まさか、こんな事になるとはな。
 夕日は自分が立っている国の様子を眺めて呆然とする。
 ここは、克己が向かった通称白炎の国、イル国。一年中温暖な気候で、海が近く白い砂浜が観光名所だ。つい十数年前までは、夕日が住む通称黒狼の国、ガーズ国とは敵国だった。しかし、ガーズの方が十年ほど前に和平を持ちかけ、今では友好関係を築いていた。今回のこの訪問も、友好関係を築く為のものではあるのだが。
 ガーズの第二王子である克己が、身分を隠してイルへと旅立った後、彼の影武者を務める夕日にガーズ国王、つまりは克己の父が、夕日に第二王子としてイルの武道大会に出ろ、と命令を下した。
 友好関係を築いている以上、本名を出して大会に出場しないといけない。だが、本人が本名を出して出場するのは、王子という地位を持つ以上危険だった。一応、この国とわが国は前まで敵同士だったから。念には念を、ということだろう。
 まったく、二度手間だ。
 はぁ、とため息を吐きながらも、見慣れない光景は夕日にとっても新鮮だった。自国では騎士団長を勤めてはいるが、毎日毎日克己について魔族との戦いに明け暮れている為、旅行なんて暇は無かった。
 魔族相手に毎日戦っている夕日は自分の腕に自信があった。誰かに克己の身代わりとして殺されることは決して無いだろう。だから、すでに観光気分に浸っていた。
 イルは国全体が結界で覆われている為に、魔族から進入されないと聞く。噂通り、なんとも平和な国だった。ガーズも、魔族が多く住む森近くの国境地域が偶に魔族に襲われるくらいで、中心都市は平和なのだが。
 克己と一度会い、事の次第を自分で説明したいのだが、こう人が多くては彼を探すのは無理だろう。
 夕日が克己と出会ったのは6年前だ。すでにお互い成人の儀を済ましてからで、最初から部下と主という立場で出会った。克己は夕日の眼から見てもなかなか有能で、部下である事に誇りを持てる器だった。第二王子であることが勿体ない、とも思うが、第一王子の方が王向きではある。克己は有能なNO.2だ。
 そんな彼がこの国の姫を娶るとなると、ガーズにとっても吉報だ。しかし、今まで彼の隣りにいたが克己が恋愛のようなものをしていた記憶はない。毎日戦い続きだったからそれも仕方ないのかも知れないが。
 まぁ、ここの姫は美人だと聞いている。そんな相手を目の前にすれば、流石の克己も心奪われるだろう。
 しかし、熱いな。
 夕日は汗の浮かんだ額を撫でる。ガーズは雪国だ。基本的には夏という季節も涼しい。イルの暑さはそんな国に生まれた彼には少々きつかった。
 あちこちにある噴水の水飛沫は涼しげだが、見ているだけではあまり涼しくなれない。
 不意に視線を移した噴水の淵に座る少年は日よけのフードを被っていて、どこかの店で自分も似たようなものを購入しようかと思う。国王との謁見までの散歩のつもりだったが、城に戻るまでばててしまいそうだった。これも、あの王子の趣向が黒の所為だ。夕日は今、克己がよく着ている黒い服を身につけていた。黒は熱を吸収する。背中に太陽を背負っているような気分だ。あの少年の白い服が羨ましい。
 こちらの視線に気付いたのか、少年が振り向いた。
 その、フードの下の顔に夕日はぎょっとする。
「空!?」
 自国にいるはずの、神官見習いの空と顔だった。彼とは、何度か仕事で共になったことがある。神官の誰よりも優れた歌唱力を持ち、神官見習いにしてすでに彼の歌声は重要な礼拝に欠かせないものになっていた。
 そんな空が、何故この国に?
 彼の性格からして、「暇だからさぁ」と言いそうなのだが。そうだったら殴ってやろう。
 まさか、暑さのあまり幻覚でも見ているのだろうか。
 はっとした少年がこちらを振り向き、眼があう。
 ちゃり、と少年が腰を動かした時に鈴のような透明な音が鳴った。不思議な空気を纏う少年だった。
 そんな印象を感じて察す。空じゃない。
「空を、ご存知なのですか?」
 声も、知っている人物と似ているのだが、少し違う。空より幾分低いような気がする。
え?
 と思った瞬間、夕日の頭の中がぐらりと揺れる。
「あの!?」
 少年の焦ったような声が聞こえたが、夕日は慣れない暑さのおかげで意識を失ってしまった。





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