「母の日?」
「うん。さっき篠田達が花贈りに行った」
「マメだな・・・・・・意外と」
克己にそんな話題を振ってみたけれど、彼は大して興味無さそうだ。
「克己のお母さんはどんな人なんだ?って・・・・・・これ聞いても良かったか」
言ってしまってからちょっと失敗したと思う。結構、家族の話題がタブーな友人が多いから。遠也もあまり両親を良く思っていないようだし、正紀のアレは深く突っ込んでいい話題なのか解からなかった。だから、遠慮をした翔の気遣いにしばし克己は閉口する。
実のところ、家族の話題が最もタブーの人間と周りから認識されているのは翔なのだが、その事を本人は知らないようだ。その事を彼に伝えるのも正しい選択ではないだろうが、不必要なところで彼に気を遣わせるのも克己としては本意ではない。
そこで自分の母親はどんな人間だったか、と考えてみるのだが、思わず表情を顰めていたらしい。翔の表情が不安げなものになる。それにフォローを入れるように、克己が口を開いた。
「いや・・・・・・ウチの母親はアレな人だからな」
「アレ?アレってなんだ?」
「・・・・・・アレはアレとしか言い様が無い」
代名詞でしか語らない克己に翔は首を傾げる。やっぱり聞いてまずかったかなーと頭を掻きながら、何となく黙ってしまう。おかげで、部屋に微妙な沈黙が訪れたが
「甲賀、いるかー?」
花を送って来たその帰りか、正紀の声と共に軽いノック音が聞こえてきた。翔と克己にとっては良い助け舟だった。
しかし、いつもは無遠慮にノックも無しに入ってくるのに、何故今日に限って断わりをいれてくるのだろう。そんな疑問と共に克己は嫌な予感がした。
「どした?」
翔が腰を上げない克己の代わりに正紀を迎え入れると、彼は抱えていたダンボールを翔に渡して「これ、甲賀に届いてた。持って来てやったんだから感謝しろよ」と肩を回しながら言う。
確かに重い荷物だ。
「克己、これ・・・・・・克己宛だけど」
くるっと振り返ると、受け取った時にその重さに翔の体がふらりと揺れたのを見ていた克己がすぐ後ろに立っていた。無言でその荷物を持ち上げながら彼は届け先欄に書かれている自分の名前を視線でなぞる。その顔はやはりどこか微妙な顔。
部屋の中まで持って行き、克己がべりっと封をしていたガムテープを剥がす。正紀も自分が持って来た重いものの正体を知りたかったのか中を覗き込む。勿論、隣りに居たいずるも興味津々だ。
総勢4名で覗いたダンボールに入っていたのは、
「あ、最新式のカメラだ。ハード入ってるヤツ」
いずるの言葉どおり、最新式の録画、再生も出来るというホログラムカメラが。スイッチを入れると取った画像が立体に映されるというアレだ。
カメラの他にも紙袋や白いアルバムのようなものが入っているが、これは一体なんだろう。
「ハード入ってるってことは何か録画してあんじゃね?再生してみろよ」
とりあえず薄型のソレを手に取った克己に正紀が誰もが考えた事を言ったが、当の送られてきた本人はどことなく嫌そうだ。
それでも、再生しない事には誰がこの荷物を送ってきたのか解からないという事態で。ダンボールには克己の名前と住所のみで、送り主の名前が書いていない。克己としてはその時点で薄々相手が誰か気が付いていたからこそ、嫌なのだが。
けれど、他3名は視線で早く再生ボタンを押せ、と克己に言ってくる。
渋々再生ボタンを押すと、一人の女性の顔が飛び出してきた。長い黒髪に意志の強そうな切れ長の眼、服装は濃い紫色の着物と、大和撫子という表現がぴったりの大人の女性だ。その大人びた雰囲気は、思春期真っ最中の少年達をあっさり飲み込んでしまったようだ。わぁ、と空気が色めきだつ。
「あ、何、すっげ美人」
「これもしかして娑婆に残してきた彼女か何か?」
正紀といずるが口々に適当な事を言ってくれ、克己はどっと疲れを感じた。
いっそそんな相手だったらどんなに楽か。
思わず額を押さえて、呟いてしまう。
「母さん・・・・・・」
母さん!?
克己の漏らした言葉に他の三人は映し出されている美女を凝視する。確かに、言われて見れば克己と似ていないこともない。これが、甲賀克己の母親か。
もしかして、物凄く貴重なものを見ているのでは無いかと3人が同時に思った瞬間
『克己さん!貴方全然連絡を寄こさないってどういうことなの!それに今日は母の日なのですよ?貴方この母に何の恩義も感じていないと、そういう事なのですか?』
発せられた声は不快なほどは高くない女性の声。声を多少荒げているけれど、落ち着いた雰囲気はそのままだ。
着物の裾を眼に当てながら彼女は哀しげに表情を曇らせる。そんな少し不機嫌そうな顔はやはりどことなく克己に似ていた。
『全くもう・・・・・・まさかと思いますが、女性に現を抜かして母を忘れているわけではありませんよね?あらあらいつの間にうちの克己さんは恩知らずになられたのかしら。昌臣さんとは小まめに手紙のやり取りをしていると聞いていますが、その一通でも母に送ろうと思わないんですか?昌臣さんから聞いていますよ、料理の得意な小さくて可愛い子犬のようなお相手を見つけたそうで、あらあらまぁまぁ克己さんに限って片想い。母は密かに笑いが止まりませ』
ブツッ。
思わず停止ボタンを押してしまった克己に今度は視線が集まった。
「どうしたんだよ甲賀、続き見ねぇの?」
「そうだぞ、続き見ないと荷物が何なのか解からないじゃないか」
この状況でそんな事を聞いてくる正紀といずるに殺気を送ったが、彼らはそんなものは通用しない相手だった。あからさまにこの状況を楽しんでいる顔だ。
「後で見る。普通、手紙なんて一人で見るものだろうが」
「でも何か気になるんだよな、続きが」
週刊誌の漫画の続きが気になると同じように言う正紀を一睨みしつつもそのカメラをしまおうとした、その時
『克己さん、今停止しようとしましたね?だろうと思って、再生途中に停止ボタンを押したら自動再生に切り替えるように細工をしておきました。もうこれで最後まで流れますからしっかり聞いて下さいね』
再び浮かび上がった彼女の勝ち誇った顔に克己はいっそカメラを壊してしまおうかとまで考え、腕を振り上げた。が
『残念ながら、このカメラは我が甲賀家の財力と知識をふんだんに使って叩きつけても銃で撃っても壊れないようになっていますのよ。生憎と、貴方の考えはお見通しですから。誰の母だとお思いでいらっしゃるのかしら』
ほほほほほ、と勝ち誇った笑い声が部屋に響く。
お母様ナイス!!
と、正紀といずるが思ったかどうかは定かでは無いが、2人の顔は妙に楽しげだった。克己の母親を見れた所為か、それとも普段見ることの出来ない克己の姿を見れた所為か。
『ちなみに、再生と同時に実は録画もしていますので、後でこのカメラ送り返してくださいね、克己さん。一週間以内に送り返して来なかった時は、面白い事になりますから』
そして、彼女の顔もとても楽しげだった。
「か、克己大丈夫か・・・・・・?」
あの克己の背が影を背負っているように見えた翔が声をかけると、もう克己のほうも何かを諦めたのか、カメラをベッドの上に放り投げる。
「言っただろう、うちの母親はアレな人だと」
やり場の無い怒りの混じった言葉には翔も苦笑するしかない。確かに、アレな人だった。
『まぁまぁ、そんな訳で、母としても息子の恋路は応援したいのです。ああ、一度見てみたいですね、料理の得意な小さくて可愛い子犬のようなお相手!』
ああ、お願いだから繰り返さないで下さい。きらきらと夢見る乙女のような瞳で明後日の方向を眺める彼女の目線の先には、偶然か翔がいる。わざとか、と思うが録画をした時の彼女がそんな事を知るわけも無いから杞憂だろうが、心臓に悪い。
翔はともかく、正紀といずるの視線がさっきから痛かった。
「ひゅーうが?お前誰か知ってるのか?料理の得意な小さくて可愛い子犬のようなお相手」
にやにやと笑う正紀はよりによって翔に聞いていた。あの笑い方は大方の事を察しての質問だろう。人が悪すぎる。けれど、翔のほうは見当も付かない問いに首を振る。
「俺知らない・・・・・・なぁ、克己、誰?」
そんな翔に、子犬みたいな丸い目で聞いてくるな。と、今言ってしまったら全てが終わりだ。
「別に、好きだとか考えた覚えは無いぞ、そいつに・・・・・・」
『昌臣さんから「兄さんから来る手紙はその人のことばっか」と聞いていますよ、克己さん!もしかして無自覚ですか?と、いう訳で母は一生懸命考えて、克己さんの恋の応援グッズを送りました』
要らない。
彼女が重いダンボールの中身を告げた瞬間、克己は今すぐそのダンボールを窓の外へ投げ出してしまいたい衝動に駆られた。背後で正紀といずるが大爆笑しているところを、殴りかかりたい衝動にも駆られた。
『親の欲目を差し引いても、克己さんは容姿端麗・頭脳明晰・スポーツ万能な上、身長も高く声も美声。これで落ちない女性・・・・・・っと男性もいらっしゃらないと思います』
待て、この人どこまで知っている。
女性と言ってから少し慌てた感じで“男性”と付け足した彼女に克己は口元が引き攣るのが解かった。
確かに、弟には料理が上手い小さい犬みたいなヤツが同室だと手紙に書いた。直接的な表現は何一つ書いていない。勿論、好きな相手など一言も書いていない。可愛いとも書いていない・・・・・・気がするが、もしかしたらどこかにさらっと書いてしまったのかもしれない。ここは少し自信が無い。
『なのに、克己さんが片想いなんて驚きです。そうは思いませんか?』
「えっ?あ、お、思います!」
当の翔は録画であるのにも関わらず、自分に向かって同意を求めているように見えたのか思わず力いっぱい答えていた。そういうところが可愛い。
『私は、恐らくお相手の方も克己さんのことを憎からず想っているけれど、両者共に切っ掛けが無くて両想いにならないという結論に達しました。3日間考え抜いた結論です』
暇だな、この人。
正紀や克己、いずるにとってはそんな感想しか浮かばないが、何故か真剣に彼女の話に耳を傾けている翔からは「3日間も必死に考えてくれたんだ、お前の母さん優しいな」という感想を貰う。克己から見れば翔の方がよっぽど優しい。
この母親がこんな事をしているのは絶対暇つぶしなのだから。
『なので、母からの贈り物です。まずは一番上においてあるピンクの紙袋の中身を見てくださいな』
「これか?」
ダンボールの横に座っていた正紀がそれを取り出し、克己に渡す。
嫌な予感がしつつもそれをあけて見ると中から出てきたのは
『媚薬です』
ごっとん。
思わず取り落としてしまった紙袋はフローリングの床に叩きつけられ、瓶が落ちた時のような音を立てた。間違いなく瓶だろうが。いっそ割れてくれれば良かったのに。
『飲ませるも良し、内部に塗るもよしの即効性です。無香料無着色保存料無使用ですから、気軽に使っても大丈夫ですのでご安心を』
気軽にこんな薬使えと言う方が間違っている。
『冷蔵庫保存してくださいね』
そして注意事項も間違っている。
これが、母親から息子に贈るものだろうか。
紙袋に入った瓶を色々な意味で震える手で掴む息子の姿は流石に哀れで、正紀といずるは思わず憐れみの視線を向ける。。
『あ、でもこれ以外と美味しいですよ?普通のジュースとしても飲めますから』
「いや、コレ媚薬なんでしょうが。しかも貴方飲んだんですか」
『そんな事母親に聞くものではありませんよ、克己さん』
ぽっと頬を染める彼女に克己は脱力していた。そういえば、彼女は最近再婚して新婚生活を送っているんだっけと余計な事を思い出しながら。
『それと他にはちみつに媚薬を練りこんだものと、潤滑油も入れておきましたから、お好きに使って下さいね』
「好きにって・・・・・・どう使えと」
『そんな事母親に聞くものではありませんよ、克己さん。貴方の好きに使えばいいのです』
再び彼女はぽっと頬を染めて着物の裾で顔を隠していたが、断じてそういう意味で言った台詞ではない。
「何かよく解からないけど、上手く行くと良いな、克己!」
さっきから母親に振り回されている克己を翔が応援してきたが、無知とは時に罪だ。
『それと、緑色の袋の中には私が若い頃着た服が入っています。プレゼントをしてあげるのはどうですか』
「これだな」
再び正紀が今度は緑色の袋を克己に渡す。先ほどの袋より軽いが、大きい。
画面の母親の姿は着物で、克己も幼い頃から着物姿の母親の姿しか見たことが無い。だから中身も着物だろう。着物ならあまり流行りも関係なく着られそうだが・・・・・・結局は相手が男だからプレゼントというわけにはいかない。
しかし、がさがさと開いてみて、予想とは違ったものに硬直するしかなかった。
『私が結婚式の時に着たウェディングドレスです。是非とも着てもらってくださいな』
若い時って、確かに間違ってはいないが。
「うわー、コレ結構値の張るものだ。有名ブランドの一点ものじゃね?」
自分の母親の厳しい躾により目が肥えてきた正紀の言葉にいずるも頷いた。間違いなく布の質も上等なもので、レースもなかなか良い物だ。キラキラと光るビーズはまさか本物の宝石か。けれど、煌びやかには見えず、あくまで純潔の少女を引き立てる出来に仕上がっている。
「ああ。売り払えばなかなか良い値が付くな、コレ」
元値は解からないが、もしかしたら年月が経って価値が下がるものではなく、むしろ上がるものかもしれない。
そのいずるの一言に、克己がぱっと顔を上げる。
なるほど、売り払えばいいのか、とも言いたげに。
「・・・・・・俺だったら正紀とかそこら辺に着せて遊ぶけど、そんな事は考えないのかなぁ」
日向、似合いそうなのに。
いずるはくすくす笑うけれど、親友のさり気無くとんでもない一言に正紀は口元を引き攣らせた。
「今のは聞かなかったことにしておくからな、いずる」
翔が似合うのには同意してもいいが、絶対に女装が似合わない自分に着ろと強要しようと考える彼が恐ろしかった。そういうヤツだという事は知っているけれど。
『売ったりしたら容赦しませんからね、克己さん』
いくら位の値をつけるのが妥当か計算している克己に、彼女が笑顔で釘を刺した。流石母親、行動パターンは大方予測済みらしい。
『それに、それを着たお相手を組み敷くというのも面白いと思いませんか?』
そんな使い方をされるよりはいっそ売られた方がマシだとは思いませんか?
心の中で聞いても彼女が答えてくれるわけもなく、いや、聞いたところでもっと酷い答えが返ってきそうだ。いや、その前に聞いたところでこれは録画なのだから返事が返ってくるわけが無い。今まで普通に会話が成り立っていたから忘れかけていた。
くっと悔しげにドレスの布を握り締める克己に、正紀がぐっと嬉しげに手を握り締めた。
「お前の気持ちは良く解かるぞ甲賀!」
母親に勝てない息子という構図は正紀はいつも演じさせられている側で、あの克己もそういった身の上であるということに同類を見つけたと嬉しいらしい。
けれど、克己の方は同類視された事に不満のようで、舌打ちをする。
『では、最後に、下に入っているアルバムですが、これは貴方のお見合い相手の写真です』
急に真面目になった彼女の顔に、今までどこか疲れたような顔だった克己の表情が緊張した。
散々奇妙な贈り物をしていた彼女の口からお見合い写真という単語が出てきて、正紀といずるはギャグかと思ったが甲賀親子の神妙な空気にそうではないことを察す。翔も驚いたように眼を大きくしていた。
『私が、貴方の恋路の応援をするのは今のうちに好きな相手と仲良くしておいて欲しかったからです。貴方は、結婚相手を自由に選べるわけでは無い立場ですから』
「克己それってどういう・・・・・・」
『我が家を盛り立てる為には、致し方の無い事』
翔の質問を遮るように彼女の厳しい声が部屋に響く。
『今の時代、少しでも良い家のお嬢さんを貰っておいた方がお家の為になるのです。どんなに身分でも貴方のように優秀な人材を欲しがる家は必ずあります。その方が貴方の為にもなるのですから。その為にもっと頑張ってください』
「あ、成程ね」
正紀が何かを納得したかのような声を上げて克己に同情の視線を投げかける。
「北側でも南側のおじょーさんに婿入りすれば玉の輿だな?一族南側の仲間入りが出来るってわけだ」
「でも、そんなに上手く行くか?南側は下級階級を見下しているし」
けれど意外と上手く行くものだということを克己は知っている。自分は今この学年で最も優秀だと言われているから、その噂が軍部上層部まで届くのは時間の問題だ。娘を持つ軍人が自分に興味を持つのも。そこで一つ二つ勲章授与される程の働きをすれば充分だろう。
「さぁな。知った事じゃない」
どうせ、そういう事は自分の知らないところで決められるのだから。
克己と立場は違うが状況は似ているいずるは黙り、その友人の正紀もいずるに気遣いの眼を向けてから視線を落とす。
克己は気まずい空気にため息を吐きそうになった、その時
「・・・・・・あの!」
はっとカメラの方を見てみれば、翔がそこに正座をして立体映像の彼女に真剣な顔で向き合っていた。
「翔?」
「これ、録画されてるんですよね?俺、克己と同じ部屋の日向って言います。克己・・・・・・さんにはお世話になってます」
ぺこりと律儀に映像に礼をして、翔は深呼吸をし、吐き出す勢いを借りて口を開いた。
「家とか見合いとか、事情が色々有るのは解かります。でも、何て言うか・・・・・・克己、さんに頑張れって言うの、やめて貰えませんか」
『え?』
思わぬ言葉に彼女は戸惑いを見せたが、翔は構わず続けた。
「頭良いしスポーツ万能だし、克己は充分すぎるほど頑張ってます、何でも出来ます。だから俺は、克己は自分で好きな相手見つけられると思うんです。相手が南側じゃなくても、絶対に良い相手を見つけられると思います。だから、もし彼がその人と一緒になりたいって言ったら認めてあげて下さい」
お願いします。
へこり、と頭を下げた翔の姿を映像の彼女は放心したまま見つめ、克己のほうも驚きで眼を大きくしていた。
「おい、翔」
「何だよ。だって、お前好きな相手いるんだろ?それなのに、好きな相手と結婚出来ないなんて・・・・・・。それに、そんな政略結婚みたいなことになってお前がその子好きになれなかったら、相手の女の子だって幸せにはなれないだろ」
映像の女性の目が、はっとしたように見開かれたのを克己は見た。
さっきからおかしいと思っていたけれど、どうやらこのカメラはテレビ電話だったらしい。通信が出来ている。けれど、翔はその事に気付いていない。
この母親も、政略結婚で幸せになれず離婚したクチだということも、彼は知らないのに。
じっと克己の黒い眼で見つめられた翔は責められると思ったのか、ぐっと何かを堪えた。
「だから、だから・・・・・つい、ごめん」
何こんなに熱くなってんだ俺。
冷静な眼と視線が合い、翔は後先を考えずに動いてしまった自分を恥じた。そういう事も考慮のうえでのお見合い話だったのかもしれないのに。でも、何故だろう、何だか嫌悪に似た苦いものが心の中に一瞬にして広がったのだ。
でも、友達の母親にそんな説教に近いことを言うのはやりすぎたかもしれない。
『・・・・・・貴方は、克己さんの事好いてくれているんですね』
後悔に苛まれているところで、柔らかい女性の声にえ?と振り返ると克己の母が穏やかな笑顔でこちらを見ていた。
母親の顔、というのはこういうものを言うのだろうか。
「勿論です」
その笑顔につられて満面の笑みを浮かべると彼女はどこか安堵したような顔になり、小さく笑った。
『無駄な心配をしてしまったようですね。それでは克己さん、お体にお気をつけて。日向さんも、うちの愚息を末永くよろしくお願いします。他のお二人も』
他のお二人、というのは正紀といずるの事か、彼らもそう判断したらしく素早く姿勢を正して一礼する。彼女も優雅に礼をして、顔を上げる。その表情はどこか晴れ晴れとしていた。
色々な事に疑問を持つ前に映像は消え去り、嵐のような時間が終わる。
「・・・・・・ってアレ?コレ録画じゃなかったのか」
翔が今更な問いをしてきたので、頭を撫でてやるが彼は何かを察し顔を真っ赤にさせた。
「うっそ、だって俺、録画だと思ったから!後で消せるかなとか!!」
「そうか」
「どうしよう・・・・・・うぁあぁー!!」
「そうか」
「お前何でちょっと上機嫌なんだよ・・・・・・ってか俺は克己に好きな子がいるなんて初耳なんですけど。誰だよ、料理上手で可愛い子って。篠田は知ってるのか?」
「うぇえ?何でそこで俺に話振るよ。俺帰ろっと」
そそくさと逃げ出した正紀の後ろにいずるもついて行き、彼は何故か出掛けに意味深な笑みを浮かべて行った。
2人が逃げ出したという事は、もしや2人は克己の想い人を知っている、ということなのだろうか。
「俺が、好きな相手は」
もう映像の映らないカメラをダンボールの中に投げ入れながら克己が口を開く。その内容に翔も、お、と耳に神経を集中させる、と。
「時々、心底好きになって良かったと思わせてくれる人なんだ」
嬉しそうな響きにほんの少し切なさが混じった声だった。
「・・・・・・何かお前恥ずかしい」
耳から彼の気持ちがさらりと入ってきて、思わず耳を押さえてしまう。触れた自分の耳が僅かに熱い。
この料理以外はオールマイティの男を惚れさせた相手は誰なんだろうとか、そこまで克己に好かれる相手がなんだか羨ましいなとか、考えたけどきっとこの分だと近いうちに真相を知る時が来る。
料理の得意な小さくて可愛い子犬のようなお相手に、会える時が。
「・・・・・・な、克己、花屋行かない?」
「花屋?」
「好きな子に贈るのも良いけどさ、おかーさんに贈っとくのも悪くないと思うよ。俺も、叔母さんに送ろうと思ってたんだ」
眼の見えない叔父をささえてくれているだろう叔母に。
克己も送られた荷物をちらりと見てから、仕方ないといった風に苦笑して「そうだな」と立ち上がる。
「お前は叔母に、なのか」
「うん。叔母さんには世話になってるからなー。まだ叔父さんと結婚しないのかなぁ。あの2人、絶対相思相愛なのにまだ結婚してないんだ」
そんな、他愛も無い話をしながら数年顔を合わせた彼女の顔を思い出す。名前はまひろ。彼らを叔父叔母と呼ぶようになったのはこの学校に来てからだ。あっちに居た頃はまほろさん、と呼んでいた。
今思えば、面と向かって有難うなんて言った覚えがあまり無い。母の日はそういう為にある行事なのかもしれないと密かに思う。
後で手紙も書こうか。



貴方のおかげでこんなに成長する事が出来ました。貴方が俺を支えてくれたように、今度は俺が貴方を支えてあげたいです。
今まで有難う、これからもよろしくお願いします。




「しかし・・・・・・息子ってのは、母親には絶対勝てないものなんだろうな・・・・・・・」
小さな花束を買った克己はぼそりと呟いていた。




お終い。

息子は母親には勝てないくらいが丁度良い。
そんな話。






おまけ




「翔くんから花束が届いたよ」
まほろの声に穂高はぴくりと反応する。眼が見えないおかげで聴覚だけはぐっと良くなったからだ。がさりと包装紙の音がしてそれなりに大きな花束なのだと知る。けれど、腑に落ちないことが一つ。
「花束?どうしてまほろに?」
「多分母の日じゃないかなー?カーネーションだし」
花の香りはするが、種類までは見えない。が、まほろの一言に穂高は首を傾げる。
「・・・・・・母の日?」
本日が母の日だというのは、カレンダーが見えなくともテレビやラジオの話題を聞いていれば知っている。けれど、何故今日、まほろに、翔から花束が届くのか。
眉根を寄せた穂高に、まほろはくすりと笑った。
「翔くん、もしかしてまだ俺の事女だと思ってんのかなぁ?手紙にまだ叔父さんと結婚しないの?なんて聞いてきてる」
あっはっは、と笑う彼の声は確かに男の声で翔が彼を女だと勘違いするわけがないトーン。しかし、彼には秘密が合った。
「長年軍で培われた変装術の腕はまだまだ鈍ってないということかな」
特殊部隊と言われていたまほろが所属していた隊は、何か特殊な特技が無いと居られない。彼は七色の声を持ち、子どもから女性まで様々な声を出せる。勿論、声真似も上手いので一部では重宝された。
そして、変装術にも彼はたけていて。
「まほろ・・・・・・お前バラしておけって言っただろ」
切っ掛けは、翔が初めて出会ったときに自分より大きな男性に怯えを抱いていたから、まほろに女性に扮するよう頼んだ。女性に人脈が無かった自分が今は恨めしい。仕方ないじゃないか、長年軍に所属していると、男しか知り合いが出来ないのだから。それか、上官の娘だが、彼女達には視力を失い軍に居られなくなってから見捨てられてしまっていた。
「まーまー。それより、来月は父の日だけど、この分じゃ穂高に何かプレゼント贈ってくるんじゃない?良かったね、お父さん」
お父さん、という言葉だけ翔に接していた時の女声で囁いてきて、穂高は思わず手の中のテレビのリモコンを強く握っていた。
「お前、軍に戻れ」
「えぇー?俺が戻ったら誰が穂高の面倒を見てくれるんだよ。俺だったら女の姿にもなれて気が付いたらご近所でも評判のおしどり夫婦に」
「勘弁!!お前を贄に翔を返して貰う。そうだ、それがいい、そうしよう」
「・・・・・・無理だと思うよ、ソレ」
まほろは手紙の内容に眼を滑らせながら低い声で呟いた。
「何か、翔くん寮のルームメイトの子と相当仲良くなったみたいだぞ?格好良い連発でかなり良い男みたいだねー。背が高くて顔が良くて頭も良くて運動も出来て理想の男なんだってー。あ、大好きって書いてある。アッハ、お父さんこれじゃあ形無しだ、ね・・・・・・ぇ」
「何だと?」
途中までかなり楽しく語らせてもらったが、穂高の静かな怒りのオーラを感じ、まほろは言葉を止めた。実のところ、大好きというのは字が見えない穂高に対しての冗談で実際にはそこまで書かれていなかったのだが、今の穂高にそれを言ったところで、真実だととらえてもらえないだろう。
そして、冗談だと信じて貰えたとしてもきっと自分がタコ殴りにされる。
「翔が、その男とどうにかなるって言いたいのか!?」
「いや、そこまでは言ってないだろ。ただ、大好きだって」
よりによってそこを言ってしまって、まほろはしまったと思ったがもう手遅れで。
「ルームメイト、ねぇ」
意味深に呟く日向穂高は、一時期はその強さは右に出るものがいないと言われたほどの人物。勿論、まほろが勝てる相手ではない。
顔も知らない翔のルームメイトに心の中で謝りつつ、どうせあの学校に行ってる間は彼らが再会する事はないだろうと、楽観的に考えていた。
穂高が今まで軍で養ってきた知識と技術を駆使してどうあの学校に潜入しようか、本気で考え始めているとも知らずに。







ブラウザバック推奨

来月は父の日ですよー。忘れがちですがー。