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ああ、参った。
翔はひたすら悩んでいた。いや、今はそんな別な方向に意識を飛ばしていていい状況では無いのだ。今は演習中で、しかも他クラスとの合同演習中だ。どうしようもないくらい、緊張しているのだが。
「よし、敵の部隊は残り2つだな……」
作戦が成功し、敵のグループを一つ殲滅させ不敵に笑う隣りの友人……今は恋人なのだけれど、その彼のその滅多に見せない野生的な笑みに不覚にもトキメキを覚えてしまった。
彼は普段、翔の前ではそんな風には笑わない。恋人同士になってからは、本当に優しい笑みしか自分には見せなくなったように思う。それはとても嬉しいし、愛されている実感も覚えるのだが……。
戦ってるコイツ、悔しいくらい格好良いんだよなぁ。
そして、悔しいくらいに活き活きしている。ち、と思わず心の中で舌打ちしてしまったくらいには。
前に、確か克己と恋人同士になる前、正紀といずるに「戦ってる克己ってすげえ格好良くねぇ?」と言ったら、いつものように苦笑されるかと思えば二人共に同意された。矢張り、同じ男から見ても彼の勇姿は格好良く見えるらしい。いや、同じ男だからこそそう見えるのかもしれない。頼りがいのある司令塔だと。
もし、合同演習に女子クラスが加わって克己のこの姿を見られたら彼女達の心は一瞬にして撃ち抜かれてしまうに違いない。それでなくとも彼の周りに飛び交う黄色い声は不愉快な程だというのに。
あ、何かちょっとイラッと来た。
回想に苛立ちを覚えたそんな時、克己がハンドシグナルで「そろそろここを離脱する」と言ってくる。了解の意で親指を突き立てるハンドシグナルで返すが、すぐにストップの意味になる手の平を彼に見せた。それに克己は怪訝な顔を見せ、首を傾げた。それも、教えられたハンドシグナルの一つだ。「何故?」とか問いかける時に使用される。それに翔はつけていた皮手袋をはずし、生身の手で人差し指を揺らす。それは、軍から教えられたハンドシグナルではない。一般的なジェスチャーだ。教えられたものとは違い、緩やかな動きだと思う。軍で教えられたハンドシグナルはいちいち切れが良い。
怪訝な顔をしながらも翔に近寄ってきた彼に、今度は手で屈むように指示をした。それに克己はあっさりと屈み、翔は目の前にまで降りてきた首を片腕で抱き寄せ、軽く唇を合わせた。ほんの一瞬のことだったが、それでも唇に残った温度に満足する。
よし、と心の中で自分を納得させ、再び手袋をつけて、今度はハンドシグナルで先程の克己と同じ動作をする。それに首をかしげるのを付け足して。意味的には、「離脱、するんだろ?」となるはず。場の空気に合わない笑顔はおまけだ。
それに克己は小さくため息を吐きながら「了解」のハンドシグナルを返す。作戦中で沈黙を守らないといけないことを承知でやったのだから、文句を言う事は出来ない。それも翔の作戦のうちだった。ハンドシグナルは手話ほどバリエーションが豊富ではないから、それで叱咤することも出来ない。
まぁ、後で怒られるんだろうけどな。
放課後に反省会が行われるだろうことを予測して、少し憂鬱だった。
うーん……。
早足で歩きながらも、翔は自分の頭を掻く。
話には聞いていたけれど、戦闘中は気が高ぶりそれが性欲に直結する時もあるというのは、本当だったんだな、と教科書の文章を抜き出して心の中で呟く。幸い、体のほうに目に見えた変調が出てくるほどの衝動ではないのだが。教科書に寄れば、生命危機を感じることにより種の保存本能が高まると。解かり易く言えば、ヤベー死ぬ前に子ども残さなきゃ!と本能が思うらしい。
おぉ、俺も立派に男だったんだな、と感心すると同時に乾いた笑みを口元に浮かべていた。
と、そんな時目の前を歩いていた克己の足が止まる。それに首を傾げる間もなく彼は持っていた荷物を降ろし、岩壁に背を付けた。ここは切り立った崖の下のようだ。木々に隠れ、上からここが見えることは恐らく無いだろう。が
「克」
彼の不可解な行動に声を出そうとしたところを指で止められる。人の気配はしないが、念には念を入れて、ということだろう。
どうした?
そういう意味で首を傾げれば、克己はゴツイ自分の腕時計を示し、片手を開いて見せた。5分、という意味なのは解かったが、何が5分なのかは解からない。次のハンドシグナルを待ったが、それは無く、ただ抱き寄せられた。
こ、これが5分……か!?
思わぬ5分間に頭が真っ白になった。性的な意味はないだろうが、頭や耳の周囲を撫でられ、顔に熱が集まる。皮手袋をしていない手の感触が何故か妙に懐かしい気分にさせた。
抱き締められたままずるずるとその場に座り込み、恐らくこれで自分達の姿は茂みに隠れた。それにほっとしつつも、今度は違う方面で緊張してしまう。
「か、克己……」
今度は慎重に小さな声で呼びかけると制止されずにすんだ。頭を撫でながら視線を下げてくる彼の眼には戦闘中の興奮はなくなっていた。
「あ、の……何で?」
この状況の理由を問えば、彼は笑う。
「さっき、手が震えていた」
「え」
さっきというのは、手袋を外した時だろう。そうだったか?と自分の手に視線を落とせば皮手袋に隠れていて良く分からない。
「戦闘中、変に緊張し続けるのはあまり良くないからな。5分だけ休憩」
「別に、俺は緊張なんて……」
「ああ、俺が休憩したい。頼む翔、付き合ってくれ」
腰に回された腕に強く抱き締められ、物言いに詰まる。そして、その時に気付いた。
「……しょうが、ねぇな」
体から余計な緊張を抜いて克己に全身を預けた時に、自分の体が硬くなっていたことに初めて気付く。
先程までの気分の高まりは極限まで高められた恐怖から来るものだったのだ。だから、演習中だというのに違う方向へと気をやり、それを紛らわそうとしていた。まぁ、見事に失敗していたわけなのだが。
「……なぁ、克己」
頬を乗せている戦闘服に擦寄るとあまり肌触りは良くなかった。それでも分厚い布地の下からわずかに相手の体温を感じることは出来る。
「ん?」
「今日の授業全部終わったら一緒風呂入ろーな」
「大浴場か?」
「おーよ。たまには広いのも良いだろ……で、その後適当に飯喰ってー……」
で。
そこで目を上げると視線に気付いた克己の目が細くなる。遠慮せずに言えという意味だろう。それにホッとして口を開いた。
「……で、一緒に寝てもい?」
瞬間、克己の頭をなでる手が止まったが、特に気にしないで言葉を続けた。
「5分じゃ足んねぇって。なぁ、だめか?」
たった5分では甘え足りない。と翔は克己を見上げ、その目に克己はため息を吐く。
「駄目も何も……俺はお前の大胆さに今すぐにでも戦線離脱したい気分だ」
「お。まじでー。気があうな、俺もだ!じゃあさっさと終わらせような!……っと」
身を起こしかけたところで翔は再び克己の体に身を落とす。
「翔?」
「まだ138秒残ってるぞ」
適当に言った数字だったが、その甘えを克己は許容してくれた。
「……翔」
「ん?」
こそりと耳元で囁かれ、目を開けると岩肌とその上に青い空が見える。
「右から3人、左から2人、正面も2人。後20秒後だな」
「うぇー……マジかよ……」
「大丈夫だ、これが終わったら残り87秒込みで甘やかしてやる」
こめかみにキスをされて宥められては、折れるしかない。
「……約束、だからな!」
守れよ、と睨み上げながら、克己の腰に納められていた彼の銃を素早く取る。ちゃんと弾の補充はされているようで、その分少し重く感じた。
克己も笑いながら翔の腰から銃を取った。それが翔よりも慎重な動きだったのは、自分達を標的にした敵に気付かれない為だろう。
とりあえずは、気持ちを切り替えて。
銃を握り、背後の敵の気配に集中しようとしたその時、不意に克己の顔が近付き、唇が柔らかいものに塞がれる。
……って、おい!
カッと翔が顔を紅くした瞬間に克己が引き金を引いた。それは見事に正面の敵の額に命中し、ピンク色のインクが飛び散った。それは良いが
「おい、克己!おま……っ何すんだ!こんな時に!」
「翔の大胆振りを見習ってみたまでだ」
「お、俺の時は敵いなかっただろっ!?」
途端に銃声が響くが、彼らの放つ銃弾は二人の体に当たる事はなかった。彼らの標準からすでに二人の姿が消えていたからだ。そのことに動揺してしまったのが彼らの敗因の一つだろう。ハッと目を見開いたその時にはもう遅く、モスグリーンのマスクで覆われていた顎に翔の膝が入っていた。
それを目の端で見てから克己も、目の前で自分に標準をあわせようとした敵のみぞおちに膝を入れる。その間に両手に持っている銃で二人を撃ち抜くのもそう難しい事ではなかった。
「そうじゃなくて、だな」
頬に飛んだ蛍光ピンクの塗料を気にする事無く、次の敵に素早く銃口を滑らせる。次の瞬間、翔の背後に迫っていた敵の頭でインクが爆発した。
「戦闘中は俺も気分が高ぶっているんだ、変に煽るな。流石に野外で興奮する変態にはなりたくない」
「……あれ、俺遠回しに怒られてる?」
後ろに一歩後退しつつ、目の前の敵に持っていた銃の銃口を向けるが、それは木の幹をかすって終わる。外した事に奥歯を噛み締めていれば、背に何かが当たる。それが克己の肩だとすぐに気付いた。
「しょうがねぇだろ、戦ってる克己が格好良いのが悪い」
「褒められてるのか、それは」
残り3人。
じりじりと自分達二人を囲もうとする敵の動きを伺いながらも、二人の会話は止まらない。
「惚気だ、ばか」
そう言い捨てて、翔は再び前に足を踏み出した。二人が翔の動きを追った隙を突いて、そのうちの一人に克己の銃弾が叩き込まれる。
「俺も戦う翔の姿は格好良いと思うぞ」
「お、マジで。んじゃあ、もうちょい格好つけて戦った方が良かったかな?」
翔にとっては最後の敵となった男をねじ伏せた後に言って欲しくない。克己の方もラスト一人、彼はどうやら弾切れになったらしい。銃からナイフへと武器を持ち替え、克己との間合いを計っている。ふーっふーっと肩を上下させて荒い息を整えようとしている姿から、彼の緊張振りが伺えた。そんな彼に克己も銃を向け、これで勝利が決まるかと思ったが
「ああ、甘えてくる時とのギャップが楽しい」
引き金を引き、聞こえた音は銃声ではなくガチリという鈍い金属音だった。それが弾切れを示すことは、翔も知っているくらいだ、勿論敵もすぐさま察した。
「馬鹿!」
それは弾切れに対しての罵倒か、それともその前に言われたことへの罵倒かはわからなかったが、翔が思わず克己に向かって投げた銃は、見事今克己に飛びかかろうとしていた敵の顔面に当たった。ガイン!と痛そうな音があたりに響く。
「……正真正銘の飛び道具だな」
克己がそう呟くと同時に最後の敵は倒れ、翔もホッと肩の力を抜いた。が、すぐに自分の銃を回収している克己を睨みつける。自分の銃の弾切れに気付けない彼ではない。
「克己お前な……心臓に悪いことしてんじゃねぇよ」
自分の事を信頼してくれているのはいいが、たまに過剰な期待をされているような気がしてならない。今日は何とかなったが、突然彼が自分を頼る瞬間はいつも心臓が一瞬止まっている。
はぁぁぁ。
盛大にもう一つため息を吐いた翔だが、克己の方は上機嫌だ。
「帰ったらめいっぱい可愛がってやるから許せ。それとも、“戦闘中の頼りがいのある司令塔”の方が好みなら、まぁ……付き合ってやらんでもないが」
腰に自分の銃を戻され、どしりとそこが重くなった。無くなった銃弾の補充もしてくれたらしい。が、そんなことよりも克己がさらりと言ったことに身を固めた。克己は無言で目を見開いて自分を見上げる翔に首を傾げる。それがハンドシグナルではないことは明白だった。
「違うのか?」
「ちっ……違……くはないけど違う!つか、誰から聞いた!」
「篠田」
「余計な事喋ってんじゃねぇよ、あの元ヤンがーっ!」
絶対にあの軽いノリで「日向が甲賀の戦闘中の姿が格好良いって褒めてたぞー」とか言ったに違いない。容易に想像出来、思わず頭を抱えた。
「俺はそれほど外は好きじゃないが……翔が言うのなら考えなくも」
「ちょっと待て!何で俺がちょっと変態さんみたいな話になってんだ!」
それは絶対に違う!と自分の名誉の為に訂正しておくが、克己は再び首を傾げた。
「それはそれで俺は楽しいんだが……」
「楽しまないで下さい」
どう考えてもこいつの方が変態じゃないか。
「別に、そういう意味で格好良いって言ってたわけじゃねぇよ。男として尊敬できる瞬間だとか、そういう意味で」
「ああ、篠田からもそう聞いている」
「……てめぇ」
あっさりと言われた事に恨めしい目を克己に向けるしかなかった。ここまでからかわれたのだから、一矢報いてやろうと翔は腕を組んで鼻で笑ってみせる。
「変なプレイしたいのは克己くんの方なんじゃないですか?」
「そうかもな」
「認めるのか!」
しかしどうしても相手は自分より上手過ぎる。
そのうち本当に彼の言う変なプレイとかいうものに翻弄される日が来るのかと思うと、その内容が予想出来ないだけに少し怖い。
いや、でも怖いとかそんな理由で拒否をするのも男が廃るなぁ……。
何だろう、変な場所とかコスプレとか女医……?などと、過去悪友達が盛り上がっていた話を必死に思い出してみるが、具体的な“変なプレイ”は思いつかない。
「……克己がしたいなら、別に良いけど」
自分より経験豊富な相手にそれはもう丸投げするしかなかった。授業中に一体何の話をしているのかと我に返ったのもその時だ。
「俺は日々変なプレイを仕掛けられてる気分だ」
克己が深いため息を吐いたのもその時だった。
終
日々焦らしプレイ。強くなれ克己。
書きたかったこと
・ハンドシグナル(手信号)での会話。これをネタに他にも書きたい。
・翔からちゅー(男気度高めで(笑
・バカップルいちゃいちゃバトル。某ミスター&ミセスを見た後に書いてみたくなった。