「こっち、智也の部屋な」
 次の日家に戻ってきた智也は自分の部屋に入ってもどこか不安げな顔で、その横顔に胸の奥が痛む。
 ベッドにパソコン、本棚に机。智也の匂いのするこの部屋に入ったのは俺も久々だった。
「疲れただろ。飯用意するから、少し休んでろよ」
「あ、待っ・・・・・・」
 部屋から出ようとした俺の腕を、智也が慌てて掴んだ。
「智也?」
「・・・・・・裕真の部屋も、見たい」
 え?
 真剣な顔をする智也に、俺は少し驚いた。
「何で?見たところで別に面白くないと思うけど」
「恋人なんだろ?何か、思い出すかも知れないし」
 笑う智也に罪悪感を覚えつつ、俺は久々に彼を俺の部屋に入れた。二人で住むようになって始めの方は、毎晩お互いの部屋で遊んでいたりしたけれど、今はそんなことは全然無い。
 俺の部屋も、余計なものはあまり置いていない。ベッドにパソコン、本棚に机。
 部屋に入った智也は、くるりと一望して、ベッドに視線を止めた。
「裕真って、こういうの好きなのか?」
 智也がおもむろに持ち上げたそれは、大きな猫キャラクターのぬいぐるみ。
「智也がゲーセンで取ったヤツだよ」
 夜中に帰ってきた智也が小脇に抱えてきたのがこのぬいぐるみだ。
 酔っぱらってたから、智也は覚えてないだろうけど、何となく捨てるのも何だからとベッドの上に放っておいた。
 それをどう捉えたのか、智也は手の中の猫と俺を見比べ、くすぐったそうに笑った。
「何か、裕真の部屋の方が落ち着くな、俺」
「へ・・・・・・」
 もうずっと俺の部屋に入っていなかった智也の言葉に思わず声を上げていた。
 なんか。
 やばい。
 泣きそう。
「俺、飯作ってるから」
「あ。俺も手伝う」
「良いよ。智也料理下手だから」
「え。マジで?」
「マジでマジで。だから休んでろよ」 
 くすくす笑いながら部屋の外に出て、深くため息を吐く。
 今までずっと抑えていた感情が表に出始めたのか、智也の近くにいると動悸が激しくて仕方ない。今までここまで動揺したこと無かった。
 智也を好きでいて良い状況なんて、初めてで。
 どうしよう、どうすればいいのかわかんねぇ・・・。
 涙でにじんだ目を擦り、冷たい手の平で熱い顔を覆った。
「智也・・・・・・ずっと好きだったんだ」
 この感情を口に出したのは、この時が初めてだった。
 分かってる。この感情があるからって許されるわけじゃない事を今俺はやっている。
 それでも、胸が苦しいこの時は、俺がずっと欲しかった時間だった。

「あ。美味い」
「あったり前。俺が作ったんだからな」
 智也が俺達の家に帰ってきて初めにやったのは、取り敢えず飯だった。
 久々に智也に食べさせる、ということで張り切ってコイツの好きなものばかり並べてやる。
 そればっかり練習していたからか、すっかり智也の好きなメニューが俺の得意料理となっていて、母親にも驚かれたくらいだ。
「裕真は料理上手なんだな。凄く美味いよ」
「自信あんのはコレだけだって。・・・・・・お前の好きなもんだったし」
 小声で言ったけれど、智也もそれを聞いていたらしい。驚いて、俺と料理を見比べる。そして、額を押さえて苦笑した。
「・・・・・・んか、お前可愛いな」
 へ? 
 可愛い、と言われて、顔に熱が散る。
「な・・・可愛いとか言うな!早く喰え、ばか!」
 怒鳴ると彼はくすくす笑いながら箸を進める。俺は、心臓がいっぱいいっぱいで食事どころじゃない。
 可愛い、なんて。
 智也に、初めて言われた。
 昔から可愛いとかそういうのは女子には言われ慣れてたけど、智也に言われるのは初めてだ。
 中学ぐらいの時に、俺が年上の先輩に告られたことがあって、断ったけどその後に何となく智也に「俺って可愛い?」と聞いたら何故か頭を叩かれた。
 うぬぼれるな、って意味だったのか、それとも男が可愛いとか聞くな、という意味だったのか。今となっては分からないけど。
「そいや、そのカレンダーの赤丸何?」
 智也は俺の後ろにあるカレンダーを指差して、首を傾げた。俺は振り返り、背中に冷たいものがつたうのが分かる。
 今日から5日後に付けられたその印は、智也が書いた。彼女が、帰ってくる日だ。
 智也が家に帰ってくるから、と彼女関連のものは全部隠したつもりだったのに。
「俺の、誕生・・・日」
 とっさについたのは大嘘だった。
 俺の誕生日はもう半年も前に終わってる。嘘は嘘を呼ぶって言うのは本当だ。一つの嘘を隠す為に、俺は沢山の嘘をついていかないといけない。
 彼女が帰ってくるまで、後5日。
 後5日で、俺と智也の関係は終わってしまう。
 でも、後5日くらいは。
「マジで!?うわ、俺最悪のタイミングで記憶無くしたんだなぁ・・・・・・ほんと、ごめんな?」
 智也は素直に俺の言うことを信じて、また謝ってくる。
「智也は何も悪くないって」
 悪いのは、俺だ。
 智也が謝るたびに募るのは自己嫌悪。
 俺に謝る必要なんて、どこにもないのに。
 謝るのは、俺の方なのに。
「なぁ、智也。お前もう謝るの禁止な。お前、俺のこと庇ってくれたんだよ。俺はお前にむしろ感謝してる・・・てか、むしろ俺の所為だろ」
 謝るのは俺の方だ。
 智也には悪いことしか、していない。
「何言ってんだよ。好きな相手を庇うのは当然だろ」
 何の疑いも持たず、俺の言葉を信じた上での智也の言葉が嬉しくて哀しい。
「・・・・・・智也の傷、大したこと無くて良かった」
 これは本当の気持ち。
 目の前にあった智也の顔が急に真剣なものになり、彼は箸を置いた。どうしたんだ、不味かったのか。そう不安になった時、智也の顔がすっと近寄る。
「俺、早くお前のこと思い出すようにするから」
 強い決意の台詞に、俺は思わず目を見開いていた。
 俺の事、だって。
 彼女じゃなくて、俺の事。
「うん・・・・・・」
 でも、俺は智也の記憶が戻らなければいいと、この時強く願っていた。
 最悪なのは自分でも分かっている。でも、それでも、出来るだけ長くコイツの一番近くにいたい。

 そう願うことは、贅沢なことなのだろうか。 



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