の事を偽るのは良心が痛む。あの純粋な眼に自分の姿が映ると何とも言えない気分になる。
「どうした?」
 どこか様子がおかしい側近に克己が声をかければ、はっと顔を上げた。
「……陸様のことが少し気がかりで」
「神子殿か」
「あの方は、ずっと自由を奪われて生きてきたのでしょうか」
 自分よりずっと幼い少年が一人で自由に歩けないなんて。
 眉を顰めた夕日の様子は珍しく、それは恐らく彼と親しい空と顔が同じだからだと克己は単純に解釈した。
「結界がひび割れた事をご自身の責任だと思われているようでした」
 克己は結界等の防御系の魔法は詳しくない。それはどちらかといえば夕日の方が得意分野だから、彼が難しい顔をしている理由は何となく察せた。
「……側にいてやれ」
 夕日の肩を叩き、克己は部屋から出ようとしたところで、その扉が開いた。
「おーじ!……あ、夕日サンもいる」
 顔を出したのは正紀で、夕日に頭を軽く下げる。彼は夕日よりは身分が下だから当然の行動だ。
「篠田、どうした」
「俺ちょっと一度ガーズに戻るわ。なるべく早く戻ってくるようにするけどちょっと王子に……」
 一言言っておかないといけない事がある。
 困ったように頭を掻く正紀の様子に克己は目を細める。その仕草に夕日は先に部屋から出た。
 正紀は自分より先に克己の配下についていた、友人のような存在だ。自分のようにただの上司と部下の関係とは少し違う。
 長い廊下を歩きつつ、思い出すのは陸のことだった。
 自分には側にいることしか出来ないのか。
 確かに、一介の騎士が彼に何を出来るといえば何も出来ない。ただ、彼の身辺を守ることくらいしか。
 自分も外に出、廊下を歩いているとぼんやりと中庭で月を眺める陸の姿を見つけた。
「陸さま!」
 思わず声をかけてしまったのは、彼が気になるから。はっと顔を上げた彼は王のところに先に戻っていたはず。なのに何故こんなところにいるのだろう。
「克己、さま」
 不安気に見上げてきた彼の心中は何となく察せた。けれどそれは口にせず、夕日はにこりと笑う。
「王のところへ行ってなかったのですね。では、共に参りましょうか」
「克己様」
 彼の手を取りそれを引いたが、反対に力強い声に引き止められ、夕日は首を傾げた。陸は強い眼でこちらを見ている。
「貴方は、何も思わないのですか」
「何も、とは?」
「翔のことです!」
 苛立ちが頂点に達した陸は声を荒げていた。
「貴方と翔は友人でしょう?手紙だって交わす仲だったのに、どうして貴方は翔じゃなくて……」
 一端そこで言葉を止め、困ったように陸は眉を下げる。
「どうして、貴方は翔じゃなくて俺の側にいるんですか?」
 今にも泣き出しそうな陸に夕日は思わず手を伸ばし、その細い体を抱き締めた。
 突然の相手の行動に陸は困惑するしかない。
「俺は君を守りたい」
「克己様?ちょ、離し」
「俺が守りたいのは、貴方なんです。翔様じゃなく、貴方だから」
 空と同じ顔なのに空とは違う表情を見せる彼が気になり、助けたいと心から思う。ここで囚われている彼に外の世界を見せてやりたいと。あんなに自由奔放にしている空の背後にこんな子がいるとは思ってもみなかった。
「克己、さま」
 ダメだと思いつつも彼の近くにいたいと思う心が止まらない。それは陸も同じだった。
 どうしよう、翔。
 傷つき、淋しそうな表情になった彼の顔を思い出し陸は思わず両目を強く瞑っていた。いつも楽しげに、克己の事を話していた翔の顔も浮かぶ。もしかしたら、自分は彼の話の向こうにいる克己に恋をしていたのではないだろうか。翔から聞く“克己”は、陸にとって唯一の外の世界だった。
側にいなかったら、貴方を好きになることもなかったのに。
 夕日に聞こえないよう呟き、そっと相手の背に腕を回した。


 神子、というのはとても名誉なことなんだ。
 陸は幼い頃からそう言い聞かされて教会で育てられた。双子の弟である空と共に。
 神子は神の星が瞬いた家に生まれるという言い伝えがあり、それで決められていた。その神の星が現れる日時は、その時の神子が死ぬ数日前に言い残す。神託のようなものが降りてくるらしい。
 そして、その神の星が瞬いた家には双子の赤子が生まれた。それが陸と空だった。
 前代未聞だと、教会の人間は慌てた。
 神子は一人。だが、そこの家には双子が生まれていた。一体どちらが神子なのか。
 頭を悩ませた王は結局その二人共教会で育てることにした。空と陸、そう王自らが命名した。生まれてすぐに教会に引き取られた二人は、両親の顔を知らない。それが普通だと思っていた。王が、自分の父だと考えていた。
 けれど、それが違うのだと知ったのは王が自分の最愛の息子を陸と空に引き合わせた時だ。翔という名の可愛い子供だった。彼は父の足にしがみ付き、少し人見知りをするのかなかなか彼の後ろから出てこなかった。そんな息子に王は優しく呼びかけ、二人の前に立たせた。その時の王の顔のなんと優しげな事。それが父親の顔というものだと知ったのは、その時だった。彼は自分達には王の顔で接していたのだ。
 ショックを受けたのは陸だけではなく、空もだった。その事があってから空はもう神子という立場が嫌になっていたらしい。それを教会の僧たちもどことなく気付いていたのだろう、自然と陸に対してだけ神子修行を行うようになっていた。
 そして、彼はガーズに留学する道を自分で見つけ、イルから去った。必然的に陸が神子になることとなり、そんな陸に頭を下げたのは王だった。
 すまない、と。
 その後翔にも頭を下げられた。彼は、自分に魔力がない所為で陸にも余計に負担をかけてしまっていると思っていたらしい。だが、それは無いと笑って返した。
 翔はよく教会からそうそう出れない自分に会いに来て、ガーズの王子の手紙の話をしてくれた。陸はその話を聞いて間接的に克己という人物と知り合い、外の世界を知った。
 もしかしたら、克己は自分にとっても憧れの対象だったのかもしれない。
 けれど、小さい頃から何度も何度も言われていたことが頭の中で響く。

 ―――神子は王とこの国を愛することしか許されていません。





「誠一郎様、お部屋へと御案内いたします」
 話を終えて出てくると翔が頭を下げて待っていた。さっきの兄に着せられたという衣装ではなく、騎士服を身につけてだったが。下していた髪も結い、凛々しい雰囲気だ。そんな対応には誠一郎の方が恐縮してしまう。
「別にそこまで気をつかっていただかなくとも」
「兄の命ですので」
 こちらも見ずに素っ気無く答える翔は、初めて出会ったときとは印象がまた違う。
「……随分と嫌われたものだな」
「明日の朝食は王と共に。使いの者が迎えに行きます」
「君はガーズの第二王子とは親しいのか」
「何かありましたら、控えの者にお言いつけ下さい」
「だから、ウチの国に来るのが嫌なのか?」
「……誠一郎様」
 誠一郎の興味本位のしつこい問いに翔は足を止め、くるりと彼を振り返り、厳しい目を向けた。
「俺は克己様と個人的に友情を結んでいます。そちらの国とガーズが戦になる日が来ても、私はそちらの国の兵にはなりません」
「兵にはしないだろうな。お前の居場所はベッドの上だ」
 理解はしていたが、誠一郎に言われると背筋が硬直する。一瞬怯えたような目を見せた翔に彼は軽く笑った。その笑みに対抗心が湧いた翔は再び挑戦的な眼で彼を見上げる。
「貴方がたの思い通りにはならない。絶対に。何があっても俺はあの方との約束を貫いてみせる」
 例え忘れられていたとしても、あの約束はこの10年自分を支えていた。この先の為にも、自分だけでも約束を守り続けようと心に決めたのだ。
 その真摯で実直な翔の態度に、誠一郎は目を見張る。こんな誠実な王子は他の国で見たことがない。外見から、彼はずっと王に甘やかされて育ってきたのかと思ったが、違ったようだ。長袖で半分隠れてはいるが、傷の残る翔の手を目の端で確認し、息を吐く。
「貴方は夜のベッドに転がしておくより、太陽の下を走らせている方がお似合いのようだ」
「……俺はこの国を守る為に今まで生きてきたのです。誰かの下で喘ぐ為じゃない」
 ふいっと顔を逸らした彼の行動は子どもっぽいが、自分に媚びないその行動に好感が持てた。
 そこで翔と友情関係を結んだという克己の事を思い出し、少し思案する。そして
「克己殿の胸に、傷があるのを御存知か」
「……はい?」
 唐突に話し始めた誠一郎に翔は目を丸くしたが、それに構わず彼は話し始めた。
「克己殿の胸には傷がある。深い傷だったから、魔法では消せなかったはずだ。こう、斜めに刀傷だ」
 左から右下に指を走らせ、彼は苦笑する。どうしてそんな事を知っているのだろう、と翔が首を傾げそうになったその時、誠一郎が目を上げた。
「俺がつけた傷だ」
 その低い声に息を呑む。
 一体何が目的で彼がそんな話をしたのかわからず、翔はただ唖然とするしかない。
「……そこの突き当たりの部屋だろう。ここでいい」
 足を止めた翔を追い抜き、彼はマントを翻しながら早足で廊下の向こうへと行ってしまった。翔はただその場に立ち竦み、自分の胸を撫でていた。左から右下に。
 背後で翔が何を思っているのか知るところでは無かった誠一郎は与えられた部屋に足を踏み入れ、一息つく。
 もうすぐだ。
 自国で弟が上手くやっていてくれていることを願いつつ、部屋のランプに火をつけた。もうすぐ、待っていた時がやってくる。成功出来るか否かはもう問題では無い。成功させなければいけない、どうしても。
 自国に残してきたある人物の顔を思い浮かべ、普段鉄仮面とまで言われた表情を緩めた。
 まぁ、これが終わったらもう自分が簡単に近寄れる相手ではないのだが。
 無意識のうちにため息を吐きながら片手で服を脱ぐ。流石にイルの気温は合わない。ベッドの方に行けば小さな小山が出来ている事に再びため息を吐きそうになった。
 恐らく、あの晃が妙な気を使い夜伽相手でも送り込んできたのだろう。白いシーツを剥がし、そこで自分を待っていただろう相手に罵声を浴びせようとしたが、淡い光に照らされたその顔に驚愕した。
「蒼生さま!?」
 そこで寝息をたてて寝ていたのは何故か国に置いてきたはずの自分の奴隷だった。
 え……なんでだ?
 まさか気持ち良さそうに寝ている彼を起こして理由を聞くわけにもいかず、ただただ茫然とするしかなかった。


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