その頃、お隣の国の王宮では王子が王の命令に頭痛を感じていた。
「だから、隣国で姫様を賭けて武道大会があるから出て来いっつってんの」
 王の間の王の座に座っているのは間違いなく自国の王で、自分の父親。そんな彼の無体な命令に克己は口元が引き攣るのが解かった。
「何故俺が」
「長男は次期王だからそんなはっちゃけたことさせらんない。三男は幼い上に未熟者。でも、隣国との友好関係がある以上、うちから誰か行かせないわけにもいかない。大した仕事もないし、お前なら腕も立つし、正妃も決まっていない。ジャストだろ?」
「大した仕事もないというのは聞き捨てなりませんが。それなら今私がやってきた魔族鎮圧は大した仕事ではないということなんですか。なら私がやらずとも王自らやれるということで」
「あ、ごめんごめん。大した仕事してるから、その息抜きに行って来い」
 その「行って来い」が命令である事を悟り、ため息をつくしかない。
 つい先程、三日前国境で魔族が暴れているという情報を貰いその鎮圧に出て帰ってきたところなのだ。まだ体は魔族臭いし、服も戦闘でボロボロだ。鎮圧報告に来たら、ご苦労の一言もなく次の仕事。上司に恵まれない時はというフレーズが脳裏を過ぎる。
 でも、確かに魔族の侵入が少ないと言われる隣国に行くというのは息抜きになるかもしれない。
 自室に戻り、上着を脱いでようやく一息ついて、旅支度をしようと腰を上げる。
「夕日はいるか」
「はい」
 すぐに扉の向こうから返事が返って来る。優秀な部下だ。
「中に来い」
「失礼します」
 部屋に入ってきたのは黒髪の青年で、背格好は克己と同じくらいだが年上。6年前からの付き合いで、今では克己の片腕だった。
「王から聞いているだろう。俺はしばらく隣国に出る。だが、その間に俺が不在と知れば魔族が押し寄せてくるかもしれない。お前には、俺が不在中影を勤めて貰いたい」
「解かりました」
 何度か夕日は克己の影武者を務めていた。背格好も同じ、黒髪黒目なのも同じで、噂だけで克己の容姿を知る相手には有効だ。夕日自身それなりの剣の使い手でもあるので、彼が影をやっていれば、誰もそれが偽物だと思わない。
「俺も身分を隠して行く。王子とバレて面倒な事になるのはごめんだからな。まぁ、あっちの国では俺の顔を知る人間は一人もいないだろうが」
「漆黒の騎士の噂は届いているでしょうが」
 すでに黒というのが克己のトレードマークになっているらしく、魔族からは黒の貴公子と呼ばれたり漆黒の騎士と呼ばれたり、自分の実際の地位より低い地位で呼ばれているのは気にかかるが、まぁそこは突っ込まないでおこう。黒髪と黒い眼が多分彼らにそんなイメージを与えたのだ。
 だが、そのトレードマークである黒髪黒目はけして珍しいものではない。父から受け継いだその彩色は三人兄弟共通のものだった。
「しかし、あちらの神子にはお気をつけ下さい。彼には変化の術は通用しないと聞きます」
 夕日の注意に克己は軽く頷いた。あちらの国で一番魔力を持つといわれている神子には、変化の術を見破る眼があると聞く。
「神子は教会から出ないと聞いているから大丈夫だろう。それに、そこまでしなくても大丈夫だ」
 克己は友好的な関係にある隣国にまだ足を踏み入れた事が無い。理由は、克己がこの国の次期王にはならないから。何かある時は兄が行っていた。変装までする必要は恐らく無い。
 噂や、兄の話を聞くとこによると、とても美人な姫がいるとか。その姫の争奪戦だ。どれほどの人数が集まるか予想出来ない。
「克己様もとうとう年貢の納め時か」
「・・・・・・」
 自分より年上の恋人のいない夕日に言われてもなんだか虚しいだけの台詞だった。
 克己はいまだに恋愛らしい恋愛をしたことがない。美人な女性に声をかけられたり、それなりの経験も無駄に積んではいるのだが本気になったことは未だにない。そんな状況で正室を決められるのは複雑だ。
 こんなことを正直に父や兄に打ち明けた日にはきっと大笑いされるんだろうが。
 思わずちらりと机の方を見てしまう。あの机の中には、幼い頃に出会い、まだ再会を果たしていない隣国の王子からの手紙が入っている。が、誰にもその文通のことは話していない。絶対に話せない。父も兄も翔を妙に気に入っているから、何を言われるか知れたもんじゃない。
 しかし、隣国に行くという事は、彼にも会えるかもしれないというオマケがついてくる。
「篠田について来いと伝えてくれ」



「克己さま、また、会える?」
 不安気な大きな眼に涙を溜めて彼は自分を見上げた。その小さな手には克己が今さっきあげたばかりの魔石が付いた結い紐が握られている。
 一生懸命な彼が可愛くて、目に溜まった涙を指で拭ってやる。自分の弟もこれほどの可愛げがあれば、と何度思ったか。
「ああ、また必ず」
 再会の約束を交わして早十年、手紙のやり取りはしていたが実際に彼に会うことは一度もなかった。
 日々戦に駆り出される克己には、気付けば彼の手紙を読むことが一番心が和む時となっていた。もう十年経っているが、手紙を見る限りあの性格は歪むことなくそのままのようだ。
 彼は剣を学ぶと自分に言っていた。それから数年経って、ガーズまでイルの第二王子の剣の腕の評判が届いてきた。彼は自分との約束を覚えていて実行している。
 それが、どれ程嬉しかったか。
 ようやく、会える。どんな成長を遂げているのか楽しみだ。
「機嫌がいいな」
「矢吹」
 見送りに来たらしい幼馴染みのいずるが珍しく部屋に顔を出し、克己は剣の手入れの手を止めずに返事をする。気のせいかその手つきは普段よりも丁寧に見えた。
「ま、十年越しに遠恋の相手と会えるんだから、流石の克己様も浮かれて当然です、か」
「・・・・・・遠恋とは何のことだ」
「恋だろ?少なくとも、俺はアンタが大事にしている相手、他に知らない」
 魔族には冷血とまで言われている克己が一番大切にしている相手が翔だ。部下からの手紙や女官の恋文などすぐに燃やしてしまうくせに、翔からの手紙は全て残して机の鍵付き引き出しに入れている。
 だが、克己としては心外だ。
「相手は男だぞ?下らないことを言うな。アイツは友人だ」
「案外、本人に会ったら友情なんて吹っ飛んで恋情に変わってしまうかも知れませんよ」
「矢吹・・・・・・」
「正紀を連れて行くのに何で俺は連れて行ってくれないんですか、こんな面白い事滅多にないのに」
 あぁ、と嘆く部下を見て、だから連れて行きたくないんだと克己は心の中で呟いた。正紀も充分くせ者だが、いずるはそれの上を行く。
「力を持つ騎士をすべて連れて行くわけにはいかないだろうが。留守中、頼むぞ」
「はいはい。お土産はイルの第二王子でよろしくお願いします」
「馬鹿か」
 うやうやしく礼をして部屋から出て行くいずるにため息を吐きつつ、克己も旅支度を済ませた。普段着る王族の服装とは雲泥の差の薄い布で作られた服は、克己を旅人へと変貌させていた。これなら、イルについても自分の身分が王子だと気付く人間はいないだろう。
 机の小さな引き出しに指をかけ、ことりと小さな音を立てながらそれを引き出した。中には指輪が入っていた。祝詞が刻まれた銀輪の中に石が埋め込まれただけの簡素な指輪は、装飾品としては物足りないもの。普段、何かの防御に使えるだろうと念のためにつけている強力な力を持つ魔石の装飾具とは違い、お守り程度の力しかない魔石がくっついている。これは、幼い自分が造った魔石。翔に上げたものと同じ石でこの指輪を作った。これがあれば、同じ石を持つ人間がどこにいるのかすぐに解かる。
 何かの時に役立つのでは無いかと今まで持ち歩いていたが、サイズがいい加減自分にははまらなくなっていた。だから、もし今回彼に会えるチャンスがあれば、彼にあげてもいいだろう。
 皮で作られた小袋にそれを放り込み、胸元にしまいこんだ。



 絶対王には途中でバレない事。
 絶対怪我をしない事。
 絶対自分の身分を誰かに悟られてはいけない。
 遠也の口からは何度も“絶対”という単語が出て、その度翔は頷いた。
 今の自分の身分は放浪修行中の武芸者。出身地はアリジナ国。あの国には何度か行ったことがあるから、何か問われても大丈夫だろう。一応、髪を黒く染めて変装もしている。髪を切ろうとも思ったが、それは遠也に止められた。
 そしてこの国ではよくある日よけ用のマントを被り、人前でそれを脱がないようにしたが、悪目立ちしてしまったらしい。
「んだぁ?このチビ。お前もまさか出る気なのか」
「止めとけ止めとけ。怪我すっぞ」
 街中で筋肉質な体を持つ男達に囲まれてしまい、翔は途方にくれていた。ちらちらと周りから同情的な視線を集めてしまっているとことと、こんな奴らが姉の相手になったらどうしよう、という意味で。絶対こんな男を義兄さんとは呼びたくない。
 街は久々の祭事に大賑わいだった。屋台が立ち並び、あちこちから歌や音楽が聞こえてくる。久々のお祭りに人々は大はしゃぎで、街に活気が溢れるのはいいことだ。だから、中には変な人も出てくる。
「あ。こいつ剣持ってるぞ」
 どうやって追い払おうか思案していたら、あろうことか翔の剣に手を伸ばしてきた。名剣を持ってくるのは諦めたが、この剣もそれなりに値が張るものだ。試合前にとられるのも困る。
「触るな」
 背負っていた剣に触れようとした手を叩き落とすと、男達の機嫌が悪くなったのが空気から伝わってくる。それを察知したのは翔だけではなく、周りの人々の視線が集まった。
 目立ちたくはなかったのに、早速だ。やはり人通りが少ない道を通ってくるべきだったと後悔したが、普段はあまり人通りの少ない道も今は屋台が建ち並び、賑やかだった。本当にお祭り騒ぎだ。
「お前、生意気だな」
 首元を掴み上げられ、息苦しさに眉を寄せた。フードを深く被っているから彼等がそれに気付くことは無かったが。
 彼らを叩きのめすのは容易い。しかし、相手も話に聞けば大会の出場者らしい。試合以外で手を出すのは気が引ける。武術家としても気が引ける。
 そんな時だった。
「一人によってたかって情けない」
 低い堂々とした男の声が、男達の背を貫いた。
 翔からはその声の持ち主の姿は見えなかったが、男達は翔の体を放り投げるように離す。
「何だお前」
「邪魔するとお前も怪我・・・・・・ッが」
 鈍い音がして男の巨体が仰向けに倒れ、仲間はそれを見て後ずさる。何となくは気付いていたが、彼らが凄いのはその巨体だけらしい。
 そして、一人倒れたおかげでようやく助けてくれた相手の姿が見えた。
「怪我をするのはどっちだろうな」
 黒髪に黒い眼、この国では見かけることのない美形顔に凄まれ、男達は自分と彼との力の差を知ったらしい。
 男の言葉に男達はあっさりと逃げて行く。賢い選択だ。
 彼はそれを見送ってから、くるりとこちらを振り返り、視線を下げた。彼の身長が結構高い証拠だ。
「大丈夫か」
「あ・・・・・・っはい。有難うございまし・・・・・・た」
 顔を上げて男の顔を見て、翔は思わず息を呑む。
「俺の顔に何かついているか?」
 じっと見つめていたからか、彼は自分の頬に触りながら聞いてきた。そこで翔は慌てて首を横に振った。
「いえ。その・・・・・・あ、俺は日向と言います。武道大会に出られるんですか?」
 偽名を口にした時は少しためらいがあったが、何とか笑顔を作って自己紹介をすると、彼も「甲賀だ」とそっけない自己紹介をしてくれた。
「甲賀、さん・・・・・・」
 一瞬、あの人が来たのかと思ったが、全然違う名前を言われ翔は少し落胆していた。もう10年も前の記憶だ。薄れた記憶の中に残っていた彼の特徴は、黒い髪と黒い眼。彼もそれを持っていたから間違えたのだろう。
「あの、どちらの国から?」
 もしかして、と思ったが彼は
「俺は根無し草だ。小さい頃からあちこち旅をしている。故郷は無い」
「・・・・・・そうですか」
 一番彼から遠い答えにまた落胆を覚えた。あの人は忙しい人なのだから、来るわけがないのに。
 こちらがしゅんとしてしまったのに気が付いたのか、甲賀の視線を感じ慌てて頭を下げた。彼には助けて貰ったのだから、礼をするのが世の道理というものだろう。
「助けてくれて有難うございます。宿とか決めていますか?まだなら、もしよければ俺が案内しますよ」
 せめてもの礼にそういうと彼は少し怪訝な顔になる。
「君はここの国の人間なのか?」
 ・・・・・・しまった。
 彼が意外と鋭い人間であることに、翔は視線を彷徨わせた。
「あ・・・いや、俺もその、武芸の修行であちこち旅してて、この国に来るのは3度目くらいで、宿とかは大方把握してるんで」
 多分苦しくは無い言い訳だ。
 相手もあっさりと納得してくれたようで、ほっとした。
「そうか。じゃあ、頼む。俺はここは初めてなんだ」
「そうなんですか?」
 初めての来国と聞き、この国出身である翔は表情を輝かさずにはいられない。自分の大好きな国を精一杯薦めて、また来たいと思って貰えたら嬉しい。
「なら、色々ご案内します。俺も宿まだ決めてないので」
 ぱさりと日よけのフードを取って、翔はその時初めて彼に素顔を晒す。染めた黒い髪は自分の中では違和感があるが、初対面の人間にはそんなもの感じさせないはず。
 相手が少し驚いたような顔をしたので、首を傾げて見せると
「女・・・・・・か?」
「・・・・・・よく言われますが違います」
 何度も言われたことのある台詞に、翔は肩を落とすしかなかった。まぁ、変装は見破られなかったからいいか。


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