「うわーい、兄貴お帰りー、なぁ、蟹・・・・・・」
「明日送られてくるんじゃないか。俺疲れたから、寝る」
手を広げて迎えてくれた空の横を素通りして、俺は久々の自分の部屋に向かう。
やっぱりかなり素っ気無い声だったんだろう、空が不思議そうに、というか不安げに振り返り、俺の後を追ってくる。
「陸兄?どうかしたか?」
「・・・・・・何でもない」
「嘘だ。何かあったんだろ」
途端に空の表情が厳しくなった。
多分、自分の所為で俺が嫌な目にあったとでも解釈しているんだろう。全然違うのに。
「陸兄?」
「何でもないって」
「何でもなくない!」
思わず叫んでしまった空ははっとして自分の喉を抑えていた。まだ痛むのか、わずかに眉を寄せている。
「空・・・・・・大丈夫か?」
「平気」
空はにっこり笑うが、あまり平気そうには見えない。
本当に、大丈夫か・・・・・・?
「それより、さ。兄貴、俺は」
「明日も早いから、俺はもう寝るよ」
ごめん、と小さく謝って俺は自分の部屋に入った。
これ以上空とは話していられない。話したら、泣きそうだ。

夕日サンが好きなのは俺じゃなくて、空の方。

もっと早く気付くべきだったのに、俺は浮かれていて自分が空であることを忘れていた。
今まで優しくしてくれたのも、好きと言ってくれた言葉も全部空のもので。
俺の、じゃない。
空に、伝えるべきなんだろうか。いや、伝えるべきだろう。この告白は。
でも、言いたくない、なぁ・・・・・・。
その場に座り込んで、ゴツリとドアに後頭部を軽くぶつける。

昔から空は要領が良くて、可愛くて、人の注目を集めてて。
そんな空を俺も大好きで、自慢の弟で。
でも、いつも羨ましかった。
自分のやりたいことをすぐに決められて、自分が居たい場所で輝いていける空が。
いつも、敵わないと・・・・・・思っていた。
今回も、やっぱり空には敵わないか、なんて。
そりゃそうだろうな、と思ってしまう自分が、惨めだった。

俺はどうして空じゃないんだろう。
どうして、空として生まれてこなかったんだろう。
顔はこんなに、そっくりなのに。





「何か、最近ソラおかしくないか?」
雑誌の撮りをどうにか時間をかけて終わらせて、楽屋に行こうとしたその途中、そんな声が聞こえてきた。
「うん、何かオーラが無いっていうか・・・・・・どうしたんだろうね」
スタッフさんの呟きに、俺は拳を握っていた。
北海道から帰って来て一週間、俺はどうにかスケジュールをこなしていたけど、やっぱり評判はあまり良くないらしかった。
本番中も頑張ってるつもりだけど、それが裏目に出たり、話しかけられても上手く返せなかったりと、ソラらしくない。
笑えていない、と自分でも解かっているのがタチ悪い。
「ソラくん、ごめんもう一度お願い出来るかな?」
さっきも、あったけど気を使うようなスタッフさんの声に申し訳なく思いながら「すみません」と言うのが最近多くなってる。
共演者の人達からの眼は、同業者であるだけあって、かなり厳しい。
やる気あるの?という棘のある声がどこからともなく聞こえてきて、俺は小さく「すみません」ともう一度謝った。
高原さんもどうしたの?と優しい声をかけてくれるけれど、ただ曖昧な笑みを返すことしか出来ない。
空とも、あれから口を利いていなかった。
空の方は話しかけてこようとしているけど、俺の方がすぐに忙しいと一言だけ言って会話を止めさせる。
話をする暇がなかった、というのは夕日サンの告白の件を空に伝えなかった理由になる、から。
でも、いつまでも逃げていても仕様が無い。入れ替わり終了期間はもうすぐだ。
TV局の廊下を歩いていると、突然誰かに肩を掴まれた。
「おい」
「え・・・・・・冬河君?」
北海道以来の顔に俺は眼を見開いた。そうだよな、彼も東京を拠点としているんだ。TV局で会ってもおかしくない。
久し振り、といいかけた俺の首元を彼は強く掴み上げた。
「何なんだよ、アンタ」
怒りが込められた言葉に俺はぎくりと身を震わせていた。
「アンタ、ソラだろ?何なんだよ!あの腑抜けた面は!やる気あんの!?」
どん、と俺の背中が廊下の壁にぶつかった音が響き、歩いていた人達の視線が集まった。
「冬河く」
「やる気が無いなら辞めなよ、目障りなんだけど」
冷たく吐き捨てられた言葉は俺の胸に突き刺さる。辞めろ、なんて言われても・・・・・・辞められるわけがない。
「ソラ、冬河!」
騒ぎを聞きつけた夕日サンがこっちに来るのに気付いて、冬河君は舌打ちしながら俺から離れた。
「僕が蹴落とそうと思ったのは、アンタじゃない」
そんな呟きを落として、彼は去っていく。
そんなの、解かってる。冬河君が見てるのは、空だ。俺に空を期待されても、無理なんだよ。
だって、俺は空じゃない。
「大丈夫か?」
茫然とする俺に心配げに声をかけてきてくれるのはやっぱり夕日サンで、今日も宥めるように頭を撫でてきてくれる。
こうして心配してくれるのも、俺がソラだから、なんて後ろ向きなことしか考えられない自分がいい加減嫌いになりそうだった。
冬河君が知るソラも夕日サンが知るソラも、空だ。俺は、空じゃない。
「何か、あったか?」
気遣うその言葉に黙って首を横に振る。
言えるわけがない。
俺がソラじゃないと知ったら、この人はどう思うんだろう。俺を嫌う事は間違いない気がする。
「・・・・・・もしかして、この間の俺の告白の事、悩んでる?」
その夕日サンの言葉に思わず顔を上げていた。
「違・・・・・・っ」
慌てて首を振ると彼はにっこり笑って頭を撫でてきた。
・・・・・・この人に、余計な心配はかけたくないのに。
空だったら、悩みとかあってもきっと外には出さないんだろう。何があってもきっと笑顔で。
空だったら。


・・・・・・この人が好きになった空だったら。


俺はなんて卑屈な人間なんだろう、と夕日サンの心配げな笑みを見ながら思った。

こんな、俺じゃ、

・・・・・・・“ソラ”になるには役不足だ。


限界、かもしれない。


「おかえり、陸」

家の玄関を開けると何だか久々に俺の名を呼ばれたような気がして、顔を上げたら空が満面の笑みで立ちはだかっていた。
「陸兄、ちょっといい?」
逃がさない、という笑顔の空の顔に俺は何となく後退していた。
「何?空・・・・・・俺、疲れてるんだけど」
部屋に連行された俺は不機嫌な声で空に文句を言った。
でも、それくらいでめげる弟じゃない。
「最近、何で兄貴の様子はおかしいの?」
来た。
「別におかしくなんか」
「おかしいよ。どの番組みても、陸兄笑えてねえもん」
「・・・・・・わかった、明日から気をつける」
駄目だし程度に受け取った俺は空の部屋から出ようとしたけれど、それを空は許さなかった。
「俺は、陸にそんな顔をさせたくて頼んだんじゃない。辛いなら今すぐやめさせる」
元々は俺の我がままなんだし、と空は続ける。
「でもそれじゃ、空が」
「俺はもう大丈夫だ」
嘘だ。
まだ、この間の傷はちゃんと癒えていないはずだ。
それなのに、空は俺のことを気遣ってくれる。
「ごめん、空・・・・・・」
思わず零れた謝罪の言葉に空はにっこり笑った。少し前までテレビでよく観た、この笑顔は俺にはやっぱり真似出来ない。
「俺は、やっぱり・・・・・・ソラにはなれない」
そんなの最初から解かっていたことだった。
でも、ソラにずっと憧れてて、少しでも彼になれたことはいい経験だったと思う。
例え、苦い思いを残したとしても。
いつの間にか泣いていたらしい俺の頬を空の暖かい手がそっと撫でる。
「陸はよくやってくれたよ、ありがとう」
宥めるように彼は俺を抱きしめて、久々の兄弟の包容に、空が昔よりずっと成長していることを知る。
一体、どれくらい長い間空と離れていたんだろう、とぼんやり思った。
「・・・・・・明日を、最後にしてもいい?」
明日、という単語に離れた空が怪訝な表情を見せた。
空はきっと明日から元の生活に戻るつもりだったんだろうけど。
「夕日サンに、告白された」
「え・・・・・・?」
初めて聞く情報に空の目が大きくなる。うん、ごめんな、黙ってて。
「俺が、返事してもいいかな?」
涙を拭いながら笑ってみせたら、空は戸惑いつつも首を縦に振った。
「いいけど・・・・・・俺は、」
「解かってる」
空が夕日サンに対して何も思ってないことくらい。
だからこそ、俺はあの人に好きだと言いたかったんだ。あの人が喜ぶ顔が見たかった。
でも・・・・・・こればっかりはどうしようもない。
「もしかして、陸兄が元気なかったのって、それの所為なのか?」
「違うよ。それは俺の所為。俺、さ」
多分ずっと、空になりたかったんだ。
呟くように言った俺の言葉に空が息を呑んだのがわかった。
「でも、駄目だった。俺が空になれるわけがなかったんだ」
「陸・・・・・・」
空は、一番近くて一番遠い人。それはきっと、この入れ替わりが終わっても変わらないと思う。
「兄貴、が俺になりたいとか思うのは、良くわかんねぇ・・・・・・俺だって、ずっと兄貴に憧れていたのに」
「空?」
「だって、だって・・・・・・俺は」
突然、空の眼からもぼろっと涙が落ちた。
へ?
「そ、空?どうしたんだ?」
空の泣き顔なんて見るの、何年ぶりだ?小学校の時に木登りしてて落ちた時以来じゃないか?
よしよしとその頭を撫でていると、空は自分の眼をこすり、俺を見上げてくる。
「俺は、兄貴でいる兄貴が好きだ」
俺になろうなんて思わなくていい。
そう息を詰まらせながら言う弟に、俺は数日間感じていた彼に対する嫉妬心が吹っ飛んでいくのを感じていた。
何で、空に嫉妬なんてしてた、かなぁ・・・・・・自分が恥ずかしくなる。
「・・・・・・俺も、空でいる空が好きだよ」
「本当?」
「うん」
久々に笑った俺の顔を見て、空は安堵したように笑い返してくれた。

やっぱり、お互いいるべき世界にいてこそ、自分でいられるってことなのかな。

俺は、陸で、空じゃない。
芸能人じゃなくて、俺はただの一般学生。
空は俺に出来無い事が出来るけど、俺だって空に出来無い事が出来るはず。



でも、本当は、ちょっとだけズルしようかとも考えてた。



「お疲れー」
一日の撮りが終わって、八雲くんも星夜くんも楽屋から出て行く。
高原さんには今日で終わらせるということを朝に伝えておいたから、彼が楽屋から出て行くときに俺にちょっと意味ありげに笑いながら「お疲れ様」と言ってくれた。そんな彼には今まで有難うございましたという意味で頭を下げる。
そして
「夕日、ちょっといいかな」
「ん?」
荷物をまとめていた彼に声をかけると「何?」といつものように優しく返事をしてくれる。
「ソラ、今日はちょっと調子良かったな」
良かった、と言ってくれる優しい彼に胸が高鳴るけど、そんな事もう気にかけてちゃいけない。
「この間の、告白のことなんだけど」
そう切り出すと彼は荷物をまとめる手を止めて、聞く態度になってくれた。
「ああ」
続きを促すようなその頷きに、俺は視線を床に落とした。顔を見てなんて言えるわけが無い。
「俺、は、夕日のことは好きだけど、そういう風には考えられない」
「・・・・・・ああ」
「これからも、良い仲間で、いて欲しい」
空ならきっと、こう言うだろう。
そうは思うけど、俺の胸はかなり痛い。でも今の俺は空なんだ。陸じゃない。
「そう言われると思ってたんだ」
夕日サンは明るく「気にするな」と言ってくれた。
ああ、何でそんなに良い人なんだろう。やっぱり、俺はこの人が好きだ。
「ずっと、考えてくれて有難うな」
彼は、そう言っていつもの笑顔を浮かべてくれた。
多分、俺は今にも泣きそうな顔をしていたんだろうと思う。そんな俺の頭を彼は宥めるようにぐしゃぐしゃと撫でてくれた。
これで、もう最後だと思うと・・・・・・。
「・・・・・・じゃあ、俺帰るから」
泣きそうになるのを堪えながら、俺はにへらっと締まりのない笑顔を夕日サンに向けた。
「気をつけて帰れよ」
「うん、夕日も」
やっぱり、まるで子ども扱いだよなぁ。
でもきっと、これで明日からはいつも通り。
冷たいドアノブを捻って、楽屋から一歩出て後ろを振り返ると、夕日サンがいつもの笑いで見送ってくれていた。
「じゃあな、また明日」
また、明日・・・・・・か。
その言葉が妙に感慨深くて、泣くかと思った。
明日、夕日サンに会うのは俺じゃなくて、本来のソラだ。
「・・・・・・うん、さようなら」

さようなら、夕日サン。

心の中でもう一度呟いて、俺は楽屋のドアを閉めた。

最後まで泣かずにいたのは、きっと俺がちゃんと空を演じていられたから。
家に帰るまでは、空でいれたらいい。家に帰ったら陸になって、思い切り泣いてしまえ。
東京の夜空は星一つ無くて、何となく淋しいものを感じたけれど。
本当は、ソラとして告白をOKして、そのままソラとして彼と付き合ってしまえ、と悪魔が何度か囁いた。でも、そんなことしたっていつか必ずボロが出るに決まっている。
それに、やっぱり俺は俺としてあの人の前に立ちたい。

いつか、俺の世界で俺に自信が持てるようになったその時に、俺としてあの人に好きだと伝えよう。

そう考えたら、泣いてる暇なんてなくなって、むしろその時が楽しみだと思える。

いつか、また、必ず、会いに来よう。
空じゃなくて、陸として。


こうして、俺たちの久々の悪戯は終わった。






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ひとまず、ここで区切ります。読んでくれて有り難う御座いました(><)
えー?って感じかも知れませんが、まぁまぁ。
こんな展開もありかな、って。私はこういうのが好き。
自分に自信を持ってくれた陸が好きです。

まぁ、多少展開速かったかな・・・とは思いますが。
これからガンバ!です。