流石に謁見の間に蒼生を連れて行くのは憚られ、後でアスラの王子と顔合わせた方がいいだろう、と判断し先に陸と二人夕日は王と謁見を済ませていた。
 そんな時、丁度アスラの王子が姿を見せ、自分が今ガーズの王子としていることを改めて認識し、背筋を伸ばす。ライバルである彼に変なところを見せるわけにはいかない。
 アスラの王子の後ろから姿を見せた青年は予想通り。正紀から連絡を貰っていなかったら流石の自分でも動揺していた。
「城下でガーズの騎士殿とお会いしましたので、共に来ました」
 アスラの王子誠一郎が彼を紹介し、イル王はただ唖然としている。それはそうだろう、アスラとガーズは敵対関係にある。なのに何故そのアスラの王子がガーズの騎士と共に来るのか。それは謁見の間にいた誰もが思った事。けれど本人たちは飄々としている。
「ガーズの騎士、夕日です」
 そしてその青年は何の躊躇いも無く夕日の名を口にした。が……彼がこちらに視線をやり、「克己様の御命令で」と言った笑顔は笑っていなかった。あの顔は、間違いなく何か怒っている。何か変なことをしたかと考えてみても心当たりはない。でも、何かを怒っている。
 ヤバイ。
 自分の頬が軽く引きつったのが分かる。
「……克己様?如何しましたか?」
 陸はこちらの異変に気付いたのだろう、心配気に聞いてくれたが、「なんでもないよ」と返すことしか出来ない。
「誠一郎さま、ようこそおいでくださった」
 イル国の第一王子である晃は誠一郎を手厚く向かえ、隣にいたガーズの騎士と名乗った克己には目もくれなかった。そのどこかはずんだ声に克己は眉間を寄せる。
「これで、ガーズともアスラとも手が結べて我が国も安泰だ。近頃我が国の結界も力を失ってきて、困っていたところだったのですよ」
 そしてその晃の言葉に陸が表情を強張らせた。自分の力不足を遠回しに指摘されてしまった。それに気付いた夕日が隣りにいた陸の肩に手を置く。
 そんな時だ。
「……その事ですが、第一王子殿。私は少し不自然に思えます」
 先ほどガーズの騎士と名乗った男が、突然口を挟んだことに、晃は一瞬呆けた顔を見せたがすぐに嘲笑を浮かべた。
「何がだ?」
「克己様の御命令でこの国の結界を観察させていただきましたが、そちらの神子の力不足ならば結界全体が薄くなるのが通常。だが、結界に割れ目があった。こんな壊れ方は不自然です」
「……何が言いたい?」
「何者かが内部から結界を破壊したと考えるのが妥当かと」
 その騎士の発言に周りがざわめき、侮辱と受け取った晃の顔が紅くなる。
「貴様我が国に裏切り者がいると言いたいのか……!」
「そこまでは言っておりません。だが結界の修復には時間も魔力も大分必要になる。そちらの神子殿はまだお若い。お一人での修復は困難でしょう」
 この国の結界は大昔、伝説となっている神子と王とその一族が力を合わせて造ったものだ。神子と王、そしてその一族が揃ってこそ成り立つ結界と言える。今は神子の力で支えている部分が多いが、それでも王族の存在は必要だ。そんな中で王族の一人である第二王子を外へ出すなど、正気とは思えない。
「このような状態で、王族の一人である翔様をアスラへやるのは如何なものかと」
 淡々と進言する他国の騎士の言葉を、晃は鼻で笑った。
「馬鹿馬鹿しい。アイツは魔力を持たない。そんな王族がいたところで、何の足しにもならないのでね」
 その自分より下のものに対する嘲笑を見て、克己は不快感に目を細める。翔がその事で泣いていたのを見ていたから尚更苛立ちが募る。こんな器の狭い相手の所為で彼が苦しい思いをし続けていたのだと思うと。
「………ならば、我が国が彼を頂いても良い、ということですね」
「何?」
 晃が驚きに目を見開いている隙に克己はマントを翻し、イル王の前に膝をついた。
「イル国王閣下、突然の申し出お許し願いたい。アスラへ翔様をお遣わしになると申されるのであれば今一度お考えを。翔様のお噂はかねてより耳にしており、相当の技量を持った闘士であるとか。魔力を持たない身であるが故に剣術に心血を注いだ彼の真摯な姿に胸を打たれました」
「お前……一介の騎士程度が何を馬鹿な!」
「……と、克己様が申しております」
 騎士の付け足しの言葉に晃は陸の隣りに立っているガーズの第二王子を睨み付けた。その憎しみに満ちた目に夕日はぎくりと身を揺らしてしまう。
 っていうか俺何も聞いていないですよ王子!
 心の中でそう叫びつつも、ただ自分の仕える王子の行動を見守るしかない。本当に、王から受け継いだ破天荒さは健在だ。
「どうか、今一度お考えを」
 本物の克己は再び深々と王に頭を下げていた。王はそんな彼を眺め、何かを思案するように自分の髭を撫でている。そんな父に、晃は声を荒げた。
「王!こんな者の話に耳を貸すことなどありません。アスラとの話は前々から決まっていた事。今更」
「……しかし、これはあの子に一度聞いてみた方がいいだろう」
「王?」
「思えば、あの子には大分肩身の狭い思いをさせていた。我儘一つ言わなかった子だった。そんな子が、ただ毎日国の為に剣を振るい、血を流していたと思うと……」
 王はそこで言葉を止め、優しい瞳を床に跪く克己に向ける。
「あの子に、聞いてみよう。ガーズとアスラ、どちらに行きたいかと」
「……ありがとうございます」
「王……!」
 晃は悲痛な叫びを上げ、立ち上がった騎士を鋭い眼で睨み付ける。そんな視線を向けられていると気付いているだろうに、その騎士は平然としていた。
「それは困りますね」
 その時、冷静な誠一郎の声がガーズの優勢を断ち切った。
「元々翔殿は我らがお預かりする予定だったもの。それを突然翻されては困る」
 真っ当な意見に晃は表情を輝かし、克己が誠一郎に視線をやれば彼もまたこちらを挑むような目で見ている。
 イルでもガーズとアスラの関係は知られている。そんな二つの国の睨みあいを間近で見ることとなり、陸は困惑した。教会暮らしが長かった所為かあまりこうした殺気の漂う中にいたことがない。
 けれど、あの夕日と名乗った騎士は何者なのだろうか。話を聞く限り、彼は翔を庇っている。翔とは知り合いなのだろうか。けれど、ガーズの知り合いというと、今自分の隣りにいる克己くらいしか翔の口から聞いたことがない。
「……申し訳ありませんが、後程彼等と別室で話をさせていただけないでしょうか」
 緊迫した空気の中で、そう申し出たのは誠一郎の方だった。
 それをイル王は承諾した。ただし双方とも武器は持ち込まないという条件付で。その時だ。
「嫌だ、何でこんな……っ!」
 そんな声と共に扉が開き、「翔様がお見えです」という兵の無機質な声が部屋の奥に座る王の耳まで届いた。
「騒がしいぞ!」
 翔の登場を苛立った声で迎えたのは矢張り晃で、それに驚いて足を竦めた翔はタイミングが悪いことにすぐ背後で扉が閉まった音にも驚く羽目になり、その場に両膝をついていた。転ぶ、というまではいかなかったが、皆が立ってる中で一人だけ紅い絨毯の上に座っているという状況に慌てた。
「あに、うえ……っ!これはどういうおつもりですか!」
 着せられた服は宮廷服には違いない。だが、今まであまり身につけたことのない純白という色に、普段結っていた髪は下され何故か白い花を飾られてしまった。姉がそうしているのを見たことはあったが、男である自分がそうされたのは初めてで、屈辱的だ。しかも顔には化粧まで施されてしまった。何かの行事の時に何度かしたことがあるが、今日はそんな日ではない。
 服も確かに宮廷服ではあるが、どちらかといえば陸が着る様な神官服に近く、ヒラヒラとした布は動きにくい。闘士である翔が普段着ていたのは動きやすさ重視の騎士服で、しかも防御の為にきっちりとたまにマントも着ていたりしたので、こんなに体の線がはっきりと解かるものを人前で着たのは初めてかもしれない。
 兄に不満をぶつけてすぐにそこにいる人間の視線が自分に集まっている事に気付き、顔に熱が集まる。鏡を見ていないが、こんな服自分に似合っているはずがないのだ。陸や姉ならともかく。兄も自分で用意しておいて、絶句しているようだった。
 ああ、けれど今は王の御前。きちんと王子らしく振舞わなければ。
「遅れまして申し訳ありません。ただいま、戻りました」
 恥を忍んでいつも通りの例をし、顔を上げれば直線上に甲賀がいた。彼も少し惚けたような顔をしているような気がし、思わず睨んでしまっていた。好きでこんな格好をしているわけではない、と叫びたかった。
「これは、驚いた。これほどまでとは」
 王の前まで歩いていくと、横に立つ誠一郎がぽつりと呟く声が聞こえた。
「翔、どうした?その姿は」
 父王の驚きつつも優しい問いかけに、翔は表情を曇らせる。
「これは兄上が」
「私が着替えるように命じました」
 翔が説明するより先に晃が口を挟み、どこか誇らしげに続けた。
「各国の王子がいらっしゃる場に普段のみすぼらしい姿で来られるのは困ると思いまして」
 兄の言葉はいちいち翔に突っかかる。そんなに変な格好していたか?と首を傾げていれば陸が近くに寄ってきた。何故かキラキラとした目で見ている。
「陸さま?」
「翔、綺麗だよ。白似合うんだ。な、克己様」
 陸が隣りに来た克己に呼びかけ、それにどきりと心臓が鳴るのが解かった。後ろに甲賀がいるというのに。
「ああ、お似合いですよ、翔様」
 けれど克己は優しげに微笑むだけ。やはり、とは思うが落胆する事は止められなかった。それどころか、陸との親しげな様子に妬みさえ覚える。
 本当なら、克己の隣りにいるのは自分だったはず。そう考えていまだに自分が彼への想いを断ち切れていないことに気付いた。
「……ありがとう、ございます」
 ポーカーフェイスは得意だ。一応王族で、何があっても国民の前では笑顔であれと遠也から叩き込まれている。
「翔様、これはうちの騎士の夕日と申す者です」
 克己の紹介で頭を下げたのはさっきまで共にいた甲賀が慇懃な態度で礼をする。そのどこかわざとらしいまでの丁寧さに翔は目を大きくしたが、自分だけに解かるように彼が悪戯っぽく目を細めたのに笑いだしそうになった。けれど、それをどうにか堪え、こちらも丁寧に礼をする。彼を真似てわざとらしいほどに。周りはそんな二人の様子に気付かなかった。それがより一層笑いを誘う。
 良かった。ここで甲賀にも初めてというような態度を取られたら少しへこんでいたかもしれない。
「夕日には大会の様子を見て貰っていたのですが……私が見れない時は夕日に陸さまの警護をしてもらうつもりです」
 しかし、克己の思いもかけない言葉に、さっきまでの楽しい気分は下降する。
 甲賀が、陸の隣りにつくと思うと良い気分がしない。しかし、克己の命令となると何も言えないらしく、甲賀も渋々ながら頷いていた。
 何となく、そこで頷いて欲しくなかった。
「翔、食事が終わったら誠一郎殿を寝所まで御案内して差し上げろ」
 兄の唐突な命令には思わず眉を寄せてしまった。とことんアスラに媚を売ろうとする彼の考えそうな事だ。
「どうして俺がそんな事……!」
「俺の命令に逆らうのか」
 いや、逆らえない。
 く、と不満の言葉を飲み込み、翔は項垂れるしかない。
「申し訳ありませんが、私は食事は結構です。部屋で頂きます」
 しかし、そこで誠一郎がため息を吐きつつ、マントを軽く翻した。彼の片腕がないことをその場にいた全員が視覚で確認し、食事拒否の理由を納得させられる。
「イル国王閣下、別室を用意しては頂けませんか。ガーズの方々と話がしたいのです」
 そして誠一郎はただ淡々と頼み、それに王も眉を上げた。
「おお。そうだったな……ではこの広間を使うが良い。我らは人払いをしようか」
 まず先に王が従者の手を借りて広間から出て行った。それを皆で見送ってから、どことなく漂っていた緊張感が消えた。王という存在はそれなりに緊迫感を与えるものだ。翔も自分の父ながら、この広間で彼と会うのはいまだに緊張する。
「翔!」
 陸の悲鳴のような声にはっと顔を上げた瞬間、兄の怒りに燃えた目と振り上げられた手が視界に入った。
「お前……!」
 怒りに震えた彼の声も。王がいなくなった途端の事だった。
 叩かれる。
 思わず目を閉じてすぐにバシン、という物凄い音が聞こえたが、体のどこにも痛みは走らなかった。
 恐る恐る目を開ければ、自分の前に立つ黒い壁に息を呑む。
「甲賀さん」
「……あんた、剣を握った事ないだろう」
 彼は翔を庇い叩かれて切れた口端に滲んだ血を拭いながら、晃を嘲笑する。今まで他人にそんな態度を取られた事が無かった晃は一気に機嫌が下降していく。
「お前、翔とどういう関係だ」
 王に対して自分の計画が崩れてしまうような提案をしたその騎士が気に喰わず、その怒りは一番近い翔に向けられた。相手が怪訝な眼になったのを、晃は鼻で笑う。
「どうせ、アスラに行くのを嫌がった翔に頼まれてあんな事を王に言ったんだろう。いくらで頼まれた?それともソイツが足でも開いたか」
 侮蔑を込めて吐き出された兄の言葉に翔はただ唖然とするしかなかった。どうしてそんな方向に考えが言ってしまうのか。克己も側にいるのに。
 何があったのか知らない翔はただ唖然とするしかないが、憎悪に満ちた兄の眼に足が竦む。
「……汚らわしいな、お前は。その男も」
 晃が甲賀の方を見てそう吐き捨てた瞬間、自分を縛り付けていたものが一気に解け、頭が熱くなった。
 ゴッという今度は鈍い音が響く。翔の拳には鈍い痛みが響いていた。
 絨毯の上に倒れこんだ兄の姿に我に帰りそうになったが、それでも一瞬にして上り詰めた怒りは収まらない。
「この人を侮辱するな!」
 甲賀を庇うように彼の前に立ち、拳を突きつけた。興奮して荒くなった息を整えながら、翔は兄を睨み続けた。そんな弟の初めての抵抗に呆気に取られたのか、兄は何も言わず立ち上がり、ふらふらと広間から出て行く。
 その様子を見送ってから、ようやく我に返った。一気に血の気が下がり、背筋が寒くなる。
「うっそ……俺、兄上殴っちまった……やっべぇー」
 今まで彼に反抗した事など一度も無かった。何があっても彼の言葉を聞き流していたのに。
 どうしよう、と考えようとすると頭が混乱して働かない。今度は自分の行動に茫然としてしまった。
「……大丈夫か?」
「大丈夫じゃねーよ……どうしよう、怒られる……ってかマジ殺されっかも……」
 甲賀が落ち着けと肩を叩くが、これが落ち着いていられるだろうか。顔を青ざめオロオロと今すぐ謝りに行った方がいいかどうか悩む翔の姿に、誠一郎が吹き出し、笑い始めた。
「……へ?」
 まさか笑うと思わなかった相手が声を上げて笑い始め、そこにいた者全員が唖然とする。
「ああ、いや……悪い。続けてくれ」
 彼は口元を押さえ、笑いをこらえつつそう言ってくれたが一体何を続ければ良いのやら。
「いやいや……では神子殿、翔殿……しばし席を外しては頂けませんか。私達は少し話があるので」
 くつくつと笑いながら誠一郎は扉の方へ手を指した。二人が恐る恐るそれに従い広間から出て行くのを見送ってから、誠一郎は再び声を上げて笑う。
「誠一郎殿」
 困った夕日が声をかければ、彼は軽く手を挙げて「すまない」と謝る。
「翔殿は確かにただ小姓にするには惜しい人材だな。良い王子になられるだろう、あの兄よりずっとな」
「……ああ」
「だが、あの容姿には驚かされた。噂以上だ……さて、どうしたものか。克己殿はどう思われているのですか」
 くるりと誠一郎が振り返ったのは、夕日ではなく克己……先ほど王の前で夕日と名乗った本物の克己の方だった。どちらが本物か気付いていて、今までそれを黙っていたのだろう。
「気付いておられましたか」
 克己も薄々は感じていたが、思わずため息混じりに呟けば誠一郎は腕を隠すマントを捲る。
「この腕を落とした相手の顔を忘れるほど、俺は愚鈍では無いぞ」
 ニヤリと笑った誠一郎に、克己は肩の力を抜いた。
「……お久し振りです。書面では何度かやりとりをしましたが、会うのはあの戦以来ですか」
 軽く頭を下げた上司の態度に夕日はただ驚かされる。アスラとやり取りをしていたなど、自分は聞いていない。
「王子、一体どういうことですか!貴方はアスラと個人的な繋がりが?」
 アスラとはつい最近まで戦をしていたのだ。アスラが送ってきた魔獣を相手にどれだけてこずったかわからない。そんな敵国と繋がりをもっていたという自分の上司は、まさか自国を裏切っていたのか。
 思わず詰め寄ると、克己は呆れたように眉を上げる。
「そんなわけないだろう。王の了承は得ている。むしろ、自分の王に得ていないのは……」
 克己はちらりと誠一郎の方へと視線を流し、その視線を受けて彼は意味あり気に笑んだ。
「俺が、ガーズと個人的な繋がりを持っている。イルともな」


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