「……おい、夕日、夕日!」
「え?」
「さっきから呼んでただろ、お前どこに魂飛ばしてんだよ」
空はさっきから声をかけても一向に返事をしない夕日に苛立ちを覚え、手に持っていた台本で軽く夕日の頭を叩いてやった。
いつもなら、ここで夕日は怒り出すのだが
「あ、ああ……悪い」
怒らない。
……気持ち悪い。
もしかして、コイツも自分達のように双子がいて入れ替わってんじゃないかと有り得ない事を考えたが、残念ながら夕日の弟はあのクソ生意気な弟だけだ。
「なーんか、最近夕日ってばぼーっとしてること多くない?大丈夫?疲れてんじゃない?」
八雲が心配そうに夕日の顔を覗きこむと彼は苦笑して「大丈夫」と答える。テレビの前では普段どおりだから、彼らのマネージャーである高原は夕日を放っといていた。
「最近少し眠れなくてな。その所為かも」
そんな夕日のフォローに空はこっそりため息を吐く。それが直接の理由じゃ無い事を空は知っている。知っていて何もいわない自分は、もしかして意地が悪いのだろうか。
「あー、わかったぁー。もしかして、夕日恋煩いってヤツなんじゃないの?」
にやりと八雲が笑い、星夜が大袈裟に驚いてみせる。
「えー!夕日が、そりゃ大事やな!っちゅーか、赤飯や赤飯!なーんつって……」
がとん。
分厚い硝子のコップが床に落ちた音が、八雲と星夜の笑い声を止めた。
え?と2人がそのコップに視線をやり、そして次にそれを落とした本人の顔を見ると、その顔が仄かに紅くなっている。
空は密かにそんなメンバーの様子を見てため息をついていた。
「え、マジでマジで!?夕日が恋!?恋!?ヤバイすっげぇスクープスクープ!!誰かフライデー記者呼んで来い!!」
「誰誰誰なんや!!ちょお、夕日!おにーさんに正直に言」
「記者呼ぶな八雲っ!星夜、俺はお前より年上だ!!」
予想済みの反応に夕日はそれぞれ的確なツッコミをしていた。
ああ、うちのメンバーって馬鹿ばっか。
ちょっと今更ながらうんざりしつつ、空はもう一度ため息を吐く。と
「こんにちはぁ、夕日さん」
空がもたれていた壁のすぐ横にある扉が開き、その開いた扉の所為で誰が来たのか空からは見えなかったが、その声と香水の匂いで人物を察し、眉を寄せた。
メンバー以外の人物の登場に一瞬にしてさっきまでの騒ぎが静まり、八雲はまだ夕日に絡んでいたけれど、星夜のほうはそういうキャラじゃないので慌てて椅子に座り無表情で台本に眼を通していた。さり気無くサングラスもつけて。
そんな変わり身の速さだけは褒めても良い。
でも、台本が逆だぞ、星夜。
サングラスでよく見えないのだろう、本人はその間違いに気付いていない。勿論、空の指摘も心の中でだったので、本人は気付けない。
「ああ、美坂さん。こんにちは」
夕日は今期のドラマの共演者に笑顔で挨拶すると、彼女は少し嬉しげに微笑んだ。
「ごめんなさい、突然来てしまって。今収録が終わったところなんですー。“天”の皆さんがいるって聞いて、挨拶に来ちゃいました。私大ファンなんで嬉しいです」
美坂朱音、19歳と言っているが実際は23歳。整形は3回、目と鼻ともう一度目。最近少し干され気味。
そんな情報が空の頭を駆け巡った。情報元は同じ事務所のアイドルの女の子達だから、どこまで本当かは解からない。言ってしまえば陰口の域だから。でも、多分整形は真実だろう。
彼女の後ろにいた彼女のマネージャーが申し訳無さそうに頭を下げた。
「あっ、ソラくん!?」
「え?」
彼女は扉の近くにいた空を見つけ、茶色い眼を輝かせる。
「やーっ!本物だぁ!私ソラくんの歌すっごい好きなの!今度CDにサインして!」
きゃっきゃ、と彼女は一人で盛り上がり、空の手を握ってぶんぶんと上下に降る。大袈裟な握手だ。
「あ、有難う御座います。美人な人にそう言ってもらえると嬉しいです」
ちょっと照れた感じで返すと、彼女の表情が一瞬消えた。
「美坂さん?」
「あ、じゃあコレあげるよ、美坂さん」
彼女の後ろにいた夕日が手に持っていたのはCDケース。見覚えがあるそのジャケットは、間違いなく自分たちの新曲のもの。けれど、空はそのタイミングに眉を寄せていた。
今のは、まるで夕日が美坂を庇うようなタイミングだった。気のせいだろうか。
「え、ほんと?嬉しい。私まだ買ってなかったの!」
「じゃあついでにサインしますよー」
「ホント!?嬉しい!」
流石共演者、この数ヶ月で随分と仲が良くなったらしい美坂と夕日の様子に八雲と星夜は見入り、空は眉を寄せた。
夕日がこんな風に共演者と話しているのを見るのは初めてだ。
「ほら、ソラも」
3人分の名前がかかれたCDを夕日に渡され、マジックで軽くさらさらとサインをする。それを受けたった彼女は嬉しげに微笑んだ。
「嬉しいなぁ。来て良かった。ソラくんの歌本当に好きなの、これからも良い歌沢山聞かせてね」
「はい、頑張ります。美坂さんも頑張ってください」
にこっと笑うと彼女も笑い、楽屋から出て行こうとした、その時
「美坂さん、今日俺8時に上がるんで、その後食事でもどうですか」
空も八雲も星夜も、いやこの場にいた夕日以外の全員が眼を見開いていた。
夕日が美坂を誘った。
「え、ええっ!?夕日さん、でも……」
誘われた本人はおろおろとマネージャーと夕日を見比べている。
「あ、マネージャーさんも一緒に。どうですか?」
夕日は構わずマネージャーの方にも声をかけていたが、少し気弱そうな男は眼鏡を上げながら「いえ、私は」とか細い声で断わっていた。
「じゃ、8時にいつもの店で」
茫然としている間に約束が成立してしまっている。
おいおいおい……。
「お前、何考えて……っ」
彼女達が去った後、空は夕日に掴みかかろうとしたが、それより先に八雲と星夜が夕日に飛び掛っていた。
「なになに、もしかして相手って朱音ちゃん!?」
「おにーさんに詳しく話してみなさい!!」
「うぉっ!なんだ、お前ら!」
慌てる夕日を2人は囲み、離さない。でもその空気はけして悪いものではなく、それが一層空を苛立たせる。
「……俺、先に行く」
「空?」
八雲の怪訝な声にも耳を貸さず、空は楽屋から出て行った。


「で、高原さん、どーいうことですかね?」
空が向かったのは彼らのマネージャーである高原の元だった。彼なら夕日の謎の行動の意味を知っていると思った。案の定、彼は来たかと言いたげな表情を一瞬だけ浮かべて「何のことだ?」とそ知らぬ返事をしてくれた。
そんな彼のネクタイを思わず掴み、引っ張ってしまった辺りは手が早い、悪い癖だと思う。
「すっとぼけないで下さいよ。夕日ですよ、ゆーひ。何であの干され気味の女と食事?ハァ?」
「干され気味の女って……一応事務所が同じ仲間じゃないか。そんな言い方は良くないな、空」
首元が苦しいだろうに、高原は勤めて冷静だ。
「あの女は売り方を間違ったんだよ。歌で売ればよかったのに。なんでそうしなかった」
ち、と舌打ちをして空は高原から手を離した。
自分も演技がそんなに得意じゃないから彼女の置かれている状況がよくわかる。彼女本人も歌で行きたかっただろうに、事務所の事情で整形され演技の方向に向けられてしまった。周りからは演技が下手だと言われ、彼女自身もやるせない気分だろう。
「そういや、あの女、今映画撮ってるんだっけな。まさかと思うけど、夕日とくっつけて起死回生とか考えてないよな?」
たまにあるのだ。そうやって話題を作り、映画やドラマの宣伝に持ち込むことが。
空の指摘に高原は小さくため息を吐き、よれた襟元を直す。そして
「その映画の主題歌がお前らの曲に決まった」
「……は?」
「話題性はあるだろ?」
「……何考えてんだお前ら」
いや、考えている事は大方予想出来る。主演女優と主題歌提供したグループの一人の交際報告。話題になって映画が売れれば、俺達の主題歌も売れる。そして、干され気味の彼女も救済できるかもしれない。
「冗談じゃねぇぞ!んなことしたら……!」
空の脳裡に過ぎったのは、最近笑ってくれない兄の顔だった。純粋な彼はこんな裏事情など察する事なんて出来ずに、新聞や雑誌が派手に書き立てる内容を真実だと受け止めるだろう。
これ以上、自分の身勝手で始めたことで、彼に傷ついて欲しくは無かった。
「……だったら、俺がやる」
拳を握り、空は強く目の前の相手を睨み上げた。それに、高原は眼鏡の奥の目を見開く。
「ソラ?」
「だったら、俺がやる!あの女の恋人役!16と19なら無理ないだろ?」
「……ソラには無理だ」
 その時、後ろから夕日の声が飛んできて、はっと振り返れば苦笑顔の彼がいた。
「夕日……」
「ソラは何だかんだ言ってまだお子様だからな。こういう時のマスコミへの上手い対応、知らないだろ?それに、“ソラ”は無垢で純粋なイメージを保ってもらわないといけない。恋愛スキャンダルはお前にはマイナスになる」
「それは……」
今まで空が必死に作り上げたソラのイメージがこんなところで仇になるとは思いも寄らなかった。
高原に迫っていた空をやんわりと宥める夕日の態度が余計苛立ちを募らせる。何でこの男はこんなに冷静なのだろう。
高原が夕日に小さく礼を言い、去っていくのを見送った夕日は肩を竦め、空に柔らかく「帰るぞ」と言う。あまりにもいつも通り過ぎた。
まるで、陸のことなど無かったかのような態度で。
そうだ、この男はあの数ヶ月のことをなかったことにしている。
彼を責めるのは筋違いなのは分かっている。けれど、陸の事を気付いているとしたら性質が悪く、気付いていないというのなら愚鈍すぎる。
「お前……」
拳を握り、やり場のないこの怒りを必死に堪えた。
「夕日。お前、好きなヤツいないの?」
それだけ聞きたくて、目を上げた。
すると夕日は苦笑を消し、しばしの沈黙の後に目を伏せる。
「お前がそれを聞くのか」
「……え」
「あの子に引き合わせたお前が、俺にそれを聞くのか」
夕日は少なくとも陸の存在には気付いていた。
それに瞠目していると夕日はまた苦笑顔に戻り、控え室の方に戻っていく。
「何か修羅場だったね」
「うぉあ!!」
ため息を吐こうとしたところで背後から呼びかけられたから堪らない。
「わ、渡貫っ!」
「お疲れ、ソラくん」
突然の彼の登場に空は眉を上げる。渡貫は苦手だった。何を考えているのかさっぱり解からない相手過ぎて。
その警戒に気付いたのか、渡貫はにやにやと笑いつつも肩を竦める。
「そんなに怯えないでくれないかな。可愛いから」
「消えろ、マジで消えろ」
いや、それより自分がここから去れば良いのか。
さっさと帰ろうと踵を返そうとしたところで、渡貫の声が背を止めた。
「知りたくないの。何で美坂朱音が歌で売れなかったか」
「……は?」
そんなこと俺が知って何になる。
そういう意味で空は渡貫をにらみつけたが、相手はその笑みを深め
「彼女、一応歌で行く予定だったんだ。ちゃんとデビュー曲まで決まっていた。曲名は、ソラ」
「……は?」
聞き覚えがありすぎる単語に空は思わず眉間を寄せていた。それに渡貫は眉を軽く上げた。
「そ。君の持ち歌だよ。3番目の単独シングルだっけ?オリコン1位とったよな、1ヶ月くらい」
グループで歌う時は夕日の作詞作曲が多いが、単独の場合は違う作詞家作曲家のものを歌わされることが多い。確かその歌も、それを作った作曲家がソラにどうしても歌って欲しいと言ってきた曲だったと記憶している。
「君の音域と彼女の音域、声質も似ているんだ。けれどそのデビュー曲を作ったヤツがテレビで君を見かけて、その曲は君に歌って欲しいと。君以外には歌わせないと。事務所も慌てただろうなぁ。仕方なくその曲は君に、彼女には違う曲を歌わせたけど、結果は君は1位、彼女はランク外だ。その後彼女は迷走を続け、今に至ると」
「……そんなの、俺の知ったことじゃない」
彼女があの歌を歌い、それが結果を出せたかどうかは解からない。そう、空は呟き、それに渡貫も微笑する。
「そうだな、君の声だからこそ、あの歌は生きた。流石、作曲家の判断は正しかった」
でも。
「彼女は、どう思っているかな?」
もし、自分があの歌を歌っていれば、と考えない人間はいない。そう渡貫は言いたげで。
視線を下げた空の喉に、彼は指を指した。その顔はもう笑ってはいなかった。
「君の喉の調子が悪かったのは知っているよ。でも、何よりも喉に気を使っていた君がそれを唐突に痛めるなんて、不自然だとも思っていた」
「渡貫……?」
「……同じ事務所の彼女なら、何でも出来ただろうな」
彼の言葉が示唆する事が脳裡に過ぎり、空は唇を噛み締めるしかなかった。
まさか、そんな。
事務所で彼女の人気を持ち直そうとしたり、夕日が彼女の恋人役に当てられたのもまさか、全て。
「……これでも、俺も一応君の声のファンなんだ。彼女には気をつけて。それだけ」
渡貫が去る靴音を聞きつつ、空はその場にへたり込んでいた。恐る恐る首に手を当て、以前の痛みを思い出す。
「うそ、だろ」
この声が、誰かを傷つけていたなんて。
俺の所為じゃない、そう言い聞かせてみても、気分は晴れなかった。




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