「なー、紬ちゃん。まだ怒ってんの?」
 俺は俺の家のベッドに寝転がっている可愛い恋人の頭を撫でた。
 ふさふさしているこの毛並みが堪らない………なんて呑気なこと思っている場合じゃない。そう、ベッドに寝転がっているのは子犬だ。だけど、ペットを恋人呼ばわりするほど淋しい人間じゃない。この子犬が正真正銘の愛しい相手。
 つんとこちらを向かない紬ちゃんも可愛い。勿論、人間の時の方が可愛いけれど。
 彼は他人に言っても信じて貰えないとは思うが、狼人間という面白い一族だ。だから、たまにこうした犬の形になることがある。紬ちゃんは人間の時の形よりこっちの方が好きらしい。犬の姿になっている時は足取りが軽いような気がする。
 でも、こんなに長くこの姿でいたことはあまりなかった。
 いや、今までも何回かあった。こういう時は、いつも紬ちゃんを俺が怒らせた時だ。
 しかも実はちょっと心当たりがあったりするから、俺の立場の方が弱い。
 昨日、俺は一つ下の女子に告白された。それは自慢じゃないがいつもの事で、紬ちゃんもヤキモチを妬いたりしてくれない。 
 けれど、断ったら彼女は俺に飛びついて素早くキスをしていった。唖然としている俺に彼女は強気に笑い「これくらいいいでしょ」と言って去っていった。女は強い。
 そして、顔を上げると、校舎の窓から顔を出してこっちを観ていた紬ちゃんと目があった。
 あ。と思ってすぐに彼は窓の中に戻り、その後声を掛けても冷たい目で見られ続けたから、多分見られていたんだろう、と。
 そして、今日。
 紬ちゃんの家、というかお屋敷に行ったら赤いドレスに身を包んだ今日も美人な紬ちゃんのお母さんが迎えてくれた。
「更科くーん。トリックオアトリート!」
 外国で暮らしてたこともあるだろうに、思いっきり日本語発音で彼女は言った。そういえば、今日は10月31日。
 そんなことを忘れていた俺は勿論菓子なんて持ってるわけがなく。
「すいません、持ってませんけど」
 キラキラした目で覗き込まれ、そういえばこの人達こういうお祭り系好きなんだっけ。しかもハロウィンと言えば彼等の本領発揮時期だろうし。
 月の動きで彼等は体調が微妙に変わるらしく、今年一番地球に月が近付いたという満月の日の紬ちゃんは凄かった……性的な意味で凄かった。アレが一年に一回ってのが勿体ないな、とちょっと当時の事を思い出していると目の前でお母さんが微笑んだ。
「じゃあ、トリックね!」
 と、彼女は俺に毛玉を渡す。
 温かいそれには覚えがある。
「つ、紬ちゃん?」
 まだすよすよ寝息を立てている子犬は間違いなく彼だ。どうして子犬姿の彼を渡されたんだろう。
「ごめんね?実は今この子人間体になれないから」
 そして彼女は思いがけない事を口にした。
「………え?なんで?」
「ハロウィンだからかな?」
 彼女は可愛い顔で笑い、一言で終わらせた。そのもっと深い理由が知りたいのだけれど、その一言で納得するしかないのが彼等一族。
 日々何が起きるか分からない。そういうところが面白いけど。
 まさか、こんな微妙な日にこんなことになるなんて。
「私達はこれからハロウィンパーティなの。紬ちゃんよろしくね、恋人だしいいでしょ?」
 紅い唇を半月型に歪め、彼女はウィンクを飛ばした。
「良いですけど………」
 この紬ちゃんをどうすれば………俺の家に連れて行けばいいか。  
 ちょっと気を落とした俺に気付いたのか、彼女はちょっと紬ちゃんに似た顔で微笑んだ。
「更科君がキスしてあげたら人間になるかもよ」
 いつもの俺だったら簡単と思う一言だったけれど、今はちょっと困惑させられた。



 今日は朝から災難だった。
 
「とりっくおあとりーと!」
 そんな母さんの声に目が覚め、ほあ!?と声を上げたその口の中に何か飴のようなものを放り込まれた。
 レモン味の飴か。
「今日はハロウィンだからね」
 そんな母さんの声を遠くに聞きながら、俺は二度寝してしまった。
 そして、目を開けると何故か俺は更科の家のベッドで寝ていた。
「ワン!?」
 声を上げようとしても犬みたいな声しか出ない……ってことは俺犬型か?や、違う、狼型!狼型!!
 変だな、俺いつこの姿になったっけ……?無意識のうちになったのか?まぁいいや、戻ろう。
 ………。
 あれ?
 普段なら、なんというか、こう………ポンッと人間に戻るんだけどな?
 くぅーん?と鼻を鳴らしながら首を傾げていると、背後に視線を感じた。
「紬ちゃん可愛いな……」
 更科だ……!俺は更科に拐かされたのか。
 思わず毛を逆立てて威嚇をしてしまう。
「いや、俺お母さんから頼まれたんだ」
 俺の威嚇をヤツは笑い飛ばし、頭まで撫でてきやがった……くそ、何だこの敗北感。
 しかし、母さんから頼まれたって一体どういう事なんだ。
「なんか、紬ちゃんが犬から人型に戻れないから面倒見てやってくれって言われて」
 そして更科の言葉に俺はただ唖然とする。確かにさっきは人型になれなかったっけ……。
 ……んまぁ、昨日のこともあったし、犬型の方が良かったかも知れない……って犬じゃない、狼だ。
 そして更科、いつまでも頭撫でてんじゃねぇ。
 頭に乗っかっていた手を振りほどき、俺はベッドのはじっこに移動してそこにうずくまった。昨日の事がどうしても脳裏を過ぎる。
 更科が誰かに告白されるところはよく見るし、大して気にしていない……ってわけでもない。まぁ、多少気にしてはいるけど、多少だ、多少。
 でも、偶然昨日あいつの告白場面を見て、それがキスシーンだったりしたわけで。
 勿論、良い思いはしないから昨日はずっとアイツの顔を見れなかった。どういう顔をすればいいのか分からなかったってのもある。笑えってか。それとも怒れってか。……どっちも俺には出来ない。 
 アイツが悪いんじゃないってのは分かるし、でも何も無かったようには出来ない。
 大体、何が一番ムカツクって、この更科が、告白された程度じゃ俺が妬かないって思っている事だ。
 今日は、この姿で良かった。
 取り敢えず寝ようと目を閉じようとしたその時、どこからかチン!という音がして、更科が「お」と顔を上げた。そのまま彼はキッチンの方へと歩いていく。
 何だ、俺のことはどうでもいいのか。
 アイツがすぐに俺から離れていった事に少し衝撃を覚えつつも、ふて寝の目蓋を下ろした。
「紬ちゃん」
 だけどなかなか眠れないでいると更科が帰ってきた。ふわりと良い匂いを纏いながら。この甘い匂いは、菓子か?
 気付けば朝食も食っていない俺の腹は減っている。思わず顔を上げると更科がにへらっと笑った。
「クッキー、作ったんだけど」
 クッキー!?
 さささささ更科って料理出来たのか?てか、何でクッキー?
 驚いて思わず後退してガクガクと顎を揺らしていると更科も苦笑を浮かべる。
「初めてだけど……そんな喰えない程じゃないはずだ」
 硝子テーブルの上に皿に盛られたクッキーを置いて、一つ自分の口に放り込んで味を確かめてから俺の方に一つ差し出してくる。
「ほら、紬ちゃん。あーん」
 満面の笑顔だったのでつい口をパカッと開けてしまうと小さなクッキーがそこに放り込まれる。反射的に咀嚼してしまうが………ああ、何だ上手いじゃねぇか。
 腹が減っていたからか、食が進む。更科が差し出してくるそれを思わず貪っていた。
「ああ、そっか……朝食喰ってないんだもんな。何か他に作ろうか」
 クッキーが無くなった手の平もぺろぺろと舐める俺に、くすぐったげに目を細める。
「んじゃあ、俺なんか作ってくるかな」
 とうとう皿から直接食べ始めた俺の横からクッキーを一枚拾い上げて、更科は立ち上がろうとした。けど、俺はついその手を追ってしまう。動くものに反応したり、食い意地が張っているってのは動物の本能だ。この姿になると人間の時よりその欲求が増幅するらしい。
 つぅかそれ俺のだろ!
 と咄嗟に思って、更科が口に銜えたそれに噛みついた。その瞬間
「くぉ!」
「って、あれ?」
 はっと気付いたら俺は人型になっていた。いきなりの事で俺も正直驚いているけど、一番被害にあったのは人間がいきなり腹部に着地した更科だろう。
 口の中にあるクッキーを取り敢えず飲み込んで、更科の頭に手を伸ばした。
「ごめん……更科」
 腹を押さえて俯いている更科の頭を申し訳ない気分で恐る恐る撫でていたら
「いや、大丈夫……」
 その返事に安心した。けど、何で俺いきなり人間になったんだろう。思わず自分の手を眺めていた。
「俺も、よく分かんないんだけど……ごめん。まさかいきなり人に戻るなんて」
「それは、ちょっと俺も油断してたというか……取り敢えず紬ちゃんの所為じゃないから。というより」
 顔を上げた更科の顔は満面の笑顔で、さっきまで自分の腹を押さえていた手を俺の顎に伸ばしてきた。その動作の意味がよく解らず、ヤツの顔を見上げると
「紬ちゃんからキスして貰えたんだからむしろラッキー?」
 ………っておい。
 すっと唇を冷たい指先で撫でられ、顔に熱が集まった。
「ば、馬鹿かお前!第一、俺人間じゃなかったし!」
「犬でも紬ちゃんは紬ちゃん」
「ば、てめぇ!狼だっつーの!」
 抱きしめてきた更科はいつも通りで、その事にちょっとほっとしていた。昨日の事がやっぱり心のどこかに引っ掛かっていたからだ。
「……昨日は悪かったな」
 ち、と舌打ちして小さく呟いたら、多分聞こえたんだろう抱く腕の力が少し強くなった。
「俺もごめん。てか紬ちゃんが謝る事は無い」
 ……更科は俺を甘やかしすぎだろう。
 でも、それがもう居心地良くなってるからなぁ……。
 あ、そうだ。
「え?」
 お。俺の意志でようやく狼の姿になれた。
「……紬ちゃん?」
 突然獣の姿になった俺に更科は驚いたようだったけど、人間の姿に戻るとほっとしたような顔になる。
「いや、何でさっきは戻れなかったのかなーって思って」
「ああ……でも元に戻ったし良いんじゃない?」
「……まぁな」
 多分寝ぼけてたんじゃないか、俺も。
 そんな事を考えながら、寝癖がついていた頭を撫でていたら、不意に昨日のアレを思い出してしまった。
 急に俺の気配の温度が下がったのに気付いたのだろう、更科が怪訝な顔で俺を見る。だけどそれに構わず俺はもう一度獣の姿に戻り、更科の顔に飛びかかった。
「お!ちょ、何だよ、どうしたの?」
 うるっせぇ黙れ。
 俺にベッドに押し倒された形になった更科は笑いながら俺の頭を撫でて、そんなコイツの顔、特に口を中心に思いっきり舐めまくってやった。
 くすぐったいらしい更科はひたすら笑っていた。子犬の攻撃を10分くらいやって、俺も満足した。
「ざまぁみろ」
 人間体に戻って、ふん、と鼻を鳴らしてやると、更科もどうやら俺の意図に気付いたらしい。何だか凄く嬉しそうに笑い、今度はそっちからキスしてきた。
「ごめんな?」
 そう謝りながら。
「……次やったら噛み千切ってやる」
 冗談半分の言葉だったのに、更科は何だか妙に嬉しそうだった。何だお前マゾだったのか?
「紬ちゃん」
「何だよ」
「TRICK OR TREAT」
「は?」
 思わずテーブルの上にあったクッキー……もう無いけどを見て、ちょっと口元を引きつらせてしまう。
「……更科、なんだって?」
「だから、TRICK OR TREAT」
 何でお前の方が母さんより発音上手いんだよ。
 勿論、何も持っていないどころか服さえ身につけていない俺には、なすすべもなく。
 ああ、俺ずっと犬の姿でいれば良かった……!
 なんて思いつつも、嬉しそうな更科には苦笑するしかなく。
 その後、更科のサドっぷりを思い知らされる羽目になった。
   


Happy Halloween!







久々ですね。ラブラブっぷりが恥ずかしい。