唐突な欲求とその解消法



 うーん。



 うーん。



 うーん・・・・・・。



 さっきから奇妙な感覚が収まらず、要はひたすら悩んでいた。

 何故こんな感覚に襲われているのか、きっかけの見当はついている。今朝見た夢が原因なのだろう。


 今朝見た夢は懐かしい小さい頃の夢。

 しかも、久我が家に遊びに来た時の夢だ。父親ではない男性の登場に、当時は兄貴が出来たと喜んだものだ。

 実は、要はずっと兄が欲しかった。その当時は特に。両親共に仕事が忙しく、家で一人でいるのが心細かったのだ。だからずっと兄弟、特に兄が欲しかった。

 当時読んだ童話を信じて、お月様に「お兄ちゃんが欲しいです」と毎日お祈りしていた。

 今から考えれば、色んな意味で有り得ないのだが、いかんせん当時は男も嫁になれると信じていたお子様。科学なんて主張が通るわけが無い。

 そんな時、久我が訪問。本当にお兄ちゃんが来た!と喜んだものだった。

 久我がフランスに帰るまでずっと彼に引っ付きまわっていた。

 そんな夢を見て、普通に朝を過ごして、学校が休みだからリビングでぼんやりテレビを見ていたのだが。



 急激に、その奇妙な欲求に襲われたのだ。



 何なんだ?何なんだ!!


 ソファの上で身を縮めてどうにかそれがおさまらないかと頑張ってみるが、無理だった。

 その欲求の対象者である久我は、会社が休みなのでまだ夢の中。



 うーん・・・・・・。



 平常心を保とうとしても、その欲求はなかなか収まってくれない。


 何でだろう。


「あー、今日もムカつく程良い天気だなぁ」

 色々動揺しているときに、起床した久我がリビングにやってきた。あまりにも突然なご登場に要は心臓が跳ね上がるのを感じる。

「あ?居たのか、要」

 欠伸をしながら彼がこっちを振り返ってくる。

 こっちを見るな、馬鹿―!!

「・・・・・・何か、お前顔紅くないか?風邪?」

「っだーっ!近寄るな!」

 思わずクッションを投げ付けてしまい、しまったと思っても後の祭り。

「あ・・・・・・お、俺、部屋で勉強してるから!」

 怒られる前に逃げてしまえ。

 姑息な手段だったけれど、致し方ない。

「あ、あぶねぇー・・・・・・」

 自室に逃げ込んでほっと安堵のため息をつく。

 あれ以上彼と一緒にいたら、自分がどんな行動に出ていたかわからない。

 ベッドに寝転がって枕を抱き締めてみるが、どうもこの衝動はおさまりそうもなく。

 うーん・・・・・・。

「どーしよう・・・・・・」

 えーい、寝てしまったらこのワケの解からない欲求も収まるかもしれん。



 けれど要はすっかり忘れていた。



 こんな衝動に陥った切っ掛けが、眠りだということを。





 ぱか、と目を開けて紫色になった部屋を眺めた。

 夕方、いわゆる黄昏時という時間だ。結構長い時間寝てしまっていたらしい。

 折角の休みなのに、寝て終わりにしてしまった。

 軽い後悔を抱きつつ、重い体を持ち上げる。

「んー・・・・・・」

 さて、欲求を沈めるという目的は果たされただろうか。

 ちょっと色々考えてみたが、寝る前よりは大分平気。

「よしっ」

 気合入れに手を叩いて部屋から出た。昼を抜いたお腹は空腹を訴えている。

 さて、何を食べようかとリビングに来て思わず足を止めてしまう。

 ソファで、久我が寝ていた。

 硝子テーブルに書類がばら撒かれている辺り、仕事をしていたのだろう。それで疲れて仮眠、というあたりか・・・・・・。

 眼鏡をつけたまま寝転んでいるその顔には不覚にもどきりとしてしまう。

「久我・・・・・・さん?」

 あ。まただ。

 あの不可解な衝動が込み上げてきて、自然と体が彼の正面へ移動する。

 ダメだ、と思うのに。

 いや、ダメだ、と思うからこそかもしれない。

 手が、勝手に彼に向かって伸びていく。

「要?」


 げぇ。


 はっと気がつくと寝ていたはずの彼が目を開けてこっちをじーっと見ていた。

「く、久我さ・・・・・・寝ていたんじゃ!」

「今起きた」

 むくっと体を起こして、彼は眠い目をゴシゴシ擦っていた。

「で、俺が寝てたら何をしたんだ?」

「え・・・・・・」

 彼に伸ばそうとしていた手が驚きで途中で止まったままだ。

 バレバレすぎて、どう誤魔化せばいいのかわからない。

「い、いや、その・・・・・・っ」

 顔を紅くしてその腕を引っ込める要を久我は面白そうに見ていた。

「俺・・・・・・」

 嘘を言っても、彼の黒い目にはあっさり見破られてしまう気がする。


 もう、駄目か。


「俺、その・・・・・・く、久我さんに」


 おぉ?


 いつもは勝気な要の顔が不安げになっているのに久我も不覚にも動揺してしまった。

 まさか、と思ってしまっても仕方ないだろう。

 紅い顔で、言いにくそうに、しかもかなり緊張しているようなのだ。それで期待しないわけがない。


「か・・・・・・要?」



「・・・・・・俺、久我さんに抱きつきたいんだよな」



 けれど、オチは意外な台詞だった。

「いや、今日昔の夢見てさぁ、あの頃俺、よく久我さんに引っ付いてたじゃん?なーんか急に久我さんに抱きつきたくなって」

「・・・・・・抱き締められたいとか抱かれたいとかじゃなくて、抱きつきたいなのか?」

 久我の問いにコクコク頷いて要は期待の目を彼に向けた。

「おもちゃ屋のぬいぐるみとか、でっかいの見ると妙に抱きつきたくなるんだよなぁ」

「・・・・・・お前はガキか!」

 そして自分はぬいぐるみか。

 思っていたよりずっと精神年齢が低い要にはがっくりと肩を落とすしかない。

「で?で?で?」

 久我が変な方向の期待を持っていたことを知らない要は期待の眼差しで彼を見上げる。

 本当に、気分屋の猫そのまんま、だ。冷たい態度をとったかと思えば、懐いてくる。こっちは振りまわっされぱなしで。

「駄目だ」

 OKをもしかしたら貰えるかも!と期待した要はその瞬間に不満げな表情になる。

「折角恥を忍んで言ったのに。いいだろ、減るもんじゃないし」

「減る」

「何がだよ」


 俺の理性が。


 何て言っても、お子様の彼が理解してくれるわけが無い。


「俺の抱擁は高いんだ。一回五万払うんなら考えなくもないぞ」

「金持ちのクセに、学生から金取る気か!」

「じゃあ、学生割引で49800円」

「それだけ!?学生割引それだけ!?」

「火曜はレディースデーで半額です」

「俺レディースじゃねぇし!」



 確かに、男に抱きつかれても嬉しくないだろう、女を家に連れ込んでいた彼としては。

 それにしても、そこまで拒否しなくてもいいじゃないか。

 父は、こっちが何も言わなくても自分が辛い時に頭を撫でてくれたり、抱き締めてくれた。


 ・・・・・・あぁ、そうだ。


 急に訪れた閃きがすぐにそれを口に出させた。



「じゃあ、息子割引してくれよ、義父さん」



 今の自分の親権者は久我だ。確か、養子縁組がどうの、という話もしていたはず。

 それならば、父と呼んでも間違いではない・・・・・・まぁ、叔父という名称の方が正しいけれど。


 ちょっとした、冗談にも近い台詞だった。


 のに。


 ガタン。


 ギッと布が引きつれる音がして、肩に重い痛みを感じる。

「え」

 ガタン、という音はソファが動いた音、らしい。きっと床に傷がついている。

「何だよ・・・・・・」

 さっきまで彼が寝ていた場所に、自分が転がされていた。肩に圧し掛かる痛みは、彼が自分をソファに押し付けている手の所為だ。

 そんな彼は、自分の上に乗っかっている。男女でこの体制を言うのであれば、いわゆる押し倒されているというヤツだ。

 上にある眼鏡の奥の彼の目が、少し細くなった。

「俺がお前の“保護者”でいるのは、お前が高校を出るまでだ」

 ・・・・・・え。

 それは、高校を出た後は他人だという事だろうか。

「な、それくらい俺だって」

 解かっていた、と言ってやりたかったが、本当のところ、解かっていなかった。

 そんなはっきりとした終点を言われたのは、これが初めてだったから。

「解かっていたわけが無い。お前は、ガキだからな」

 台詞の続きを言えない要の様子を久我は鼻で笑う。

「この歳で、父親になんか・・・・・・なって堪るか」

 それは、迷惑だという空気をまとう台詞で。

 そりゃそうだ。彼くらい若くてそれでいて独り身で、しかも仕事が忙しい。そんな人間が突然手のかかる未成年の面倒を見ろと言われたら、迷惑だと思うだろう。

「俺は、お前の父親代わりになんてなる気はないからな」

 解かってはいるが、心にグサグサ刺さるものがある。

「つか、何そんなに怒ってんだよ、久我さん・・・・・・」

 怒っている彼を見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 でも、その理由が解からない。

 抱きつきたい、と言った事か、それとも父さん、と呼んだことなのか。

「・・・・・・二度と、義父さんなんて呼ぶな」

 低いけれど厳しい声に、後者だと知る。

 ・・・・・・そんなに嫌なのか。

 普通、感動するトコじゃねぇの?

 ドラマ等で孤児になった子供が、引き取ってくれた相手と紆余曲折あって、子供が相手を「父さん」と呼ぶシーンは最も感動を呼ぶところだ。因みに、すでにお約束にも近い。

 それが多分一般的で、でもその一般的感動シーンで拒絶されたということは。


 もしかして、嫌われているのだろうか。


 嫌われる要素が沢山あるだけに否定できない。

「ごめ、んなさい・・・・・・」

 茫然と謝罪を口にすると彼の手が自分から離れていく。

「それと、俺に抱きつくなら、それ相当の覚悟もしろ」

 追い討ちだった。

 覚悟、というのは保護者であることも考えるということか?

 随分と嫌われたものだ。

「・・・・・・で」

「あ?」

「何でだよ、何で駄目なんだ!昔は、昔は、俺よくひーちゃんに引っ付いてただろ!」

「昔は昔。今は今」

「そりゃ、そうだけど」

 無茶苦茶なことを言っているのは自分でも解かっている。自分は男で彼も男。小さい頃なら微笑ましいで済まされるが、この歳で抱き合っていたら確かにおかしい。


 でも。


「くっそー!どうせ嫌われるんならとことん嫌われてやる!」

 普段はクールだといわれる要には、意地とチャレンジ精神が人一倍あった。それは弁護士である両親譲りなのかもしれない。

 そこは、久我も見落としていたところで。

「な、要・・・っ!ぐはっ!」

 ついでに、要も成長しているということも見落としていた。小さい頃なら受け止められた彼の飛びつきも、今は何の心構えなしだと体が揺らいでしまう。

 お陰で無様に要ごと床に倒れてしまった。

「あ・・・・・・く、久我さん大丈夫?」

 そこまでするつもりは無かった要は彼から少し離れて、壁に背を預ける彼の顔を覗きこむ。

「要・・・・・・相当の覚悟をしろ、って言ったはずだが?」

「・・・・・・一応、倒れる覚悟はしたけど」

 久我の手が動いたのを見て怒られるのを覚悟した。勿論殴られるのを。

 思い切り飛びついたから、抱きついた感触等々なんてまったく感じなかったから、結構割に合わない展開なのだけれど。

 けれど彼の手は自分の顎を捉え、引き寄せられて、そのまま。


 そのまま、何だ。


 自分の置かれている状況がイマイチ理解出来ず茫然と目を見開いていた。

 えーと?

 こんなに人の顔を至近距離で見たのは初めてで。そりゃそうだ、キスなんて自分の記憶ではこれが、初めてなんだから。


 って、キスって、オイ。


「ちょ、な、何すんだよ!」

「何って、キス?そんなことも解かんないのかなぁ?おこちゃまは」

「そ、それくらいは解かる!でも、何で・・・・・・?」

 ドキドキする。

 こっちがかなり動揺しているというのに、久我は涼しい顔だ。

「だって、お前ファーストキスだろ?」

「そうだけど・・・・・・」


「ファーストキスがパパっていうのは基本だ、基本」



 ・・・・・・はぁ!?



 それはそうかもしれないが、それは子供が赤ん坊の頃の父親の暴挙で、今要の歳は17。

 顔を紅くして口をぱくぱくさせている要を久我は鼻で笑った。


「何だ、こんな舌も入れないガキのキスで紅くなってんじゃねぇよ、ガキ」


 何ですとー!!


「久我さんの馬鹿!二度と抱きつくもんか!」

「はいはい、懸命なご判断デス」

「久我さんのバーカバーカ!セクハラで訴えてぜってぇ勝ってやる!!」

 我ながら語彙が少ない気がしたが、パニックの頭ではそれしか浮かばなかった。

 怒りにまかせてリビングから飛び出して自室に戻った瞬間、どっと体から力が抜ける。

「な、何だ・・・・・・?」

 顔がだんだん熱くなっていくのが解かる。しかも何故かさっき触れた唇が一番熱い気がした。

 怒りで熱いのか、と思ったがそれとも違うような。

 んん?

 ・・・・・・何か、変だ。


 息苦しい。

 

 要が出て行ったのを見送って、久我も脱力感に襲われていた。

 やっちまった感がどうも拭えない。

「ったく・・・・・・」

 何となく自分の口元に手をやっていたことに気がついて、ため息をついた。

「俺も、ガキかもなぁ・・・・・・」


 ガキのキス、と言っていた自分が緊張していてどうする。


 唐突にしてやろう、と思い立ち、実行した。お陰で今自分は平静を保っていられない。

 動揺している心を静めようと煙草を咥えて火をつけた。

 いつもより甘い気がするのは、彼とキスした後の口だからか。

 煙さえ吐き出すのが惜しい。
 
 そんなことを考えていたら無意識のうちに吐き出すのを忘れていたらしく、思い切り咳き込んでしまった。

「・・・・・・何やってんの?日月」

 げへげへ咽ているところに書類を取りに来た彗日が顔を出した。


「見なかったことにしておけ!!」



 唐突な欲求を解消する場合は、それなりの覚悟が必要、ということか。






終わり。



ちょっとはラブ?ラブ??
題名に軽く異議ありな感じで。


唐突に書きたくなった(笑)一品。多分彼等の昔の話を書いていたから・・・。
自分も何だか唐突に人に抱きつきたくなる時があるんで・・・。