体を誰かに突き飛ばされる。

 あ、と思った瞬間車の急ブレーキが鼓膜を引き裂いた。

 次に見た場面は自分の足元に細い手が転がっているところ。

 白い肌に赤が良く映える。

 その彼女の顔はよく見えなかったけれど、奇妙な香りが鼻を掠めた。

 甘ったるい、花の香りのような・・・・・・香水だろうか。

 ぼんやり彼女を見下していると、彼女の近くにやってきた少年・・・・・・いや、少女のようにも見える。

 彼が彼女の体から溢れる血を透明な硝子の瓶に入れ始めた。

 何を、しているのだろう。

「血を集めているんです」

 声に出したわけでもないのに彼が自分の質問に答えてくれる。

 では、何故その血を集める?

「君には解からない」

 彼が顔を上げようとした瞬間に、左眼が痛んだ。






『依然として凶器なども発見されず、捜査は難航を』

 見覚えのある建物の前で女性のアナウンサーが例の事件の捜査の進み具合を簡潔に説明する。

 聞くのも無駄だろうけど、一応そのテレビはつけておくことにした。そして、相変わらず無言の彼を振り返り

「お前、相当暇なんだな・・・・・・」

 父親の書斎にて、本を物色している久我に思わず言ってしまった。

 何のためにわざわざフランスから日本に来たのか知らないが、その本筋の予定はこなしているのか
不思議なほど彼は毎日のようにここで本をあさっていく。

 分厚い本を手に取っては難しい顔で字を追う横顔を、眺めている自分も相当暇だけれど。

 暇つぶしに詰めチェスをぼんやりやっているが、問題が難しくてなかなか駒が進まない。だからと言う訳ではないが、
何となく彼に声をかけていた。

「一応、これも仕事のうちなんでね」

 必要なものと必要でないものとテキパキ分けながら久我は答える。一体どんな仕事なんだか。その作業だけを見ていると、
数週間前に来た刑事に似ている。見ているモノは全然違うが。

「仕事って・・・・・・神父の?」

 よくよく見れば久我の手にある本はすべて要にはわからない外国の文字の古そうな本ばかり。あの父親が外国へ行くたびに
古本で買ってきていたのは知っていたが、彼がそれをすべて理解して読んでいたかは謎だ。でも、語学力堪能な久我であれば
恐らく手に取っている本は読めるのだろうけれど。

「神父は副業だから、本業の方」

 ぱらららっと日に焼けた紙を適当にめくりながら彼はさらりと言った。

「・・・・・・神父って、副業に出来る職業だっけ?」

 いや、暇そうなイメージがあるからやろうと思えば他の仕事に就くことも出来るのだろう。けれど、
副業にすることを認める集まりだとは思えない。そこら辺はかなり厳格なのだと思うのだけれど。

「組み合わせにも寄るんじゃないか?」

 当の本人は普通に返してくれる。本職、ではなく副職の人間がそういうのだから真実なのだろう。まぁ、
こんなヤツが神父になっているのだから、今ではそう厳格な集団じゃないのかもしれない。

 けれど、ここで一つの疑問が浮き上がる。

「・・・・・・へぇ。じゃあ、本業は?」

 彼が神父を本業としていない事は何となく納得出来る。理由はズバリ似合わないから。

 本業は、ホスト辺りだろうかと勝手に想像していた。

「祓魔師」

「は?」

「祓魔師」

 同じ言葉を二回繰り返されても、聞き覚えの無い単語はなかなか脳内で漢字変換が出来なかった。

「ふつま・・・・・・し?」

 てっきりホストとか商売系の職を言われるのかと思っていたから、尚更理解しがたい。

「魔を祓うと書く。日本語ではな」

 空中にその漢字を指で書かれても残念ながら見えないのだが、大体の予想はつく。

「それって、神父の一つの職業じゃないのか?」

 最近、映画等で話題になるエクソシストに近い職だと解釈したけれど、映画の中で悪魔を祓っていたのは神父だった。
だから、副業を“神父”というのはおかしいのではないか?

「残念ながら、俺達と教会は別窓」

 そう言った久我は音を立てて本を閉じ、こちらを振り返った。

「それ以上の説明は、極秘事項だ。弁護士にもあるだろう?他人に言ってはいけないことが」

 口元で人差し指を立てながら彼は言う。

 確かに、それぞれの職業には他人に漏らしてはいけない事がある。家族にでさえも。

「祓魔師、って悪魔を祓う・・・・・・のか?」

「大雑把に言えばな。なんだ、悪魔なんているはずが無いなんて言い出すか?」

 要の戸惑いがちな質問に久我は苦笑しながら対応する。彼の言いそうな事は簡単に予想できたから。
 この国は宗教に囚われることなく発展してきた。そのお陰か科学という視点を持つ人間が多い。中にはとんでもないオカルト系宗教に
走る人間もいるようだが。

「居ると思えば居る、居ないと思えば居ない。天使や悪魔、神だってそんな存在だ。信じろなんて強要はしないさ」

 一度手に取った本を棚に戻しながら、彼は聖職者らしからぬ事を言う。普通は神を信じろ、と強要するのが聖職者で、
宣教師なのではないのだろうか。江戸時代の宣教師達の活動を習った範囲で思い出してみたが、やはり久我の考え方は何かが
違う気がする。

「ま、見えないものを信じろって方が無理だろうしな。“信じる者は救われる”ってのは“信じる事で救われる”って事なんだよ。
心の拠りどころが無い人間は、神を信じる事で自分を救う。所詮は心の弱い人間の集まりだ」

「心が強い人間なんて、滅多にいねぇよ・・・・・・」

「あー、確かに。さすが、弁護士の息子だな。それとも、今回の事でそれを痛感したか?」

 両親が死んで、己の弱さを痛感したかと彼は聞いているのだ。随分と無神経な問い。

 本当に、他人を気遣う神父なのだろうか、彼は。

「・・・・・・この状態でそれを聞くか、普通」

「ホラ、一応神父なんで。悩みがあるならいくらでも聞いてやるよ」

 ただし、本を読みながらだけれど。

 そう言いたげに彼は両手いっぱいの分厚い本を机の上に置く。

 なんてやる気の無い神父なんだ。聖職に夢を持っているわけではないが、何だか軽い憤りを感じる。

「お前に聞いてもらうより、あの朝倉さんに聞いてもらったほうがまだマシだ」

「彗日か、止めとけ。アイツは一緒に泣くことは出来るが先のアドバイスは出来ない」

「・・・・・・」

 だろうな、と思ってしまっては彼に失礼だろうがあの頼りない雰囲気の彼に自分の悩みを打ち明ける気にはならなかった。
 
 それとも、彼にも久我のような二面性があるのだろうか。そう考えてすぐに要はその予想を打ち消した。彗日はそこまで器用な人間じゃ
ないだろうから。

 そこまで器用な人間だったら、久我に言い負かされていないだろうし。

 多分、他人を思いやる事で自分を救う聖職に就く人間は不器用でも良いのだ。他人をひたすら心配して他人の為に奉仕するという
生き方は、むしろ不器用だからこそ出来るものなのかもしれない。

 そう考えると、何故久我がわざわざ聖職に就いたのか、という新たな疑問が浮かぶ。彼程世渡り上手で、彼程頭が良ければどんな職でも
就ける気がする。更に、美形と来た。

 上手くいけば、長者番付に載るような人間にもなれただろうに。・・・・・・それは言いすぎだろうか。

「何で、わざわざ聖職者になんかなったんだ」

 分厚い本を手に真剣な顔で文章を追っていた久我が要の問いに顔を上げる。目が合うと、彼は口元を弓張り型に変えた。

「俺が俗世に身を置くと、女性が醜い戦いを繰り広げてしまうからな。だから俺は神のモノになり、その戦いを起こさないようにしたんだ」

 まさに美しさは罪。己の美しさを日々神に懺悔しているのだ。

 はぁ、と憂いを帯びたため息を吐き、久我は計算し尽くした動作で自分の前髪をかき上げる。

「・・・・・・あ、そっかー。久我サンは残念な系統の人なんだー」

 さっき彼を頭が良いと思った自分が馬鹿だったと久我の煌めくオーラを浴びながら思う。

 彼が神父という職についたのは、彼の過剰な自信と思い込みが理由なのだ。

「・・・・・・要、お前、冗談くらい見破れよ」

 要の冷たい一言に無駄に光り輝いていた笑顔を真顔に戻し、久我はがっくり肩を落とした。

 冗談には見えなかったのだけれど、彼曰く“冗談”らしい。

「じゃあ、本当のトコは何なんだよ」

「悪魔を倒し、清浄な世を造る?」

「やっぱり残念な系統の人じゃないか」

 これが噂の電波系か。

 初めて見る系統の人間を思わずまじまじと冷たい目で見てしまう。その温度に居心地の悪さを感じたのか、久我は少し嫌そうに表情を歪めた。

「さっきから何だ、残念な系統って」

「残念な系統じゃないか。悪魔なんて居るわけが無い」

「そうだな。そう考えていた方が良い」

 柔らかな久我の口調が何故か勘に触った。その言い方は、聞き分けの悪い子供に対するものに似ていた。
自分の言い分が間違っていると言っていて、それでいてこちらの考えも受け止めると言う様な。

「そんなの、科学的に有り得ない」

「科学、ねぇ」

 聞き飽きた単語に久我は思わず鼻で笑い飛ばしていた。前に一度、教会に人を惑わすなとどこかの別な宗教団体の男が
殴り込みに来たことがある。彼の口から出たのは意外にも“科学”の言葉。

 宗教と科学はいつの時代も対立関係にあった気がする。

「確かに、科学で解決できる事は多い。でも、科学に出来ない事だってあるだろう?」

「それは、この先科学が進めば全部出来る」

「そりゃ、過信ってヤツだろう。そこまで来ると科学も一種の宗教だな・・・・・・それに、超えてはいけない一線、ってヤツもある。
科学はあっさりそれを飛び越えちまう可能性があるから、危険なんだ。環境破壊をする科学より、宗教の方がまだ無害じゃないか?
あ、そこら辺のカルト系は無視して」

 怪しげなカルト宗教と一緒にされているのかもしれないな、と敵意も見せる要の様子から思う。あまり宗教に触れていない人間にとっては、
その境界線は無いだろうから。・・・・・・心外だけれど。

「科学のお陰で人間は傲慢になりつつあるしな。人の命を左右する破壊兵器作ったり、かと思えば人工的に命を作り出したり。
バベルの塔、順調に建設中だ」

 アダムとイブの食べた知恵の実はどちらかと言えば悪知恵の実だったのかもしれない。

 黄ばんだページをめくると、昔の画家が描いたバベルの塔陥落の絵があった。

 どこか懐かしげな目で本を眺めている久我の姿は、要の目には不思議なものとして映る。

 何というか、今までに出会ったことのないタイプだ。

 常識破りというか、型破りというか・・・・・・一応褒めているつもりだけど。

 そんな事を考えていて、不意に脳裏によぎったのは最近観る奇妙な夢のこと。その悩みは常識人だと思われる友人達には
話すわけにもいかず、要の中でひたすらくすぶっていた。

 でも、まさかいきなり変な夢を見るんだ、と切り出したところで彼が真剣に取り合ってくれるとは思えなかった。

 遠回しに、遠回しに、と考えて出た結論が

「・・・・・・じゃあ、神父は幽霊とか、信じるのか?」

「は?」

 恐る恐る、といった感じで要が聞いてきた言葉に久我は少々驚いた。何故、そんな質問が飛んでくるのかいまいち解からなかったから。
幽霊の話なんて、していただろうか。

「幽霊・・・・・・?何だ、夢枕に周星が立ったのか?」

 哀れんだ目を向けられ、要は黙って首を振り、俯いた。遠回しすぎたかもしれない。

 いっそそうだったらどんなに嬉しいだろう。

「だって、悪魔が居るんなら、幽霊だって居ても・・・・・・」

 幽霊が居ても、おかしくないはず。

 そんな考え方はおかしいのだろうか。

 一体、自分が聖職者にどんな言葉を期待しているのか、自分でもわからなかった。

「幽霊でも良いから、彼らに会いたい?」

 頭の回転が速い相手と話すのは苦痛だ。

 久我の質問への返事は無言の肯定。外から聞こえてくる蝉の鳴き声が自分を嘲笑っているように聞こえる。

 黙って自分を見つめている彼の視線が痛い。

「・・・・・・神父、俺は」

『警察は8年前の事件と今回の島崎弁護士殺害事件との関連を調べています』

 付けっぱなしだったニュースのキャスターが、珍しく新しい出来事を早口で伝えた。突然の言葉に要は久我に言おうとしていた台詞を
飲み込み、画面を振り返る。

「8年前?」

 当時フランスに居た久我にはわからない事件で、不思議そうにその単語を繰り返していた。

「8年前、って何だ?傷害事件でもあったのか?」

 テレビの中では警察の代表がフラッシュの中でその旨を報告している。

『今回の事件は、8年前の誘拐事件の容疑者が関わっている可能性が有り、全力で捜査を進めて―――』

「誘拐事件・・・・・・ってまさか周星が誘拐されたのか?」

 普段は頭の回転が速い久我も、知らないこととなると変な方向に考えてしまうようだ。

 大の大人、しかもあの父親がそう簡単に誘拐されるはずがないだろう。

「そんなワケないだろ・・・・・・誘拐されたのは、俺だ」

「は!?」

「何でそんなに驚くんだ。普通、子供が誘拐されるもんだろ?」

 久我の驚き振りに何となく胸を張って自分だった事をアピールしてみたが、何だか少し虚しかった。

「そりゃあそうだけど」

 久我も久我でまさか誘拐された本人が目の前にいるとは思わなかったらしく、まだ事実を飲み込めていない様子で、首を捻っている。

「お前、誘拐されるタイプじゃないだろう・・・・・・」

 結局何が納得いかなかったというとそれだったらしく。

「タイプで誘拐されるもんじゃないだろ。ってゆーか、何が言いたい!」

「金目当てか。お前、可愛いから誘拐するっていう事は無さそうだしな」

「悪かったなー!俺、眠いから部屋で寝てる」

 色々と話しているのが嫌になって部屋のドアノブを握る。

「おい、要・・・・・・」

 久我の制止は聞こえていたけれど、そのままこの部屋を出る足を止めたら聞かれることは一つだけ。

 それが面倒だったから部屋から出てため息を吐いた。どうせこれからまた警察やマスコミに同じような事を聞かれるのだから。

 廊下にある窓から外を観てみるが、まだ人だかりは出来ていない。と、いうことはあの発表は生放送だったのだろうか。

「かったりぃ・・・・・・」

 いい加減、身辺を静かにしてもらいたいものだ。

 8年前のことは、要は事後の事を何も知らされていない。まさかあの時の容疑者がいまだに捕まっていないとは、警察の無能さに奥歯を噛み締める。

 その所為で、彼らが殺されたのなら恨むべきは逮捕が出来なかった警察なのだろうか。


 ピンポーン・・・・・・。


 来訪者を告げるベルの音は予想通りで。マスコミか警察か、どちらかだろう。

 苛立つ心を抑えつつ、インターホンを取った。普段はそんな事をしないですぐに玄関口で対応するのだが、今回ばかりはこれが良策だ。

「はい?」

『あの・・・・・・島崎要くんですか?』

 てっきり、警察のお堅い前置きかマスコミの唐突な質問だと思ったが、どちらでもなかった。

 聞こえてきたのは遠慮がちな少女の声。しかも、聞いたことが無い声だ。

 聞いたことが無いといっても、自分が他人の顔を覚えるのが苦手なことは自覚している。これで本当はクラスメイトだったりしたら、彼女に失礼なのだが。

「今開ける」

 受話器を置いて、足早に玄関に向かうとクロンの鳴き声が聞こえた。来訪者に向かって吠えているのだろうか。今まで、そんな事は無かったのに。

 玄関を開けると、時々どこかで見かける他校の制服を着た少女が二人、緊張した面持ちで立っていた。

 見覚えのあるセーラー服。多分、隣の地区の女子高だ。確か、友人がレベルが高いお嬢様学校とか何とか言っていたような気がする。

 吠え立てるクロンに二人共怯えているようだった。

「クロン」

 要が静かな声で呼ぶとすぐに彼は吠えるのを止めた。けれど、何かを訴えるように要をじっと見つめている。どこか不安げな目で。
多分、初対面だからだろうけれど。

 心配ない、と伝えるつもりで手を上下に少し振ってやるとクロンは大人しくその場に座った。

「びっくりした・・・・・・」

 活発そうなイメージを持たせるショートカットの少女がほっと胸を撫で下ろす。

 もう一人はセミロングの黒髪は結構街中では見かける髪形だけれど、顔は二人とも全然見覚えの無いものだった。

 他人の顔と名前を怯えるのは苦手としている要だったが、彼女達とは初対面だと思う。

「誰?」

 要のぶっきらぼうな問いかけに右側に立っていた少女が突然頭を下げた。

「ごめんなさい!」

 覚えの無い謝罪に要が茫然としていると彼女は顔を上げる。

 その目には涙が溜まっていた。

「あの、あたしどうすればいいのか分からなくて、そしたらニュースになってて、あたし!」

 ぐすぐすと鼻を鳴らし始めた彼女に隣りに居た少女が慰めるようにその肩を抱く。玄関の近くに繋がれていたクロンがどうしたの?
というように要を見た。

 それはこっちが聞きたいことで。

「落ち着け。何言っているのか全然わかんねーんだけど」

 女性特有の甲高い声は耳にキツイ。

 要はひとまず彼女達を家の中に入れる。何度か押しかけのような告白をされたことがあったが、ニュースという単語を出してきたから
今回は違うだろう。

 その間に先ほど謝ってきた少女は泣き始め、友人らしいもう一人の訪問者は彼女を宥めていた。

 応接室に通すまでもないだろうと判断し、要は二人をリビングに誘導する。

「そっちの部屋に」

 要の指示に従って彼女たちは彼の目の前を通り過ぎて部屋に入る。その時、奇妙な香りが要の鼻を掠めた。どちらの少女の香りか
わからないけれど、今まで嗅いだ事のないような何とも言い難い臭いだ。

 香水か何かだと思うが、妙に甘ったるくて、思わず眉を寄せていた。クロンがあれほど吠えていたのはこの香りの所為だ。

 ソファに座って、話し始めたのはショートカットの少女だった。

「私は、佐倉由岐。この子は橋野美衣」

 美衣、という少女は泣きながら頷いた。

 けれどきちんと話すことは出来ないようで、由岐が代わりに話を始める。

「島崎要君よね?」

 彼女は神妙な顔で要の顔を見つめる。その視線に答えるように首を縦に振った。

「貴方に話があって来たの」

 由岐はそう言いながら携帯電話を取り出して、要に渡した。

 開くタイプの、普通の携帯電話だ。女の子らしい可愛いストラップがついている。しかも大量に。

 軽量が売りの携帯電話なのになんでここまで重くする必要が?と場違いなことを考えていると由岐が話を始めた。

「美衣に変なチェーンメールが来たの。最近結構噂になっているんだけど、知ってる?」

 要は首を横に振った。

 携帯電話どころか専用のパソコンさえ持っていない。何故か父親が持たせてくれなかったのだ。

 けれど、不意に浮かんだのはこの間瀧本の言っていた「願いが叶うチェーンメール」。

 チェーンメールの種類も多いらしいから、それと断定するには早い。

 要の返事に彼女は少し落胆したようだった。

「都市伝説の一つにもなってるんだけど・・・・・・これを見て」

 いったん渡した携帯を再び彼女が手に取り、何やら操作をして再び要に渡す。

 小さな画面にメールの内容文が現れていた。


『破滅の喇叭が響いた。
 地上のざわめきと君の嘆きが聞こえる。
 すべてを終わらせる音色が無情に世界を壊す。
 羽より軽い君の魂を弁護するのは誰?
 今、7つの音が世界を切り裂く。
 破滅の詩を歌おう。
 君の弁護人を見つけて。
 火の池に堕ちる前に
 君の弁護人は誰?
 君の弁護人は誰?
 君の弁護人は誰?』

 何とも不気味というか不可解な文面だ。
 
 でも、チェーンメールならそういうものだろう。

「これが?」

「その問題の答えを返信しないと、そのメールを受け取った人間は死ぬの」

 由岐の説明に要は眉を寄せた。

 普通のチェーンメールとは少し違うらしい。

「毎日、カウントをするメールが届いて、美衣すっかり怯えて」

 彼女は説明をしながら次に届いたメールを見せてくれる。

『第一の喇叭が鳴り響く。
 血の混じった雹と火が君を襲う。
 君の弁護人は誰?』
『第二の喇叭が鳴り響く。
 巨大な火の塊が海に投げ入れられた。
 君の弁護人は誰?』
『第三の喇叭が鳴り響く。
 巨大な星が落下した。
 君の弁護人は誰?』

 第三まで、ということはたった三日しか我慢できなかったということか。

 要は半ば呆れながらこのメールをもらった当事者を見る。ひたすら泣き続ける様子に、納得した。

 彼女はこの手の話が多分苦手なのだ。
 
 チェーンメールを貰って一笑することが出来ず慌てて内容に従ってしまうタイプだろう。将来、サラ金や架空請求に悩まされる
タイプだ。父親の職業上、こういうタイプの人々を結構見てきたからこの予想は自信がある。

「だから、貴方のお父さんの名前を送ったらしいの」

 由岐の言葉に要は思考を止める。

 要が息を呑んだのに、すぐに美衣の涙ながらの弁解が始まった。

「だって、怖かったんだもん!一日一日、変な事が周りで起きるし、本当にあたし、死んじゃうんじゃないかって思って!だから、
聞いたことのある弁護士さんの名前を・・・・・・」

 そしたら、誰かに殺されてしまったと。

 普通、チェーンメールが送られても無視する人間のほうが多いし、発信者も悪戯で送っている。

 まさか、自分の行動で何かが起こるなんて彼女も思わなかったに違いない。

 恐怖と自責の念にかられている彼女を親友が慰める。何だか、自分がこの二人に酷い事をしているような気分になってくる。

 どう声をかけていいものかわからず、要はただ黙っているしかなかった。その時

「でも、死んじゃったらあたしの弁護出来ないのよね?どうしよう、あたしどうすれば・・・・・・」

 突然、何かに取りつかれた様にぶつぶつ彼女は呟き始める。

 先ほどまでとは違う、低い声で。

「美衣?」

 友人である由岐も彼女の様子の変貌に驚いたらしく、声を上げた。

「そんなことより、島崎君に謝りなさいよ!その為に来たんでしょ?」

「別に、謝られる事なんて無い」

 要はソファにもたれかかりながらため息を吐いた。

 電波に侵された人間の戯言なんてこれ以上聞いていられない。いっそ不快だ。

「そんなの、ただの偶然だ。もしそれが真相なら、俺はあんたを許さないけどな」

 携帯電話を返そうとしたら、もう解約しているから要らないと言われた。

 彼女としても妙なメールを受け取った電話は手元に置きたくないのだろう。

 お祓い気分で自分に会いに来たのでは無いかと疑いたくなる。

 にしても、“答え”を求めるチェーンメールなんて。返信したってどうせ送り元に返るだけだろう。そのチェーンメールを
作った元々の人物に届くわけじゃない。

 そこまで考えて、要は思考を止めた。

 確か、前にも同じような事を考えなかったか?

「なぁ」

 話が済んだ彼女たちはさっそく帰る準備をしていたが、要に呼ばれて二人同時に顔を上げる。

「願いを叶える、チェーンメールの話は知ってるか?13人に同じ文面送信して、1人の名前を返信するヤツ」

 ただ、聞いてみただけだった。

 けれどそれを聞いた瞬間、美衣の顔色があからさまに変わった。

「え、そんなメールあるの?」

 由岐の方は初めて聞いたというような反応で、知ってる?と聞くつもりで美衣のほうを振り返っていた。

 そして、彼女の顔色に驚愕していた。

「美衣、どうしたの?」

「あたし、知らない・・・・・・」

 かたかた震えながら彼女は首を横に振る。その様子は知らない、という事を否定している。

「違う、あたしの所為じゃない!」

 悲鳴のような訴えはぞっとする何かを含んでいた。

 そして次の瞬間、解約していたといっていた携帯電話が突然鳴り始めた。まるで、彼女の言葉を否定するようなタイミングで。
街中でよく聞く有名ミュージシャンの新曲のメロディ。多分、彼女はこの曲が好きで選択したのだろうが、今となっては恐怖のメロディだ。

「・・・・・・解約したんじゃなかったのか?」

 要が携帯から視線を持ち主に戻すと、彼女は目を大きく見開いてそれを見つめていた。その目には恐怖が映し出されている。

 震える唇で彼女は「どうして」と呟いた。

 解約したという話は本当らしい。

 茫然としている間に、通話ボタンを押していないというのに勝手に通話が始まり、そしてただのノイズ音が流れ始める。

 耳に不快な音をどうにかしようと要がそれに手を伸ばそうとするより早く、先程まで怯えきっていた美衣が無表情にそれを取り上げた。

「美衣!?」

 驚く友人を余所に、彼女は自然な動作で携帯電話を耳に近づけて「はい。はい」と通話相手が居るかのように相槌をうっていた。

 一体、どういう事なのだろう。

「あ、はい。わかりました」

 抑揚の無い声で彼女はそう通話相手に返事をし、耳に携帯電話をつけたまま、要を振り返る。その目が先程とはまったく違う色を
持っていたのに思わず後ずさっていた。

 その反応が気に入ったのか、自我を持っていない目で彼女は笑う。

 何故自分を見てそんな目で笑うのか。

 その質問は次の瞬間、解消された。





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これから噂の何度も書き直したヤツが続きます・・・。まだまだアレなんですけどねぇ・・・。ああああ・・・。もう諦めた。