「散々でしたね」
遠也がその話を聞いた瞬間、思いっきり不快気に眉を寄せ、思いっきり不快気に吐き捨てた。そんな反応に翔は少し安堵していた。そうだ、これが普通の反応であるべきだ。
先ほど、海との顔合わせが終わり、今は甲板や艦内の掃除の時間で、これが半日かかるというから驚きだ。デッキブラシを片手に掃除をこなしながら、例の話を友人達に話すとすでに知っていた人は知っていたらしく、正紀やいずるは苦笑していた。
一応、きちんとした授業の一環らしい。一人一回誰かに必ず戦闘を挑まないといけない、という決まりもある。結果は勝っても負けても、どちらでも良い、と。
勝負を挑んだ方が勝てば、晴れてその相手を意のままに出来る権利が与えられると。そして、配られたのは一枚のレポート用紙。そこに対戦相手の名前と勝敗、そして反省点を書き、提出して課題終了だ。
「俺達もさっき海の奴らにお誘い受けたよ。断わったけど」
「俺達は抱いてください、だったけどな」
見目の良い正紀といずるはさっそく海の人間の眼に留まっていたらしい。しかも勝ったらしい。
あれから翔も半分パニックになりつつも、どうしてそんな課題があるのか聞いてみた。そうしたら、他国の女性に手を出せば戦争犯罪だから、周りでそうした衝動を抑えるようにと軍は教育をしていて、その一環だと教えられた。まぁ、そう言われれば納得出来ないわけでもないのだが……。
「まぁ、でも面と向かって言ってくるならまだマシだよ。中にはいきなり暗がりに引き込まれてやられるって話も聞いてるし……課題っていうか、海の陸への嫌がらせに近いよ」
大志が床をブラシで擦りながら物騒な情報を提供してくる。絶対に嫌がらせというか、イジメだろう。勝負方法が拳が多いのも、殴りまくってから、と考えると性質が悪い。
「でも、課題ってことは……絶対抱くか抱かれるかしないといけないのか」
そこが問題だった。翔の問いに正紀が肩を竦める。
「勝負に勝ち続ければ良いんだよ。こっちが挑む場合は、別に何もしなくて良いわけだし。それに多分相手海じゃなくても良いんだろうし」
「へ?そうなのか?」
それは意外だ、と目を大きくした翔の反応に正紀はにやりと笑う。
「そーそー。な?甲賀」
「どうして俺にそこで話を振る」
太陽を見上げていた克己が不機嫌そうに眉間を寄せたが、正紀と隣りにいるいずるは意味あり気に笑うだけだった。
「ま。とにかく、気をつけた方がいい。色々と」
いずるがくすりと笑い、正紀は思い出したように遠也を振り返った。
「そうだ、天才お前も気をつけろよ?日向はそれなりに強いけど、お前頭ばっかで戦闘全然だもんな。ちっこいしいい標的だ」
「余計なお世話ですよ」
ちっこい、という言葉にかちんときたらしく、遠也の返事は刺々しい。
そんな時だった。
「あ、あの……っ!」
緊張で震えた声が聞こえてきたのは。
6人が同じところに視線を合わせると、そこには白い頬を紅潮させた海の生徒と、その後ろに銀髪の海の生徒がいた。頬を紅くした彼の視線は、正紀に注がれている。
「俺っ、1年の毛利琥太郎っていいます……あの、篠田正紀、さんですよね?」
潤んだ瞳に見つめられ、正紀も大分驚いているらしい。何度も瞬きをしてから、恐る恐る頷いていた。
彼は海との顔合わせの時に少し目立った顔だった。金色の髪を持つ彼は黒髪の中では突出した存在だった。
まさか、勝負を申し込まれるのだろうか。
「そう、だけど」
そう答えた瞬間、少年の表情が輝いた。
「やっぱり……!俺、ずっと貴方に憧れていたんです、篠さんっ!!どうか兄貴と呼ばせてください!」
何故か、彼はその場で土下座をし、正紀はあまりにも突然すぎる展開にただ茫然とした。
篠さん、とは自分が不良時代に周りから呼ばれていた呼び方で、兄貴というのは多分舎弟の意味だ。現役時代、同じ台詞を何度も言われていたのを思い出す。
「いや……そう言われても」
けれど、今はもうそんな世界から離れてしまっている。多分、この学校に入ったのだから彼も同じだろう。琥太郎もハッとしたように顔を上げ、慌てて立ち上がった。
「すいません……ついつい昔の癖で。憧れていたのは本当です。その……友達に、なってはもらえませんか?」
彼の金に近い茶色の髪が細かく揺れているのは、多分緊張からだ。可愛らしいといえるその姿に、呆気にとられつつも思わず頷いていた。
「ああ、うん。別にそれくらいなら……」
「ホントですか!?やったー!やったぞ、銀!!」
「良かったな、琥太郎」
後ろにいた友人らしき男に彼は飛びつき、きゃいきゃいとはしゃいでいた。一体、何なんだこの海のテンションは。
「あーっと、この人達は誰ですか?篠さんのファミリーですか?」
琥太郎は今まで正紀と話していた5人を見回し、「バラエティに富んでますね!」と謎のコメントを残してくれた。彼の目には統一性のない面々に映ったのだろう。
「ファミリー……って。マフィアじゃねーんだから……」
少々呆れつついずるが呟くが、そんなものは琥太郎の耳には届かなかった。
「くだらない……」
しかし遠也がため息混じりに呟いた言葉は耳に入ったらしく、ぎろりと琥太郎の茶色い目が動いた。
「あぁ?てめぇ今なんつった!?」
「くだらない、と言ったんです。大体、もう篠田はその世界から離れているんですよ。昔の事でギャイギャイ言われても迷惑なだけでしょうが」
辛辣な遠也の言葉に彼も物言いに詰まり、少し哀しげに正紀を振り返った。
「すみません、俺……迷惑でしたか?」
「へ?いや、そんなことないけど。少し、驚いた程度で」
人の良い返事をした正紀に琥太郎は安堵したように肩の力を抜き、遠也はその様子を見て目を細め、彼らに背を向ける。そのまま第二甲板の方へと歩き出した彼の行動に、翔は少し驚いた。
「遠也?」
どうしたんだろう。
「あ、おい、天才!」
遠也がもうこっちに戻ってこないことを正紀も気配で感じたのだろう。慌ててその背を追いかけていくのを翔は見送った。
「大丈夫、かな」
「大丈夫だろう」
遠也が正紀を苦手に思っているのを知っている翔は思わず呟いていたけれど、克己が隣りでどうでも良いと言いたげに投げやりな言葉を返してくれた。
「ところで、日向」
正紀を見送ってからいずるが翔を手招きする。何だ?と彼に近寄ると、こそりと耳打ちされた。
「とりあえず変なヤツに絡まれたら……―――」
理由は解からないけれど、何だか無性にイライラする。
なんだ、コレ。船酔いだろうか。胸の辺りがムカムカする。
遠也が自分の胸を軽く擦ったその腕を誰かが掴んだ。
「天才!……なんつーか、その、悪かったよ」
「何が、ですか」
スタスタと早足で歩く遠也に追いついた正紀は雰囲気的に謝罪の言葉を口にした。けれど、そう返されては何も言えなくなる。でも、言っておきたいことはあった。
「お前、ちょっと気ぃ使ってくれたんだろ?」
遠也は正紀が好きで不良達に頭と呼ばれていたわけじゃないことを知っている。だから、あんな風にはしゃぐ琥太郎を諌めたのだ。
「でも、俺大丈夫だから。心配してくれたのは、嬉しいけど」
ありがとう。
ぼそぼそと低い声で正紀が礼を言ってきたが、そんな彼にも何だか苛立ちを覚えた。
「……別に、そういう意味で言ったんじゃないんですけど」
「え?」
遠也が足を止め、後ろにいる正紀を振り返り彼を睨み付けた。
「貴方がどう解釈しようと勝手ですが、俺はそういう意味で言ったわけじゃない。元々、俺が喧騒を嫌うのは貴方だって知っているでしょう?嫌いなんですよ、騒がしいのは」
「佐木、だからごめんって」
「別に、貴方が謝るようなことじゃない。しばらく一人にしてください……どうせ、この船じゃ一人きりになれる時間も場所も限られているんです。一人でいられる時間は一人でいたい。それだけです」
最近は、ずっと騒がしかったからだ、と遠也は自分の中で理由を見つけていた。あんな事でイライラして、こうして正紀と会話することさえ何だかとても重くて、多分疲れているのだ。ここのところ色々あって、独りでいる時間が殆どなかった。元々自分は一人で本を読んだり何かをしている時間が一番好きだったのだから、そうした時間が減っていることでストレスを感じていたのかも知れない。
そう言われてしまっては正紀も引くしかなく、遠也の腕を掴んでいた手を離した。
「解かった。でも、さっきの話、覚えてるだろ?あんまり一人で行動しないほうがいいぞ。日向か、誰かと一緒にいたほうがいい」
「……ご心配なく。自分の行動に自分で責任を取ることは出来ます」
素っ気無い言葉を残して、遠也は第二甲板の方へと行ってしまった。それを見送り、正紀はため息を吐く。
「何か、難しいヤツ……」
和泉興は人知れずため息を吐いていた。
一週間前、この特別合同演習の話を聞いた時は参加する気はさらさら無かった。海に関るなんて面倒で、自分にとっての利益にはならないと思っていたのだが、全員必修と言われ、下手に嫌がるのも良い結果にならないと判断した。下手な行動をして疑われるのは不味い。特に、沢村には警戒されているようで、日々彼の視線を感じていた。
けれど、どうしても海には来たくなかった。海を見るのは初めてだし、それにこんな長時間船に乗るのも初めてだった。
ああ、やばい。
軽く眩暈を感じ、壁に身を預ける。
船に乗ってから早5時間、夕食の時間になっていたがどうしても物を食べるような気分になれず、人通りの少ない甲板に来ていた。今の時間帯なら人も少なく、自分を知る人間は艦内で海軍名物のカレーを食べているはずだ。
カレーなんてよく食べられるものだ、と感心してしまう。
気持ちが悪い。
みぞおち辺りが居心地悪く、こめかみに軽い痛みまで感じてきた。
船酔いだ。間違いなく。
こんな船酔いごときで青ざめている自分を同じクラスのメンバーに見せられるわけがなく、こうして一人フラフラと人のいないところへと来ていた。寝る場所も一人部屋ではなく、何人か一緒だったはずだ。狭い艦では仕方の無いことだが、船酔いで臥せっている自分を目撃されるのはプライドが許さなかった。
けれど、気持ちが悪い。
堪え切れずその場にしゃがみ込んだ時、こちらを伺うような声が頭の上から降ってきた。
「……大丈夫か?」
聞き覚えの無い声だ。気配を察知出来ないほどに弱っていたのか。
顔を上げれば、銀色の髪を持つ体格のいい男が自分を覗き込んでいた。
何だ、海の1年生か。
彼が着ている制服に安堵しつつ、ふらつきながらも立ち上がる。目が合うと相手は少し驚いたように眼を大きくした。
「君は、確か」
けれどこっちは知らない人間だ。考える事を放棄して、和泉は彼の肩口に頭を預けた。
「……気持ち悪い」
低く呻いた和泉に彼ははっとしたようだ。
「酔ったのか……救護室」
「行かない……今はうるさいだろう、あそこは」
今行けばどうせ同類のクラスメイトが何人もいるに決まっている。
相手は何故救護室を拒否するのか解からないようで、困ったように眉を下げていた。知らない相手に迷惑をかけるのもアレだ、と思い彼から離れようとした時、いきなり両腕をガシリと掴まれる。その手の力の強さに一瞬気持ちが悪いのも吹っ飛んだ。
「何だ」
驚いて相手の顔を見上げると、少し灰色がかった真剣な目が和泉を捉える。
「俺の部屋に、来ないか?」
「……何?」
「俺は一人部屋貰っているから、比較的静かだ」
1年で一人部屋?
その事に疑問を持ち、彼の格好を改めて見たが、海の作業用の白いTシャツだけで、彼の立場を知れるものは何も無い。ただ、彼の人の良さそうな笑顔だけ。
まぁ、彼が良いと言っているのだから良いんだろう。
「名前だけ先に教えて貰ってもいいか。上に連絡しておかないと君が行方不明になる」
「……いずみ、きょー」
「俺は、銀。藤浪銀だ」
「……っておい。お前、何している」
何故か和泉の背に腕を回し、膝の後ろにも手を回そうと屈む彼の奇怪な行動に眉間を寄せれば、彼は首を傾げた。
「抱えた方が、良いかと」
「俺は男だ」
「大丈夫。君くらいの体重なら持てる」
「そういう意味じゃねぇ……」
体調が悪くなければもっと力いっぱい否定していたのだが、流石にそこまでの体力は残っていなかった。
ぐったりと身を預けてくれた和泉はもう目を閉じて、好きにしてくれ状態だった。普段の彼からはとても信じられない姿だったが、それを知らない藤浪からしてみれば単純な感動しかない。
「やっぱり綺麗だ……」
……ん?
変な呟きが聞こえたような気がし、目を開けようかと思ったが、限界だったらしくすぐに意識が沈んだ。
これは何の偶然だろう。とにかく、自分にとって幸運なのは間違いない。
「銀?お前どこ行ってたん……ってソイツ誰?」
藤浪が歩いているところを発見した統吾が声をかければ、何だかとても幸せそうな表情の彼が振り返った。
「綺麗な人だろう?」
「はぁ?もしかして、ソイツが言ってたヤツ?」
「ああ」
藤浪が腕に抱えているのは、体格は細く見えるが勿論男で、顔の造形は確かに悪くないがやっぱり男で。
「銀……」
俺、お前の好みよく解かんねぇ。
そういう意味を込めて肩を叩いてやるが、彼はにこにこと嬉しげに笑うだけだった。
ブラウザバックお願いします。 |
ここまでが序章・・・です(バタリ