でも、考えてみたらもう冬休みだから電車に乗ることはあまりない。
相変わらずじーちゃんからの電話と無言電話と奇妙なメールは続いたけれど、実害がないから放っておいた。
「今日はクリスマスイブだよー!」
そして、大してケーキの作り方を練習する暇もなくやってきてしまったクリスマス。
朝っぱらからカレンダーの前で可愛くはしゃぐ兄さんが一人・・・・・・。
その時不意に思い出したことは
「元気だな、兄貴」
誠一郎さんに兄さんに兄貴と呼んでみろ、と言われた事。大して驚きもしないだろうと鷹をくくりながら兄貴と呼んでみると、はしゃいでいた兄さんの動きがぴたりと止まる。止まる、というか硬直したと言った方が良いかもしれない。
「どうしたの、蒼生!?反抗期!?ねぇ!!」
そして振り返ったと思ったら物凄い勢いで俺の肩を揺すってきた。本当にショックなのか。
「ごめんごめん、兄さん!!」
「朝っぱらから賑やかだな・・・・・・」
俺に変な情報を与えた張本人がびしっとスーツを着こなして顔を出す。アレ?今日は休みなんじゃないのかな、仕事。
「あれ、誠一郎仕事?」
兄さんも俺と同じ事を考えたらしく、首を傾げながら聞く。
「あぁ。ちょっとな・・・・・・遅くなるかも知れないから、好き勝手やってろ」
彼はネクタイを結びながら結構そっけない事を言った。それに兄さんは残念そうに表情を曇らせる。そりゃそうだ、折角のクリスマスイブを恋人と過ごせないなんて。
でも同じ仕事をやっているからか、その大変さが解かるようで健気に兄さんは「行ってらっしゃい」と見送っていた。
偉いな、兄さん・・・・・・大人になった!
「あ、蒼生」
俺が感激しているとくるりと誠一郎さんは俺の方を振り返りにやりと笑う。
「ケーキ、作っとけよ」
「誠一郎さんこそ、ケーキ忘れないでくださいね」
ちょっと楽しみだ、高いケーキ。
そんな俺たちのやりとりを見ていた兄さんの視線に、誠一郎さんが居なくなってから俺は気が付いた。な、何かやばかったかな?この間の一件以来俺は少し兄さんの視線が怖い。
「何か、仲良くなったね、誠一郎と蒼生」
「そんなことないって。兄さんと誠一郎さんの方が仲良い!」
「・・・・・・やっぱ遺伝子には逆らえないかなぁー」
はぁー。
意味ありげなため息を吐きながら、兄さんは深継を起こす為に深継の部屋に入っていった。
何だろう。俺も必要以上に兄さんの一挙一動に緊張していた。
だって、誠一郎さん親しみやすいというか何と言うか、良い人だから、話していても楽しい。でもそれは別に恋愛感情じゃないはずだ。つーか恋愛感情でたまるか!男同士で兄さんがライバルで三角関係ってどこを見ても良いとこない。
普通普通、俺と誠一郎さんは別に普通の・・・・・・。
普通の、何だ?
「何か珍しく難しい顔してるけど、何かあったか?」
クリスマスイブに男二人っていうのは悲しいものが有るけれど、とりあえずケーキの材料を買いに街に出た。当然電車に乗るわけだけど、そこは深継も一緒だから良いかという事で。
大方材料を買って、昼を適当なファーストフードで済ませていると深継がそんな事を言ってきた。
「特に何も・・・・・・ってか、深継こそ手は大丈夫なのか?」
俺だって彼の言葉を鵜呑みにしたわけじゃない。後の台詞で、その傷を負ったのが電車内だということに気付いたし。
「大丈夫大丈夫。こっちこそ、色々と迷惑かけたようで悪かったな」
深継の言う色々、っていうのは多分例の噂の事だろう。やっぱり深継の方にも噂は届いていたらしい。
「別に俺に害はなかったからいいよ。どうせ冬休み明けには沈静化してるだろ」
「だと良いんだけどな・・・・・・」
「それよりさ、深継好きな人いるんだって?」
からかい半分の口調で聞いたら、向かいに座っていた深継が飲んでいたコーヒーで咽た。
「な、な・・・・・・っ蒼生それ!」
あまりにも初々しい反応にむしろこっちが吃驚する。口元を拭いながら上げた深継の顔は紅くなっていて、みようによっては可愛いと形容出来る。
っていうか、可愛いじゃないか。
「へー、本当だったんだ。そりゃ、ファンも撲滅活動するなぁ」
くすくす笑う俺の言葉に深継は眉を寄せる。
「それにしてもやりすぎだ。満員電車の中でカッターで切りつけるなんて」
「へ?」
初耳なんですが、それ。
俺が驚いたのをみて、深継はしまったと言う様な表情になるが、すぐに観念して話を始める。
「蒼生に切りつけようとしていたんだ。服を切り裂く程度にするつもりだったらしい。俺が庇ったからすぐ逃げたけど」
でも、学校で脅しておいたからもう大丈夫。
深継は簡潔に自分の手の傷の原因を話してくれた。そうか、俺深継に助けてもらったのか、あの時。
「紅子も、ウチの学校の連中が流した噂だった」
「は?」
俺の驚いた声に深継は言い難そうに自分の頭を撫でる。
「だから・・・・・・ちょっと頭が良い奴らが作った噂で、弐高の連中に流して怯えたりしてる姿を見て影で笑って馬鹿にしてた・・・・・・ってことか、な」
時々、真実性を深める為に爪に赤いマニキュアを塗って驚かしていたこともあった。
そう深継が調べた結果を淡々と報告してくれて、その内容にはガックリした。俺たちは学院連中が作った噂に一喜一憂していたわけなのか。
でもこの事実を友達に伝えたら更にウチの学校と学院の仲は悪くなるだろうなぁ・・・・・・黙っていよう。
俺のことは、学院の生徒会長である深継が助けてくれて実害が無いわけだし。彼の手の包帯に眼をやり俺はちょっと申し訳ない気分になった。
「ごめんな、深継・・・・・・ありがとう」
「蒼生が悪いわけじゃない。俺の方が巻き込んだわけだし」
「でも、本当に好きな相手が眼ぇ付けられなくて良かったな」
くすくす笑いながら俺は何となく店の外へと視線をやった。硝子越しのクリスマスの街中は普段の忙しない空気とは違いどこか幸福そうな雰囲気を持つ。大きなプレゼントを持った家族連れや、カップルが目立った。その中に妙に目に付いたカップルが一組。
「・・・・・・眼ぇ付けてもアイツ等が危害加えられる相手じゃないけどな」
深継がボソリと言った言葉は俺の耳には届かなかった。
一目で上質だと解かる黒いコートは見覚えがあるもので、その横顔も勿論知っている顔だ。
仕事じゃなかったのか、という疑問は彼の隣りにいる綺麗な女の人の存在で粉砕された。彼女はとても嬉しそうに笑んで、彼になにやら話しかけている。
「蒼生?」
硬直している俺の様子に彼も視線を外に向けてすぐに誠一郎さんの姿を見つけたようだった。
「あれ・・・・・・兄貴?」
「何、アレ・・・・・・どういうことだ?」
深継なら彼女が誰か解かるかもしれない。もしかしたら秘書とかそんなただの仕事上の関係かもしれない、と嫌な感じに早くなった心臓の鼓動を抑えて聞いた。が
「隣りの人、紀ノ川美也さん、だ。紀ノ川グループの二女で兄さんの婚約者の」
「婚約者ぁ!?」
あっさりとした深継の説明に俺は思わず声を上げてしまう。その俺の驚き方に深継はもっと驚いていた。
「親っつーか、グループの体面的に必要なだけだから、好きな人が出来たらすぐ解消できる間柄だって聞いているけど」
「でも、クリスマスイブに会って・・・・・・何だソレ!兄さんが可哀想だろ!」
俺の頭に浮かんだのは、仕事だと言われた時に淋しげな表情を見せた兄さん。
婚約者の事は知っているんだろうか、それはそれで切ない形での同居だけど。俺は兄さんと誠一郎さんの関係を良くは知らない。
でも、俺だって相手が男だっていうことを涙を呑んで納得したんだ。誠一郎さんが良い人だと思ったから。そうだよ、良い人だと思ったんだ、俺も。
ケーキ作っとけって、言ってたくせに。
バン、と俺の怒りの度合いを示すくらい強くテーブルを叩くと賑やかだった店内が一瞬静まり返った。
「蒼生?なぁ、全さんが可哀想って」
「俺、ちょっと行って来る」
「え、蒼生!?」
こんなに頭に来たのは初めてだ。頭が熱くて冷静にモノを考える事が出来ない。店から飛び出して、人ごみの中に誠一郎さんの姿を探し、その背中を見つけて周りの人にぶつかるのも構わず彼に向かって走りその腕を強く掴んでいた。
振り返った誠一郎さんの眼は俺を映して少し大きくなり、俺の視界の端には彼が歩みを止めたと同時に一緒に止まった彼女の不思議そうな表情が入る。そんな少し仲の良さそうな二人の様子に、眉間に力が入った。
「どういうことですか!?本気じゃ、なかったのか!?」
突然の俺の登場に何を言えば良いのか解からないという困惑した誠一郎さんと、俺と彼を怪訝な顔で見比べる女の人。
何だかもの凄くイライラする。
「誠一郎さんなんて大っ嫌いだ!」
人の目も気にせずそう叫んで、俺は深継の元に帰ることなく駅の方に向かって全速力で走った。後ろの方で誰かが叫ぶ声が聞こえたけど、そんなこと気に止める余裕は全くなかった。
別に走る必要は無いんだけど、何だか気分的に走りたい時って時々あると思う。
長いホームに続く階段を二段抜かしぐらいで駆け上り、丁度止まっていた電車に駆け込んだ。扉が閉まってから『駆け込み乗車はご遠慮下さい』というアナウンスが流れ、多分俺のことだろうと察してようやく少し頭が冷える。
走った所為で心臓が早鐘のようになっていて、それを落ち着かせるために深呼吸を繰り返すと気分も落ち着いてきた。それから、気が付く。しまった、と。
俺が怒る事じゃない。これは兄さんと誠一郎さんの問題のはずだ。
でも、この事は兄さんに伝えるべきなんだろうか。
兄さんが悲しむような顔はみたくない。でもだからと言ってこの事を黙っていられるだろうか。一緒に住んでいるけど、俺は多分今までどおりにはやっていけない。
最初から不安だらけの同居だったけど、まさかこんなに早く駄目になるなんて思っていなかった。特に、最近は。
「あー、くそ!」
ガン、と手すりを殴りつけると車内にいた数人の視線を集めた。
折角のクリスマスイブだってのに、最悪だ。
そんな俺の気分をさらに最悪にさせたのは、ここが深継に一人では乗るなと言われていた電車の中で、
「なぁ、あんたさ、ちょっと顔貸してくれないか?」
高そうな服を着た学院の連中が俺に声をかけてきたってこと。
4人が俺を囲む感じで声をかけられた。学院の人間だという確信はある。白い制服を着ているところを何度か見た事があるから。
こいつらの中の誰かが、深継の手を傷つけたヤツなんだろうか。
「お前らに貸せる顔なんて無い」
機嫌が悪いときに声をかけてくるのが悪い。
ふい、とそっけなくそっぽ向くと奴らの雰囲気が変わる。今まで少し友好的・・・・・・とは言えなかったけれど、下手に出てれば付け上がりやがって、という怒りが俺に向けられる。
「あぁ?調子乗ってんなよな、弐高のクセに!」
髪を茶色にしている男が俺の首元を掴み上げた。
随分とお坊ちゃん学校に通っているにしては沸点が低い上に乱暴だ。
その時、タイミングが良いのか悪いのか電車が駅に到着してゆっくり止まった。見覚えのあるホームは、俺の最寄の駅だ。
どうにか家まで逃げ出せないかと画策していると、彼らも好都合だと思ったのか俺の体を電車から突き飛ばすようにして下した。
やっぱり乱暴な扱いに俺は舌打ちしながら俺の背中を突き飛ばした相手を睨みつける。4人とも体格は良くて、俺より背が高い。深継と同じくらいかそれ以上だ。
こいつ等が深継の熱狂的ファン?
正直なところ、紅子の噂を流して裏で馬鹿にしているようなタイプには見えない。それくらい頭が良いとは思えないし、どっちかと言えば気に入らない相手が居たらすぐ殴って終わり、というようなタイプだ。
「・・・・・・俺は深継の恋人なんかじゃないぞ」
もしかしたら無駄かも知れないけど、一応そう言ってみる。
そうすると、彼らは一瞬お互いの顔を見合わせてから大笑いした。
「別にそんな事はどうでもいいんだよ」
「そうそう、俺たちとしては、あのムカつく久慈と仲が良いヤツボコれればそれで良いわけだし」
「相手が弐高のヤツだったらウチの学校で問題になんねぇし?」
「久慈が悔しがる相手だったら基本は誰でも良い」
口々と言ってくれたのは、深継に対する好意ではなく悪意。
これは少し予想外の展開だ。
好意を向けるものが多ければ多いほど、悪意を向ける相手も多い。俺は深継とは良い関係だけど、そういう関係を築けていないヤツも多いってことか。
好意を向けている相手だったらどうにか会話で納得してもらえるかと思ったけれど、こいつ等は俺を殴る為に確保したようで。
ヤバイ、逃げよう。
痛いクリスマスイブなんてごめんだ。
俺の腕を掴んでいた手を振り払い、下りの階段に向かって走ろうとしたけど4人もいれば俺の行動を遮る事の出来るヤツがいる。
「コイツ!」
俺は肩を物凄い力で掴まれ、振り返らせられたと思ったら頬に強い衝撃。
殴られてふらついた体を持ち直そうとしたけど、足が付くはずだったところに床が無かった。
そういえば、俺は逃げる為に階段の方に向かっていたわけで。
どこからか誰よりも早く俺の危険な状態に気付いた女性の悲鳴が聞こえてきた。
俺を凝視していた4人の表情がしまったというものになったのを見てから俺はこれから来るだろう衝撃に堪える為に眼を強く閉じた。
「蒼生!」
一瞬深継が来たのかと思ったけど、彼より少し低い音は、彼じゃない証拠だった。
どん、とぶつかった背中は確かに少し痛かったけれど、俺が想像していたよりはずっとマシで。
「間に合った・・・・・・」
その声に眼を開けると、俺の落ちそうになった体を腕一本で支えてくれていた誠一郎さんが荒い息の合間に深いため息を吐いた。
「誠一郎さん!?何で・・・・・・」
階段のど真ん中で叫んでしまうと、落ち着けというように肩を軽く叩かれた。
「お前が何か勘違いをしているようだから、すぐに訂正した方が良いと思って車で追いかけた。深継に電車は危ないからホームまで見に行けと指示されたら案の上」
誠一郎さんが視線を上げたその先で、俺をつき落とした奴らが慌てて逃げていく。その後にすぐ電車が出る音が聞こえたから、電車で逃げたんだろうな。
「深継は?」
「先に家に帰ってる。全が待っているだろうからな」
兄さん。
俺が眉を寄せるとその意味をどう取ったのかは解からないけれど誠一郎さんが俺の頭を撫でてきた。
誠一郎さんは勘違いをしていると言ったけど、どこら辺を俺は勘違いしているのだろう。多分、あの女の人が婚約破棄済みの相手だったとかそこら辺なんだろうけど。
「あの女の人、本当に婚約者・・・・・・なんですか?」
「・・・・・・ああ」
家に入る前に聞くと、彼は軽く頷いた。その返答のおかげで俺は家の中に入りたくなくなってしまう。
「そんな、じゃあ兄さんのことは何だったんですか!?」
「全?」
「まさか、結婚しても関係続けるとか言うんじゃないでしょうね?そんなの、俺は許さないですから!」
ああ、何かすっごい嫌な気分だ。
「ちょっと待て、蒼生!」
そんな誠一郎さんの止める声に耳を貸さず俺は家に入った。もう駄目だ、こんな生活は終わりにしないと。兄さんにはもう俺が泣き落としでも何でもして誠一郎さんと別れてもらう。やっぱり、男同士なんて認められないと言えばいいだろう。
「兄さん、ちょっと良い?・・・・・・兄さん?」
兄さんの部屋のドアを叩いてしばらく待ったけれど返答が無い。
リビングに人気は無いから、リビングにいるというわけでは無いだろう。じゃあ出かけているんだろうか。
でも、深継も帰って来ているはずだから、深継の姿も見えないという事は深継の部屋に居る・・・・・・のか?
そこでその事に多少疑問を持つべきだった。
深継の部屋からガタンと音が聞こえてきて、やっぱり二人とも深継の部屋に居た。
「蒼生、ちょっと話を聞け」
誠一郎さんが深継の部屋の扉を叩こうとした俺の手を止める。その焦った顔から考えるに・・・・・・もしかして兄さんは誠一郎さんに婚約者がいることを知らない?
また熱くなってきていた頭は他の理由を思いつかせず、俺は手を掴んできた誠一郎さんの手を振りほどいた。
「俺は聞くことなんて」
「全さん、ちょ・・・・・・っ!」
でも、突然深継の部屋から慌てた様子の深継の声が聞こえてきて、誠一郎さんと共に沈黙してしまう。
え、何?どうしたんだ?
「この傷、学校の美術で切ったって言ってたのは嘘だったんだ?」
次に聞こえてきた兄さんの声は、兄弟だから解かるけど微かに怒りが混じっている。
傷、ってあの深継の手の傷の事か。
深継は変に心配をかけたくなくて傷の理由、嘘吐いていたんだ。
「それは・・・・・・」
困ったような深継の声が聞こえたきり、後は会話が無い。
兄さんが怒ってる!?
自慢じゃないけど俺は今まで兄さんに怒られた事があまり無い。どっちかというと、怒ってるのは俺の方かな。
怖いけどここで俺が口を出さないと深継が怒られる。
俺が葛藤しているのを見かねて誠一郎さんが肩を叩いてきた。
「蒼生、取り合えず外で」
でも、今この人のいう事を聞くのは癪だ。
兄さん、深継君の怪我は俺の所為で!
意地半分勢い半分でノック無しにドアノブを握って引いた。
イメージとは違いちょっと暗い部屋・・・・・・の中の様子を確認して俺は硬直し、後ろにいた誠一郎さんがため息を吐いた。そのため息を意味を、俺はどこまで察せるだろう。

「ん・・・・・・っ!全さん!やめ」
俺はこんなに甘い深継の声を聞いたことが無い。
「何で?気持ち良さそうだけど?深継君、意外と痛いの好きだったりする?」
・・・・・・俺はこんなに甘い兄さんの声も聞いたことが無い。16年くらいの付き合いがあるのに。
出来るなら、一生知らなくても良かったような気がしなくもないけど。
ベッドの上で深継の上に覆いかぶさっている兄さんの背が妙に大きく見えて、俺が兄さんに持っていたイメージが粉々に砕かれた。
固まって動けない俺の代わりに、誠一郎さんがそっとその扉を音を立てないように細心の注意をはらって閉める。
「大丈夫か?蒼生」
小さな声で聞いてきた彼にどうにか頷き、そのままリビングまで誘導してもらう。
ソファに座ってようやく、事態を現実だととらえることが出来た。
「あぁ!?兄さん、深継と!?はぁ!?」
ただし、パニックにはなった。当たり前だけど。
確かに、直接的に兄さんに誠一郎さんが恋人だと説明されたことは無い。
じゃあ、深継が好きな相手って兄さん!?
最初にベットに引きずり込まれたのも兄さんだと勘違いされたから?
そういえば、兄さんが気が付けば深継を起こす係だ。
色々思い起こしてみると、その片鱗は俺は確かにこの眼で見ている。・・・・・・何で誠一郎さんだと勘違いしていたんだろう、って位。
「嘘だろー・・・・・・」
がっくりと頭を抱える俺の肩を誠一郎さんが同情するように叩いてくる。
「俺も・・・・・・まさか深継の方が女役だとは」
誠一郎さんの方もさっきの場面はある程度の衝撃だったらしい。よかった、俺だけじゃなくて。俺だって兄さんが男役で吃驚だ。
あの可愛かった兄さんが・・・・・・思いも寄らないことだった。何があるか本当解かったもんじゃない。
っつーか。
はっと顔を上げるとどうした?と言いたげに誠一郎さんが首を傾げてくる。
どうしたもこうしたも!!
「す、すみませんでした!!」
俺はソファの上に正座して誠一郎さんに頭を下げていた。つまりは土下座だ。
でもそれくらいしないと気がすまない。俺はずっとこの人が兄さんの相手だと勘違いしていたわけで、ついでにさっきはかなりの暴言を吐いてしまった。
「俺、変な勘違いしていたみたいで、その・・・・・・」
あの婚約者さんの前でとんでも無い事をしてしまった気がする。
「・・・・・・まぁ、俺もまさかお前がそんな勘違いをしていると思わなかったけど」
顔を上げろ、と言われて恐る恐る顔を上げると、苦笑している誠一郎さんの顔が目に入る。
「相手が全だっていうのは、多少は屈辱だが、誤解が解けたのならそれでいい」
何で全が相手だ、と彼は少し不満げだったが、あっさり許してくれた。よ、良かった・・・・・・。
ほっとした俺の前に、誠一郎さんはカウンターにおいてあった白い箱を置いた。この箱はもしかして。
「約束のケーキ。高いといっても美味くないヤツは美味くないから、美也に良いケーキ屋を教えてもらったんだ」
美也、というのはあの婚約者さんのことだ。そこまでしてもらっていたのに、俺も変な勘違いをしてしまって本当に申し訳ない。
「あの、じゃあお仕事は・・・・・・」
「ああ、仕事があったことはあったんだが・・・・・・蒼生があの二人に会っても気まずくないっていうのなら仕事に戻る」
「お願いします、居て下さい!」
流石にあんな場面を見てしまった後に、あの二人に一人だけで対面するのは無理だ。
思わずガシッと誠一郎さんの腕を掴んで懇願してしまうと、笑われた。
「じゃあ、ケーキでも食って待ってるか」
誠一郎さんが待つ、と言って俺は改めて顔を紅くしてしまう。そ、そうだよな・・・何だか知らないけど今あの二人盛り上がっちゃってるんだもんな。
うぅ・・・・・・俺しばらくあの二人の顔まともに見れないかも。
「俺、お茶淹れますね」
とにかくその二人の事を頭の中から追い出したくて、立ち上がったけど。
・・・・・・紅茶、ティーパックしかねぇよ。
今更やっぱり無いってことも出来ないし、日本茶も切らしてたしな。コーヒー・・・・・・は俺コーヒー飲めないぞ。
「いいぞ」
そんな俺の様子から何かを察したらしく、誠一郎さんはくすくす笑いながら声をかけてきた。
「え?」
「ティーパックでも」
あ・・・・・・そうだよな、もうバレバレだしな。
恐る恐るティーパックで淹れたお茶を出したけど、彼は「大して変わらないな」と感心したような感想をくれた。良かった・・・・・・。
誠一郎さんが買ってきてくれたケーキは流石だと言えるほど美味しかった。彼の婚約者は良い舌をしている。
「おいしいです・・・・・・」
この生クリームと冷たい苺がまた。
その感動をじっくり噛み締めていると俺をじーっと眺めていた彼が満足げに笑った。
「じゃあ、訂正して貰えるか?」
「訂正?」
何のことだろう。
彼の言葉の意味が解からず首を傾げると、誠一郎さんは紅茶を一口飲んでから黒い瞳に俺を映す。
「大ッ嫌いってやつ」
あ。
街中で叫んだことを彼は意外にも気にしていたらしく、その事に驚いたけどそれを気にしていたんなら俺は精一杯訂正しないと。
「勿論!訂正って言うか、撤回しますよ。俺誠一郎さん大好きです」
そういや、兄さんは妙に俺に誠一郎は駄目だからね!と強調してきたけど。あれは婚約者がいるんだから好きになっても良い事無い、という意味だったんだろうとこの時初めて理解した。
自然とさらっと自分の口から出た大好き、という言葉に引っ掛かりを感じたけれど、これはきっと信頼からの気持ちだ。
にへらっと笑うと彼も安心したようで、空気がほんわかしたのが解かる。兄さん達がいる部屋とは全く違った空気だろうけど。
「俺もケーキ頑張って作りますね!」
深継が出てきてから、だけど。
「あぁ。楽しみにしてる。それにしても、嫌われなくて良かった。俺も蒼生が好きだから」

・・・・・・。

そんな恰好いい顔でそんなこと言われたら誰でもドキドキするもんだよなぁ?
兄さんが言っていた。俺の中にも、久慈の人間に恋をする可能性がある遺伝子が有ると。
まさか、とは思うけど。
嬉しそうに俺に笑顔を向ける誠一郎さんから意識を引き離す為に俺は紅茶を一気に飲み干して、咽た。
こんなになんでこんなに動揺する?
「大丈夫か、蒼生!」
「・・・・・・あんまり大丈夫じゃないかも知れません」
病気かと思うほど早い動悸に、熱があるのかと思うほど熱い顔。

どうやら俺の中にも恋する遺伝子は顕在だったらしい・・・・・・。







まぁ、一応終わりですが、未消化的な部分もなきにしもあらずなので後日談を26日以降までに・・・・・・。


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