「陸!俺な、ガーズに行くことにした!」
「空?ガーズって・・・・・・」
「最近、うちの国と仲良くなっただろ?そこでさ、留学生集めてるんだよ。俺、ガーズに行って歌、勉強してくる。俺の歌には魔力があるって、神官さまも言ってた。俺の歌で、人を守れるかもしれない」
「・・・・・・そうだな、空は歌上手いからな」
「陸も一緒に行こうぜ!こんな教会での軟禁生活からはおさらばだ!」
空は、ずっと外に出たがっていた。だから、この話にすぐに飛びついた。
けれど、陸は彼と共に行く事は出来なかった。
自分がこの国に必要とされている存在であることが、陸にとっては誇りだったから。
外への憧憬を胸の奥に秘め、陸はひたすら教会で国の平和を祈り続けている。国王は優しく、外へ出ることがあまり許されない自分に、衣食住は贅沢なものばかり与えてくれた。けれど、時々胸に過ぎる寂しさは何なのか。
今日、初めて他の国の人間と会い、何だか奇妙な気分になった。もっとこの人と居られたら、なんて。
けれど、彼は翔がずっと想っていた相手。きっと、彼と翔が再会すれば、自分はその間に入ることは出来ないのだろう。そう考えると胸に小さな痛みを感じる。
「陸様、どうかされましたか」
ひょいっと顔を覗きこんできたのは、昨日出会ったガーズの王子。黒い瞳がどこか心配げな色になっていて、その近さに顔が熱くなる。
この人、美形すぎる・・・・・・!
普段、老人ばかり見ている陸には、刺激が強い。
「な、何でもないです!」
普段会う若い人間といえば、翔と翔の兄であるこの国の第一王子晃くらいだ。
王宮に彼と共に来て、まず王に謁見を求めるとすぐに来ると側近の人間に言われ、謁見の間で待たせられていた。
「国王さまがお見えです」
「陸?どうしたんだ」
優しげな老人の声に陸はほっとする。両親を幼い頃に失った陸と空にとって、この老王は父のような存在だ。白い髭に優しい笑みを浮かべた彼は、陸の隣りに居た若者に眼をやり、少し眼を大きくする。
それに気付いた夕日はぺこりと頭を下げた。
イル国王はもう老王だったが、その威厳は全く失われていない。頭を下げる価値のある王だ、と自国の王も評価していた。夕日はイル国王とこの時初対面で、その堂々たる空気には自然と頭が下がった。
「お久し振りです、イル国王さま。ご無沙汰しております」
「・・・・・・君が、第二王子の克己殿か。大きくなられたなぁ」
一度、克己が幼い頃に出会っているということは夕日も耳にしていた。さらに深く頭を下げてから、顔を上げた。
「昨日は申し訳ありませんでした」
「いやいや、陸から話は聞いているよ。日射病なんて、災難だったろう」
どうやら陸は馬鹿正直に理由を伝えていたらしい。これはしばらくこちらの国で話題になりそうだが、自分を影武者にした彼が悪い、と夕日は頭の中でお気楽な自国の王とその息子である克己の無表情な顔を思い浮かべた。
「はい・・・・・・イル国王様、実は一つお願いがあるのですが」
夕日の仰々しい言い方に隣りに控えていた陸は緊張で背筋が伸びる。彼は自分のことを言うつもりだ。
「願い?」
イル王も突然の事に驚いたようだが、長い髭を撫でながら聞く体制に入ってくれた。
「私も武道大会を見学させていただこうと思うのですが、まだこの国の勝手が解かりません。もしよければ、陸様をお貸しいただけないでしょうか?昨日助けていただいたお礼もしたいのです」
夕日の低い声を聞きながら、陸は思わず手を強く握っていた。今まで王宮に来る時くらいしか教会の外へ出る事を許されなかったのだ。もし、これが拒否されたら自分はともかく彼に悪い評価が集まってしまう。
緊張で震える陸に気付いた夕日がさり気無くその肩に手を置く。ベール越しだったが、その手の暖かさに陸の緊張が一瞬途切れた。
「ああ、いいぞ」
あれっ?
あまりにもあっさりとした王の答えに驚かされたのは陸のほうだ。夕日はその答えを予測していたかのように平然と礼をする。陸がおろおろと王を見ると彼はいつもの優しい笑みを浮かべて、軽く頷く。
「陸、お祭り状態になっているから、君も楽しんできなさい」
「王、何を言っているのですか!」
ばん、と扉が開きこげ茶色の髪の青年が姿を現した。その服装からして王族であることは夕日にもすぐに察せた。
「晃様」
彼が、第一王子の晃だ。翔や姉の梨紅とは違い平凡な顔立ちの彼は兄弟だとは思えない。それがコンプレックスを与えてしまっているのだろう、彼は弟の翔には辛く当たっている。
融通が利かないその性格は、彼が誰よりも王族らしくあろうとしているからだ。王もそこを理解していて、彼を厳しく咎めるような事はしていない。
「神子は教会にいるべき存在ですよ。それを自由にしてしまっては」
「今、この国は平和だ。神子にもそろそろ自由をあげなければならないだろう」
「しかし、神子は神格化された存在です。そう易々と民衆の前に姿を見せては示しがつきません」
「そうか・・・・・・ならば、陸、平民の服を一着用意させよう。それを着ていきなさい」
王は優しく陸に語りかけ、晃は呆れたようにため息を吐いた。
「有難うございます、王様!」
わぁ、と陸は満面の笑みを浮かべて夕日にもその笑みを向ける。
普段は洗練された笑みしか浮かべない陸の様子に王は嬉しそうに微笑み、晃は眉根を寄せた。
「翔は何をしている。神子の護衛はアイツの仕事だろうが!」
「そうだな・・・・・・遠也、翔はどうしている」
王に問われ、後ろに控えていた遠也は頭を下げた。
「いつもの稽古を。もう少しで戻るかと」
「そうか・・・・・・王子、どうか翔と顔を合わせてから出かけてくれないか。あの子も君に会いたがっているだろうしな」
王の言葉を聞きながら遠也は密かにほっと息を吐いた。いまだに帰って来ない翔に眉間に皺が増えるだけだった。更科の報告によると、身元が知れない剣士と行動を共にしていると。
聞いた瞬間、思わず手に持っていたペンを折ってしまい、更科に「遠也様って意外と握力あるんですねー」と言われてしまったのはとりあえず聞き流して。
何かがあったらどうするんだあの馬鹿王子。
絶対大丈夫だと楽観視しているだろう翔の顔を思い浮かべ、遠也は軽く痛んだ頭を押さえた。更科が大丈夫だと思うと言っていたからまだ安心出来たが。
会いたがっていた相手が来てるんだから早く帰って来い。
「遅くなりましたっ!」
バタンと大きな音を立てて大扉から現れたのは、遠也が待ち望んでいた翔だった。そんな登場の仕方をしたらまた兄王子に小言を言われるぞ、と遠也は心の中で嘆き、思ったとおり晃は眼を細めて息を荒げていた翔を見咎めていた。よほど急いできたのだろう、慌てて着た服が乱れている。
それに気付いた翔はささっと襟元を正し、いつもどおり膝をついて頭を下げた。
「おお、来たか。王子、彼が第二王子翔だ」
父王の声に翔はぱっと顔を上げる。視線を巡らすと目の前には王座に座る王と、その後ろにはほっとした顔の遠也。いつものように不機嫌な顔の兄と、陸と・・・・・・。
陸の隣りに立つ黒髪の青年の背に、緊張で息が止まった。
十年前とは全然違う背格好は、自分よりずっと高い身長に男らしい体格で、想像していた通りだ。魔族相手に戦っているのだから、それくらいの体格になって当然か。
そんな彼の背を、一度も会うことが無かったけれど、ずっと追ってきた。どれくらい、彼に近づけているか、直接会って知るのは怖いけれど。
「克己、さま?」
恐怖より、会いたい気持ちの方がずっと大きかったから。
震えそうに鳴る声で呼ぶと、それが届いたのか振り返った彼は自分の顔を見て、笑った。
でもそれは、どこか作られた笑い方だった。
サッと、背筋に冷たいものが走るのが解かった。
「ご無沙汰しております、翔様」
手を胸の前に置き、彼は一礼する。慣れた言い方と動作に翔は硬直する。
まるで、他人と、初めて会った相手に接するような態度で。それだけ言って彼は再び王へと向いてしまった。その背に、翔は小声で答えるしかなかった。
「ご無沙汰、しています・・・・・・克己さま」
もっと、違う再会を思い描いていた。
久し振り、とか、元気だったか、とか。久々の再会に、笑ってくれるものだと思っていた。これじゃあ、本当にただの王子同士の、挨拶のような。
「それでは、そろそろ失礼します。行きましょうか、陸様」
茫然としている時にそんな彼の声を聞いてしまったから、驚きで眼を見開いていた。陸に呼びかけた彼の声は、自分に向けられた時とは全然違う。
陸を気遣う優しい声色。
「服を用意させるから、陸は隣の部屋へ行きなさい」
王のその声に誘導されて、陸は一礼してから隣りの部屋へ続く扉へ姿を消す。
「夕食には戻ってくるようにしていただこう。今日は祝杯をあげようではないか」
髭を撫でながら王は上機嫌に言い、晃は面倒臭そうにため息を吐く。翔はただ克己の背を呆然と眺めて、その場に立ち尽くすしかなかった。
「あの、克己様」
背に呼びかけると、「何でしょう?」と余所行きの笑顔で振り返られる。それに胸が僅かに痛んだが、どうにか笑顔で誤魔化した。
「約束、覚えていらっしゃいますか」
せめて、これだけは伝えておこうと拳を握りながらどうにか口に出し、すぐに後悔した。克己の笑顔が、困惑したものに変わったから。
瞬時に察した。彼は、覚えていない。
「覚えて、いませんか」
声が震えそうになったのをどうにか堪え聞くと、相手は気まずそうに頷いた。
「すみません」
「・・・・・・良いんです。もう10年も前の話ですから、忘れてしまって当然です。大したことではないので、気になさらないで下さい」
やばい。泣きそう。
ぐっとせり上がってくるものを堪えて、翔は笑う。笑うしかなかった。
「では、また後ほど。楽しんでください。陸さまの事お願いします」
悔しいから、翔もなるべくよそよそしい態度で礼をした。でも相手はこっちのそんな気持ちに気付いてくれるわけもなく、慇懃な礼を返してくれた。
「父上、では私は稽古に戻ります」
父王に言った台詞だったが、これで彼が何かを思い出してくれる事を期待していた。けれど、そんな素振りは見せず、彼は陸がいなくなった扉の方をちらちらと見ている。
何だよ。
何なんだよ。
その仕草が妙に苛立つ。結局彼がこちらを見ることはなく、翔は扉に手を置いた。
「私も執務に戻ります」
兄の硬質な声を聞きながら、外に出る。扉が妙に重い気がした。
遠くまで続く廊下の先をぼんやり眺めていると、後ろの扉が開き、嘲笑が聞こえた。悪意のある笑い方にすぐいつもの顔を作った。彼に、弱みを見せることは出来ない。
「無様だな」
「兄上」
「まぁ、お前より陸さまに取り入っておいた方が賢い。頭の良い奴だな」
陸の名にかっと頭に血が上るのを感じた。
「克己さまはそんな人じゃない!」
「では、お前はただ単に忘れられたということだ」
兄の言葉が胸に突き刺さる。
そんなわけが無い、と叫びたかったがさっきの彼の様子は、それ以外に考えられなかった。
俯く自分の頭の上から、兄の嘲笑が降ってくる。
「思い上がるな。お前は、所詮その程度の人間だったということだな。魔力を持たない王族なんて、気に留めるまでもない」
気にする事じゃない。
普段言われ慣れているじゃないか、これくらい。
必死に自分に言い聞かせて胸の痛みに堪えていると、兄の気配が突然近くに来てはっと顔を上げると、そこには冷たい笑みを浮かべている彼がいた。
「兄、上?」
「正直、助かったよ。あの馬鹿王子がお前の事を忘れていてくれて。手紙を交わしている仲だと思っていたが、杞憂だったな」
「どうして・・・・・・」
兄が、彼と手紙をやり取りしていた事を知っているんだ。
けれど彼はそれに答えることもなく、ただ笑う。
「これで、何の障害もなくお前をアスラにやれるな」
「・・・・・・は?」
何故いきなり他国の名前が出てくるのだろう、と翔が眉間を寄せると、物凄い強い力で顎を掴まれる。
「知ってるか?アスラの王はお前をいたく気に入られていてな、父上に何度も手紙を寄こしている。お前のこの顔も、案外役に立つもんだ。少年趣味の王をたらし込むには最適だ」
「兄上・・・・・・?言っている意味がよく解かりませんが」
「アスラは強国。あそこと仲良く出来ればイルも安泰だということだ。お前一人の犠牲であれば容易いものだろう?」
「何、言って・・・・・・俺は嫌だ!俺は、俺は・・・・・・っ!」
「拒否出来る身分か?お前も王子なら、王子らしく国にとって最良の状況を考えるんだな」
「だって、アスラは!」
「ガーズと敵対している国?お前でもそれくらいは知っていたのか」
あからさまに翔を馬鹿にしたような言い方には黙るしかない。自分は武術に時間を割き、勉学の方は基本的なところは抑えているものの、兄には到底及ばない。
「ガーズにお前の姉を嫁がせて、お前をアスラにやれば周辺国とは縁を繋げる。そうすればイルは安泰だ」
兄の言いたい事も解からないでもない。けれど、何度か国に来ているアスラ王の眼を思い出すと行きたくないという気持ちが強い。
「覚悟を決めておけ。ああ、それともう武術は止めるんだな。その顔と身体に傷がついたら、価値が下がる」
弟をまるで商品のようにしか見ていない兄は素っ気無く言い捨てて翔に背を向ける。コツコツと廊下に響く兄の硬質な靴音を聞きながら、奥歯を噛み締めた。
兄からの嫌味なんて言われなれているつもりだった。何か言われても、昔自分を励ましてくれた彼を思い出し、自分にはまだやれる事があると、自分にしか出来ない事があると、己を奮い立たせていたのに。
今は、何も考えられない。
どうしよう。
心臓が痛くて、死にそうだ。
「翔」
はっと顔を上げると、普段の神官服ではない陸がそこに立っていた。彼の心配げな眼に、慌てて笑顔を作り、頭を下げた。まさか、今の話聞かれていたのではないかと思ったが、彼は申し訳無さそうな表情しかしていない。聞かれてはいないようだ。
「陸さま。いかがいたしましたか」
「その・・・・・・克己さまと、俺これから城下を歩くんだけど、翔も、一緒に」
陸の言葉に、更なる衝撃を感じたが翔は顔を上げて首を横に振った。
「俺は、良いよ。陸さまが克己さまに誘われたんだろ?だったら、二人で行ってくるといい」
「でも、翔」
「克己さまになら安心して陸さまを預けられる。俺より、強いし。克己さまも、陸さまと二人で行きたいから陸さまを誘ったんだろうし。案内、してあげてくれ」
失礼します。
へこりと頭を下げて立ち去ろうとする翔の腕を陸は強く掴んで引き止めた。笑顔でいるが、どこか痛々しい表情の彼を放ってはおけない。
「翔、翔が克己さまと二人で行きなよ。だって久々なんだろ?翔だって、ずっと会いたかったって」
陸が自分を心配してくれて気を使っているのは解かるが、翔は眉を寄せて陸の端正な顔を見ていた。あの人が気にしていたのは自分ではなく彼だ。そう考えると頭の奥の方が熱くなる。
陸が悪いわけじゃない。
けれど、どうしても今陸に優しく出来そうもない自分が嫌だった。
「翔?」
俯いた自分に陸が不安げな声を出し、それに翔は彼の肩に手をおいて自分から引き剥がした。
「すみません、陸さま」
「・・・・・・翔?」
「克己さまが選んだのは貴方ですから」
そう、自分ではなく彼。
もしかしたら、克己は陸と出会って、自分より彼と共にいたいと思ったのかもしれない。その気持ちは良く解かる。陸は可愛いし穏やかで、良い子だから。
それに、神子でもある。
自分とは違ってこの国に必要とされた人間だから。
「失礼、します」
一礼し、翔は自室へと足を進めた。陸の心配げな視線が背に突き刺さったが、振り返る勇気は無い。
そこでは、克己がきっと陸に優しい笑顔を向けているだろうから。
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