「じゃあ、行って来るな、甲賀さん!」
 髪を黒く染め、万が一の為にフードを深く被った翔はやる気満々に拳を握った。ここは翔が初戦を行うコロセウム。ああ、と甲賀は冷静に答えるが、内心は色々とおろおろしていた。
 確かに噂ではかなりの腕と聞いているが、本当に大丈夫なのか、とか。怪我をさせたら自分の監督責任とならないか、とか、他愛もないことだが。
「怪我はするなよ」
 この言葉にどれほどの意味が込められていたか、きっと翔は気付けていない。
「ありがとー。じゃあ、行ってきます」
 元気いっぱいに手を振って大舞台へと上がろうとするその背に不安を感じる。それだけじゃない。さっきから何だかとても嫌な気分になっていた。この感覚は、覚えが有る。
 ふっと視線を上げると観客席の中に黒いフードを被った男の姿を見つける。思わず眉を寄せた時
「よぅ、甲賀サン。彼初戦?」
 ワァァァァ!と歓声を上げる見物人の中に混じり、正紀がこそりと話しかけてきた。一見すれば大会の出場者に見える簡素な服を着た彼をちらりと目の端で捕らえてから、軽く頷く。
 黒いフードの男の姿は消えていた。
「ああ。篠田、しばらくはアイツに付け。俺の眼が届かない時は影で守れ」
「は?なんで?」
「・・・・・・この国の王子だ」
 はぁ、と克己がため息を吐いた時、観衆の歓声の音量が上がった。試合が始まったのだ。
 その歓声に、正紀の驚きの声はほとんどかき消される。
「は!?え!?マジで!?何で!!」
「解からないが、とりあえずアレは王子だ。大会中、変な輩がそれを嗅ぎ付けないよう、見張れ」
「いいけど・・・・・・お前、自分の正体は」
「・・・・・・後で、言う」
 ワァァァァという大歓声と驚きの声に、二人は視線をフィールドの方へと戻した。すると、翔は立っているのだが、相手の男は地に伏せている。
『信じられません!勝者日向!この小さな体格で、自分の倍はある相手を10秒足らずで倒しましたー!』
 なんともノリのいい実況を聞いてから、翔は息を吐く。
 一戦目は、昨日のあの大きな男だった。向かい合った時は楽勝と言いたげに笑っていたが、今では白目を剥いて床に倒れている。ざまぁみろ、だ。
 くるりと観客席の方を見ると、熱狂する見物者の中に甲賀の姿があった。にっと笑って見せると、彼も満足気に笑う。
 その二人のやり取りに気付いた正紀は、観衆に溶け込むように姿を消した。
「な、10秒だったろ!」
 意気揚々と甲賀の方に来た翔を彼は軽い拍手で迎えたが
「正確には12秒だけどな」
「・・・・・・意地悪いなぁ、もう」
 むぅと頬を膨らませる翔はここでようやく深く被っていたフードを取った。流石に観衆には顔を見せては不味いだろうから。甲賀も何か事情があると察してくれているのか、何も言わない。
 おかげで謎の武道家と囁かれる事になったが、まぁ良いとしよう。
「甲賀さんも頑張れよ!俺も、甲賀さんと戦ってみたいし」
「そこまでお前が勝ち残れたらな」
「残れるってば!残ってみせる!」
「その意気だ」
 大人っぽい笑みを浮かべてから、甲賀は先に歩き出す。それに翔は慌てて付いて行く。
「甲賀さんは、何時から?」
「午後からだな」
「え・・・・・・午後?」
 午後は、王子との謁見がある。でも急げば甲賀の試合に間に合うかもしれない。
「どうした?」
 翔の表情が少し難しいものになったのに気付いた甲賀が顔を覗きこんできた。
「何でもない。昼ごはん食べに行こう!俺腹へった」
 もう少しだ。もう少しで、彼に会える。
 そう考えると足取りが軽い。
「機嫌が良いな。大丈夫か?」
 甲賀もそんな自分の様子を察したのか、昼ご飯のパンを齧りながら言う。試合に勝って舞い上がっていると思ったのだろう。けれど、試合に勝ったくらいでテンションが上がる程翔も初心者ではない。
 相当気分も良かったし、翔はにへっと締まりのない笑顔を浮かべる。
「あのな」
「ん?」
「昨日、話しただろ?俺、会いたい人がいるって」
「ああ・・・・・・」
「その人に、今日会えるんだ!」
 キラキラと眼を輝かせて、本当に嬉しそうな顔をしている翔に、甲賀はしばし思考を止めた。
 何だかあまり面白くない。
「そうか、良かったな」
「うん!」
 そうか、あの小さくて可愛かったコイツも一人前に恋なんてする年齢になったのか、と甲賀はしみじみと思う。大して年齢差は無いが。
「どんな相手なんだ、お前の大切な相手というのは」
 もしかしたら将来外交に必要な情報になってくるかもしれない。将来の第二王子夫人となるかも知れないのだから。そんな目論見があっての問いだったが、翔はしばらく考えて
「・・・・・・うーんとな、凄い格好良い人なんだ。俺の、目標で・・・強くて優しくて、あんな人が兄上だったらいいなってずっと思ってた」
「・・・・・・兄上?」
 相手は、男か?
 そう聞かれ、翔は首をかしげながらも頷いた。
「男、だけど?」
「・・・・・・なんだ、俺はてっきりお前の片恋の相手かと」
 そう甲賀がコーヒーを飲みながら言った言葉に、翔は思わず顔を紅く染めていた。
 遠也にも、昔まるで恋をしているようだとからかわれたことがある。陸にもだ。
「そうか、な?やっぱそう見えるかな?」
 あわあわと耳まで紅くして所在無さ気に顔を撫でる翔に、甲賀は危うくカップを取り落としそうになる。
「あ、あのな、色んな人にそう言われるんだ。でも、相手男だろ?だから、恋とか、そういうのかよく解かんなくて」
 翔の話を聞きながら、甲賀は取り落としそうになったカップをどうにかテーブルに着地させた。かんっと結構大きな音が出たのは仕方ない。
「・・・・・・お前、何歳だ?」
「俺?16だけど・・・・・・」
「だろうな、それくらいの年齢だよな」
 十代後半の男を可愛いと思うなんてどうなんだ自分。
 甲賀は思わず額を押さえてため息を吐いた。
「あ・・・・・・ごめん、甲賀さん・・・・・・俺一人で舞い上がって。いつも、兄にもお前は落ち着きが無いって怒られるんだ」
 甲賀のため息を怒りと捉えたのか、翔は肩を竦めて苦笑する。兄という単語に甲賀は記憶の中のイル国の第一王子を思い出し、眉を寄せる。
「兄貴とは仲が良いのか?」
「え?あ、うん・・・・・・まぁ」
 言葉を濁し、視線を漂わせる翔の態度に、相変わらずなのだと甲賀は察す。
「・・・・・・俺は、多少相手が賑やかな方が釣り合いがとれると兄によく言われる」
「甲賀さんにもお兄さんがいるのか?」
「ああ。兄が家を守っているから俺は安心して外に出れる」
「そ、か・・・・・・甲賀さんはお兄さんを信頼しているんだな」
 きっと仲の良い兄弟なのだろう。何となく羨ましい気分になり、思わずため息を吐いていた。兄は苦手だ。昔から。けれど、頭が良い彼は尊敬する人間の一人でもある。
「あ、ごめん、甲賀さん!だから、俺もしかしたら甲賀さんの試合見れないかも」
 両手を合わせて謝ると甲賀は少し驚いたような顔をしたが、すぐに眼を伏せて「別に構わない」と答える。それに少し淋しさを感じつつも、翔はテーブルに立てかけていた剣を手に立ち上がった。
「じゃあ、俺先に行くな。急がないと、怒られる」
 きっと今頃ハラハラして待っているだろう遠也の姿を思い出し、心が逸る。
「気を付けろよ」
「甲賀さんもな」
 人を避けて去っていく翔の背を見送り、甲賀は本当に大丈夫かと思ったが、まぁあの腕なら何とかなるかと先ほどの試合を思い出していた。
「あの子は一回戦突破したようだねぇ」
 すたん、と身軽な動作で翔が今まで座っていた椅子に腰をかけたのは昨晩出会った更科だった。
「何か用か」
「アンタも気付いてるだろ。魔族の気配がする」
 フードの奥の更科の目がすっと細くなったのに、甲賀は飲んでいたコーヒーのカップをテーブルに置いた。確かに、さっきから僅かだが魔族の気配を感じていた。
 更科もそれに気付けているということは、彼も魔法を扱える人間という事だ。
「あの子を守ってくれないか」
「は?」
「日向くんだよ。あの子を守った方が、アンタの為になる」
 更科は親指で彼が去った後を差しながら、僅かに見える口元が三日月形に歪んだ。その口ぶりは彼の地位を知っているようなもので、甲賀は眉を寄せる。
「どういう意味だ」
 まさか、更科は彼が王子だと知っている人間なのか。だが、守れというのなら、彼の敵側ではない。
「・・・・・・俺とあの子の身分は明かせないけどね、俺はあの子を守るべき立場に立っている。俺も多少は魔法を使えるが、正直魔族相手じゃ手が余るんでね」
 あ。コイツ、イルの騎士か何かだ。
 甲賀はそう確信して彼に対する警戒を少しだけ解いた。
「言われなくともそのつもりだ」
 まさか、そう返されるとは思わなかったのだろう。更科は少し驚いたように息を吸い、吐く。
「・・・・・・だけど、風呂を覗くのは感心しないぜ?アンタの従者にも言っときな。次は許さないって」
 男の低い声での忠告には、流石にぎくりと背を伸ばしていた。しかも、正紀の存在まで知られている。こちらの正体までは気付いていないようだが、なかなか優秀な部下を彼も持っている。
「・・・・・・不可抗力だ」
「一生の宝にしろよ。二度目は無いからな。それと、あの人は惚れたところで手に入る相手じゃないって事も覚えておくといい」
 更科は目の前にいる男はただの旅人だと思っていた。まさか、ガーズの王子だなんて考えもしていないだろう。本物は城にいると信じているのだから。
 親切な忠告のつもりだったが、甲賀の表情がわずかに不快げなものになったのを見てしまい、思わず苦笑してしまう。お節介なただの忠告と受け止められたか、それとももう遅い忠告となってしまったのかは解からないが。
「あの人、好きな人いるし」
 ある意味トドメの台詞を吐いて、更科は去って行った。


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