後日談としては。

「えー、僕が誠一郎なんかに恋するわけ無いじゃん。何変なこと言ってんの、蒼生」
と、兄さんはあっさりと否定した。
しかも物凄く嫌そうな顔で。その顔は全く可愛くなかった。
昨日あんな姿を見てしまったからもう兄さんを可愛いと思うことは多分無いだろうけど。
今日の朝も、俺と誠一郎さんと兄さん、という顔ぶれだった。
「・・・・・・深継は?」
今日も一番遅い彼の起床に誠一郎さんは眉を顰め、兄さんは小首を傾げた。
「昨日頑張ってもらったからもう少し寝かせてあげて?」

・・・・・・初日と同じ台詞だけど、今じゃその解釈が違う。

もしかして、初日のこの台詞もそういう意味だったのかと考えると・・・・・・。
頭痛を感じて眉間に手を添えた時、携帯が鳴った。じーちゃんだった。
『蒼生、今日という今日は』
久々にじーちゃんの電話に対応したからか、じーちゃんの声は心なしか荒っぽい。
でも、俺はどうしてもじーちゃんに聞きたいことがあった。だから、ガミガミ言ってくるのをいつもは聞き流すだけだけれど、どこか会話が途切れるところが無いかと様子を伺っていた。でも、じーちゃんの肺活量は大したもので息が切れることなく延々と話し続けてくれる。
・・・・・・仕方ない。
俺はため息を吐きながら聞くだけ聞いてみた。
「な、じーちゃん・・・・・・久慈の総帥に昔ヤられたって本当?」
次の瞬間、電話は切れた。
・・・・・・じぃちゃんもさぁ、もうちょっと誤魔化すとかそういう事しないのかな。これじゃ肯定しちゃってることになるのに。
「何、切れたの?」
兄さんの問いに頷くと彼は何てこと無いように「気にしなくても大丈夫だよ」と言った。
「だって、俺も5年くらい前に同じ事聞いて、確か1年くらい音沙汰無くなったし」
何かじーちゃんが凄く哀れに思えてきた。今年の年末の内輪のパーティには顔を出そうかな・・・・・・お詫び代わりに。
「あ、あの・・・・・・おはようございます」
その時、申し訳無さそうな遠慮がちなあいさつが聞こえてきた。深継が起きてきた。
振り返ったそこには、腰を押さえて少し表情を歪めた彼がいる。
うわ、何だか生々しい。
「深継君大丈夫?」
さっそく兄さんが彼に駆け寄り、病人を誘導するように彼をソファまで連れてくる。何とも甲斐甲斐しい様子だ・・・・・・何で俺気付かなかったんだろう、と思うくらいには。
「手の傷大丈夫?ごめんね、昨日は」
「・・・・・・別に気にしてはいない、です。それより覚えてますよね」
「んー、覚えてるけど・・・・・・ねぇ、蒼生は良いの?」
「へ、何!?」
てっきりカップルの甘い会話が続くのかと思っていた俺は突然話を振られて変な声を上げてしまった。
そんな俺に兄さんはちょっと不満げな表情になる。
「深継君ったら、手の傷の犯人に制裁しなくて良いって言うんだよ?蒼生は階段から落とされたでしょ?そいつらに報復とかしたくない?」
何だかとっても物騒な話になっている。
俺としては、誠一郎さんに助けてもらって傷も何も負って無いからすっかり忘れていたことだったんだけれど。
「報復とか制裁とか・・・・・・具体的には何を?」
恐る恐る聞いてみると、兄さんは視線を宙にやり、しばらく思案してから
「そうだね、取り合えず僕が出来る範囲での事だったら何でもするよ。相手の会社を倒産させるとか、裏で何やってるのか告発するとか」
可愛らしい笑顔で、レベルが違う話を始めたよ、この人。初めて兄さんを怖いと思った瞬間だ。
「お、俺は別に・・・・・・あ、そうだ、誠一郎さんがあの時助けてくれたから、どっか怪我してたら」
わたわたと慌てながら誠一郎さんに眼をやると、彼は口角を上げて
「俺が報復するとしたら、別に全に頼むまでも無い。自分でしている」
ですよね。
日本で5本の指に入る大企業の社長がウチに二人もいるという事は、こういうことなのか。
怖い怖い、下手な事をして怒らせたら生命の危機だ。
自分のおかれている状況にちょっとぞっとした。いや、片方は兄弟だけど。
「あ、ねぇねぇ、蒼生!」
俺、何でこの人と兄弟なんだろう、と改めて思っていたらかなり明るい声で呼びかけられる。
「はいはい、何兄さん」
「僕も来年から電車通勤しようかと思って!」
「は・・・・・・はぁ?」
驚いたのは俺だけじゃない。兄さんの腕におさまっていた深継もだ。
「全さん!?」
「だって、また狙われたら危ないじゃない?僕の深継君と蒼生が心配で」
純粋な心配をされてるのか。
と、思ったら
「それに、僕ちょっと憧れてたんだよね、電車通学とか」
あの満員電車のどこに憧れを感じるのかはさっぱりだけど、兄さんは眼を輝かせている。
「おい、全・・・・・・止めとけ、お前じゃ堪えられない」
誠一郎さんはため息をついて兄さんの暴走をとめようとしてくれていた。でも、挫折を知らない兄さんはすでにその気だ。
「大丈夫だって!深継君、俺が痴漢から守ってあげるからね!」
「い、いや・・・・・・むしろ全さんが標的になると思うんですが」
「その時はアレだよ、生きて帰れると思うなってヤツで」
ヤバイ、年が明けたら通学電車で死人が出る。
兄さんの晴れ晴れとした笑顔に俺は血の気が引く思いだった。おかしいな、この二日間で今まで培われていた兄さんのイメージがガラガラと崩れて行く。
「それに、ちょっと痴漢プレイとかもしてみたいってぇ!」
ばしん、と大きな音を立てて誠一郎さんが兄さんの後頭部を丸めた新聞紙で叩いていた。ゴキブリ退治のようだな。
「何だよ、誠一郎!」
叩かれた箇所を押さえながら兄さんは彼を振り返り、鋭い眼で睨んでいた。でも誠一郎さんもそれに負けずに丸めた新聞紙を皺が出来るほどに握り締めている。
「安心しろ、深継に手を出す前に俺が通報してやる」
「はぁ?通報される覚えは無いね。僕と深継君は恋人同士だもんな」
「だからって、TPOはわきまえろ。それに、こんな会話もここでするな。蒼生の教育に悪い」
・・・・・・俺のお兄ちゃんってどっちだったっけなぁ。
ちょっと遠い眼をしたくなる瞬間だった。
「じゃあ聞くが、全。もし俺が蒼生と寝ている姿を見たらどうする?」
へ!?
何とも心臓に悪い問いを誠一郎さんは兄さんにぶつけていた。何だ、物凄く心臓が早くなったぞ。
「そんなの、お前・・・・・・多分倒産だけじゃ済まないぞ?」
あの久慈グループを倒産に追い込める自信があるのか、ウチの兄は。
兄さんの返事に誠一郎さんはふっと笑い、持っていた新聞をぐしゃりと握りつぶした。
「つまりは、今俺はそういう心境だってことだ」
・・・・・・そういえば、昨日俺と一緒に誠一郎さんも見ちゃったんだっけ、あの場面。思い出すだけで俺は恥ずかしいが、誠一郎さん的には思い出すだけで怒りが込み上げるらしい。そりゃあ、そうだよな、弟が男に押し倒されている図なんて、身内から見たら卒倒ものだ。
「兄貴」
一触即発という言葉が相応しい空気になったとき、縋るように深継が誠一郎さんを呼んで場の空気が元に戻る。
仕方ない、といった風な誠一郎さんと、自分が庇ってもらったと何となく察した兄さんは深継を強く抱き締めていた。このバカップルは確かに眼に余る。
本当に、これが俺が今まで見てきた兄さんなのか・・・・・・?
何だか泣きたい気分になったけど、堪えろ俺、忍耐は美徳だ。
ぐ、っと拳を握って何かを堪えていたら、目の前に綺麗にラッピングされた箱が置かれる。形容するならアレだ、クリスマスの絵本とかでツリーの下に何個も置かれているプレゼント。正方形で赤いリボンが巻かれた、こんなプレゼントらしいプレゼント俺、初めて見た。
「俺から、な。色々と迷惑かけた侘びだ」
プレゼントに釘付けになっている俺の上から降って来た声は、誠一郎さんのものだった。
「え、でも俺ケーキ作れてない・・・・・・」
あれから結局、色々な衝撃とショックに耐え切れなかった俺は料理も何も手に付かず、誠一郎さんと二人で適当な場所で夕食を済ませた。適当と言っても、予約が無いと駄目なんじゃないかと思われる夜景が綺麗に見えるレストランの個室だったけど・・・・・・。
「それはまた今度、期待している」
戸惑っていたらぽんぽん、と軽く頭を撫でられた。
・・・・・・何か地味に嬉しいな。
「開けてもいいですか?」
何歳になっても、中身の解からないプレゼントというのは楽しいもので。
誠一郎さんは眼だけで頷いて、俺は早速包装を解いた。
真新しい紙の匂いの中に現れたものは、白い箱で、その蓋を開けると更に白い紙が溢れてきた。何だか物凄い頑丈なガードに何が入っているのかちょっと冷や冷やしたけど。
「あ、マグカップ?」
中から出てきたのは、焼き方が特殊なのか、青と白の釉薬?っていうのかな、それが不思議な感じに混ざり合い、雲がチラホラある空みたいなマグカップだった。
これなら、そんなに値段が張ったものでもないだろうな、とちょっとほっとした。
「有難うございます!じゃあ、さっそく紅茶でも飲もうかなー」
まぁ、ティーパックだけど。
お湯を沸かそうと、カップをサイドテーブルに置いて、キッチンに立ったらそれを見つけた兄さんがカップを取ってしげしげとそれを眺めているのがカウンター越しに見えた。
そして彼はマグカップの底を確認し
「あ。やっぱ、コレ、アルベルト・ターナーの作品じゃん。どこで見つけてきたの?」
「ターナーと知り合いで、この間偶然会った時に、弟くらいの歳の子にプレゼントをやろうと思うんだが何をやればいいのか解からんと言ったら、ターナーに作ってやろうか?と言われて作ってもらった」
「えー、いいなぁー。じゃあコレこの世に一つしかないカップだね」
・・・・・・何だか物凄く不穏な会話が聞こえてくる。
深く突っ込みたくは無い俺の意に反して、深継が自分の疑問を正直に口にしてくれた。
「ターナーって誰?」
「今人気のアメリカの陶芸家だよ。日本に一時期来てた時もあって、カップ一つで数百万」
「数百万!?」
兄さんの説明に俺は思わずヤカンをガス台の上に取り落としていた。
あのカップが数百万!?そんなに値段の張ったもんじゃないと思ってしまった俺の眼は節穴過ぎた。
「か、飾らないと!実用不可じゃないか!!」
そうだ、紅茶なんて飲んでいる場合じゃない、玄関辺りに飾るべき一品だ。
「いや、実用出来る形にしてくれと頼んでおいたから別に普通に使ってもいいんだぞ?」
本来のターナー氏の作品は何とも芸術的としか言いようが無い作品が多いのだが、普通のカップを作って欲しいと頼んだら依頼をしっかりとこなしてくれたようだ。
誠一郎さんはそういうけど、それっていわゆる、彼にしては珍しい作品だからその分希少価値も高くて値段も高い、というヤツなんじゃないだろうか。なんかの鑑定の番組で鑑定士がそう言っているのを見たことがある。ヤバイ、このカップ見せたら絶対「いい仕事してますねー」って言われる!
「じ、実用にしたって、そんなティーパックの紅茶なんて入れるような代物じゃないでしょう!」
「ん?ティーパック用に蓋まで作ってもらったが?」
そう言って誠一郎さんは紙がまだ沢山入っている箱の中から、カップと同じ色の陶器の蓋を取り出した。確かに、それはティーパックで飲むときの蒸らしに使う蓋だ。マジかよ。
せ、世界一高いティーパック専用マグカップ・・・・・・。
「ねぇ、ティーパックって?」
眩暈がした時に兄さんが不思議そうに首を傾げ、俺は値段に吹っ飛びそうになっていた意識を自分のところに戻した。
「何でもないよ兄さん!今兄さん達の紅茶も淹れるから!」
そうか、この人まだ俺が正攻法で紅茶淹れてると思ってんだっけ!!
「ふーん、ところで誠一郎、僕には無いの?クリスマスプレゼント」
こういうあっさりとしたところが兄さんの良いところだ。
でも絡まれた誠一郎さんは心底迷惑げで。
「無い」
「そっかぁ、そうだよね・・・・・・僕、もう深継君貰っちゃったもんなぁ、これ以上のプレゼントは無いから、いいよ」
「待て、何でそうなる」
「いいからいいから、あー、僕って幸せ者だなぁ、可愛い恋人に可愛い弟と一緒に暮らせて。まぁオマケが目に付くけどね」
「言ってろ。万年春男が。頭の中花が咲きすぎてイカれてるんじゃないか」
「・・・・・・誠一郎こそ頭の中に何入ってるわけ?この僕に喧嘩を売るなんてイィ度胸してるよね、相変わらず」
「お前に喧嘩を売れるヤツなんて滅多に居ないだろうからな、お前が可哀想だから売ってやってるんだ、感謝しろ」
・・・・・・・。
段々険悪になっていく二人の姿に、この間まで俺が恋人だと思っていた空気が微塵も残っていなかった。
俺、何でこの二人が出来てると思っていたんだ・・・・・・?
「あんなんでもそれなりに仲が良いんだ。心配しなくて良い」
二人の空気から逃げ出してきた深継が俺の隣りに来て苦笑しながら小声で言う。
喧嘩が二人のコミュニケーション、ってヤツなんだろうか?でも確か久慈と奈良崎は遺伝子的にも仲が良いとか何とか・・・・・・この場合は当てはまるんだろうか。
でも、確かに俺は兄さんが他人に喧嘩を売っている姿を見たことが無い。もし喧嘩を売れる相手が誠一郎さんだけであれば、それは兄さんにとって必要な人で、やっぱり相性が良いってことになるのかな。
「一応、前に学院と弐高が協定を結んだっていうのはあの二人が生徒会長だった時の話だからな」
そして深継の言葉に俺は物凄く驚かせられた。
「へ!?でもウチの兄さん学院・・・・・・って、まさか誠一郎さんウチのガッコの生徒会長だったのか!?」
「あれ?聞いていなかったか?」
聞いていませんよ!!
誠一郎さんと深継が本当の兄弟じゃないというのは聞いたけれど・・・・・・それで、誠一郎さんはウチの学校の出身ってことは一時期庶民だったと考えて良いのか。
あ、やばい結構親近感が。
「実は、兄貴に言われて調べ始めたんだよな、俺。紅子の事」
「え?」
「兄貴が蒼生が怖がってるからどうにかしろ、って。俺は蒼生がそこまで怖がってると思わなかったし、ただの噂だと思ってたからさぁ・・・・・・ごめんな、ウチの学校の奴らが」
「え、いや・・・・・・今回のことで実際怪我したの深継だし、俺は礼を言わないと」
まだ深継の手から包帯は取れていない。でも彼は笑顔で首を横に振った。
「礼を言うのは、俺の方だ。あんまりそっちの学校とウチの学校の状況なんて今まで全然気にしてなかったけど、蒼生のおかげで現状知れたし。それに、まぁ・・・・・・なんつーか、全さんの弟が、蒼生でよかった・・・・・・っていうか」
ちょっと恥ずかしそうに彼は頭を掻いて照れ笑いをする。その笑いから彼の兄さんへの想いを伺えてちょっとほんわかした気分になった。
「俺も、兄さんの恋人が深継で良かったよ」
これは本当の気持ちだ。
前までは、誠一郎さんでよかったと思っていたけど、それはもう気にしてちゃ駄目だろう。っていうか、本当に深継でよかった、と思ってるし。
「ウチの兄をよろしくー」
「へ?あ、いやいや、こちらこそ!ふ、不束者ですが」
改めて慇懃・・・・・・というほどではないけど、丁寧な挨拶をして深々とお互い頭を下げる。
あまりにも緊張感の無いその挨拶に、俺と深継は顔を上げて眼があった時、笑いだしていた。

楽しい年越しになりそうだと思ったのは、多分俺だけじゃないだろう。

終。

お約束の後日談ーです。良いお年を!



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