「……何を、しているんだ?」
 久川諫矢が部活から戻ってきてみれば、それなりに遅い時間帯だというのにまだ隣の家の幼馴染みである篠田正紀が、実弟であるいずると顔を付き合わせて何かを書いている。
 彼らは顔を上げてこっちを確認すると、ぱぁっと表情を輝かせ、「おかえりー」ととてとて走ってきた。彼等はまだ小学校入りたての年齢。可愛いなぁと思いつつ、足に抱きついてきた正紀の頭を撫でた。
 だが、可愛いからといって今はもう午後8時。いくらお隣だからといっても長居を許せるわけもなく。
「こら、正紀。こんな時間までいちゃダメだろ」
 年長者として釘を刺せば、夕飯もうちで食べたらしい正紀から苺の匂いがした。今日のデザートは苺なのか。
「母さんには言ってるからいーんだよ。今、いずると大事な話してるんだから」
 幼い子どもは頬を膨らませていずるの方へと戻っていく。大事な話?と机で頬杖をつく自分の弟の方を見れば、彼は視線で机の上にある白い紙を指した。
「父さんと、諫実ちゃんがケンカしてるんだよ」
 そして正紀が不満げな顔のまま諫矢に説明する。諫実、というのはいずると諫矢の実父の事だ。正紀の父鷹紀と諫実は親友で、鷹紀が彼の事を「諫実ちゃん」と呼んでいるから彼の息子である正紀もそう呼んでいる。
 だが、多忙な諫実と正紀はあまり顔を合わせていないはず。だから、諫実本人はその呼び方に不平は言えないが、鷹紀には毎度「諫実ちゃんはやめろ」と言っている。彼の子どもまでそう呼んでいると知ったらあの父はどんな顔をするだろう。
「最近父さん諫実ちゃんの話しないし、いずるに聞いたら諫実ちゃんも不機嫌みたいじゃんか」
 いずるも小さく頷き、正紀の説明に同意する。確かに、諫矢も薄々気付いていたが、最近あの2人の間には微妙なピリピリした空気が流れている。
 子どもはそういうのに敏感だというのは本当なんだな、と感心していれば、正紀が机の上にあった紙を手に諫矢の方に来る。
「見て!だから、お手紙書いたんだ。父さんから、諫実ちゃん宛ってことにすればいいよな!」
 お手紙?
 正紀の浅知恵には苦笑するしかなかった。きっと、鷹紀が諫実当てに謝罪の文面を書いたというように見せたいのだろう。だが、子どもの字で騙されるような諫実ではない。
 見て見て、と瞳を輝かせる正紀に押され、その文面に目を落とし………目を疑った。
「………正紀、これ」
「どうかな?父さんが書いたようにみえる?」
 小首を傾げる幼い子どもと思わずその手紙を見比べてしまう。
 その字は、確かに彼の父、篠田鷹紀のものだった。
 驚きの目を向けていた諫矢に正紀は胸を張る。
「母さんにこの間教わったんだ、ヒッセキなんとかって言ってた」
 夏帆さんー!!
 思わず正紀の母親の名前を心の中で叫び、諫矢は脱力する。彼の母は元詐欺師で、そういった怪しげな技術を色々持っていて、自分の子どもに教えるのが最近の趣味らしい。
 彼女の子どもは遺憾なく彼女の才能を受け継ぎ、こうして幼いながらも実力を無邪気に発揮する。
「な、いずるじゃあコレ諫実ちゃんに渡しておいてな!こっちは俺が父さんに渡しておく!」
 その手紙を四つ折にし、正紀はいずるに手渡していた。自分が持っているのは、きっと諫実の字に似せた手紙なのだろう。
 何とも末恐ろしい。
 諫矢は幼い幼馴染みの行く末に不安を感じた。


 結局、正紀は9時までいずると遊び、遊び疲れて寝てしまった正紀を背負い、諫矢は隣りへと歩いた。
 幼い手にはあの手紙がしっかり握られている。
「あ……諫矢くん?」
 微笑ましさに苦笑していると、篠田宅から出て来る男性の姿が。
 それに足を止めると、彼は慌てたようにこっちに走ってくる。
 どことなく正紀と似た面影のある彼は、仕事から帰ってきてすぐだったのか、Yシャツ姿だった。多分、この子を迎えに来たのだろう。
 篠田鷹紀、正紀の父親だ。
「悪い悪い、正紀送ってくれたんだな。ありがとう」
 諫矢の背から正紀を軽々と受け取り、彼はにっこりと笑った。それに軽く胸が疼くのを感じつつ、諫矢も笑顔を返した。
「いえ……こちらこそ遅くまですみません」
「コイツがいずるくんと諫矢くんから離れなかったんだろ。ごめんな、忙しいだろうに」
「そんな事……」
 くーくー寝息を立てる息子の頭を愛しげに撫でる彼に複雑なものが胸に広がるが、どうにかやり過ごして目を上げる。
「父と、ケンカしたと聞きましたが……」
「えぇ?正紀がそんな事言ってたのか?」
 彼は驚いたように眠る正紀を見て、すぐに苦笑する。
「まぁね。ちょっとした口喧嘩。大丈夫、明日にでも謝るよ。ごめんな、心配させて」
「………いえ」
「んじゃ、おやすみ諫矢くん。ありがとなー」
 ヒラヒラと手を振り、彼は玄関へと向かう。その背を見送ってから諫矢は踵を返した。
 久々に鷹紀と話した気がする。それだけで、気分が高揚するのは何故だろう。
 恋情に似た憧憬を彼に抱いている自分には、この時間が本当に大切だった。相変わらず鷹紀さん格好良いなぁとぼんやり思っていれば、自分の家の玄関が開く。
「諫矢」
「父さん?」
 さっき帰ってきた父が少し困ったような顔をしているのに少々驚いたが、その手に例の手紙があることで、納得する。
「鷹紀さんとケンカしたんだって?」
「ああ……したが……」
 その手紙の文面を眺めてから、彼は深いため息を吐く。
「夏帆に、ガキに変な事を教えるなと言っておけ」

 正紀も凄いが、あの字面を見て正紀が書いたと見破る父も凄いと思った。




諫矢お兄ちゃんは正紀パパに憧れてたりとか。
鷹紀の「諫実ちゃん」呼びが何か好き。そのうち彼等の話も書けたらいいと思ってます。

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