ダンスは苦手だった。
 女性を相手にエスコートしたり、形式的な動きをしたりするのが苦手だった。しかもパートナーがいるというのが更に悩みもので、息を合わせないと相手の足を踏んでしまう。こんなダンスより、のびのびと舞える剣舞の方がずっと楽しかったし、好きだった。
 初めて他の国へ連れられて出ることになったダンスパーティでは、翔はずっと壁に背をつけていた。
 父も姉も兄も、それぞれ相手を見つけて楽しんでいる。それが更につまらない。
 当時7歳だった翔の相手が出来る人物はこのパーティにはいない。幼い子供を可愛いとかまっていた女性たちは素敵な紳士相手にうっとりとしながら踊っている。曲調も大人に言わせれば優雅で上品なものばかりだが、翔からしたら退屈なテンポだ。
 つまんない。
 むぅ、と頬を膨らませて座り込んだ自分に誰かが上から声をかけてきた。
「大丈夫か」
 声変わりしたてで、まだ危うい音域を漂っているその声は自分と同じくらいの子どもの声。
 顔を上げると、心配げな黒い眼が優しく微笑んだ。子どもながらも整っているその顔は、謁見の時にこの国の王の隣りにいた王子の一人。
「大丈夫・・・・・・です。王子さま」
 こそこそと彼に言うと、彼はちょっと面白そうに笑った。
「君も王子だろ」
「でも、俺は“めかけばら”だから」
 この時の翔には妾腹という意味が解からなかったが、城のメイドたちがそう囁いているのを耳にはしていた。だから、自分は王族ではあるが、王にはなれない。実際、この時点で翔は王位継承権を持ってはいなかった。
 翔の国では、王位につくのには条件があった。王の血を引くことと、魔力が強い事。翔の国で最も強い魔力を持つのは、神子と呼ばれる神官の最高位であったが、王はそれに順ずる魔力を持つことを求められた。その力さえあれば、性別は不問とされた。
 だが、翔にはその魔力はなかった。
 正室に、すでに王たる条件を揃えた兄がいたから、変な王権争いが無くて良かったといえば良かったのだが、魔力を持たない王族なんて、と周りは急激に翔への関心を失った。実は、側室の子といえど、翔達の母親は知る人ぞ知る有名な魔法使いだった。彼女は半分人間では無い所為もあり、ずば抜けた力を持っていた上に美人だった。まぁ、側室が美人で側室の子が美形というのはよくある話なのだが。事実、翔の姉はその魔力を引き継ぎ、周りを驚かせていたから、男子である翔が生まれた時は魔力を期待され、正室の子よりも王に相応しいと言われていた。
 実際は翔は魔力など全然持ち合わせていなかったのだが。
 急に昨日まで自分をちやほやしていた人間が自分の周りから去って行った時は、ただ純粋に悲しかった。
 その時のことを思い出して、しゅんとしてしまった自分に相手は慌てたのか、少しおろおろとして自分の頭を撫でてきた。
「泣くな」
「泣いていません」
 勝気に顔を上げた翔に相手はほっと笑顔を見せ、もう一度頭を撫でた。自分より身長の高い彼は、年上なのだろうか。
「俺も、多分王位は兄が継ぐ。今のところ、王位継承権第二位だがそんなものあるようで無いようなものだ」
 彼の兄は王位に立つ人間として申し分のない技量を持つと、父が話していたのを思い出す。ちらりとパーティの中の方に眼をやると、若き世継ぎは紅いワインが入ったグラス片手に、翔の姉と談笑していた。
「兄は政治力に長けているから、俺や弟より王に相応しい」
 難しい彼の言葉を翔は全ては理解していなかったが、とりあえず彼が自分の兄を誇っているというのは解かる。少しだけ羨ましかった。母親が違うということで、翔は自分の兄から冷たい態度をとられていたから。
「外に行こう。俺も、あまりこういう場所は好きじゃない」
 だから自分は王に向かない、と彼は笑い、その微笑につられて翔は伸ばされた手をとっていた。
 案内された外には雪がちらついていて、温暖な地域の国出身である翔はその白いものを見て眼を大きくする。
「これ、なあに?」
「雪。そうか、そっちの国は温暖だから雪は降らないんだったな」
 うちの国では毎年振るぞ、と彼は眼を細めた。
 翔は珍しいものを捕まえて、姉に見せようと振ってくるそれを手に掴んだが、その手を開いてそこに何もないことに落胆した。
「消えてしまいました」
「雪は氷みたいなものだ。体温で消えてしまうぞ」
「そうなんだ・・・・・・」
 これじゃあ、姉に観せることが出来ない。
 がっくりと肩を落とす翔に彼は優しく微笑み、翔の髪に付き始めていた雪をさり気無く払う。
「この様子なら、明日起きれば積もっているだろう。その時はきっと掴める」
「本当?」
 ぱぁっと表情を輝かせた翔に彼は微笑み「風邪を引くかも知れないから中に入ろう」と言った。再びパーティの中に戻ってくる事になるのかと思ったら、退屈していた翔を気遣ってくれたのか彼は自分の部屋に連れて行ってくれた。
 遠くから、「第二王子様は」と彼とのダンスを心待ちにしていたらしい綺麗なドレスを着た少女達が彼を探しているような声を聞いたけれど。
「良いんですか?」
「良い。彼女達とのダンスはいつでも出来るが、君と遊べるのは今しかない」
 どきり。
 そう言った彼の優しい顔に、胸がくすぐったくなったが、その意味はこの時はまだわからなかった。
「あ、あの、王子様」
 翔は自分より歩幅が大きい彼にちょこちょこと歩いてついていく。
「君も王子だろう。名前で構わない」
 名前。
 そこで足を止めると、彼も足を止めて振り返る。
「覚えてないか?」
「いえ・・・・・・」
 初めてこの国の王と謁見したとき、彼ら王族の紹介はされている。その中に彼もいた。ほんの数時間前のことだ、それくらいは覚えている。
「覚えています・・・・・・その、克己、様」
 慌てて彼の名前を呼ぶと、彼は優しく微笑み、目の前の扉を開ける。
 その瞬間、光が溢れたその部屋の中に翔は息を呑む。
「うわぁ、すごい」
 まず眼に入ったのは大きな本棚だ。こんなもの、翔は今まで見たことが無い。しかも、その文字も色々な国のもので、翔には読めないものばかりようだった。
「克己様は頭がいいんですね」
「そうでもない。自分が興味あるものしか今は読んでいないから」
 克己は苦笑するが、それでも翔は凄いと純粋に思う。
 他には、剣や弓矢、武器具が多く、どれもこれも魔道武器だと知り更に驚いた。自分は魔法のかかっている武器など手に取った事はない。父が危ないと言うからだ。
 きょろきょろと周りを見回す翔の眼が輝いているのに、克己はほっと息を吐く。
「でも、君のお父上は君を大切にしていると思う」
 もの珍しい本や刀剣を手にする翔に、彼は唐突にそんな事を口にした。
「え?」
「先程、妾腹だと言っていたが、大切じゃなかったらこのパーティに連れてこない。君の顔も、俺達に覚えていて欲しいという意味だと思う」
「でも、父上は何故そんなことを」
「俺達の国と君の国が戦をしないようにだ」
 戦。
 自分と大して年齢が違わない彼の口から出てきた言葉に少し驚きはしたが、翔はしばし逡巡し、ひらめいた。
「なら、俺と友達になって下さい、克己様」
「え?」
「俺と貴方が友達であるかぎり、俺の国と貴方の国は戦をしません!」
 にっこりと微笑む翔の顔は、絶世の美女であったと言われる伝説の魔女の容姿をしっかりと受け継いでいた。温暖な地域に住んでいるはずなのに、肌は真っ白で、初めて見た時は流石に驚かされたのだ。噂以上だと。
 本当は、翔の父は翔を連れてくるつもりは無かった。だが、父が噂の姉弟を見てみたいと必死に手紙で口説き落としていたのを、克己は知っていた。相手の老王も、翔は大切な秘蔵っ子だったようでなかなか色よい返事を寄こしては来なかったが、熱心さにとうとう折れた。
 そして、その秘蔵っ子を眼にして誰もが息を呑んでいた。正室の王子など霞がかってみえるほどに。
 中性的な容姿は、その年齢もあってか女にも見えるがどこか少年らしさも持っている。その不安定なところがまた魅力の一つとなるのか。そういうところは、女性である翔の姉には無い魅力だ。
 父王など、謁見を済ませ一度自室に引っ込んだ時、「和平の条件にあの子寄こせって言ったらもらえるかな?」と真剣な顔で振り返ったのでとりあえず兄王子と共にその顔を引っ叩いておいた。父王は、翔の父の老王と違い、まだ若い現役王だ。色々洒落にならない。
 さっきも父がちらちらと翔の方を見て様子を伺っていたようだったから、馬鹿な行動を起こす前に翔を連れ出したのだが。
 これは、少し予想外だ。
「そうだな」
 兄は今頃王としては平凡な器の翔の兄王子と友好関係を築こうと躍起になっているのだろう。自分とは全く違う状況におかれている彼に少しばかり同情しつつも、自分の境遇に感謝した。
「それでは、私と友人になっていただけますか」
 突然、克己が膝を付き胸に手を当てて礼をしたのに翔は驚いた。翔はまだそういった礼儀作法をきちんと学んではいないが、兄王子には自然と跪いていたから、まさか自分がされる方になるとは思ってもみなかったのだ。
「顔を上げて下さい。頼まなければならないのは俺の方です。俺は、貴方より身分が低い」
「友達に身分も何も無いでしょう」
「なら、顔を上げて下さい。友達に友達が頭を下げるのはおかしいから」
「いえ、これは私と貴方の誓約です。きちんとしておいた方がお互い忘れない」
「せいやく?」
 難しい言葉が出てきたな、と翔が首を傾げると、克己は微笑み小さな白い手をとった。
「貴方と私は友情を結ぶ。例え互いの兄や父が戦の道を選んでも、私と貴方の友情は壊れず、両国間に再び友好関係を取り戻す架け橋となることを、約束してはくれませんか。友情の証として、私は貴方や貴方の国に危機が訪れた時は必ず駆け、貴方を守りましょう」
「お・・・・・・私は、何をすれば」
 自分は何も持っていない。力も、権力も、勿論金銀財宝の類も、翔個人が所有しているものはまだ何もない。
 克己は、噂では頭も切れるが剣の腕もすでに人並み以上だと聞いている。だから、彼の友情の証は紛れもなく、彼自身の力で行う事の出来る約束。だが、自分にはまだ何もない。
「友好関係を築いたとなれば、いつかは私もそちらの国へ行く事がありましょう。その時に、そちらの国をご案内していただきたい。もし、出来るのであればそちらの神子殿にお目通りを」
「陸さまに?」
 王族である翔は、一般人は決して見ることの出来ない神子という存在とよく顔を合わせる。年齢もほぼ同じだから、いい遊び相手でもあった。
 恐らく、それはとても簡単な事。
「そんなことで、いいの?」
 舌足らずな問いに、彼は頷いた。けれど、翔のほうは少し対等ではないように感じ、眉を下げる。
「あの」
「はい?」
「俺も、国に帰ったら剣を学びます。貴方より強くなるかは解からないけど、俺も、強くなります。俺も、貴方に何かあったら、誰よりも早く駆けつけて、貴方の力になります!」
 丁度、放浪癖のあるわが国きっての剣の達人が帰郷してきている。彼をどうにか引き止めておく手段はないものかと父が頭を悩ませていたのを翔は知っていた。しかも、その人物とは顔なじみで翔は可愛がられている。本気で頼んだら、きっと自分に稽古をつけてくれるだろう。
「・・・・・・それはとても心強い」
 翔の決意をどこまで本気ととったかは解からないが、克己は笑い、ようやく立ち上がる。
「でも、顔には傷をつけないように」
 この顔に傷なんてついたら、あの老王はショックであの世に行ってしまいそうだ。
 翔は素直に頷き、相手の手を握り返す。自分より大きな手と握手をし、ここに誓約が成立した。




 一週間の滞在期間はあっさりと過ぎて行き、最後の別れ際、克己から紅い結い紐を貰う。北の方の地方の名産品なのだと説明された。先端部分には黒い透明な石がついていて、日に透かすと深い蒼だと解かる。
「それは私が造った魔石です。まだまだ若輩ものですのでどこまで効果があるかは解かりませんが、魔除け程度にはなりましょう。どうぞ貰って下さい」
 父達の前だからか、克己の口調は丁寧で。それに更に寂しさを感じつつも翔は笑みを浮かべた。
「有り難う御座います」
「魔石を造られるのか!」
 翔の隣りにいた父が克己の言葉に驚きの声を上げた。魔石とは、魔力を持つ人物が自分の魔力を凝縮して作る石のことで、お守り石として時々市場にも出回っている。が、それを造れるのは相当の魔力と技術が必要だと聞いている。
「父上、私もそれくらいは造れます」
 自分の父の驚きように不快感を露わにした兄が言うが、彼の造る石は砂利のような小ささで、ここまで綺麗でないことを翔は知っている。
「身に着けていれば、貴方の身を守ります。それと一度だけ、貴方の生命の危機に反応し力を解き放つようになっています」
「それは素晴らしいものを頂いたわね、翔」
 姉は魔力を持っていない弟がいつ魔物の手にかかるかと日々心配をしていたが、相手の国の王子の気遣いがとても嬉しかった。ここに滞在している間、二人が共にいる姿をよく見たから、良い友達になったのだということも、彼女を安心させた。
「でも、俺は何もあげられません」
 手に乗せられた紅い結い紐を強く握り締め、翔は縋るように彼を見上げた。旅行に来た身で、相手に上げるものは何一つ持っていない。
 克己は「どうぞ気になさらず」と微笑むが、翔は知恵を借りようと姉を見上げる。
 姉は魔力を持ち、よく人に祝福をしている姿を見ていた。それを思い出し、翔は彼を見上げる。
「あの、少ししゃがんでいただけますか」
 少し緊張気味にそう頼むと、彼は快く膝を付いてくれる。翔より高かった背が低くなり、目の前に来た黒髪にそっと手を乗せた。綺麗な黒髪だ。自分の国ではあまり見たことがない。
 ちらりと姉の方を見ると、彼女は笑顔で軽く頷いた。いつも彼女がやっているのを見ていたから、呪文は完璧に覚えている。
 自分の国に昔から伝わる祝詞は多分に相手の国には物珍しいものだっただろう。しかもそれを幼い子どもがやっているとなれば尚更。
 仕上げに、額に口を寄せて。
「お終い」
 えへ、と笑う翔に、彼は少し驚いたような顔をしてから「ありがとう」と呟くように言った。しかし
「・・・・・・魔力が無いのに祝詞なんてやったところで無意味だ」
 兄が吐き捨てるように言った言葉にすぐ翔は表情を強張らせる。姉が兄を睨みつけたが、彼はそ知らぬ顔。止めぬか、と老王が息子を叱りつけるが、どこか叱るというよりも窘めるといったような口調に、彼は益々付け上がるだけだ。
 それを克己が見咎めた。
「・・・・・・貴方は王たる素質が少々欠けているところがあるようだな」
「何だと?」
 他国の王子に鋭い指摘を受け、彼は怒りの顔を見せる。兄は、元々この和平にはあまり乗り気ではなかった。自分の代になったら早々に潰してやると豪語していたから。
「君は他国の次期王たるこの僕を侮辱するのか」
「侮辱ではありません。指摘です。己の性格を改めたら如何か。でないと貴方は未来永劫愚王と呼ばれることとなる」
「愚王だと!これこそ侮辱だ!」
「黙りなさい、兄様」
 ぴしゃりと姉がしかりつけると、まさか異母妹にそんなことを言われるとは思わなかったのか、彼は一瞬呆気にとられたような顔になる。
「貴方は我が国の次期王。自覚なされているのなら王たる威厳をお守り下さい」
 少女だが凛としたその強かな態度に、周りにいた人間は思っただろう、彼女こそ、と。しかし、残念な事に彼女は彼がいる限り王権がまわって来る事は無い。
「貴方も、仮にも一国の王子に向かって愚王とは言いすぎです」
「・・・・・・失礼した」
 姉に指摘され、克己もあっさりと頭を下げる。
「それでは、そろそろ」
 子どもといえど一国の王子同士の言い争い。両家の父はヒヤヒヤしてさっさと帰ろうと判断したようだ。
「克己さま」
 翔は慌てて先程自分を庇ってくれた彼の手をとる。
「また、会える?」
「ああ、また必ず」
 こちらは仲良くなったらしい子どもを見て父王は微笑んでいた。
 そんな遠い日の思い出は色あせることなくいつも心に留めておいた。しかし、10年経っても再会の約束が果たされる日はいまだ、無い。

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