「ごめんなさいねぇ、今いっぱいなのよ」
 武道大会の興行収入は物凄いだろう。街中の宿に入り、断わられたのはもう5件目だ。どうやら、予想以上の武芸者が集まっているらしく、どこの宿もいっぱいいっぱいのようで嬉しい悲鳴を上げていた。宿が、普段見られないくらいたくましい男で溢れている。すでに夕日は沈みかけの時間。
「あの、この人一人くらいは駄目ですか?俺は良いんで」
 いざとなったら、王宮から通えばいい。と思い翔が甲賀を指しながらそう持ちかけたら、彼が肩に手を置いた。
「お前はどうするんだ」
「俺は・・・・・・この季節なら野宿でも大丈夫だし」
 キャンプのような事は何回か経験があり、良いスポットも知っている。王宮にも戻れない状況だったら最初からそこで眠るつもりだった。
 けれど、甲賀は野宿と聞いて眉を寄せた。
「大丈夫じゃないだろう・・・・・・お前、その顔で」
 呆れた声で言われるが・・・・・・顔?何故そこで顔が出てくる?
 きょとんとした顔で翔が甲賀を見上げると、彼ははぁ、とため息を吐く。
「お前が泊まれ。俺が野宿をする」
「そんな!駄目だ、俺はさっき助けてもらったから、甲賀さんが泊まれよ」
「お客さん、ジャスミン亭なら一部屋だけ空いているそうですよ」
 甲賀と言い合っている間に、気を使った店の女主人が他の店と情報を交換してくれたらしい。
「ジャスミン亭?」
「あ。あそこパン美味しいよな」
 街の西の方にあるその宿を思い出し、翔が手を叩いた。それを甲賀は訝しげに見たが、彼女は嬉しげに頷いた。
「はい、お客さん、良くご存知ですねぇ。あそこのパンは街でも評判ですよ」
「甲賀さん、そこにしよう。有難う、リンさん!」
 行こう、と翔が腕を引き、甲賀を外へ連れ出したが、女主人は一人首を傾げた。
「どうして私の名前知っていたのかしら、あの子」
 それにしても、可愛い子だったわねぇ。どこかで見たような気もするけど。
 首をかしげて思い出そうとしたけれど、忙しさに呼ばれてからはその事はすっかり忘れてしまった。



「一人部屋ですが、お布団を敷けば二人お泊り出来ますから」
 申し訳ありません、とジャスミン亭の女主人が頭を下げた。ここもほとんど満室で、店の中には大きな男達でいっぱいだった。
「ああ、いいですよ。泊まれるだけで充分ですから」
 翔は笑いながら手を振るが、彼女はもう一度頭を下げる。
「お部屋代は一人分で充分ですので」
 そう言われながら通された部屋は、ベッドが一つ置かれ、木の床の上に布団がワンセット置いてある。
 寝られれば充分と思っていた二人には、充分な部屋だった。
「夕飯と朝食は下の食堂でやっていますので」
「はぁい」
 翔はほんの少しウキウキしていた。年齢の近い誰かと同じ部屋で寝るのは、十年ぶりだ。勿論、前回の相手はガーズの第二王子。
 荷物を置き、肩をまわしていた甲賀は、明日から始まる武道大会のAチーム。翔はCチームだ。全部でEチームまであるらしい。それぞれのチームで勝ちあがった1人が、他チームを勝ち抜いてきた相手と戦うトーナメント制。勝ち抜かない限り、彼と剣を交えることは無い。
 丁度いい、と思った。彼はそれなりの使い手だ。さっさと当たってしまうより、後の方で当たった方が好都合。
「な、甲賀さんは一番得意なのは、剣なのか?」
「ん?ああ、武術はな」
「武術は?」
「一応、魔法も使える。どちらかと言えばそちらが本業だ」
「魔法!?」
 彼は魔力を自在に操り戦闘する、魔闘士ということか。
 魔法使いにも色々と種類がある。甲賀のように剣や銃も使え、それと魔法を駆使して戦う魔闘士。魔闘士は魔族に最も対抗出来る人間だと言われている。そして、物理的な戦闘は出来ないが、魔法のみで魔術を持たない剣士などを背後から援護したり、魔術の研究などをする魔術師、戦闘などには参加せず結界や占いなどをしたり、怪我をした病人を癒す神官だ。
 魔術師は遠也、神官は陸とそれぞれ友人がいたが、魔闘士を見るのは初めてだった。イルには、魔闘士は存在しない。剣や銃で体力を使い、更に魔術で精神力を使う魔闘士はよほどの魔法センスと体力、格闘センスが必要となってくる。
 翔はただの闘士。闘士も魔術師が作った魔法のかかった武器具を持てば、魔法に匹敵する力を持ち魔族を打ち倒すことが出来るというが、勿論、それもかなりの修行をつまないと闘士が過労で死んでしまうという。
「ああ、大丈夫だ。今回の大会は魔法禁止だから、使わない」
「魔闘士・・・・・俺、初めて見た・・・・・・」
 噂では、ガーズの第二王子も魔闘士と聞くが。
「どんな魔法が使えるんだ?やっぱ、手から火を出せたりするのか?」
 初めて見る魔闘士に翔は興味津々に身を乗り出し、今まで見たことのある魔法を言ってみる。やはり、人それぞれ特性があるようで、火系の魔法水系の魔法、と使える魔法は分かれるらしい。そういうところが面白い、と遠也は言うが、翔は頭がこんがらがって良く解からなかった。でも、自分の姉が水系の魔法、特に癒しの魔法に長けているのは知っている。
 翔の問いに甲賀は少し戸惑い、うーんと考えるような仕草をする。
「まぁ、色々だな」
「何だよ、もったいぶらずに教えろよ甲賀さん」
「駄目だ。これから戦うかもしれない相手に自分の手の内は晒せない」
 あ。そっか。
 翔はあっさりと納得して、身を引いた。
 それに甲賀も密かにほっとする。自分の得意とする魔術は極めて特殊なものだ。この世界の人間では、自分しか使えないと言ってもいい。翔は旅をしていると言っていたから、もしかしたら噂を耳にしているかもしれない。ガーズの第二王子が得意とする魔法を。
「そろそろ夕飯食べにいこう。無くなったら大変だ」
 翔は黒い髪を揺らしながら扉のノブを握る。その背を眼で追いかけながら、何となく甲賀は一つに結われたその黒い髪に手を伸ばしていた。
「わ・・・・・・何?甲賀さん」
 髪に違和感を感じ振り返ると彼が自分の髪に触れている。
 翔の黒髪には、例の魔石がついた結い紐は巻きついていない。国の人間にはすぐにばれてしまうだろうからと、翔の荷物の中に入っている。本当は部屋に置いてきた方が良かったのかも知れないけれど、身から離すのは何となく嫌だった。
 甲賀にはその結い紐を見られたのかと思ったが、違う。今ソレはつけていない。
 ただ、甲賀はしげしげとその黒い髪を指先で弄り、「悪い」と手を離した。
「・・・・・・お前、本当に黒髪か?」
「は?」
「いや。眼の色と髪の色が合っていないと思ってな。悪い、気にするな」
 甲賀はそう言いながら翔の肩を叩いて先に食堂へと向かう。
 その背を凝視しつつ、翔はほっと息を吐いた。助かった。ばれたかと思った。でも、ばれたところで彼がまさか自分がこの国の王子だとは思わないだろう。兄にも言われている。お前は庶民に生まれた方が良かったな、と。王族としての品格や空気が全くないと。兄王子の言う事に口答えをするのは許されず、ただ黙って彼の言葉を聞いているしかなかった。だから、王宮にいるのは苦痛だった。何かの拍子で兄と会い、何かを言われるのが怖かった。
 いっそ、旅にでも出ようかな、なんて思ったのは今が初めてじゃない。こんなに気が楽な一日を過ごしたのは久々だ。別な方向で気をつけているのだけれど、王宮よりずっとマシだ。
「おいおい、きーたか?今回の大会にはすっごいゲストが来ているらしいぜ。しかもすっげぇシードで、最後まで勝ち抜いた人間がそいつと戦う事になるらしいぞ」
 食堂にはすでに武道大会に出る猛者たちの溜まり場となっていた。あちこちから聞こえてくる噂は大会のことばかり。こんなに賑やかなところで食事を摂るのは久し振りで。
「甲賀さん、何食べる?」
 テーブルに座ってメニュー表を見ると、翔は良く知るこの国の名物料理の名前がずらりと並んでいた。
「ここは何が美味いんだ?」
 すでに甲賀はそのメニュー表を見るつもりはないらしく、頬杖をついて翔に聞く。
「パンが美味いって、さっき言ったか。後はなぁ・・・・・・そうだな、甲賀さん普段何食べてるんだ?」
「普段は・・・・・・肉、が多い。干物とか」
 甲賀は旅人だと言っていた。だから保存が利くものしか食べていない食生活なのだろう。翔も前に何度か旅人の携帯食料を口にしたが、どれもこれも塩味が利きすぎているものばかり。保存食だから仕方ないだろうが、あまりの塩辛さに舌を出すと、お前は旅は出来ないなと師匠に笑われた。
 ため息を吐く甲賀を見て、旅してると大変だな、と翔はその本当の理由を知らずに単純に思う。
「じゃあ、魚がいいかな。ウチの国魚は新鮮なの多いからどれ食べても美味いよ」
 ウチの国?
 甲賀はちらりと向かいでメニューを見ている翔を見た。
 彼は今の失言を気付いていないのか、メニュー表とにらめっこしてから大きく手を上げた。店員を呼んでさらさらとこの国の料理名を口にする彼に、甲賀はひそかに眉を寄せていた。
「よう、色男のにーちゃん。兄ちゃんも大会に出るのか?」
 ワインの入ったジョッキ片手に甲賀に絡んできたのは、すっかり酔っ払っていた筋肉隆々の男だった。多分、彼も大会に出る人間の一人だろう。
 お世辞にも人相がいいといえないその顔は、姉が見たら悲鳴を上げる。そんな人間ばかり集まっているような気がしないでもない。
 絶対、俺が1位にならないと、と翔は使命感に燃えた。
 でも、男が言うように甲賀は見目もいい。彼なら、姉も一目で気に入るかもしれない。
 くっそ、カッコイイなぁ。何か悔しい。
「んん?でもお前女連れじゃないか。しかも可愛いなぁ・・・・・・なのに姫さんが欲しいのか?そりゃあ贅沢ってもんだろう」
 男は翔に眼をやり、豪快に笑った。それにつられたかのように、食堂全体からこちらに笑い声が向けられる。甲賀はある程度慣れていたが、翔は何を言われているのか解かっていないらしく、きょとんとした顔で先ほど運ばれてきた貝柱のサラダを食べていた手を止める。
「え、何?何だ?」
 甲賀の顔に羨望の眼差しを送りながら黙々とサラダを食べていた翔は状況が解からない。
「日向、取り合うな」
「冷たいなぁ、色男。なァ、どうよ?お前の女、一晩俺達に貸してくれるんなら耳寄りな情報、提供してやってもいいぜぇ?」
 ん?と酒臭い息を吐かれ甲賀は眉を寄せた。気が付けば男の仲間だろうか、数人の男が翔の背後に並び、翔はそれに気付いているのかいないのか、のん気にサラダを食べている。甲賀は酔っ払いより翔の無防備さの方が気になった。
 さっきの「ウチの国」もだが、本当に彼は旅をしてきた人間なのだろうか、と。
 翔は甲賀がそんな疑念を抱いていることも知らず、ただひたすらに夕食を口に運んでいた。
「ねぇちゃん、こんな顔だけの男と付き合ってねぇで俺達と飲まねぇか」
「ふぇ?」
 フォークを咥えたまま翔は後ろを振り返った。さっきから酒臭い人の気配がすると思ったら、囲まれていたらしい。闘気も何もなかったから放っといたのだが。というか、ねぇちゃん、って。
 そりゃあ、甲賀さん程は男前の顔は持っていないけど!
「おじさん、俺男だぞ?」
 むぐむぐ貝柱を咀嚼しながら、片手でべろっと着ている上着をめくり、何もないまっさらな胸を見せると男達の空気が凍った。小さい頃から女と間違われるのは良くあったことだから、もう怒る気力もない。国では翔を知らない人間はいないから、最近はあまりそういった誤解を口にされることは無かったのだが、彼らは他国から来た武芸者だ。知らなくて当然だろう。
 この国は暑い。薄い上着の下は素肌だ。確かに、女性のようなふくらみは無いが真っ白い肌を店のランプのオレンジ色の光りが照らし、何だか妙に扇情的だ。思わず触れてしまいたくなる肌に男達の目がそこに集中した。
「日向」
 男達の空気が落胆から別な方向へと変わったのを真っ先に感じ取った甲賀が翔を眼で咎める。けれど、翔はその意味に全く気付いていなかった。何だかんだ言っても、所詮翔は王室育ちの箱入り息子だ。民とよく関わっているものの、そういった方面のことに今まで触れてくることは無かった。遠也も潔癖でそういったものは翔の周りから排除していたから。
「そりゃあ、悪かったな、兄ちゃん」
 男が今までとは違う笑みを浮かべ、翔の隣に腰掛ける。「兄ちゃん」と言い直されたことに翔は満足したのか、ふっと表情を和らげた。そこは警戒を解いていいところじゃない、と甲賀は思うが口には出せない。
「兄ちゃんも明日の大会に出るのか?」
「出る。おじさんも出るのか?」
「ああ。出るよ。どこのチームだ?」
「俺は、C。Cの46番」
「C!俺もCだぞ。しかも、Cの45。俺の初戦の相手はこのちっこい兄さんか!」
 男が笑うと、仲間も笑う。まるで勝ったも同然と言いたげな笑い方だった。それに少しむっとしつつ、翔は黙って食事を続けた。
 男の身長は、甲賀より幾分高い大男だ。筋肉も無駄なほど着いていて、剥き出しになった腕にはあちこち傷痕が見えた。それが男をより強く見せている。確かに、そんな身体と比べたら自分の体は貧弱だろう。
「俺の鉄球が当たったらお前の頭は割れてしまうぞ」
「・・・・・・鉄球」
 男の得意とする武器らしい。ぽつりとフォークを咥えたまま呟くと、男はそれを恐怖の呟きととったのか、髭が囲む唇が笑みに歪む。
「なぁ、兄ちゃん?悪いことは言わない。棄権しろよ」
「んー、しない。あ、甲賀さん、これ美味いよ」
 口に入れた貝柱には塩味がしっかりと染み込んでいて美味しかった。サラダの皿を彼の方へと押すと、海老の照り焼きを食べていた彼も無言でそれをつつく。
 全く話を聞いていない翔に、男は少し眉を寄せたが、すぐに余裕のある笑みを浮かべた。
「じゃあ、兄ちゃん。俺が勝ったら、俺の言う事何でも聞いてもらおうかな」
 ん?
 くるりと男の方を振り返り大きな眼で見上げると、男はにやりと笑う。
「じゃあ、おじさんも俺が勝ったら俺の言う事何でも聞いてくれるってこと?」
「ああ、勿論」
「なら良いよ」
 あっさりと承諾した翔に男達は笑い、甲賀はただ眉を寄せた。翔が全ての意味を了解した上で頷いたとはとても思えない。
「なら、俺が勝ったら明日の夜は俺達の部屋に」
 翔の肩に馴れ馴れしく手を置いた男の頬に、鋭い風が通る。冷気を感じると思えば、男の頬の横に銀色に光る刀身があった。
 光の速さで動いた剣に、翔は眼を見張る。
「失礼、虫が」
 その長剣の持ち主である甲賀は剣をしまい、彼の言うとおり男の肩には真っ二つになったハエが落ちていた。
 翔の力量は解からないが、甲賀は強い。
 そう察した男達は彼の眼光のおかげで一気に酔いが覚めたらしく、すごすごと自分達が座っていたテーブルに戻っていく。
 周りは静かになったが、そんなことには構わず翔は眼を見開いたまま甲賀を見つめた。
「何だ?」
 そんな翔に、甲賀は怪訝な表情でみやる。
 何だ?じゃないだろう。何だ、その神業的な腕は。
「甲賀さん、強いな!カッコイイな!!」
 ぶんぶん自由気ままに飛んでいるハエを真っ二つになんて、そうそう出来る芸当じゃない。そんなものを見せられて、興奮せずにいられるだろうか。
 今まで翔は様々な相手と手合わせをしてきたが、いい加減自分に勝てる相手がいなくなってきた矢先だった。甲賀は強い、間違いなく。自分と同じ、いやそれ以上に。
「そうか?」
「うん、無茶苦茶カッコイイ。うぁー、羨ましいなぁ。なぁ、今度俺と手合わせしてくれない?」
 剣でも拳でもいい。そう頼むと甲賀は苦笑して「今度な」と了承してくれた。
 誰かを尊敬し、格好良いと思ったのは自分の師と出会ったとき以来だ。後は、ガーズの第二王子。甲賀とはこの大会が終わったらただの旅人である彼とはもう会えなくなる。それは少し淋しい。たまにウチの国にも遊びに来てくれないかなぁとちらりと彼を見上げると、視線が合った。
「それはともかく、お前どうするんだ。明日の試合」
「明日の試合?」
「勝てるのか、アレに」
 翔とあの男の体格を見て、甲賀はあまりの体格差にため息を吐く。が、翔は彼が言いたい事をすぐに察してにこりと笑い
「甲賀さんは、体格が違うからって、負けをすぐ考えるか?」
「・・・・・・いや」
 甲賀は少し前に相手にした魔族の使役する魔獣との一戦を思い出し、否定した。相手は全長4メートルはあるだろう大きな獣だった。それでも、一人でそれを倒した覚えがある。
 ようは、自分の技術と頭の使いようだ。それは甲賀も知っている。
 甲賀が否定したことに、翔は満足気に笑った。
「俺はね、こういう体格だから自分より大きい相手としか戦った事が無いんだ。ああいう体格相手はね、むしろ慣れてるんですよ」
「・・・・・・成程」
「10秒あれば、倒せる自信がある」
 翔はちらりとさっきの男の背を見て軽く笑う。
「あー。でも楽しみだな!明日、甲賀さんの試合絶対見に行くから!」
「俺も、お前のを見に行こうかな」
「え、マジで?」
「10秒で倒してくれるんだろう?」
「あー・・・・・・うん、頑張るから見に来て!」
 えへへ、と笑う翔に甲賀も表情を緩めた。
「でも、顔には傷をつけないように」
 この翔の顔に傷がついた日には眼も当てられないな、と思いながら甲賀は出されていたお茶に口をつける。宿の名前となっているジャスミンティーは癖があるが、悪くない。
 ふ、と顔を上げると翔が驚いた顔でこっちを見ている。何だ?と聞くとふるふると彼は首を横に振った。
「何でもない」
 驚いた。
 前にも、あの人に同じ言葉を言われていたから、ドキリとしてしまった。
 少し高鳴った心臓を押さえて、翔は眼を伏せた。
「・・・・・・昔、似たようなこと言われたことがあるから、大切な人に」
 今頃、どうしているのだろう。
 ふいに遠い眼をした翔に甲賀も眼を上げる。
「大切な人?」
「うん。もうずっと会ってないんだけどさ、十年くらい」
「会いに行かないのか」
 甲賀の問いに、翔はちょっと哀しげな顔をした。
「行きたいけど、あっちも忙しそうだし、邪魔になるんじゃないかなって」
 克己は今魔族との戦いにいっぱいいっぱいだろう。自分が魔力を持っていればいくらでも助勢に向かうのだが、魔力を持たない自分は魔族を倒せない。いるだけ足手まといだ。
 魔力を持たないということは翔の中で大きなコンプレックスとなっていた。姉も兄も使えるのに、自分は王族なのに扱えない。兄はそんな自分に心底呆れている。
 顔を伏せ、翔の表情に影が落ちた。
「それに、十年前だし、俺のことなんて忘れてるかもしれない」
 確かに、手紙のやりとりはしている。でも翔が出したらその返事を、という感じで、忙しいだろうにと手紙を出すのが悪いように思えてくる。イル国の第二王子という認識で、翔個人を認識してくれているかどうか。
 魔力を持たない王子なんて、記憶に留めて置くほどの価値があるのか。
 しゅんと項垂れた翔の頭に、甲賀の手が乗っかった。
「甲賀さん?」
「忘れてなんかいない」
 よしよしと頭を撫でられ、何だか気恥ずかしい。そして、やっぱり十年前のあの時と、被る。彼も、こんな風に頭を撫でてきた。
 ・・・・・・何かどきどきしてきた。
「くっそ、甲賀さんカッコイイなぁ。なんか、悔しい」
「何でそんな結論になるんだ・・・・・・」
「なぁ、兄さん達。ちょっと隣り良いかな?」
 そんな時、若い男の声が二人の会話を中断させる。二人が視線を上げると、そこにはフードを被った青年が立っていた。あからさまに怪しい格好だが、彼はこちらの警戒に気付いているのか気付いていないのか、肩を竦めた。
「情報を売りにきたんだけど、どう?」
 フードの下にある口が笑みの形にゆがみ、甲賀はふいっと顔を彼から背ける。
「要らん。他のやつを当たれ」
「冷たいなー。俺は、あんたらがそれ相当の使い手だと知って話しかけてんだけど?」
 彼はフードを落とし、下の顔を露わにした。結構整った顔立ちで、その顔に翔はあ、と眉を上げる。それに気付いた彼は翔に意味ありげな笑みを投げ、空いていた椅子に座った。
「さっきの噂、聞いてただろ?今年の大会にはゲストが来ているって」
 そして、最終的に勝ち残ったものが、そのゲストと戦いそれに勝ってようやく優勝者になれると。
「そのゲストが誰だか、知ってる?」
 青年の言葉に翔は首を振り、克己は聞き流している。大した相手ではないだろう、と思っているのだろうか。しかし
「ガーズ国の、第二王子の克己様だって」
 ゴホッ。
 お茶を飲んでいた甲賀が突然咽た。大物人物の名前に驚いたのだろうと思ったが、真実は違うことをj翔は知らない。けれど、翔も甲賀の態度を気にする暇も無くただ茫然としていた。
「がーず、のだいに・・・・・・王子が?」
 十年間会いたくてもなかなか会えなかった彼が、ここに来るのだ。否応無しに胸が高鳴る。
 克己様に、会える。うそ。本当に?
 思わず、高鳴る胸元に手を置いた。
 予想以上の二人の驚きように情報提供者は少し嬉しげに笑った。
「イル王の本命が、彼だってことだよ。この武道大会は梨紅様と克己様のお見合いの為の大会だと考えた方が無難だ。梨紅様は今は色よい返事をしないだろうが、戦う克己様の姿を見せれば惚れるとの御算段だな。この大会、克己様が勝つようになっている」
「え・・・・・・梨紅様と克己様が、ご婚約される、ということか?」
 まさか父がそこまで考えていると思わなかった翔はただ絶句する。姉とあの克己が婚姻を結ぶ、そう考えるとさっきまで上昇していた気分が一気に下降した。
 あの克己なら、翔も文句のつけようが無いのだが、何故だろう胸が痛い。
「第二王子はもうこの国に来ているのか?」
 甲賀は嫌な予感がしつつも青年に聞く。まさか、自分の身分がバレているというわけではないだろうが。
「ああ、今日王宮に入ったそうだ。しばらくの間はご観戦一本だな」
 夕日か。
 男の答えに誰が来たのかすぐに察した。まったく、なんて面倒なことになったのだろう、と頭を抱えたい気分になった。本物の王子である自分が一般として出場し、影武者が王子としてこの国に現れ、もしかしたら影と剣を交えないといけなくなるのかもしれない。まぁ、夕日相手なら多分勝てるが。
「お前は大会に出るのか」
 甲賀の問いに男は首を横に振った。
「残念ながら、申し込みに間に合わなかったんで」
「じゃあ何故こんな情報を持ってうろついている?」
 更なる質問に、男は苦笑を浮かべる。
「そんな事話す必要ないだろ?」
 彼はフードを被りなおし、椅子から立ち上がった。
 一度だけ、ちらりと翔の方を見て甲賀に気付かれない程度の視線を交わし意味深に笑う。翔も、目線だけで頷いた。
「あぁ、俺の名前は更科。覚えておいて損のない名前だよ」
 彼、更科は名前だけ告げて食堂から出て行った。







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