「俺も、国に帰ったら剣を学びます。貴方より強くなるかは解からないけど、俺も、強くなります。俺も、貴方に何かあったら、誰よりも早く駆けつけて、貴方の力になります!」

 十年間、会うことは無かったけれど、あの約束だけはずっとこの胸に残っている。
 あの人もそうであったら良いな、という願いと共に。



「翔様、翔様!」
 側近である遠也の声が遠くから聞こえてきて、翔はすばやく剣を手に取り、自室の窓枠に足をかけた。
 遠也はいつも自分がそろそろどこかへ行こうとするとそれを素早く察知して来るのだ。急がないと、遠也は運動は得意としないがこういう時はすぐに部屋に辿りつく。
「ごめんな、遠也」
 口の中で小さく謝り、翔は宙へと身を任せた。
 城の4階の自室から飛び降りるなんて前代未聞の王子だと小言を言われる事を覚悟して。木を伝って降りている所を侍女に見られるといつも悲鳴を上げられる。兄にはお前は王族に生まれたのは間違いだったなとよく言われる。
 それでも、優しい父王と姉に囲まれ、翔は遠くの国まで名前が届くような王子に成長した。
 外見は小さい時の面影を残し、成長と共にその容姿の輝きは増すばかり。だが、幼い頃から始めた剣術の腕はこの国では指折りのものとまで成長している。そして、高すぎるプライドを持った兄とは違い、王権継承者ではないという気軽さから城下街をよく歩いては町の人々とよく会話をしていた。紅い結い紐で髪を結っている王子を街の人々は笑顔で歓迎する。王族がこんな風に顔を見せることは今まで滅多に無かったし、その人物はとても可愛らしいと評判だ。兄はそんな簡単に顔を観せるのは王族の権威が軽んじられると言うが、翔は街の人々と会話をするのが楽しかった。
「王子様、お急ぎですね」
 市街地の真ん中を走っていく翔の姿は見慣れたもので、果物を籠いっぱいに詰めた老女が笑顔で声をかけた。それを見て翔は彼女が持つ籠に手を伸ばした。
「俺が持つよ、すぐそこの市場までだよな」
「そんな!王族の方にそんなことは!それにお急ぎでしょう」
「いーのいーの。通り道だし、気にしないで」
 走るのを止め、老婆の歩く速度に合わせる。
 賑やかな市場を歩くのは好きだったから、すでに市場の人々とは顔なじみだ。皆顔を合わせるたびに挨拶してくれるくらいには仲がいい。
「王子様、こんにちは。今日武器屋に新しい武具が入ったそうですよ」
「お。本当に?有難う!後で行ってみるよ」
 歩くたびに誰かから話しかけられ、にこやかに答えていた翔の前に、見慣れない商人風の男が突然飛び出してきた。
「王子様!私は東方からやってきた宝石商人でございます。どうです、この素晴らしい品々、どうか王様とのお取次ぎを」
 両手いっぱいに色とりどりの宝石を抱えた男は恐らく翔がここを歩くと噂で聞き待ち伏せしていたのだろう。頭を地面にくっつけて懇願する彼に翔は微苦笑を浮かべた。
「ごめんなさい。そういうのは、王宮の方に直接頼んで下さい。俺では役不足です」
「でしたら、王子様個人とのお取引でも」
 王族相手に商売をする時は王宮の方に直接願い出るのが普通だ。だが、彼はそれを拒んでいる様子がある。翔はそれを敏感に察知し、眉を僅かに寄せた。
「確かに、見事な品々ではありますが・・・・・・俺はお金持ちではないので」
「一国の王子が何を言われますか。ああ、このような古ぼけた装飾品などより、こちらは如何ですか?貴方の髪に映えると思いますよ」
 商人は翔の髪につけられていた結い紐を眼に留め、沢山の宝石がちりばめられた髪飾りを差し出した。
「・・・・・・結構です。それより、その品、確か南の方の品ですよね。あちらでは宝石盗難が相次いでいるとか。宝石商人の貴方は大変でしょう」
 さっと彼の顔色が変わったのを翔は一瞥し、おろおろしていた老婆に笑顔を向ける。
 再び歩き始めた翔の背後で宝石商が慌てて人ごみの中に逃げていくのを感じた。彼が持っていた宝石は恐らく盗品だ。王族にそんなものを売りつけようなんてなかなか大胆な事をする。
「王子様」
 心配げな声をかけられ、彼女が安心するように笑顔を向けた。
「じゃあ、俺はこの辺で。今日も一日怪我に気をつけて頑張って」
 人通りの多い市場から少し離れた森の奥にはこの国で一番大きな神殿がある。翔はまずそこへ向かおうと足を向けた。
 最近、国内に姿を見せる魔物の数が増えてきている。
 そう父が神官達から報告を受けている姿を見た。神子の力が弱っているのでは、と神官が進言していた。
 魔族は人間を襲う種族で、彼らを倒すには魔力を使わないといけない。彼らの侵入を防ぐ為に、国のあちこちに教会を造り、魔力が人より多い神官が魔力で防衛していた。その頂点に立っているのが神子だ。彼の存在自体が魔力を持ち、彼の存在だけでこの国が守られていると言っても過言ではない。
 この国は、魔物に攻撃するという力ではなく、防衛力が発達していた。それで充分だったから。
 神子の存在だけで。
 翔には難しい事は良く解からないが、神子は自分と同じくらいの年齢で、友人の一人でもある。
「陸さま」
 白い石造りの教会の中に入ってすぐ、白い服を着た神官達がこちらに頭を下げてくるのを手を上げて答え、彼を探して広い教会内をうろついた。
 中庭に入ると、水が豊かに溢れる噴水に腰掛けている少年を見つけた。
「陸さま!」
 彼は神子が被る透明なベールをするりと落としてこちらに笑顔を向けた。
「翔、久し振りだなぁ」
 白い肌に黒い髪、彼の容姿を見ることの出来ない人々は絶世の美人だと噂をしているらしい。彼は王と同等の地位であるから、翔より身分が高い。でも、この教会から自分の意思で出ることが出来ない彼よりは自分の立場は良い方だ。
「ごめん、最近遠也の眼が厳しくて。なかなか城から抜け出せなかったんだ」
「いいよ。翔も忙しいんだろ」
 陸は落ち着いた笑顔で答える。ステンドグラスで造られている特殊な天井から入る色とりどりの光が彼の笑みを彩る。同い年とは思えない程の大人びた顔だ。
「神子さま程じゃないけどな」
 ばしゃ、と噴水の中に手を入れ、水滴を巻き上げる。
 翔は剣の腕をかわれ、陸が外出する際の護衛役も務めていた。それは翔が望んだ事でもあるし、陸にとっても嬉しいことだった。
「それで、最近はどう?例の王子さまとは」
 陸が観葉植物の大きな葉を撫でながらちらりと翔を見る。
 その瞬間、物珍しそうに噴水の中でキラキラと輝いている色とりどりの魔石を眺めている翔の顔が少し紅くなった。
「手紙は?新しいの来たのか」
「2週間前に・・・・・・」
 小声で白状する翔に陸はにっこりと笑う。してやったりというようなその顔に翔は視線を足元に下す。
 あの王子とは10年間顔を合わせることは無かったが、手紙のやりとりがポツポツ続いていた。
「克己さまも忙しいみたいで・・・・・・また魔物との戦争があったみたい」
 彼の国はすぐ隣りに魔族が大量に潜んでいる森がある。だからしょっちゅう魔族との戦争が起こるらしい。おかげで、この国とは違い魔族との戦いに慣れている。もしこの国も魔族と戦う術を得たら、陸のような自由を奪われる“神子”は必要なくなるだろう。
 自分のような魔力が無い人間は、何の役にも立たないが。
「あの人は剣も強いし、魔法も使えるからな。前線で戦ってるんだ」
「そっか。あっちは大変だなぁ・・・・・・うちの国も最近魔物が出るようになったみたいだけど」
 しゅんとする陸はどうやらそれが自分の所為だと思っているらしい。
「陸さまの所為じゃないよ」
 柔らかい口調で翔は答える。実際、今の時期は魔族の魔力が増幅していて時々結界内に入って来ることがあるのだ。
「でも、翔」
「陸さまだけに頼ってる俺達に問題があるんだ」
 だから、翔は必死に剣を学んでいた。自分の国を守る為にでもあるし、陸を守るためでもある。
 父も兄も現状維持を考えているが、翔はどうにか陸を自由の身に出来ないかと思案していた。確かに、彼がいなければ、この国全体を覆っている結界が壊れ、魔物が押し寄せてくる。陸が造る結界のおかげでこの国は長らく平和だった。
 でも、翔は老人ばかりの教会にいる陸があまり楽しくない毎日を送っていることを知っている。このままここで外の世界を知らずに死んでいくのかと考えると可哀想でならない。
「俺、もっと強くなって、いつか陸さまを自由にしてみせるから!」
 キラキラと眼を輝かせる翔に陸はただ苦笑を浮かべるだけ。
「じゃあ、俺そろそろ稽古場にいかないと」
 膝を叩いて立ち上がる翔を陸は眩しい目で見ていた。翔は陸にとっては眩しい存在だった。自分に素直に好意を寄せてくれるし、ひたすらに頑張る姿は本当に輝いている。彼が想う相手ともきっと幸せな未来を築く事が出来るだろう。いまだに好いた相手がいない自分とは違って。
「翔、怪我はしないようにな」
「解かってるって。陸さまも無茶すんなよ!」
 剣を手に翔は教会から飛び出した。その背を見送り、陸はため息を吐く。
 教会の仕事は確かに自分の行動が制限されて不便だが、自分を必要としている人々が沢山いると考えると、この仕事も悪いものではない。けれど、時々抜け出したくて仕方が無い時もある。
「明日から、なにやら大きな祭りが行われるとか」
 そんな時だった。すれ違った神官達の会話が耳に入ったのは。
「祭り・・・・・・」
 その時は神官も借り出されるから、自分の監視役はいなくなる。
 たまには、自分から行動してみるのも有りだろうか。
 陸は決意を固めて再び白いベールを被った。







「武道大会?」
 稽古を終えて窓から帰ってきたところをしかめっ面の遠也に見つかり、窓のサンに足をかけたまま言われた言葉を反芻した。
「ええ。どうやらかなり盛大にやるようですよ」
 遠也は翔が10才になった時から仕える様になった側近の一人だ。父は大臣で母は有名貴族の出という素晴らしい家系を持ち、頭脳明晰で魔術も使えると、将来の大臣候補の1人と囁かれている。そんな彼は翔の教育係もしていて、翔が頭の上がらない人の1人でもあった。
 そんな彼が、嘘の情報を持ってくるわけが無いのだが。
「・・・・・・俺何も聴いてないけど」
 王の子どもである3兄弟の中で一番武術に長けているのは翔だ。それなのに、自分がそのことを知らないのはおかしいのではないか。
「城中で貴方の耳に入らないよう気を使いながら準備をしていたようですよ。おかげ様で、俺も聞いたのは昨日です。半年前から準備がされていたというのに」
 遠也はため息を吐きながら腕組みをする。どうやら、今朝自分を探していたのはこれが理由だったらしい。ちらりと睨まれ、思わず肩を竦めてしまった。
「ごめんなさい・・・・・・」
 すっかり恐縮した翔の様子に、遠也は小言を言う気を無くしてもう一度ため息を吐いた。
「とりあえず中に入ってください」
「う、うん・・・・・・」
「多分、この時期は魔族の力が増幅するから、各国から腕っ節がいいのを集めてこの時期をやり過ごそうとしているんでしょうね、王は」
 魔物が結界内に入って来ても、あちこちに剣士や魔術師がいればどうにかしてくれるだろうし、魔術師が増えるとその魔力で結界が強化される。
 だから、毎年この時期になると大小あるが武道大会が行われていた。
 だが、翔の耳に事前に入らなかったのは初めてだ。
「明日からだそうですよ、武道大会」
「え。マジで?何で父上は俺に黙ってたんだ・・・・・・」
 外着を脱ぎながら能天気な感想を口にした翔に遠也が、考えられる理由を告げる。
「姫の結婚相手を探すそうですよ、その武道大会で」
 ごふっ。
 思わず渇いていた喉を潤す為に飲んだ水を吹き出し、咳き込んでいた。
「な、あ、あ・・・えっ!!」
 濡れた口元を拭きながらも眼を見開いて、その王子の動揺っぷりに遠也は国王の作戦を読んだ。翔が姉を誰よりも慕っているのは親なのだから当然知っている。そんな彼に姉の結婚相手を決める為に武道大会を開くなんて正直に言ったら反対されるのは目に見えている。だから黙っていたのだろう。
 国王は翔のことを溺愛しているから、そんな相手に反対されたらきっと要求を呑んでしまう。そう考えて心を鬼にしたということか。
「け、結婚ッ!?でも姉さんにはっ」
 姉が誰かから手紙を貰う度嬉しげに笑っているのを見たことがある。しかもそれは定期的に。幸せそうなそんな姿を見て、その相手と幸せになると良いと思っていた。なのに。
 恐らく姉の方にも今回の武道大会の主旨は伝えられていないに違いない。
「遠也、俺も出る!」
 決意を固めて拳を握ると遠也の眼が大きくなる。
「はっ?」
「大会、俺も出る。今すぐ申し込み手続きしといてくれ」
 手に取った愛用の剣は王家に伝わる名剣。魔石がふんだんに使われているそれは見る者が見たら自分の正体がばれてしまう。だから少し前まで使っていた大量生産型の細剣を手に取り2,3回突きをしてみるが、あまりしっくりこない。
 どうにかばれずに愛剣を使えないものかと翔が悩んでいる様子に、遠也も彼が本気だと知り、慌てた。
「お待ち下さい。王族が出るなんて知れたら暗殺者が送り込まれるかもしれません」
「バレなきゃ大丈夫だろ。偽名はなににしようかな。日向・・・・・・ひゅうがにしよう」
 呑気に偽名なんて考え始めている主の様子に遠也はただただ呆れるしかない。
「怪我をされたらどうします!貴方の腕は知っていますが、国、いえ一国の姫が賞品なら世界中から腕に自信がある人々が集まります。いくら貴方でも無事ではすみませんよ!」
「んー、まぁ何とかなるって」
「なりません!!」
 日々、遠也は翔の王族としての自覚の無さに頭を悩ませていた。確かに彼は王位継承権は持っていない。翔は側室の子で、すでに正妃との間に次期王と決まった男子が一人いる。だが、国王は恋愛結婚だった側室の子ども達を誰よりも溺愛していた。側室が病で死んでからは、愛しい相手の面影が残る子ども達への溺愛っぷりは尚一層酷くなったのだが、そんな大切な息子が怪我をしたらあの老王は絶対に寝込む。普段は威厳たっぷりの王だが、可愛い息子の前ではただの父親だ。翔の外見が亡き側妃によく似ている上、体格も華奢なので男らしさはあまり伺えない。それが保護欲をそそるらしい。
 しかし、一応曲がりなりにも王子なのだから、彼自身が剣を学びたいと言った時に大反対するのはどうだろう。しかし、王の心配もよそに武術は翔の肌にあったようで、今では国でも指折りの使い手になった。その自信も解かる。だが、それにしても。
「遠也は心配性だな」
「断じて過剰ではありません」
 楽観的な翔に遠也は頭痛と一抹の不安を感じた。

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