ここまで苦戦した演習があっただろうか、と佐木遠也は一人ひっそりと思う。
「B班応答しろ!くっそ!」
 応答の無いレシーバーを木戸が腹立ち紛れに地面に投げつけ、顔を上げた。先程から他の班と連絡を取ろうとしているのだが、誰も応答しないのだ。
「駄目ですか?」
 遠也の問いに、木戸は悔しげに頷き、遠也と翔へ視線を流した。
「どこも駄目だ。俺達の班しか残って無……日向、後ろ!」
「へ?ぅわっ!」
 翔は突然背後から伸びてきた手に体を拘束され、身を捩って逃れようとしたところで素早くナイフを首元に当てられた。
「E組の今回の指揮役はお前だったな、木戸孝一」
 翔を拘束した少年の冷気を含んだ声に、どうにか首を曲げて後ろを見れば、彼は覆面で顔を隠している。突然の敵の登場に、木戸も遠也も動揺が隠せない。
「日向翔はお前と親しいそうだな。怪我をさせたくなかったら、負けを認めろ」
 相手は自分達の交友関係も調査済みのようだ。その手際のよさに、遠也は正直感服していた。そして、今回の演習は自分達E組は篭城、そして対するA組がその篭城を時間内に攻略するという内容だ。基本的に篭城する側が有利なのだが、彼らは綿密な計画を立ててきたらしく、授業が始まって僅か1時間でほぼ制圧している。流石にこんなに早く負けを認めるのはクラスとしての評価も落ちるので、避けたいところだったが、木戸は友人を盾にされ、すぐに負けを口にしてしまいそうだった。見れば、まだこの場に来た敵は彼一人のみだ。どうにか翔を助けられないものかと、遠也は必死に頭を使うが、それに気付いた敵にそのナイフの切っ先を向けられ、牽制されてしまう。
「変なことは考えるな」
 しかし、一瞬翔からナイフを離し、隙を見せたことが、綿密な計画の綻びだった。翔が素早く自分を拘束していた腕を掴み上げ、身を丸めて敵を背負い投げた。床に叩きつけられた衝撃で、彼の手からナイフが零れ、翔は素早くそれを蹴り飛ばす。
「日向!」
 味方からの軽い喝采を聞きながら翔は、少年の覆面を剥いだ。痛みに表情を歪めながらも強い瞳で翔を睨みあげた青年は、なかなか整った綺麗な顔をしている。その顔に、遠也が「あ」、と声を上げた。
「彼が今日のA組の指揮役の、佐々鋭生です」
「……指揮役が一人で突っ込んできたのか?」
 指揮役の死、つまりはペイント弾に当たったり、他に実戦であれば死亡と判断されるようなことになれば、どんなにそれまで戦況が有利であったとしても敗北となる。そんなルールがあるのに、この佐々鋭生の行動はあまりにも無謀だった。木戸が驚いたようにいうと、佐々は眉間を寄せたまま顔を背けた。
「黙れ。さっさと、勝利宣言でも何でもすればいいだろう」
 捕らえられている状況だというのに、佐々の態度はどこか横柄だ。しかし、悔しげに眉間を寄せている辺り、相当悔しいというのは見ていて解かった。
「それは、貴方が負けを認めてくれないと……」
 そう、遠也が言いかけた時だ。窓が大破し、何かが部屋の中に突入してきたのは。
 しまった、と思っても遅かった。中に突入してきた人物はパンパンと2回発砲し、見事にペイント弾を遠也と木戸の胸に命中させる。翔が体勢を整える前に、その人物はひょいっと翔の襟足を掴み上げ、片腕でその体を持ち上げた。
「ちょ、な……!」
「いつまでもウチの代議様に触ってんじゃねぇ」
 まるで猫か何かを放るように、覆面の男は翔の体を投げる。男の軽い動作に反して、翔の体は激しく床に叩きつけられた。その痛みに呻いている間、男は覆面を外し、自由になった佐々にいそいそと近付いていく。
「ったくよー、代議。お前、今日は指揮役だっつー自覚あんのかよ。一人でさっさと行動しやがって。ま!俺が居たことに感謝するんだな」
「感謝して欲しかったらもっと早く来い。遅すぎる」
「しょうがねぇだろ、ちょっと骨のあるヤツに阻まれちまったんだよ。でも指揮役倒したし、これでウチのクラスの勝利だなぁ。で、大活躍の俺にお礼の言葉は?」
「死ね」
 そんな会話は翔の耳にも届き、恐らくは近くに倒れ伏している遠也たちも聞いていたはずだ。
 彼が外から来たのは解かる。外の、外の見張りについていた“骨のあるヤツ”というと一人思い当たる人物が居た。
 克己だ。
 克己が彼に負けた?そんな馬鹿な。
 困惑しつつも、自分の友人を恐らく叩きのめしただろう男に翔は素早く銃口を向けた。その気配に敵二人の会話が止まり、二つの視線が自分に向けられる。
「……オイオイ、授業は終わりだぜ。お前らの負け。でもそれなりに楽しめた。お疲れ」
 プラプラと男は手を振るが、翔はそれに首を横に振って見せた。
「俺はまだ、撃たれてない」
 翔の痛みに震えた声に、男は小さく笑う。彼が撃たれようが撃たれまいが、今日の指令役である木戸孝一はすでにペイント弾に倒れた。つまりは、すでにゲームオーバーなのだ。
 しかし、そこで男の背後にいた佐々があることに気付く。生徒全員がつけている、この学校支給の腕時計はクラス対抗の総合演習では、試合時間のタイムを計る仕様になっている。どちらかが負ければ、自動的にそのタイムカウントは止まるが、今まだその蛍光緑のデジタル数字は忙しなく変わり続けている。
 木戸は倒したはずだ、と佐々は彼の様子を確認するより前に、気付く。
「甘利!」
 佐々は反射的に目の前の大男の襟足を引っ掴み、自分の方に引き倒した。瞬間、銃声が部屋の中に響き、パシッと天井に赤いインクが散った。佐々の反応が遅ければ、甘利の体にその赤を散らしただろう。
 彼に命中させられなかったのは悔しいが、これで一瞬の隙を作れた。翔は素早く身を起こし、部屋から飛び出していく。
「何……!?」
 状況が読めない甘利の困惑した姿に佐々は舌打ちする。
「木戸孝一はフェイクだ。今日の指揮役は別にいる、恐らく日向翔だ」
 指揮役は授業前日に決められ、その情報はクラス毎で手に入れなければいけない。恐らく、偽の情報を自分達はつかまされていたのだ、と佐々は眉間を寄せた。
「何ぃ!?ちっくしょ、面倒な小細工しやがって!時間がねぇぞ!」
 授業が終わるまで後20分、この20分のうちに日向翔を捕まえなければ、自分達のクラスの負けだ。甘利はすぐに部屋から飛び出し、翔の背を追う。佐々もその後を追った。
 まだ体から完全に痛みが消えていなかった翔に追いつくのは簡単だった。甘利は銃の腕には少々自信がある。走りながらもその背に命中させる事も出来ると、その銃を構えた時、目の前に黒い風が飛び出してくる。その正体に、甘利は目を見開いた。
「お前は!」
 先程、外で一戦を交えた男だった。彼の力量を読み、まともに相手にしていたら作戦の時間通りにことが進まないと思い、ただ逃げてきたのがここで災いとなるとは。
「克己」
 男の背後で日向翔のどこか安堵したような声が響く。しかし、安心するのは早い、と甘利は標的を変える事無く素早く引き金を引いた。隙を突かれた翔はしまったという表情を一瞬見せたが、彼を引き寄せ巧くかわさせたのは、克己だった。廊下の壁に赤く散ったペイント弾に甘利は悔しげに顔を顰めるが、即座にもう一発撃とうとした。が、引き金はガチリと音をたてただけで何の手ごたえもない。何度引いても駄目だった。と、いうことは、だ。
 弾切れって、オイ。
 自分らしくないミスに唖然としたその瞬間、克己の固い拳が甘利の頬に入り、その巨体は壁に叩きつけられる。
「こんな間抜け、久々に見たな」
 そう呟いた克己の声に、うるせぇ!と心の中で怒鳴るしかなかった。
 しかし、その時パンと別方向から乾いた銃声が響き、翔の「げっ」という低い声が漏れる。ハッと克己が後ろを振り返れば、情けない顔で赤く染めた胸部を見せる翔と、その背後で壁に寄りかかりこちらを気だるい視線で見つめる美青年がいる。その手には、銃が握られていた。
 その青年の顔に、甘利は小さく「鋭生」と呟き、それに答えるように、佐々はその美形顔を笑みに変えた。
「で、大活躍の俺にお礼の言葉は?」

 その日、A組とE組の合同演習は、A組の勝利で幕が下りた。








「佐々鋭生も甘利隆久も有名だろ。A組って強い奴揃ってるから相手にすんのマジ嫌なんだよなぁ」
 正紀のため息に、翔は苦笑を返すしかない。自分のミスでクラスが負けたようなものだが、そう思っている翔に、友人達が口々にフォローした。実際、あの時生き残っていたのは翔と克己だけだったのだ、と後から知った。それに対し、A組は半数以上残っていた。あの時翔が銃弾を受けなくても、篭城は失敗。結局は負けだった。
「佐々鋭生は頭いーし顔もいーしで、女子にもモテる。でも、本人は女に興味なし。クールビューティってヤツだな。んで、A組のクラス委員」
 正紀は夕食のしょうが焼きを食べながら、遠くのテーブルで同じく夕食を食べているグループの端に座る人物を指差した。正紀といずるは今回の情報収集集め役だ。彼らの情報は、クラスの中でも彼らが一番詳しい。
「あのでかいのは甘利隆久。あいつも頭いーし顔もいーしで、女子にモテる。女遊びは激しいらしいけど、特定の彼女は無し。この二人がA組の中心人物だな」
 そうこそこそと小声で会話をしている間、会話の人物二人はなにやら言い争いをしていた。それを彼らの友人達は笑ってみている。
「あの二人を攻略しないことには、A組には勝てないな」
 ふぅ、とため息を吐いたのはいずるだ。
「偽情報は良いところまで行ったんですけど」
 その作戦を立てた遠也も疲れたようにため息を吐いた。次にA組と対戦することになるのは来月だ。その時まで、何か良い手を考えておかなくては。
「あの二人、喧嘩ばかりなのに、何で授業の時だけは良いコンビになるんだろ」
 そう悔しげに呟いた大志は、本日真っ先にA組に倒されていた。確かに、先程から彼らは口喧嘩ばかりしている。
「あ、その仲悪いところを突けば良いんじゃ!」
 ぽん、と思いついたように大志は手を叩くが、いずると正紀が首を横に振った。
「無理無理」
「ダメダメ」
「何でだよー!」
 良い考えだと思ったのだが、二人に否定され大志はむぅっと頬を膨らませる。そんな彼の反応に、正紀は額を抱えてため息をついた。
「お前、見ろよアレ」
 正紀が小声で示した甘利と佐々は、やはり喧嘩をしている。十二分に仲が悪いように見えた、が
「佐々の今日の夕飯はA定食ハンバーグ」
「甘利の今日の夕飯も、A定食ハンバーグ」
 正紀の説明にいずるが続いたが、その言葉に大志を始め、遠也と翔も首を傾げた。彼らの言葉の意味が解からないのだ。そんな友人達に更に正紀といずるは続ける。
「佐々の今日の昼食はBランチ」
「甘利の今日の昼食はBランチ」
「佐々の今日の朝食はC定食」
「甘利の今日の朝食はC定食」
「佐々の昨日の夕飯はC定食サラダ付き」
「甘利の昨日の夕飯はC定食サラダ付き」
「佐々の昨日の昼食はAランチキャベツ大盛り」
「甘利の昨日の昼食はAランチキャベツ大盛り」
 すらすらと二人が言い進めていくにつれて、場の空気が重くなっていくのがわかった。正紀達もこれ以上言いたくないと、そこで言葉を止める。
「な?引くだろ」
「言っておくけど、偶然とか気が合うとかそういうレベルじゃないからな。俺たちが調べ始めたこの1ヶ月、食べた定食が違った日は一日も無いんだからな……」
 ぱらぱらとメモ用紙を捲るいずるも口元を引き攣らせていたが、何故そんな食べたものまで調査していたんだろうか……と彼らの行動にも疑問を抱かずにいられない。
 調査の類は気付けば将来探偵志望である正紀と、その親友であるいずるに任されていた。毎回細かいところまで調べてきてくれて、その観察眼や推理力は流石としか言いようがないが、たまにこうして無駄情報も披露してくれる。
「何で食い物まで調査するんだよ……」
 うんざりしたような口調で大志が仲間の心を代弁したが、正紀はそんな彼に愛用のボールペンの頭を突きつけた。
「馬鹿にすんなよ。食い物の好みで人柄がわかるんだからな。例えば……」
 ちらりと正紀が見たのは克己だ。その視線に彼は怪訝な顔を見せたが、正紀はすぐ大志に視線を戻す。
「例えば甲賀。こいつはいつも和食系だ。その選択を変える日はあまり無い。基本的に慣れたものしか食べない。新メニューには絶対に挑戦しない。保守的に見えるけど、こいつの場合は警戒心が強いだけだ。それに新メニューは生徒間での争奪戦が激しいからな、食券の奪い合いをするのが面倒なんだろ。食に対する執着は薄い。でも、好みのものに対する執着はそれなりにある。和食は好きで、いつもそれを選んでるんだからな。でも、多分こいつは明日の朝は洋食を選ぶ」
「何で?」
「俺に分析されたのが不快だから。基本的に、負けず嫌いだ」
 そこまで言って正紀はコーヒーを啜り、そんな正紀の様子に友人達は一斉に克己に視線を向けた。その視線に居心地の悪さを感じた克己は、僅かに口元を引き攣らせる。正紀の言っていることは克己自身はあまり真面目に捉えなかったが、周りの友人達はそうとは考えなかったらしい。あまり内面を見せない克己を知るヒントを与えられた彼らは、好奇の目で克己を見ていた。翔以外は。
「違うって。克己は洋食好きだぞ?でも、ここの食堂は洋食より和食の方が美味いんだよ。後は、多分その日の授業内容によって喰うもの決めてるんだろ。午前中に演習あったら朝がっつり喰ってるし、午後からの演習だったら昼がっつり喰ってる。新メニューを選ばないのは、それがどれくらいのエネルギーになるのか把握出来ないから、じゃね?」
 ある程度楽な授業の日に新メニューを口にしているのは、克己としては実験的な意味合いがあるはずだ。
 克己の一番近くにいる翔の見解の方が真実に近いことは、克己の少し驚いたような顔ですぐに解かった。しかし、正紀は少々うんざりしたような表情を見せる。
「え……何その選び方……可愛くねぇの」
 自分の見解の甲賀克己の方がよっぽど可愛げがある!と正紀は克己を見るが、そんな友人を克己は小さく笑った。その嫌味な笑みが少々癇に障る。
「一日のエネルギー計算をして食べるものを選ぶのは基本です」
 珍しく遠也が克己に同調するが、好きなものを食べたい正紀達から見れば、彼らの考え方はあまり面白いものではなかった。
「そんな食い方したらメシ美味くないんですけどー」
 何この変な奴ら。
 一般的思考からかけ離れている友人達だ。まるで体型を気にしてダイエットをする女性のような気の配りようではないか。けれど、そこまでしなければ、授業で克己より良い成績を残せない。克己はそこまでしているから良い成績を残している、ということか。
「それならまだ好きなヤツと同じものを食べて喜びを噛み締めてる甘利の方が美味いメシ食ってるよな」
「全くだよなー」
 苦笑しながらいずるがさらりと言い、正紀が同意した事に、場の空気が固まった。それに気付かず、いずる達は甘利たちのいるテーブルを観察していたが、不意にこちらに視線を戻した時にようやく友人達がそれぞれ驚いていることに気付いたらしい。いずるがそれに首を傾げた。
「あれ?言わなかったっけ?甘利は佐々が好きで、最近付き合いだしたって」
「しかも、アイツら南寮で一人部屋のはずなのに、甘利は佐々の部屋に寝泊りしてるんだぜ」
 まさにそれこそ余計な情報だった。
 次の演習の時に変なことを考えて戦意を失うことになったらどうしてくれる、この情報。
 コメントしがたい事実に空気が薄暗くなったが、それを払拭したのは以外にも遠也だった。彼は他の3人とは少々違った反応を見せる。
「それならそうと言ってくれれば、そこを狙った作戦立てたんですけど……」
 チッと舌打ちした小さな天才に、彼が敵じゃなくて良かったと、誰もが心の底で思った。




「んでもさー、今回ちょっと危なかったよな」
 友人である伊賀武の一言に、佐々鋭生はぴくりと眉を上げた。しかし、それに気付かず甘利が盛大なため息を吐く。
「まさか、偽の情報掴まされてたなんてな。おい伊賀、お前何適当な仕事していやがる」
 今回E組の情報を集めたのは伊賀だった。情報収集が得意な彼がそんな偽の情報を掴まされることは無いだろうと、皆が思い込んでいたというのも隙があったといえばあったのだが、伊賀の情報収集能力は常軌を逸していた。そんな彼を騙したのだから、E組もなかなかの実力。しかし、相手を褒めることをするくらいなら、内部の人間を責めるのが普通だ。
「え、何それ。僕の所為?」
 むすっと眉間を寄せた伊賀に、慌ててフォローを入れたのは笠原真守だ。
「しょうがないだろ、その辺に関しては向こうの方が一枚上手だったってことで……」
「笠原それフォローになって無いんだけど!」
 ムキィと伊賀は声を上げるが、そんな友人達の前で佐々がため息を吐く。
「情報収集の面だけじゃない。作戦ではもっと早く攻略出来たはずだ。それが出来なかった、ということは……」
 矢張り、それがE組の実力か。
 あの冷徹な佐々が初めて敵を褒めるのか、と彼を良く知る友人達は驚きに息を呑んだ。が
「お前の所為だ、甘利」
「って俺かよ!」
 結局佐々も人の子だ。彼も敵を褒めることなく、自分が最も責めやすい相手を責め、コーヒーを飲んだ。彼の一言に甘利は慌てるが、周りの友人達は少々安堵していた。敵は、褒めるほどの力量ではないと彼は暗に言っている。それが佐々なりの気遣いであることは承知しているが、責められた甘利は納得出来ない。
「何で俺なんだよ!大体、お前ちょっとピンチだったじゃねぇか……あぁ、そうだ、あん時のお礼まだ言われてないんですけど」
「お前が来なくても何とかなった。ピンチだったのはお前の方だろ、弾切れとか間抜けすぎだ。ちゃんとカウントしろといつも言ってるだろ」
「それは……!」
 そこを突かれては甘利も何も言えない。あの時、甘利は相当焦っていた。作戦を実行しようとしたところで、甲賀克己に邪魔をされ、佐々の決めた作戦時間を大幅にずらしてしまった焦りと、最後の局面でも甲賀克己の突然の介入。そこでのんびり弾の数をカウント出来る人物がいるなら、教えて欲しい。
 ついでに言わせてもらえば、佐々が敵に拘束されていた姿を見た瞬間、怒りが脳を焼き、全てが真っ白になってしまった、という理由もある。しかし、それを言うと佐々は確実に別れを切り出してくるだろう。
 最近どうにか口説き落として佐々とは恋人になれたのだが、彼には釘を刺されていた。「この関係が授業に支障をきたすようであれば、即別れる」と。
「間抜けで、すみませんでした……」
 佐々と別れるくらいなら、奥歯を噛み締めて自分が間抜けであることを認めてしまった方が楽だと、甘利が頭を下げたのに、佐々は小さく笑う。怖いほどに綺麗な顔で、それでいい、と言いたげに。
 くっそ、何で俺はこんなお高くとまったコイツのこういう笑い方が好きなんだ!
 そんな、世間一般的から見れば可愛くない彼の笑みを可愛いと思ってしまう自分に、甘利は更に奥歯を噛み締めた。
「でも、やっぱり甲賀克己は強かったよなー。噂どおりっていうか」
 笠原は敵を褒めることにあまり抵抗を持たない人物だ。そんな彼に伊賀が目を吊り上げる。
「敵を褒めるな。次は絶対甲賀を潰すんだからな!」
 拳を握り打倒甲賀を叫ぶ伊賀には、甲賀克己を嫌う事情があった。この演習が始まる前にも、「甲賀だけは潰す!」と息巻いていたが、その珍しい態度の理由を問えば、「宿命の敵だから!」。
 正直、笠原にも甘利、他の友人達にも理解出来なかったが、唯一日本史のサブカルチャーに通じている佐々だけは、「……あぁ」と気のない声で納得していた。
「俺は、日向翔もちょっと意外だった、な」
 その時、テーブルの端で黙々と天丼を食べていた若柳成高がぽつりと零した。若柳は日向とは直接対面していないはずだ。なのに何故そんな感想を述べたのだろう、と皆が不思議そうな視線を投げかけると、彼は淡々と答えた。
「だって、日向は佐々を投げ飛ばしたんだろ。それ、すごい」
 普段あまり喋らない若柳の一言には、それなりの説得力がある。確かに、クラスでも上位の実力を持つ佐々をやすやすと投げ飛ばす程の力が日向翔は持っているということになる。伝聞で聞く日向翔像とはかなりのギャップがあった。
 A組とE組は位置的にも最もクラスが離れている。何か委員会に入っていない限り、A組とE組の生徒が顔を合わせることは珍しかった。あっても、食堂でちらりと顔を見る程度だろう。それ故に噂でしか名前を聞くことが出来なかった。そして、その噂の信憑性を確かめる術もなく、噂でその人物像を形成するしかない。少なくとも、今回の注意人物リストに日向翔の名は入っていなかった。
「確かになぁ……可愛い顔してよくやるもんだ」
 甘利は正直な感想を口にし、今まであまり気に止めていなかった日向翔の噂を思い出してみた。可愛い、甲賀克己と仲が良い。下世話なのを挙げれば、甲賀克己とデキている、彼の周りにいる友人達全員と関係を持っている等々。どれも悪意に満ちた噂だろう。過酷な授業の後にヤりたい盛りの青少年を何人も相手にする体力がある人物がいるなら会ってみたいものだ。
「ああ、それは多分日向に叩きのめされた奴らの流した噂だなー」
 伊賀にその噂の信憑性を問えば、あっさりと答えがもらえたが、その内容に甘利は眉間を寄せる。
「叩きのめされた?」
「ああ。日向は甲賀と仲良いだろ?甲賀に個人的恨みを持つヤツが、甲賀本人には勝てないからって日向を狙うんだ。でも、日向がそいつらをことごとく返り討ちにするからー」
 彼の説明に、周りの友人達は一斉に俯いた。その反応に伊賀があれ?と首をかしげ、佐々が代表してその理由を口にする。
「お前な……つまり、日向はそれなりに強いってことだろうが、それは……」
 その情報があれば、日向翔も注意人物リストに入れ、今回はもっとスムーズに勝てたはずだった。 友人達は佐々の言葉に同調するように、思いため息を吐く。
「じゃ、甲賀とデキてるってのは?それはマジなの?それともただの噂なのか?」
 甘利がついでに聞けば、伊賀は首を横に振った。
「それも噂だ。あの2人はデキてない」
 その情報に甘利は適当に相槌をうち、少し離れたテーブルに座っているE組の例の6人組の方を見る。丁度甲賀克己と日向翔が席を立ち、帰るところだった。
「俺もたまには情報収集でもしてみっかな」
 甘利も自然な動作で立ち上がり、にやりと口元を上げて見せる。そんな彼に、友人達は少し驚いたように目を大きくした。甘利が自ら情報収集役をかうなど珍しいのだ。普段は、面倒だと一蹴するのだから。
「だってお前、必要な情報持ってても提供しねぇし」
 伊賀にむかって軽い嫌味を言えば、友人は口を尖らせた。
「聞かないお前が悪いんだろー」
「聞かなくとも言え、あほ」
 そして有力な情報を手に入れて、佐々に褒めてもらう!
 そんな下心を胸にちらりと佐々を見れば、珍しく目を逸らされた。それに疑問を持つ時間はなく、甘利は敵の後を追う。もしかして目が合ったから照れたのか?とお気楽な解釈をしながら。



「……な、克己」
 自室までの帰り道、喧騒から離れ人の気配が完全になくなったのを感じてから翔は目の前を歩く友人を呼びかけた。
「ごめんな、今日の演習」
 ずっと言わなければいけないと思っていたことをようやく口にすると、前を進んでいた克己が歩くのを止め、翔を怪訝な顔で振り返る。
「何でお前が謝るんだ?」
「だって、その……俺が油断してたから、負けたわけだし……」
 まさかあの短時間で先回りされていたとは思わなかった。佐々が優秀だというのは本当だったのだ。もっと警戒していれば、負けずに済んだかも知れない。そう考えると、今日の敗北の責任は自分にある。
「折角克己が助けに来てくれたのに、台無しにした」
「……俺も、佐々の存在を考えていなかった。それに、甘利を先に捕らえ損ねたのは俺の責任だ」
「そんな!克己が気にすることじゃない」
「俺が気にしなくていいなら、翔も気にすることじゃない」
 そうだろう?と言われ、翔はほっと肩から力を抜き、ようやく笑みを見せ、克己の隣りに並んだ。
「良かった。お前もっと気にしてるかと思った」
「俺が?」
「だって克己、負けず嫌いだから」
 正紀のあの見解も当たっている部分はあった。人一倍負けず嫌いでなければ、克己くらい強くはないだろう。しかし、克己は軽く肩を竦め、「そうか?」と一言。そんな仕草がまさに負けず嫌い。翔は小さく笑い、さらりと付け足す。
「俺も、だけどな」
 次は負けない。
 そんな強い意志を翔の目に見つけ、彼の中にある思いに同意するように、克己はその頭を軽く撫でた。どこか子ども扱いしているようにも取れるその克己の動作は、それ程嫌いではない。それが、悪意のあるものでは無いことを知っているからだろう。
「あ、後、助けに来てくれてありがとな!」
 ついでに昼間の礼を口にすると、頭を撫でていた克己の手がピタリと止まる。どうしたんだ、と目を上げれば、克己の手が頭から離れていく。
「助けてやれなかったけどな」
 どこかトーンが低くなったその答えに、翔は夕食時妙に無言だった克己の雰囲気の理由を知る。あれを自分は敗北の悔しさだと判断したから、彼に謝ったのだが、どうやら違ったらしい。
「……もしかして、そっち気にしてるのか?」
 克己が気にしていたのは、敗北ではなく、翔があの時敵に撃たれた……“殺された”ことなのか。
 まさか、と思いつつも翔が恐る恐る問えば、
「戦場なら死んでる」
 遠回しのYESだった。
 気にするところは、そこなのか、と翔は一瞬頭を抱えかけたが、自分の顔が僅かに熱くなるのが解かり、克己から視線を逸らすに止めた。敗北に負けたことを悔しがるのは普通だ。けれど、自分が“殺された”ことを気にしているなんて、彼の友人としては呆れより嬉しいと思ってしまう気持ちの方が強い。
「……でも、生きてる」
 照れ隠しに克己の肩を叩いてやった。この感触も痛みも、自分が生きているからこそ彼に与えられるものだ。そこでようやく克己はいつものように笑い、翔の頭に手を置いた。
「勝負に勝っても、お前が死んだら意味がない」
「ああ」
「負けても、お前が生きてればそれで良い」
「うん」
「……だから今日は惨敗だな」
 克己の言葉を聞きながら、翔はぼすりと、どこかぎこちない動作で友人の体に腕を回し、抱きついた。
「……翔?」
 不思議そうな克己の声が上から降ってくるが、今は何となくこうしていたかった。温かい体温、声、それに匂い。間違いなく、友人のものだ。
 ……あの時。
 うっすらと目を開け、翔はあの瞬間を思い出し、克己に抱きついた腕に力を入れる。その後に再び目を閉じ、思い浮かべたのはあの綺麗な顔のA組の生徒だ。話に聞く限り、彼は優秀な人材らしい。しかし、一つあの時は解からなかったことがある。
 ……あの時、あの人が狙ってたのは克己の背中の方だった。
 気配を感じ、振り返った翔が見たのは、迷う事無く克己の背を狙っていた佐々の銃口。普通なら、指揮役である自分を狙うはずだ。何故、克己を……と思うより早く彼と克己の間に割り込み、そして克己の代わりに衝撃を受けた。翔自身も、自分が指揮役であるということを忘れていた瞬間だ。けれど、いくら敗北したといっても、あの選択は後悔していない。しかし克己に言えば絶対に怒られる。だから、言わないと決めていた。
 佐々鋭生、彼も、驚いたような顔をしていたが、多分この瞬間のことは誰にも言わないだろう。“指揮役を仕留めた瞬間”が、実は“恋人を助けようとして妨害された瞬間”だったなんて。聞きかじっている彼の性格から、そんなことをホイホイ言える人物には思えない。
 だから、本当は“親友を助けられた瞬間”だった俺の勝ちなんだけど、な。
「どうした?」
 珍しい翔からの抱擁に克己が怪訝な声で呼びかけてくる。これ以上引っ付いていたら恐らく、彼に何かを勘付かれてしまう。そう思い、すぐに離れて、笑って見せた。
「俺も、お前と同じこと、思ってる」
 克己に向けられた銃口を見つけた、あの瞬間の、氷より冷たく鉛より重い恐怖を思い出すと今も手が震える。
「だから、お前が生きてて良かったよ」
 その震えも、彼の体温に触れた今は止まっていた。
 
 あの瞬間の本当の勝敗を知るのは、彼と自分だけ。




 ガツガツガツ。
 軍用のブーツは硬い廊下を力任せに歩く持ち主に合わせて、鈍い音を響かせていた。
 何だあれ何だあれ。
 甘利は歩調に合わせて心の中で何度もそうブツブツと呟く。頭の中には、先程の日向翔と甲賀克己の会話が巡っていた。
 伊賀の話では、あの2人はカップルではないという。いやいやいや、どう考えてもアレはカップルだろう。伊賀のヤツとうとう情報の信憑性まで危うくなってきたぞ、と思いながらも、動揺し続けていた。
 いや、この湧き上がる衝動は動揺ではない。恐らくこれは、純粋な苛立ちだ。
 そう自覚し、甘利は堪らず近くの壁を思い切り殴りつけた。
 畜生、万年愛情不足の俺の目の前でイチャイチャしやがってー!!
 本当は思いっきり叫びたいが、そんなことをして注目を浴びると後々佐々の目が怖い。だから、壁を殴るに止めていたが、それでも充分人の目が集まっていたことには気付けなかった。
 なに、ごめんって。なに、ありがとうって。俺佐々にそんなこと言われた事ないですけど!大体甲賀のヤツあの時日向のこと助けられなかっただろ!なのになんで日向は甲賀に礼を言うんだよ!俺は助けても礼の一つも言われないっていうのに!!助けられなかったらものすっごいそれこそ3日間はヘコむくらい罵倒されるのに!!頭だって撫でてみたいぞあのサラサラヘアー!抱き締めてみたいぞあの細腰!抱きつかれてみたいぞ、鋭生に!!
 ガッゴッガンッ。
 壁は激しい音をたてたが、構わず甘利はそこを殴り続けていた。彼らには試合には勝ったが勝負には負けた気分だ。
「佐々に笑顔でありがとう、とか言われたらそれこそ天国にいけるんですけど、俺……」
 隆久、ありがとう。
 そう甘い声で、少々照れ気味にいう佐々を想像し……勿論、想像上の佐々だ。本人に礼を言われたことなど今まで一度も無い。いや、あることはあるが、それは無表情で機械的なものばかりだ。
 ああ、本当にそんな風に言われたら天国だ……。
 想像上の佐々は花を振りまき輝くような笑みで、自分に甘えた声を出していた。本人ならば天地がひっくり返っても……いや、恐らく本人ならば「お前が天地を引っ繰り返すくらいしてみせたら笑ってやっても良い」と言うだろう。
 先程までの笑顔の佐々より、人を鼻で笑う佐々の姿の方がリアルに想像出来、いい加減泣きたくなった。
「……甘利」
 その時、背後から愛しい声が聞こえ、ハッと振り返ると満面の笑みの佐々がそこにいた。一瞬夢が現実に、と喜びかけたが、さっきまで壁を殴っていた手が痛い。これは間違いなく現実なのだ。そう自覚すると、何だかとても嫌な予感。
「俺の部屋の壁に、何か恨みでも?」
 笑顔の佐々の言葉に、その時ようやく自分が佐々の部屋の前にいることに気付いた。最近、彼の部屋で寝泊りをしていたから、自然と彼の部屋へと足が向かっていたのだろう。しかし、その事に愛しい恋人は照れる事も、当然喜ぶ事もなく、冷たい笑みを貼り付けたままだ。
「死ね」
 そして、その満面の笑みのまま、甘利に中指を立てた。これはもう、トラウマ以外の何ものでも無い。
 綺麗な顔でそんな下品な表現しないでください。しかもお前、その顔は俺の憧れの鋭生の満面の笑顔なんだぞー!!?
 そんな嘆きを口にする暇もなく、佐々は自室に入り、がちゃりと音をたてて鍵をかけた。
「鋭生―!!」
 扉の向こうからの悲痛な声に答える事無く、佐々は自室のライトのスイッチを入れ、ネクタイを解いた。今日、甘利をこの部屋に入れる気にはなかなかならなかった。それは、彼の壁殴りが原因では無い。
 あの瞬間。
 思い出すのは、あの瞬間だった。自分らしくも無く、授業の内容を忘れ、甘利を助けようとして失敗したあの瞬間。恐らくは日向翔もそうだったに違いない。パンという大きな破裂音に、二人同時に我に返っていたように見えた。
 その時目の前にあったのは、通常あるべき場面だった。けれど……。
 もし、実戦だったら。
 ついついそう考えてしまうのは、良い事か悪い事なのか解からない。しかし、もし実戦だったらどうなっていただろう。恐らく、日向翔は死ぬが、甘利も死ぬ。そして、甲賀克己は自分に親友を殺された怒りを向け、自分は甘利を殺されたことに茫然自失になる。結果、自分が甲賀に殺されて、負け。
 何でコイツが殺された程度で、この俺が足を竦ませないといけないんだ。
 そうは思うが、彼がいなくなったら怒るよりも動けなくなるような気がした。そしてそれは予感ではなく、確信だ。
 思えば、自分は彼に振り回されすぎている。さっきも、そう、さっきも、彼が一言、日向翔を「可愛い」と言った程度で泣きたくなった。今もそうだ。勝手に頭が甘利の死をシミュレーションし、それに目から涙を落とす。けれど、今回彼を助けられなかったのは事実。そして、それが実戦だったら間違いなく彼は死んでいたことも。
「鋭生……」
 ちょっと困ったような声が閉められた扉の向こうから聞こえ、その甘さに佐々は眉間を寄せた。
 しょうがないな、と彼が呟いた声に、無意識に唇を噛んでいた。
お前、お前はこの程度で諦めるのか、お前は、どうせ訓練中に俺がペイント弾で撃たれても、しょうがなかったな、と笑って済ませるんだろう。俺は、馬鹿みたいに泣いてるのに。
「……わーった。俺、ここに一晩いるから、何かあったら呼べよ」
 ……は?
 しかし、扉の向こうから聞こえてきた声に、佐々は驚くしかなかった。その間、扉が僅かに揺れる。多分、甘利がそこに背を預けた衝撃だ。
 何で、どうして、とも思うが、自分の前から立ち去らなかった彼に、情けないくらい安堵していた。
「……風邪引いて授業に支障が出たらどうするつもりだ」
 だが、彼に対する態度は相変わらず厳しい。言ってしまってから後悔したが
「そんときは、優秀な佐々様がどうにかしてくれるだろ?」
 甘利の自分に対する態度は、相変わらず優しかった。
「……しない。部屋に帰れ」
 そう答えながらも、佐々は扉の近くに座り、その扉に背を預ける。ここが一番甘利の声が良く聞こえた。
「やだ。俺は、お前の近くにいたいんだよ。いつでもな」
「……馬鹿は風邪を引かないんだったな」
 扉に預けている背が温かく感じるのは、向こう側に彼のそれがあるから……だろうか。
 彼が自分を可愛くないと思っているのは知っている。けれど、だからと言って自分は元々こういう性格で、突然可愛くなれといわれても無理であることは解かって欲しい。
 もし、あの瞬間の真実を彼に語ったら、彼はどんな反応を見せるだろうか。けれど、それを口にする勇気はなかった。それは、自分が彼を死なせてしまったかもしれない瞬間だ。
 自分の体に散ったペイント弾にホッとした表情を見せた日向翔が、どこまでも羨ましかった、あの瞬間。
 そして、即座に2発目も撃とうとした自分の手に走った軽い感触の意味を悟った、あの瞬間。

 あの瞬間の本当の勝敗を知るのは、彼と自分だけ。



「食事も同じものを選ぶ」
ちょ、私お題のクリアの仕方間違ったかも……気にしない!