1.鼻と鼻がゴツン
 
「ほら、紬ちゃん、ちゅー」
 語尾にハートマークが付かんばかりに呼ばれても、俺はヤツに冷たい視線を投げることしか出来ない。更科は俺にキスを強請るように言うが、すぐに自分から俺を抱えている腕を自分の方へと引き寄せ、俺の口に自分の口を寄せ、ついでに自分の鼻と俺の鼻をすり合わせる。
「鼻湿ってるなー、今日も健康健康」
 更科はにへらっと上機嫌に笑い、俺の耳に軽く噛み付いた。毛むくじゃらの俺の耳に……。
 俺は少々不満に思い、「きゅう」と鼻を鳴らす。だが、そんな俺の思いなど知らず、その音にまた更科は「可愛い!」と声を上げた。
 こいつ、とんでもない犬好きだ。
 俺は、人間じゃない。人狼一族に生まれた俺のもう1つの姿は子犬のような、今とっている形態。過去、そんな犬の姿を嫌う人間もいたとかなんとか聞いていたが、俺の恋人はむしろ狼姿の俺を溺愛しているようで、嬉々として俺の世話をするのだ。おかげで毎日シャンプーされている俺の毛はツヤツヤモフモフでさらに抱き心地がいいものになっている。
 まぁ、俺も人間の姿になっているよりこっちのが楽だから、この姿を喜ばれるのは悪くないんだけども。
 なんだろう、何だかとっても釈然としないものがある。
 犬の姿の俺と、人間の姿の俺と、どっちが好き?なんて、聞けるか?聞けるわけがない。
 この間なんて、クラスのヤツに俺(狼姿)とのツーショットを見せて、「俺の恋人」と紹介し、友人に爆笑されていた。恥ずかしいのは俺一人だ。
 こいつがそんなヤツだってのはわかってたけど、たまにどうすればいいのか解からなくなる時もある。例えば、学校から帰ってきた後とか、犬になれば良いのか、人型でい続けた方がいいのか……。今日も5分くらい迷ったが、風呂に入ろうと誘われたので、犬の姿にとりあえずなっておいた。おかげで今日の毛もツヤツヤだ。
「……俺、ブリーダー目指そうかな」
 俺の毛をブラシで手入れしながら更科がそう呟いていたのは取り合えず無視して。
「な、紬ちゃん?今日はもう人の姿にはならないのか?」
 何を言ってきても無視して……って、ん?
 思わぬ事を言われた気がして上を見上げると、更科のちょっと淋しそうな顔がある。
「つーか、風呂も出来ればあっちの姿で入って欲しかったんだけど……あぁ、こっちの紬ちゃんも可愛いんだけどね」
 バツが悪そうに頭を掻きながら言う更科に、ちょっとだけもやもやしていた心が一気に晴れた。
 なんつーか、俺愛されてるな。こんな、人間から見れば変な体質だっていうのに。
 さっきまでのもやもやは、一瞬にして暖かなものにへと変わっていた。それとほぼ同時、俺と更科が座っていたソファが突然の重みに軋む。そりゃ、犬の俺と人間の俺とじゃ重さが違う。俺を膝に乗せてた更科の顔が自分の顔より少し下にあるのは少し新鮮だった。人間の姿でこいつの膝に乗っかった事、そういえばなかったな。
 そんな事を考えながら、更科の唇に噛み付き、さっきこいつにされたように鼻をぶつけた。呆気に取られて俺の顔を見上げる恋人には一言
「ばぁか」
 言い終わってすぐに毛玉の姿に戻ってやった。ついでに、今までアイツが買ってきてもじゃれ付いてやらなかった骨型の犬用オモチャにじゃれ付いて見せた。こうすれば、傍から見れば俺も立派なワンコ。
 しばらく経ってから更科もようやく我に返ったようで、「え、ちょ紬ちゃん!?」と妙にうろたえた情けない声を上げる。そんな声には、くるりと振り返り、黒いクリクリした子犬の濡れた目を向けてやる。そんな俺の悩殺サービスポーズにアイツはがっくりと肩を落としていた。
「なんの焦らしプレイですか……!」
 知らん。

お終い