「いずるの阿呆!お前みたいなヤツともう口利くか!」
「それはこっちの台詞だ。俺だってお前みたいな馬鹿と一緒にいたくない」

 夕食を食べに食堂に来てみれば、そんな聞き覚えのある声に迎えられ、克己はそうそうに部屋戻りたくなった。
 丁度、ルームメイトの翔もいない。彼は遠也と用事があるとかで送れてくると言っていた。これは一端部屋に戻るべきかと、一瞬悩んでしまったのが悪かった。

「あぁ!甲賀!」
「丁度良いところに来たな」

 殺気だった2人の目に見付かってしまい、一瞬悩んでしまった事を後悔した。さっさと戻れば良かった。
 けれど今彼等に背を向けたところで捕獲されるに決まっている。同い年の野郎2人に追われるという状況は面白くもなんともない。
 だから、なるべく無視を心がけて一歩進んだが、素早い動きを見せた正紀に結局は捕まってしまった。

「聞いてくれよ、いずるがさぁ」
「いいや、正紀の方がおかしい」
「んだと!?」

 放っておけば、勝手にケンカをしていてくれそうだと思ったが、周りからこの馬鹿2人の仲間だと思われるのも嫌だった。
 仕方なく、……あまりこういった仲裁はしたことがないのだが

「わかった。話を聞いてやるから、取り敢えず落ち着け」

 夕飯はしばらくお預けのようだ。まぁ、翔辺りが来たら多分この2人も落ち着くのではないか。
 今日の夕飯はカレーライスがメニューに入っているようで、この2人もカレーを食べていたらしい。テーブルに2皿分の食べかけのカレーがある。
 仲良く食べていただろうに、何でこんなケンカを始めたのか……仕方なく椅子に座ると、正紀が口を開いた。

「なぁ、甲賀……カレーにはらっきょうだよな?」
 
 突然の言葉の意味が解らず、眉を寄せて見せたら間髪を入れずいずるが

「いいや、カレーには福神漬けだ」

 2人の声色がどことなく喧嘩腰だ。まさかとは思うが

「馬鹿言ってんじゃねぇよ!カレーにはらっきょうだっつーの」
「馬鹿はお前だ!福神漬けに決まってるだろうが!」

 この2人の会話から察するに

「……諍いの原因は、それか?」
「そうだ!」

 仲良く2人同時の肯定に、克己は思わず項垂れた。
 低レベル過ぎる。
 正紀といずるとはそれなりに会話を交わす仲になっている。だが、まさかこれほどまでに子どもっぽいとは。
 本当に同い年か?
 目を上げれば、2人とも自分の答えを真剣な目で待っている。それにも、呆れた。

「……どうでもいい」

 ため息を吐きながら、やはり一端部屋に戻ろうと腰を上げかけたが、両肩に重みを感じ、再び椅子に座らせられる。
 右肩には、正紀の手が。
「……どうでも、良い?」
 左肩には、いずるの手が。
「……ちょっと聞き捨てならないかな?」
 ケンカしているならここまで良い阿吽の呼吸を見せるな。
 心の中で舌打ちをし、いまだに来ないルームメイトの顔を思い出していた。
「良いか、甲賀。カレーといえば軍、軍といえばカレーなんだ!カレーの普及に旧軍が一躍かっていたんだぞ!?」
「今は海がカレー曜日を決めていて、国民には海軍カレーが有名だが、そんなことはない!陸でもカレーは特別な料理だ!」
 唐突にカレーを熱弁し始めた正紀といずるに、気付けば周りも彼等に視線を向けていた。どこから仕入れてきた情報だか知らないが、ここで海の話を持ち出してくるのは卑怯だ。陸と海はライバル関係にある。そこで、彼等との対立ネタを持ってきたら誰だって興味津々に聞き入ってしまう。
「カレーを普及させたのは陸だ!戦中はカタカナ語が使えないから辛味入汁掛飯って呼んで食べる程だったんだぞ!」
「軍隊調理法にも料理法が記入されているしな。こうなったら、陸軍カレーを立ち上げるしかない!」
 
 さぁ今こそ立ち上がれ陸軍カレー!
 
 気付けば周りも「そうだそうだ!」や「いいぞ!」と言い始めている。この2人は周りを無駄に盛り上げさせる天才かもしれない。
 半ば呆れつつ、そこまで考えが同調しているなら変な事で言い争うなと心の底から思った。
 以前、翔がいずると正紀のような親友関係に憧れると言っていたが……こんな変なケンカをする間柄に憧れるのか、理解出来ない。
 まさかと思うが、自分とこんなケンカをしてみたいとでも思っているのだろうか……。
 そこまで考え、自分と翔が大したケンカをしたことが無いということにも気付く。するネタがないというのもあるが、多少言い争いをしても翔がすぐにしょんぼりとした顔で謝ってくる。
 まぁ、言い争いになる理由も、授業で彼を自分が庇って軽い怪我をした時に怒られるという位だ。ケンカというレベルまではいかない。
 昨日も似たような理由で翔に咎められた。いつものことだからこっちが先に「すまない」と言えば更に怒られた。
「何で克己が謝るんだ、謝らないといけないのは俺の方だろ」
 少々泣きそうな顔だったから、彼が気にしているのには気付いていた。だから、今日の演習のペアに翔が木戸を選んだ理由も何となく察せる。
 それを止める理由もなく、自分も適当なクラスメイトと組んで課題をこなしたが、授業が終わって翔と再び顔を合わせた時は思わず目を見開く羽目になる。
 木戸もそれなりにボロボロだったが、翔も顔や体のあちこちに擦り傷やら切り傷やらをつくり、肩も痛めたのかその後の授業でも変な動きをしていた。
 翔が遠也に言った話の断片を聞いただけだが、何か罠に引っ掛かりそうになった木戸を翔が助けた、と。確かに、木戸と翔では能力面も技術面も叔父から武術を習っていた翔の方が上回っている。友人は大事にする翔がそうした行動を取るのは当然だ。
 だが、何なんだろう、この苛立ちは。
「で、らっきょうと福神漬けどっち?」
 色々とイライラすることを考えていた時に正紀の顔が視界を埋め、反射的にその頭を掴み額をテーブルに打ち付けていた。
「いってぇぇぇ!何すんだよ、甲賀ァァ!!」
「どうでもいい、とさっき答えたはずだ」
「それじゃダメだってさっき、い」
 うるさい正紀の口を手で塞ぎ、いや、掴んだと言った方が正しいかも知れない。少し手に力を込めてやった。
「だったら、混ぜて喰え……!」
 無理矢理な解決案を上げて、手を離すとさっそく正紀もいずるも「混ぜる……?」と眉間に皺を寄せてカレー皿を振り返る。多分、試してみるつもりなのだろう。そのチャレンジ精神は天晴れだ。
「お。克己ー。篠田と矢吹も一緒か?」
 騒動が一段落してから顔を出した翔はやはり消毒薬の香りを漂わせていた。多分、遠也にきちんとした手当をしてもらって来たのだろう。正紀といずるも手当済みの翔の顔にカレー会話を止め、心配げな表情になった。
「おす、日向。お前今日は何かボロボロだなー。大丈夫か?」
「日向……君は元気というかなんというか……。どっかの誰かさんが機嫌悪くなるから自粛しなよ」
 いずるはちらりと克己の方を見てから翔に苦笑を向ける。
 それに翔も苦笑を返していた。
「遠也にもさっき小言言われてきたんだから、カンベンしてくれ……っと今日はカレーがあるんだ」
 あの天才は容赦ない。手当中散々言われてきたはずだ。話を逸らすように翔はテーブルの上に視線を逸らす。
「そうだ、日向お前、らっきょう派?福神漬け派?」
 正紀が思い出したように問うと、翔は一度瞬きをして
「どっちでも良くね?」
 克己はこの時、彼と自分がこういうくだらない喧嘩をする日は来ないと確信した。
「なんだよ、この間は目玉焼きに何かけるかで喧嘩して、今度はカレー?」
 しかも翔の話によれば彼等には前科があったらしい。それもそれでくだらない。
「大事な事だ!」
 まるで心を読んだかのようにクワッと噛みついてきた正紀に迷惑げな顔を見せた克己の腕を引いたのは翔だった。
「克己、一緒にご飯取りに行こう」
 翔もこうなったこの2人に構うのは利口じゃないことを身に染みていたらしい。
「……そうだな」 
「お前ら逃げる気かよ」
 はいはい、逃げる気ですよ。
 恨めしげな正紀の声を背に、足早にその場から立ち去った。
「どうせ夕飯終わったらあんな喧嘩自然消滅してるって。放っておけばいいのに、克己が捕まるなんて珍しい」
 配膳用の白いトレーを渡してきながら翔は苦笑していた。そのいつもと変わらない肩の動きに視線をやると、それに気付いた彼は「あ」と声を上げる。
「け、怪我は全部遠也に治して貰ったからな!大した怪我じゃ無かったから!肩もちょっと関節外れた?感じで、でも遠也に治して貰ったし!」
「……何でそんな怯え気味に言う」
 トレーを盾にして早口で報告する翔の様子に呆れつつ、機嫌が悪かった自覚はあったので思わず自分の顔に触れていた。そんなに機嫌の悪い顔をしていただろうか。
 翔は克己の指摘に眉を下げ、しょんぼりと肩を落としていた。
「克己、何か怒ってたじゃないか」
「別に、怒ってはいない」
「嘘だ。自分の力量考慮した行動がとれるのもレベルの一つだって言うんだろ」
 遠也にも言われた。
 むぅと恨めしげにこちらを見上げてくる翔の手には真新しいガーゼが貼り付けられている。
「……それは、佐木の言う通りだ」
「でも、俺は」
「その点に関しては、俺も人の事が言えないがな」
 翔ほど酷い傷は今まで負った事はないが、彼を助ける度軽い傷を作る自分もまだまだだ。
 ため息を吐けば「克己は充分強いだろ」と翔からフォローが飛んでくる。
「克己の怪我は俺の所為だ」
「じゃあ、お前の怪我は木戸の所為か」
「……それは、違う……俺の意志だ」
「じゃあ、俺の怪我も俺の意志だな」
「それ、は……」
 八方ふさがりになってしまった翔は困ったように友人を見上げ、首を傾げた。
 どうしよう?と言いたげなその顔が面白くてついつい笑ってしまう。
「翔は面白い」
「……褒め言葉じゃねーだろ、それ」
「日向!」
 会話が中断を余儀なくされたのは、木戸の声が飛んできたからだ。
「お。木戸、お疲れー」
 翔はにこやかに答えるが、彼の顔や体のあちこちにある絆創膏や包帯を見て木戸が少し苦しげに眉を寄せた。
 しかし、包帯を巻くような傷は無かったはずだ。遠也がこんな重装備にしたのは、もしかしたら木戸に対する牽制かもしれない。
「日向、今日はごめんな」
「いーって。気にすんな、ボロボロなのはお互い様だろ」
 いつもの笑顔で手を振る翔とその横にいる克己を交互に見てから、もう一度木戸は「ごめん」と謝った。
「次は、こんな怪我させないから」
 次。
 彼がいなくなるまで口は出さないつもりだったが、あまりにも軽々しく木戸が口にした単語に、冷たい視線を送っていた。
「止めておけ」
「え?」
 冷たい温度の声に木戸がはっとしたように視線を上げ、眉間に皺を寄せていた。どこか挑戦的にも見えたその顔に、ただ冷ややかに
「お前はコイツに無駄な傷を許す」
 あまりにも冷たい声に翔が彼を振り返ったので、木戸がその時どんな顔をしていたか見る事はなかった。
「克己、俺は俺の意志で」
「いいって、日向。甲賀の言う通りだし」
「でも、木戸は本当に気にしなくていいんだ。だって、俺はホラ、叔父さんから色々習ってたしこれくらいの傷慣れて」
「そんなの、関係ないから」
 翔のフォローに答えるように言ったが、その眼は克己の方に向いていた。その意味を察した克己は木戸から視線を逸らす。
 まだまだ、こちらがそんな視線を受け止めてやろうと思える程の力を彼は持っていない。
 克己のそんな態度に彼の方も何かを察したようで、人の良い彼には珍しい程厳しい眼を一瞬見せたが、翔にはいつもの笑みを返している。
「じゃあ、また。日向……と、甲賀も」
 付け足しのように呼んだのは彼なりの抵抗なのだろう。
「ああ、また。ほんと、傷なんて治るもんだし気にしなくていいからな!」
 翔は多分何も知らない。有る意味罪だと思いつつも、知らない方が幸せなのだろうとその横顔を思わずじっと見つめていた。
「……なんだよ、克己」
「いや?」
「気のせいだと良いんだけど、もしかして木戸とあんまり仲良くなかったりする?」
「それは多分気のせいじゃないな」
「……仲良く出来たりしないのか」
「無理だ。それは絶対に」
「何でそんなキッパリ」
「そんな予感、……いや、もう確信してる」
 木戸の方も多分そうだ。
 さっきから背中に感じる視線はきっと彼のものだろうし。こちらが譲歩してもあっちは絶対に気を許さない。譲歩する気も無いが。
「甲賀、日向!」
 夕食を持って正紀達のところに戻ってみれば、どうやら仲直りをしたようで口喧嘩も終了していた。
 翔の言う通り、夕食が終われば彼等の喧嘩も終わったようだ。が
「今、カレー食べた後は牛乳かヨーグルトか話してたんだけどさ」
 それこそどうでもいい。
 それでも喧嘩の域までは言ってないようで、会話のテンポは緩やかで。
 何だかんだあっても、平和だ。
 だけど、疲れる。
 それからは会話に混ざることなく黙々と夕食を取っていたが、突然横から聞こえてきた正紀といずるの言葉に箸を止めてしまった。
「でもさぁ、気付いてるか、日向。今日甲賀と一緒に演習やってたヤツ、ボロボロだったんだぞ」
「日向以外は庇う気無いようだよ、その男」
 ……いつまでも福神漬けだかラッキョウだか言い争っていれば良いものを。

 まだ背中に木戸の視線を感じる。
 木戸は翔に無駄な傷を許す。
 それは木戸の力不足で、という意味合いもあり、翔が木戸を守る為なら自分が傷付いても構わないと思っている、という意味もある。
 しかし、この視線の温度からすると、彼はその事に気付いていない。
 あぁ、イライラする。
 カレーを食べる翔の横顔の大部分が白いガーゼで埋められている。食べるたびに微妙に痛そうに眉間を寄せるということは、口の中も切っているのか。
 何となく指で軽くそのガーゼの上をさすれば、カレーに集中していた茶色い大きな眼がこちらに動く。
「何?」
「……いや……」
 “ごめん、でもありがとう。”
 翔は彼を庇って傷を負った自分にいつも礼を言う。礼を言われれば、こちらの意志も汲んでくれたような気がして多少なりとも安堵する。
 なのに、木戸は謝罪一方で礼なんて一言も言わなかった。
「……ごめん、な?なんか、心配させて」
 克己が眉間を寄せたのに翔は恐る恐る謝った。克己の方は謝る必要はないと言うようにため息を吐く。
「でも、さ。心配してくれてありがとな!」
 少し照れたような笑顔でそんなことを言われたら。
 コイツには一生敵わないかもしれない、と少し思い、額を押さえた。


軍ならカレー……って結構勝手なイメージ持ってたり。ウィキ参考。
克己は翔に一生敵わない方向で良いと思います。

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