その日は、何の予告も無く訪れた。
「……今日から、この国は我が久慈一族が治める!」
 突然のことだった。
 今日も同じような日が始まると思っていた矢先、朝食をとっているところで久慈の兵が入ってきて、父と母を拘束し、驚いた兄や自分も捕まえられた。
 部屋に響く父の怒号と母の悲鳴。そこに現れたのは、昨日まで味方だと思っていた久慈だった。そして、その後ろには昨日まで共に遊んでいた友人である深継と、誠一郎。その後ろには見知らぬ黒いコートを羽織った人がいた。笑みに歪んだ口の間から見えた尖った歯が今でも忘れられない。
「これはどういうことだ久慈!」
 父王は叫び、それを久慈は一笑した。
「これはこれは元国王閣下。このような扱いをしてしまい申し訳なく思っておりますよ。ですが、今日からこの国を治めるのは我らが久慈一族。そのような口を利けるのは昨日まで」
「何を馬鹿なことを……!」
 さらに罵倒しようとした王に、久慈は冷たく、けれど楽しげに言い放つ。
「その男の首を刎ねよ」
 さっと背筋に冷たい物が走るのが解かった。
「父上!」
 兄が叫んだのを合図に、兵が銀色に光る刃を父の首へと振り落とした。
 母の悲鳴と久慈の愉悦に歪んだ笑い声が響く。まるで、悪夢だ。
 兄はその場に崩れ落ちつつも、昨日まで友人だと思っていた久慈兄弟のほうへと冷たい視線を投げる。
「これは、一体どういうことだ……深継、誠一郎!」
 しかし彼らはこちらに視線をやらず、無言だ。
 どうして、こんな。
 蒼生はただ茫然と父の首から流れる紅い血を見ていた。
 自分にとって深継は大切な友人で、誠一郎は憧れの対象だった。
 なのに、どうして。
「蒼生っ!」
 切羽詰った兄の声が聞こえたと思ったら、自分の身が引きずられていたことに気付く。
「いやだ、兄さん……!」
 兄と離れることに激しい恐怖感を覚え、必死に抵抗した。けれどそれも敵わず自分の体は奥の部屋へと運ばれていった。
 それから、兄とは一度も会えていない。自分は誠一郎の奴隷となった。
 深継は久慈の正室の子どもで、世継ぎと決まっていたから王宮住まいだが、誠一郎は妾の子どもだったので王宮から離れたところに住んでいた。王宮から離れた方が蒼生には良いだろうという誠一郎の気遣いだった。
 破格の待遇だと言われた。本来なら殺されてもおかしくないが、誠一郎と深継が声を揃えて殺すなと懇願したらしい。その話を聞いてから、奴隷である自分に優しくしてくれた彼の態度から、再び蒼生は彼に心を許すようになっていた。
 その心がはっきりとしたものになったのは、誠一郎がガーズとの一戦で腕を失くして帰ってきた時だった。血まみれで戻ってきた彼の姿にどれ程恐怖と不安を覚えたことか。そして、彼をこんな目に合わせた相手に対しての憎しみに涙が落ちる。その涙を拭いながら、誠一郎は不思議そうに首を傾げた。
「死ねば良いと思わないのか、俺が」
 衝撃だった。
 本来なら父を殺し自分の居場所を奪った彼らがこんな目に合った時は、ざまあみろと嘲笑するのが普通なのだろう。けれど、そうは思えなかった。
「……死なないで下さい」
 そう言って縋る自分の頭を彼の手が撫でる。
 この人が好きなのだと、自覚して一層哀しくなった。もう自分はそんな事を伝えられる身分ではないただの奴隷。彼らは自分に優しくはしてくれるが、結局の身分はそれだ。
「……本気ですか、父上。イルの王子を後宮に迎え入れるなど」
 この間、中庭で誠一郎と今のアスラ王が言い争うのを耳にし、蒼生は思わずその場に座り、身を隠していた。聞くつもりはなかった。そのまま立ち去るつもりだった。
 だが
「お前もイルの王子に興味がありそうだったではないか、誠一郎」
「……それは……貴方には関係ないでしょう」
「蒼生を私の色小姓にしようとしたのを止めたのはお前達だろう。その代わりだ、イルの王子は。ああ、蒼生を私に差し出すと言うのならばイルの王子はお前に譲ってもいいぞ、誠一郎」
「何を馬鹿な事を……今我が国がどのような状態か御存知なのですか!魔族魔獣で溢れ国民はまるで奴らの餌!貴方は国政を放り投げて色欲にふけ……何故王になられた!何故貴方はあの時奈良崎を討った!」
「うるさい!父に逆らう気か、片腕でロクに一人で戦にも出れなくなった役立たずが!」
 ばしゃり、という水音は恐らく、王が誠一郎に手に持っていたワイングラスの中身を浴びせた音だろう。
 それに続いたうるさい足音は、王が中庭から立ち去った音。それを聞いてすぐに蒼生はワインを拭くための布を持って彼の元に走った。
「……蒼生様?」
 髪から滴り落ちるワインの雫を手で受け止めていた彼は放心した様子で庭の中央にあった円卓に軽く腰掛けていた。この城で自分を様付けで呼ぶのは誠一郎だけだ。あれからもう10年は経っているのだから、いい加減様付けもおかしいと流石に蒼生自身さえ思うのに、彼はそれを止めない。元々誠一郎は蒼生の護衛役でもあったから、それの名残なのかも知れないが。
「大丈夫ですか?」
 持ってきた布を差し出せば、彼は礼を言い頭に乗せ片手で吹き始める。どこかぎこちない動作に手を貸せば、戸惑うような彼の目と視線が合った。
「……今の話、聞いていたのか?」
「………俺、王様の小姓に、って話があったんですか?」
 下手に誤魔化すより聞いてしまった方が良い。そう判断して口にすると彼は目を伏せる。
「最近の話だ。小さい頃は流石に趣向が違ったようだが、貴方が成長された姿を見て妙な気を起こしたようだ……全く、我が父ながら嘆かわしい」
 本当に自分の父に心から絶望し始めているらしい誠一郎の口調は重い。
 彼の黒髪を拭きつつ、蒼生はただ彼の重荷をどうにか少なくすることが出来ないかと考えた。
「別に、俺は……構いませんが」
 自分が王の元にいけば、彼の風当たりも変わるかもしれない。そう考えての言葉だったのだが、誠一郎は驚いたように目を見開き、顔を上げた。
「意味が解かっていて言っているのか?」
「王様の身の回りのお世話をすればいいんですよね?」
 小姓というとそれくらいしか仕事内容が思い浮かばなかったので正直に言えば、誠一郎は思いっきりため息を吐いた。その意味が解からず首を傾げれば、苦笑される。
「蒼生様は何も知らなくて良い」
「……なんですか、ソレ」
 むぅと膨れてみせたらまた誠一郎は笑った。
「貴方は全から預かっている大切な方だ。俺も深継も全力で君を護る」
 だから、貴方は何も心配しなくていい。
 そう言って彼は片腕で蒼生の腰を抱き寄せ、額に口を寄せた。小さい頃から共にいて、あんな事があっても嫌いになることはなかった相手の親愛のキスに頭が熱くなる。兄のように慕っていた時期もあった。尊敬の対象だった時期もあった。嫌悪し、憎んだ時期もあった。
 でも、今は。
「……せーいちろうさん」
 片腕に抱かれつつ彼を上目遣いで見上げると、彼の目が優しげに細くなった。
「俺、もう子どもじゃないよ……」
 不貞腐れたような蒼生の言葉に驚いたのか、さっき細くなった眼が大きくなる。その黒い目が好きだった。小さい頃から。
 じっとその目を見つめていると、彼も自分の目を見つめる。恐る恐る距離を縮めれば、彼も同じくらい距離を縮めた。緊張で硬くなり始めていた体を彼の腕が強く抱き寄せる。ふわりとワインの香りが自分を包むのがわかった。
 初めて触れた彼の唇は少し冷たくて、けれどとても温かかった。

 そしてこの次の日、深継から彼がイルへ向かったことを聞かされた。



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私はこの2人の設定が大好きです(゚∀゚)