自分の立場はわきまえているつもりだった。
アイツの体、傷痕凄かったんだ。
アレ見せられたら萎えるよ。俺は無理。
女だってきっと逃げ出すさ。
凄い、気持ち悪い。
昔、と言ってもそんなに昔じゃない。
中学3年の時に、放課後仲が良いと思っていたクラスメイトの言った台詞はまだ心に痛みを与え、翔にある種の壁を形成させていた。
解かっていた事だから、特に怒りも感じず、教室から立ち去った。後から自分が聞いていたと知った彼から謝られたけれど、その謝罪の言葉が翔の心の痛みを取り除く事は無く、今でも自分の身の振り方の根本にもなっていた。
軍にいれば、傷痕がある人間なんて稀有じゃない。
そうポジティブに考えてみる時もあるけれど、矢張り遠也以外の人間に自分の肌を晒すのには多少抵抗があった。だから、人目がある大浴場には行かない。着替えが必要な授業の時は、他より早く着替えるか、トイレで着替えるようにしている。水泳の授業は着衣だから助かった。
遠也は自分の傷を初めて見た時ただ一言「すべて完治していますね」と言った。その特に感情を見せなかった声色に安心したのを覚えている。
女じゃないんだから、体に傷がある程度のことを気にするのは変だ。そう思うことにしている。
そんな中で、確かに演技だったけれど克己の「綺麗な体」発言には驚かされた。と、いうか恐らく嬉しかったのだろう。演技だとしても、誰かに言われてみたかったのかもしれない。
もしかしたら、誰かいつか自分を何の迷いも無く抱き締めてくれるんじゃないか。そんな淡い期待もした。
その願望があんな夢を見せたのだろう。
でも普通、その場合相手は女であるべきでは?
そんな疑問が脳裏を過ぎったが、自分が女性を組み敷いている場面を想像して思わず眉を寄せていた。
父が、姉を組み敷いていた場面が蘇る。
絶対、無理だ。
それに多分女性相手ではなかったのは、見知らぬ相手からのキスの一件もあったからだ。犯人は判明したのだから、もうあの夢は見ないだろうけれど。
『「あ、は・・・・・・っもうだめぇ・・・・・・焦らさないで」
本上の甘い吐息に克己は彼の手にキスをしながら薄く笑う。月の光に照らされた彼の整いすぎているその顔に本上は頬を上気させ、克己の首にすがり付いていた。
「最近、日向と仲良いよ、ね」
下腹部の方で淫猥な音が聞こえてくるのにももう慣れたのか本上は快楽を堪えつつも不平を漏らす。
「妬いているのか」
こちらはこんなに必死なのに美声で囁いてくる彼が憎らしい。
「当たり前でしょ、甲賀さんは僕のものなのに・・・・・・」
本上の脳裏に浮かぶのは最近克己に引っ付いている日向翔。彼は確かに可愛い顔で、本上は少々自信を失いかけていた。けれどそんな彼の心を読んだかのように克己は優しく微笑み、軽いキスをする。
「アイツはただのルームメイトだ。それ以外の何でもない」
「うそうそ!甲賀さんがそうでも、絶対日向は違うよ!だって日向、可愛いし・・・・・・僕なんて」
しまいには涙さえ滲ませた本上の表情は煽情的で、克己の欲望を駆り立てる。
「本上の方が可愛い」
「嘘・・・・・・」
「お前の方が綺麗だ」
「・・・・・・ほんと?」
「ああ、愛してる、ほん―――」』
「何朗読しているんですか・・・・・・」
呆れた遠也の声に大志は手に持っている本の朗読を止めた。顔を上げてにへらっと笑う大志の横には撃沈している翔もいる。
朝っぱらから嫌なものを聞かされた遠也は、教室で堂々と卑猥な文章、しかも登場人物に多少聞き覚えのある名前が出ているものを読み上げている大志を一歩引いた眼で見た。
「ああ、コレ?女子が読んでみてくれっていうからさー。てか、本上こんなに可愛い性格じゃないよな」
「本上は日向の事可愛いなんていわないよな」
大志と正紀は本上の性格の相違点で盛り上がり
「・・・・・・ただのルームメイトかぁ・・・キッツイなぁ・・・やっぱ親友には見えないか」
何で机に伏しているのだろうと思った翔は、また少し違った観点でへこんでいる。
ヲタク女子の妄想の餌食となっている友を哀れとは思わないのか、むしろ笑いのネタにしている彼らの姿はたくましい。
遠也はやれやれ、と息を吐くが翔はまだ机に頭を預けている。そういえば、克己の姿がまだ無い。
「日向、甲賀は―――」
と、言おうとした時に大志と正紀が二人ほぼ同時にしー!と口の前に人差し指を立てる。しまった、禁句だったのか。でもそれで克己が出ている奇妙な官能小説を朗読してみせるというのはかなり酷ではないか?
「・・・・・・昨日の夜、結局帰ってこなかったんだ」
力無い翔の返答に、自分の失言を察す。
「やっぱ、本上とそんな関係に行き着いちゃったのかなぁ」
そして先ほどの朗読にすっかり感化されていた翔は有り得ないことを口にしていた。いや、それは無いだろう、とクラス全員が思ったが本人がそう思っていないのだからしようがない。
翔はもう一つため息を吐いた。
口には出さなかったけど、先程の小説の中で少し傷ついた事がもう一つ。
克己の台詞らしい「お前の方が綺麗だ」というありきたりなものが、心に突き刺さる。突き刺さるといっても小さな棘程度の痛みだが。
矢張り、あの事を今でも自分は引きずっているらしい。
体の傷が気持ち悪い―――そんな事自分が良く知っている。当たり前の感想過ぎて傷つくのもおこがましい気がする。
その時、がらりと教室の扉が開いて、賑やかだった教室が静かになる。
克己が、来た。
机にへばりついていた翔はばっと体を起こして克己に駆け寄ろうとした、が、やはりというか、彼の隣りには本上がいた。
同伴登校かよ、と誰かが呟いて。
え、本気?
「克己」
隣の席に座る彼に声をかけると彼はいつもと同じ声で「何だ?」と返してきた。
何、と言われても・・・・・・。
「おは、よ・・・・・・あのさ、後で話あるんだけど、いいか?」
「駄目だよ、甲賀さんは僕と用事あるんだから」
すかさず、といった感じに本上が克己の腕に巻きついた。それに克己がいつもの通り迷惑げに眉を寄せるが、邪険にはしていないあたり、昨夜何かがあったと考えるのが賢明。
「また泊まりに来てね。気持ち良かったでしょ?」
にっこりと本上は眩しいほどの笑顔を見せ、その発言に教室がどよめき廊下からは悲鳴が聞こえた。
「へぇ。甲賀くんやるねーぇ。本上相手なら相当の玉の輿・・・いや、逆玉かな?」
「いずる、お前な・・・・・・」
翔の後ろにいた親友達はなかなかに冷静だったが。
「いや、つーか・・・その後でも良いんだけど」
用事と言われて翔も一歩引いた。何だか親しげな二人の雰囲気を邪魔をしてはいけない気がして。
普段は克己がまともに相手をしていなかったから気付かなかったけれど、本上は確かに可愛い顔立ちをしている。テレビでアイドルをやっていてもおかしくないくらい。そんな彼と克己が並ぶと意外とお似合いなのだ。女子の妄想のネタになるだけあって。
どうしようコレ、おめでとうとか言った方がいいんだろうか。
「昨日は悪かったな」
色々考えていたら思いがけず克己がそんな事を言ってきた。それがいつもと同じ調子だったからほっとする。
「いや、俺こそ・・・なんかごめ」
「もういいでしょ、甲賀さんいこ!」
ってコラ少しぐらい話させろよ!!
翔の心の叫びなどおかまいなしに本上は克己を引っ張っていく。そしてこちらをちらりと見て勝ち誇った笑みを浮かべるから癇に障る。
何なんだ、一体。
そしてその日一日、克己に話しかけようとするとことごとく本上に邪魔をされた。
「まー、本上の気持ちも多少解かるけどな。お前ら仲良いし」
「それ、関係なくね!?」
そして午後の演習は本上が克己と組み、翔は木戸と組んで課題をやりこなす事になった。課題の内容は時間通りに目的地へ着くという簡単なようで意外と難しいもの。何故難しいのかというと、適当な地図とコンパスだけで何の目印も無い森の中を彷徨わないといけないから。
「あー、疲れた、腹へった。残り何分?」
木戸が近くの岩に腰を下ろし、翔が軍から支給されるちょっとやそっとの衝撃では壊れないという腕時計に眼をやる。
「50分・・・・・・くらいかな」
地図と自分達のマッピングが正しければ、後20分くらい歩けば目的地に着くだろう。それが終われば今日の授業は終わりだ。
昼も挟んだこの授業は授業中に昼食をとれ、と弁当も渡されていたが、翔と木戸はまだそれを食べてはいなかった。もしかしたら間に合わないかもしれないから、と食べる時間も惜しんで歩いていたけれどどうやらそれは杞憂だったようだ。
「メシ、喰う?」
木戸がそう言った時初めて自分がかなり空腹だという事を知る。
「うん」
何だか、今日は普段よりずっとやりにくい一日だった気がする。
はぁ、と重いため息を吐きながら木戸の隣りに座ると、くすりと笑う音がした。
「日向、本上に妬いてるんだ?」
「はぁ!?」
木戸の言葉に大きな声を出してしまい、慌てて自分の口を押さえる。演習中、大きな音や声を上げるのは基本的に厳禁だ。翔の声に驚いた鳥達がばさばさと飛んでいく。
「何で俺が妬くんだよ!」
だから声のトーンを少し落として木戸に抗議する。彼は苦笑しながら「怒らない怒らない」と肩を叩いてきた。怒っているわけでは無いけれど。
「いいじゃん、別に普通の事だろ。今までずっと仲の良かった親友の隣りに別な人間がいたら、誰だって少しは妬くさ。俺も経験あるし」
彼は支給されたペットボトルの水を飲みながら苦笑する。
「木戸も?」
「うん。俺も甲賀に妬いたよ」
「へ?克己・・・・・・?って、それ」
驚いた翔はサンドイッチを包んでいた紙を剥がす手を止めて顔を上げた。
「うん、そう。俺もな、日向盗られちゃったなーって思ってたわけ」
にこりと木戸は笑い、翔は思いがけない告白にただ茫然とする。言葉を失っている翔に、木戸はただにこにこ笑うだけ。悪意の無い笑みに、どう反応すればいいのか解からなかった。
「だって、小学校の時はいっつもこーちゃんこーちゃんって俺の側にいたのに、中学になったら“木戸”呼び。ここに来たら甲賀の側で、俺ちょっと寂しかったんだからな」
あぁ、冷たい子だなぁ。
と、嘆いてみせる木戸に翔は戸惑いを隠せない様子。
「え。え、ええ?そうだったのか?ごめ、俺全然気付かなかった・・・・・・」
「だろうと思った。別にいいけどな」
「だって、木戸は・・・・・・」
その先を言おうとして、翔は口を閉じる。
言い訳を言おうとして、気が付いた。
「・・・・・・俺も、妬いてたかも」
照れくさそうに眼を伏せる翔に木戸は「へ?」と首を傾げた。
「だから、中学に上がって、こーちゃん人当たり良いしみんなの中心になる人だったじゃないか。気付いたら彼女とかも作ってて、いっつも誰か側にいたし話しかける隙が無かったから・・・・・・ちょっと淋しかった」
今度は木戸が思いがけない告白に戸惑う番だった。
まさか、そんな事を考えていてくれていたなんて。贅沢を言えば、もう少し早く知りたかった。
それでも物凄く嬉しい自分は、相当きている。
「“こーちゃん”って呼ぶの止めたのは、単に大人振りたかっただけだし・・・・・・」
小学校の時は何の戸惑いも無く名前やあだ名で呼んでいたけれど、中学に入ると苗字で呼ばないといけないような気分になる。そうする事で大人の階段を一段登ったような気がするからか。
「“こーちゃん”って呼んでもいいのなら・・・・・・あ、でも何か照れくさいかも」
「なら、名前でも良いけど」
「孝一?んー、それも何か照れくさいなぁ」
今更名前というのも、今更だからこそ照れる。
ぬるくなった水を飲んでから少しぱさついたパンを口に入れてしばらく二人は無言だった。物を食べているから、という理由もあるが、何だか気恥ずかしい。
「なぁ、日向。ちょっと聞いても良い?」
サンドイッチってナマモノなのに戦場に持って行って良いのかな、でも今日は数時間だからいいのか?と何となく考えていた時、木戸が口を開いた。
「何?」
「本上に、甲賀の隣り取られてどんな感じ?」
「へ?」
「この間、ずっと友達でいたいって言ってただろ。でも友達でいる限り、お前はいつかは甲賀の恋人にお前がいた位置を明け渡さないといけなくなるけど、どうすんの」
「どうすんの、って・・・・・・俺に選択権はなくね?」
「そりゃあそうだけど、地図の見方間違うくらい動揺してるんだったらさぁ」
「動揺なんてしてなっ・・・・・・・・って、おい木戸今何て言った?」
「こーちゃんって呼んで」
「んな事はいい!今なんて言った!?地図の見方間違ってるって!?」
翔は慌てて立ち上がり、地図とコンパスを確かめる。立ち上がった拍子に膝に置いていた昼ごはんが落ちたけれど構っていられない。
「え、間違ってなくね?だって、俺ちゃんと・・・・・・」
地図を広げて困惑する翔の背後に立ち、彼から地図を取り上げて
「この地図、反対」
本当はこう、と彼は翔が見ていた地図を180度回転させた。
こんな間違い方をしてしまった、ということは進むべき道順がまるきり正反対だったというオチだ。
「うっそ、えー!!もう2時間くらい歩いてきただろオイ!!つか木戸気付いてたんならもっと速く言えよ!!てか早く戻らないと!」
「俺もさっき気付いたし。今更戻ったところで目的地に着くわけでもないし。今日はテストじゃないからそんなに怒られないだろ。誰かが迎えに来るの待っていよう」
「・・・・・・ダルダルだなお前」
おかしい。軍というところはもっと規律が厳しくこんなたるんだ精神は認められない場所ではなかったのか。
「いつもはこんな間違いしないのに・・・・・・」
悔し紛れに呟いた言葉に木戸が苦笑する。
「だから、お前相当動揺してるんだよ。自分で思っている以上にな」
木戸はもうここから動くつもりは無いのか、ポケットから煙草を取り出して100円ライターで火をつけていた。
って、煙草?
彼がその小道具を持っているところを見るのは初めてで、翔は眼を丸くして慣れた様子で口から煙を吐く木戸を見ていた。
その視線に気付いた木戸は口角を上げる。
「驚いた?」
「・・・・・・少し」
「中学2年辺りからだよ、吸い出したの。その時付き合ってた彼女が年上で、その影響かな」
ふわりと風に乗って鼻腔に触れたその香りは、覚えがある。
「それ、克己も吸ってる」
「ふーん。じゃ、無くなったら甲賀にたかるかな」
克己は人前で吸うことはなく、翔がシャワーから出てくると僅かにその香りが部屋に漂っているくらい。
それで少しこの間の一件の謎が解ける。木戸にキスを・・・・・・キスと呼ぶようなものでもなかったけど、されたと思ったのは匂いが克己と似ていたからだ。
少し苦い大人の香り。
「俺、日向が恋愛に臆病になってるんじゃないかってちょっと思ったんだけど」
「え」
「だから、自分の恋愛感情に鈍くなってるのかな、とか」
「木戸、話が見えない」
「見えなくていいよ。その方が俺は得するから。ただ、あんまり気にしなくていいんじゃね?って話」
にっこりと木戸は煙草片手に微笑み、翔はそんな彼に困惑した。
木戸ってこんな奴だっけ?
多少の違和感を覚えつつも、フォローされているらしいことに笑い返した。
「日向、体の傷のこと相当気にしてんのかな、って」
そして、見抜かれていたことにその笑みを凍らせる。
「・・・・・・な、何の事だか」
「解かるよ。お前全然大浴場に入りにこないし、気にしてんだろ?」
「そりゃ、多少は・・・・・・」
木戸との付き合いは10年。彼は自分のことを色々知っている。体の傷も彼に見せた事は多分無いが、存在は知っているはずだ。あの頃、体のあちこちにガーゼやら包帯やらつけていたのを彼は見ているから。
眉を寄せた翔は木戸に背を向けて地面に落としてしまったパンを拾う。ここに自分達がいた形跡を残してはいけない。それは授業のたびに教官に口煩く言われていたことだった。
「なぁ、見せて」
けど、後ろから降って来た台詞に翔は再びパンを地面に落としていた。
「・・・・・・はい?」
何を突然。
翔が彼を振り返ると、木戸はいつもの温和な笑みでもう一度繰り返す。
「体の傷、見せて」
「何、で?」
付き合いは、確かに長い。
でもこんなに彼が何を考えているのか解からないなんて、ただ付き合いが長いだけだったのだとこの時思い知る。
興味か、それとも好奇心?
「見たところで、楽しくないと思う、けど?」
声が震えそうになるのをどうにか誤魔化した。
木戸も翔の表情が強張ったのを見て眉を寄せる。
「楽しむ為に、見たいって言ってるわけじゃない」
じゃあ、何?
翔の眼が不安に揺れ、木戸に理由を求める。どこか一歩引いた翔の態度に寂しさを感じずにいられない。
「翔は俺にとって大切な友達だよ。それは今も昔も変わらない。俺は、お前が親父に殴られていた時近くにいたのに何もしてやれたかった」
ぐ、と拳を握ると翔が驚いたように眼を大きくさせた。
「あの時俺が何か出来てたら、お前の体の傷も、一つくらいは少なかったかもしれないのに、とか、さ」
ああ、何言ってるんだろう。
がしがしと自分の頭を掻いて失言を悔いる。
何か言うたびにドツボにはまっているような。
「だから、なんつーか・・・・・・ずっと、お前に何かしてやりたいと思っていたわけで」
好きだ。
だから、全てを知りたいし受け止めたい。
そう言えたら苦労しない。
「相変わらず、イイヤツだな、木戸は。そんな事気にしなくていいのに」
優しくしたところで翔からの評価はコレだ。
「日向、俺は」
「木戸が気にする事じゃない。それに、体の傷は男の勲章っつーだろ?俺、お前が心配するほど気にして無いよ。俺がボディビルダーみたいな体格になれば、気の毒にも見えないだろうし!」
「えっ・・・・・・それはちょっと・・・・・・」
翔がボディビルダー並みの体格になったら多分自分は一ヶ月くらい寝込んでしまう。けれど本人はそうなる事を強く希望しているのか、眼が輝いていた。
「筋肉ついたら嫌ってほど見せてやるよ!」
「もうすでに嫌なんですがその未来・・・・・・」
そんな日が来ないことを真剣に願いつつ、木戸は空を見上げた。
どうやら翔は自分に対して強がるという選択肢しか持ってくれていないらしい。どうにかその考え改めてくれないかと翔をじっと見つめても普段の笑みを返されるだけ。
もし、克己が同じ事を言ったら彼はどんな反応をするのだろう。知りたいけれど知りたくない。
「で、話戻すけど甲賀に恋人が出来てあまり一緒にいられなくなったらどうすんの?」
「・・・・・・どうすんの、ってどうしようもなくね?」
今の状況もどうしようもないな、と翔は判断したのか地図を見るのを止めて座り込んでいた。
そんな姿を見て木戸は密かに口角を上げる。
「じゃ、そうなったら俺がお前の隣りに行こうかな」
「へ?」
予約な、予約。
悪戯っぽく笑う木戸に翔はよく理解しないまま曖昧な笑みを返していた。
その後、捜索隊が迎えに来るまでひたすら下らない話をしていたような気がする。
彼が自分を必要としてくれるんなら、友達でも良いかな、なんて。
「なぁ、甲賀。ちょっと良い?」
どうにか演習から戻ってきて、木戸は教室で腕に本上を引っ付けている克己に声をかけた。本上は自分をじっと睨んでいるようだけれど、それで睨み返すと彼はすぐに克己の腕から離れる。どうやら自分は彼に苦手意識を持たれているようだ。
「何だ」
思ったとおり彼は自分に怒りを孕んだ警戒をしてくる。怒るくらいなら彼から離れなければいいのに、と木戸は苦笑していた。
「ここじゃ何だから、移動しないか?」
「克己知らない?」
本上が一人で歩いているのを見て翔は今がチャンスだと克己の姿を探していたのだけれど一向に見つからない。寮にいた遠也に聞いてみたけれど彼も首を横に振った。
「いえ、見ていませんが」
「やっぱり?どこに行ったんだろ・・・・・・」
不安げに周りを見回す翔を見かねて遠也は今まで読んでいた本を閉じ、彼の手伝いの為に立ち上がる。
教室と校内は今までずっと探していたから、寮にいると翔は思ったらしいが寮にもいない。
「射撃場も行ったんだけどいなくてさ」
「待ってればすぐに帰ってくるんじゃないですか」
「本上より先に克己ゲットしないと駄目だろ!」
本上にことごとく邪魔をされた翔は学習したらしい。確かにそうか、と思い遠也は翔と共に寮のエレベーターに乗り込んだ。
寮は3階からが寮生の部屋となっていて、地下1階から2階までは共同の施設がある階だ。2階に食堂と大浴場があり、1階は学校生活に必要なものを売る購買が。地下一階には自主練習用の射撃場などがある。
後は各階に自販機が置かれた談話室のようなところも。めぼしいところは大方探した。
2階に降り立ってみたけれど、食堂にも風呂にも克己はいない。
「あー、どこ行ったんだろ・・・・・・」
「大人しく待っていたらいいんじゃないですか。いくらなんでも夜には帰って・・・・・・」
二階をぶらついていると、吹き抜けがあって一階を見下ろす事の出来る場所に来ると遠也が突然言葉を止めた。
「いましたよ」
その目線の先には一階のロビーで木戸と立ち話をしている克己がいた。背の高い観葉植物も覆いきれない長身は間違いなく彼だ。
「え、木戸・・・・・・・?」
何で?と遠也を振り返ってみたけれど遠也は肩をすくめるだけだった。
「あんまり日向に冷たくすんなって。アイツ結構気にしてたからさ」
「何の事だ」
人のいない寮のロビーで木戸が口を開き、それに伴い克己の眉が寄る。どうやら自分は克己にかなり嫌われてしまったらしい。けれどそれが示すもう一つの事を考えると苦笑するしかない。
「キスのことは気にしなくて良い。俺が勝手にやったことだし、日向には適当な嘘ついて誤魔化しておいた。日向には何も過失は無いし。解かってんだろ?」
ちらりと克己の表情を伺うといつものポーカーフェイスで、目線は木戸には向けようとしない。
「ま、本上に心変わりしたってなら、俺は歓迎するけどな?」
「・・・・・・本上、か」
本上の名前を出すと克己が口を開く。珍しい反応に木戸は眼を大きくした。まさか、本気で心変わりしたのか。
「え、甲賀まさか、本上の事本気で」
「確かに昨日今日、と本上は俺にまとわりついていたが・・・・・・お前、気付いていないのか」
ふっと克己は思い切り馬鹿にしたような笑みを浮かべて木戸に視線を動かした。
その視線の意味が解からず、木戸は首を傾げようとしたその時
「俺の腕にしがみ付きながら本上はお前の方を見ていたんだが?」
・・・・・・・はぁ?
唖然とする木戸の顔を見て克己は嘘くさい笑みを彼に向けていた。その、どこか楽しそうな眼に彼が言っていることが本当だと木戸は知る。
そして、慌てた。
「ちょ、ちょっと待て!それって勘違いとかじゃ」
「この俺がそんなミスするか」
「そ、そうだけど・・・・・・でも何でそれ有り得なくね!?っていうか俺はパスパス絶対パス!」
惚れられる理由が解からない。彼と初めて話したのはこの間のテストの時だ。あの時のことを思い返してみても、自分は彼に惚れられるような行動を取った覚えが無い。
「まぁ、本上自身まだ自覚していないようだった」
克己のそのコメントにはほっとしたけれど。
「昨日色々と言ってやったら多少お前を意識するようにはなったけどな」
にやりと笑うその顔、一発殴ってもいいですか。
「ちょ、おま・・・・・・っ!余計な事を!!」
克己にしては、自分と本上と、邪魔な人間をくっつけられて一石二鳥かもしれないが、こっちは良い迷惑だ。
思い切り叫ぶと克己は再び意地の悪い笑みを浮かべる。この俺を敵に回したお前が悪いと言いたげな。
ああ、本当に彼を敵に回した自分が馬鹿だった。
「じゃあ、俺も本気で日向口説こうかな。さっさとカップルになったもん勝ちだろ?本上が俺の事好きだろうが嫌いだろうが関係ないし」
こうなったらもうヤケだ。
もう敵に回すしかないのならとことん敵に回してやろう。そう思ったら今まで躊躇してきた告白という行動も今すぐ出来る勇気が湧いてきた。
「優しいと誤解されて大変だな。本当に気付いて欲しい相手には本気にされないのに」
けれど克己はこちらが決意しかかっているのに気付かず、気にしているところを的確に突いてくる。実際、勘違いして告白されたことも何度かあるのだ。優しいから自分に気があるのではないか、と。そんなつもりは全くないのに。
なのに、一番気付いて欲しい翔は全然気付いてくれないし。踏んだり蹴ったりだ。
「違う、日向は鈍いんじゃなくて気付こうとしないだけだ!あいつは、前に今まで友達だった相手に告られたのにそいつに傷の事言われて」
それ以来気まずくなって友達にも戻れなかった事をいまだに彼は気にしている。
と、続けようとしたけれど、克己に余計な情報を与えていることを察して言葉をそこで止めていた。
「・・・・・・何?」
「とにかく、俺の方が日向の事色々知ってんだよ。10年も付き合いあんだよ。甲賀が知らない事だって沢山知ってるし?キスだって2回もして」
色々とヤケだったことは自分でも自覚していた。
でもふっと視界が暗くなって、軽はずみな言動に後悔する羽目になる。
「・・・・・・何話してんだろ」
ここまでは声は聞こえてこない。二人の話が終わったらすぐに克己をゲットしに行こうとここで張っていたが、なかなか二人の話は終わらず、手すりに体を預けてだらけていた。
遠也はどこか厳しい表情で二人を見ていたけれど、ふっと顔を柔らげ、翔に声をかける。
「木戸は、何か言っていましたか」
「木戸?」
「今日、演習で一緒だったでしょう」
「ああ・・・・・・友情の再確認したけど。やっぱ、木戸ってイイヤツだよな」
えへ、と笑う翔に遠也は木戸に同情した。きっと、それなりに頑張ったけど真意まで翔は気付いてくれなかったのだ。
木戸はイイヤツだ。それは遠也も認める。他人の恋愛事にはあまり首を突っ込まないようにしているから、木戸がどう行動しようが放っておくつもりだ。
だが、翔が無防備なのを良い事にキスをしたりするのは頂けない。
「・・・・・・え?」
その時、翔が不思議そうな声を上げる。
なんだ、と遠也も視線を下し・・・・・・呆気にとられた。
どうして、克己と木戸がキスをしているんだろう、と。天才と呼ばれる頭をフル回転させてもその理由には辿り着く事はなかった。
何で、どうして。
木戸は酸素があまりいかない頭で必死に今の状況を整理しようとした。逃げようとしてがっちり腕を彼に掴まれてしまっている為逃れられない。
そう大した抵抗も出来ないうちに口の中に生暖かい感触を感じ、悲鳴を上げたがすぐに腰が痺れて悲鳴を上げるどころじゃなくなった。
ショックだ。
何がショックって、同じ歳のくせに克己が巧すぎる。
彼のテクニックのおかげで気持ち悪いというよりも気持ちいいという方が大きくて、そういう意味でも逃れられない。
更なる何かが欲しく感じた時に素っ気無く口が離れ、克己が笑う。
「下手だな」
心臓に言葉のナイフがさくっと刺さった。
口を離されたとほぼ同時に腕も解放され、力の入らない足では自分の体を支える事は出来ず木戸はそのままその場に崩れ落ちる。
何よりも、最後の一言が心に強く突き刺さり立ち直れない。
「うるっせぇなぁ!つかお前が異常なんだ!!何お前!」
今では何を言っても負け犬の遠吠えにしかならず、木戸はただ自分を見下す男をにらむ事しか出来ない。
「確かに、返して貰った」
そして軽く笑いながら自分の唇を親指で拭う克己の真意に茫然とするしかない。
「返す、って日向まだお前んじゃないだろ・・・・・・八つ当たりだぞコレ」
「八つ当たりじゃない。お前は当事者だろうが」
「そうだけど・・・・・・ちっきしょーっ!!」
このやり場の無い思いはどこへ。
ロビー全体に響く叫びを上げて木戸は頭を抱えた。
そんな木戸の姿に克己は久々にすっきりした顔になる。ストレスを溜めていたところでいい結果にはならないからな、と心の中で呟いていた、そんな時。
「・・・・・・克己、木戸っ」
新たなる問題の始まりとなる声に、硬直するしかなかった。
木戸もはっと顔を上げると、さっきまでの会話の中心だった翔が荒い息を吐いている。そしてその後ろには無表情の遠也がいる。最悪だ。
「翔、」
「日向っ」
二人が翔の名前を呼ぶと、彼はいつもの満面の笑みになる。
「ごめんな、克己。お前木戸のことが好きだったんだ?そりゃ、俺が木戸とキスしてるとこ見たら怒るよなぁ、ごめんごめん」
「いや、これは」
「俺、木戸と克己って仲悪いのかと思ってたんだけど、そっかー。俺にとっては二人とも大切な友達幸せになって欲しいから、応援するな!」
ぐっと両手を握って彼は熱く言ってくれる。翔は本気だ。
そして、カップル誕生、しかも双方とも自分の大切な友達だということに心なしか喜びまで感じているのか笑顔が輝いている。
「日向、あまり二人の邪魔をするのは如何なものかと」
翔の勘違いを知っているだろうに訂正する気がさらさらない遠也の助言に木戸と克己は背筋を凍らせ、翔はあっさりと「あ、そか」と納得する。
「じゃあ、俺・・・・・・あ、今日は俺遠也んとこ泊まるわ。二人でゆっくりするといいよ」
その要らない気遣いはまさか遠也の差し金か。
「じゃあ」とエレベーターの方に向かう翔に、遠也も二人に一礼をして追おうとする。
そして彼はいまだに茫然として行動出来ない二人の男を一瞥し、くすりと笑った。
「ご愁傷様」
天才遠也の一人勝ち。
一言だけ告げた遠也はてくてくと翔の後を追い、それを見送っていたらエレベーター内で遠也を待っていた翔がこちらの視線に気付き、笑顔で手を振り、次に両手を握ったジェスチャーをする。
あれは、間違いなく「頑張れ」というメッセージだ。
エレベーターが閉まった時に、残された木戸と克己は顔を見合わせ
「っつーか俺とお前で何を頑張れと!?」
「知るか」
それぞれ、思いもかけない展開に苦悩するしかなかった。
おしまい。
遠也大好き。