「……お前もなかなかに度胸の据わったヤツだな」
 克己は隣りにいる翔に向かってため息を吐いていた。先程、いきなりキスしていきなり告白した相手の隣りに平然といられるのは、きっとこの王子くらいなものだろう。
「敵情視察は基本だろ?俺、まだ甲賀さんの試合観てないし」
 どことなくムスッとしながらも翔は口を利いてくれる。眼が合えば、あからさまに逸らされる。怒っているんだぞと態度で示してくる彼が妙に微笑ましくて、思わず笑ってしまった。
「何笑ってんだよ」
「可愛いな、日向」
「馬鹿言うな、可愛くなんか……っ!」
 かぁ、と頬を染める辺りは充分こちらを意識している。そのことに満足げに笑うと、相手は眉間の皺を深めていた。
「言っておくけどな、甲賀さん。俺は好きな相手いるんだからな」
「ああ、知っている。お前の従者にも釘を刺されているしな」
「え……更科に?」
 裏で自分の部下がそんなことをしているなんて知らなかった。ぽかんとした顔に甲賀も翔の驚きを察したのだろう。
「大事にされているな」
「……そうか?」
 更科にとって大切な相手は他にいて、彼以外には眼もくれない人間だという事は知っている。だから、ちょっと考えにくい事で、思わず眉間に皺を寄せていた。
「じゃあ俺はそろそろ行くかな」
 前の試合が終わったのを見て甲賀は剣を片手に立ち上がる。
 ちらりと相手の方を見れば、屈強な体格の大男だった。甲賀の実力は知らないが、大丈夫なのだろうか。でもあの剣さばきや普段の隙のない身のこなしを見ていれば、心配はないのだろうが……。
「怪我、しないようにな」
 そう言うと、甲賀は少し驚いたように眼を大きくしてから、苦笑する。
「何だ、お前俺に勝って欲しいのか?」
 からかうようなその言い方に、彼が何を言いたいのかすぐに察して顔に熱が集中した。失言だった。
「ち……っもう、さっさと行け!」
 くすくすと甲賀は笑いながら、相手の待つフィールドに行く。その背に「ったく」と悪態をついてから、わけの解からない胸の痛みに堪えた。
 会ったばっかりなのに、何で好きとか言ってくるかな、あの人は。
 昔、城の侍女たちが「恋には時間なんて関係ないのよ」ときゃあきゃあ言っていたのを思い出す。そうなんだろうか。そういうものなんだろうか。
 こそこそと周りの女性が甲賀の容姿に色めきだっている。それに苦々しいものを感じるのは何故だろう。
 大体、こんなに女性が色めく容姿に強さを持つ彼が、どうして男である自分にあんな……。
 先ほどの一件を思わず思い出し、一人顔を赤らめてしまう。
 いや、これは真剣に考えないといけないことだ。彼が自分を好きになる理由がまず解からない。自分は一応王子だし、取り入ってこの国の騎士になろうという算段だろうか。それとも、金か。
 いや待て、さっき欲しい物を聞いたらお前がとか何とか言われなかったか俺!!
 考えれば考える程ドツボにはまってしまい、苦悩するしかない。思わず頭を横に振ると、隣りにいた女性に怪訝な目で見られてしまった。
 だって、しょうがないだろう?
好き、なんて初めて言われたんだから。
『始め!』
 ワァァァという歓声に顔を上げると、相手の男がこちらに走ってくるのを甲賀は剣を逆手に構えて待ち構えていた。
 一撃で終わらせるつもりなのだろう。左手には短剣を構え、彼の右足に力が入ったのを見た。
 猪のように馬鹿正直に突っ込んでくる相手に彼も一歩踏み込んで、すれ違う。その瞬間、歓声が止んだ。
 男は崩れるように倒れ、甲賀の勝利を司会者が叫ぶ。そしてまた、歓声。
 甲賀は何てことなかったかのように剣をしまい、ふぅ、と肩の力を抜いている。それを茫然と見ていると視線が合い、笑われた。
 直感的に思った。彼は強い。あの笑みには、ここで見ていた自分より余裕があった。
 もしかしたら、自分以上に、いや、あれは確実に自分以上だ。自分は試合ばかりで実際の戦闘を体験した事が一度もない。だが、甲賀の太刀筋を見る限り、彼は場慣れしている。本気の戦闘では彼に勝てない。確実に。
 でも、戦ってみたい。
 フィールドで彼と向き合う自分を想像し、背中にぞくりと何かが走るのを感じる。
 試合をあそこで投げ出さなくて良かった、と心の底から思った。
「甲賀さ」
 声をかけようとしたところで、彼は何かに感づいたかのようにふっと後ろを振り返った。何だ?と翔もその視線を辿ると、さっき甲賀にやられて地面に伏していた男がゆらりと立ち上がった。
 ああ、気が付いたのか、くらいにしか思わなかったが、次の瞬間ぞわりと悪寒を感じる。フィールド内にいる男からではない、もっと自分の後ろの方向から奇妙な気配がある。
 振り返って一番先に目に入ったのは、黒いコートを纏った男だった。観客席のずっと奥にいたその男は甲賀の試合を一瞥し、背を向けて立ち去っていく。
 グォォォォォォ!
 そんな時突然、フィールド内から歓声を切り裂くような獣のような叫び声が響く。
 異常なその空気に観客は静まり返り、甲賀は一度しまった剣を再び構えていたが、少し遅かった。男は自分が持っていた剣を、再び振り上げて甲賀の腕に斬りつけていた。突然の非道にあちこちから悲鳴や罵声に似た声が上がったが、甲賀の方も間一髪で避けたようで、服をわずかに切り裂いた程度で済んでいた。
 それにほっとしながらも、翔はその場から走り出していた。さっきのあの黒いコートの男がなんだか気にかかる。
 再び始まった試合に熱狂し始めた観客の隙間を抜け、会場の外へと出た。出際にちらりとフィールド内を見てきたが、多分甲賀なら負けない。大丈夫だと思える強さを彼は持っている。
 外に出ると道が三方向に分かれていた。とにかく、今はあの男を捜さないといけない。辺りを見回してから勘で足を踏み出した。その時
「お前が第二王子か」
 横から聞こえてきた声に瞬時に反応し、間合いを取る。素早い反応に相手が感心したように顎を上げていたが、翔は身を低くし身構えた。
 黒いコートを羽織っているから、てっきりこの間の一件の男かと思ったが、気配が違う。別人だ。
「お前、何者だ!何故俺を知っている!」
 それでも、警戒すべき相手であることには違いない。自分の身分を知っているのだから。
 一瞬、周りの人間に聞かれていないかとちらりと眼を動かしたが、杞憂だった。人通りが多いはずのこの通りに、今は人一人歩いていない。恐らくは甲賀の一戦に皆目が行っているのだろう。
 男はただ黙って被っていたフードを落とした。
 沈みかけの夕日が照らしたのは、見たことのない青年の顔だった。黒髪に整った容姿はこの国では見ない特徴があり、そしてもう一つの男の特徴に翔は眼を見開く。
 風でコートがはためく事でやっと気付いた。男の体には、右腕がない。
 まさか。
 いや、でも。
 わずかな知識に足が凍りついた。風の噂で聴いたことがある。
「まさか、貴方はアスラの……」
 アスラの第一王子は、ガーズとの戦で右腕をなくしている、と。
 男は翔の動揺を知ってか知らないでか、慣れた動作で胸元に手を置き、恭しい態度で翔に一礼した。
「誠一郎とお呼び下さい。私はアスラの第一王子誠一郎と申します。今日は我が父の使いとしてまいりました。私が我が国へと御案内します」
「いやだ……」
 首を横に振りながら後ずさりをした翔を、彼は怪訝な瞳で見上げた。
「嫌だ!俺は行かない……!」
「……君は納得済みだと聞いていたのだが」
 呟くような声に翔は再度首を横に振る。
「納得なんて、していない……!!俺はこの国を守る王子だ!他国の王の取り巻きになるために今まで生きてきたわけじゃない……!」
 手だって長年の修行で傷だらけで、体だってあちこちに傷跡が残っている。こんな自分を欲しがるアスラの王はどうかしている。
「……確かに、あの男には勿体ないかもしれないな」
 項垂れる翔に、誠一郎は低く呟いて立ち上がった。
「しかし、これも国交手段。この国を守る為にまず自分が何をしないといけないのか、よく考えろ」
 淡々と告げる彼の黒い目は冷ややかで、胸が締め付けられる。
 そんなことはわかっているのだ。分かってはいるのだけれど。
 アスラに行ったら、本当にもう二度と克己に会えなくなってしまうではないか。
「ひとまず、私と共に城へ戻ろう。遠也殿が心配されていた」
「……俺は」
「大丈夫、悪いようにはしない」
 さぁ、と手を差し伸べられ、翔はただ唇を噛むしかなかった。



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