日向翔は不思議な印象を持つ子供だった。

 俺、木戸孝一と彼は気がつけば小学校から高校まで同じ道を辿っている。

 小学校の頃は、いつも明るくて時々中性的な顔を冷やかされて喧嘩になっても一人で何とか出来てしまう、中身と外見がかなりの
ギャップがある子だと思っていた。

 でも、普通の小学生の子供だ。

 いつも顔や体に傷が出来ていたけれど、喧嘩か何かだろうとしか思っていなかった。

「こーちゃんこーちゃん、ドッジボールやろー」

 休み時間になると人懐こい翔がボール片手に飛びついてくる。

 それが日常。

「お前、それどうした?」

 額に出来ている青あざを指差すと、彼は俺に笑顔で「転んだ!」と言う。

 活動的な翔らしい。

 基本的な運動は大体こなせる、運動神経のいい翔はクラスでも人気があった。

 黒いランドセルが似合わない容姿だけれど、気がついたらその事を言う奴は居なくなっていた。

「そういえば、お前総体の選手に選ばれたんだって?」

 6年の春には総体がある。

 翔は嬉しそうに頷いた。

「おう。絶対優勝してみせるから!」

 毎日遅くまで練習して、教師も彼なら優勝できるとどこか期待していただろう。

 クラス全員、翔の優勝を信じて疑わなかった。


 けれど、総体3日前。


「日向君が足を骨折したので総体に出られなくなりました」

 心底残念そうに担任は俺たちに説明する。

 驚愕の展開にクラスのあちこちからブーイングに似た声が飛ぶ。

 教壇の前に立った翔は片足にギプス、片手に と痛々しい姿なのに。

「・・・・・・ごめんなさい」

 ぺこりと彼は頭を下げて、一言。

 教師は貴方が悪いんじゃないのよ、と必死になっていたけど。

 その日、彼は総体の練習に出る必要が無く、一人学校の近くの公園のブランコに揺られていたのを俺は見つけた。

「翔」

「こーちゃん?」

 ぱっと顔を上げた彼の表情は笑顔。

「こーちゃん、総体の練習終わったの?」

 俺も総体の選手に選ばれていたから、彼は「ご苦労様」と言ってくれる。

「・・・・・・残念、だったな」

 俺の言葉に翔は俯いた。

「うん・・・・・・」

 キィ、とブランコが揺れる音がする。

「ゴメンね、こーちゃん」

「お前の所為じゃないん・・・・・・」

 思わずそこで言葉を止めていた。

 彼が涙を流していたから。

 しかも、子供が泣き叫ぶような泣き方ではなく、無表情で。嗚咽も漏らすことなく。

「ゴメンね」

 あの、いつも笑っていた翔が?

 今思えば彼は生傷の堪えない少年だった。

 いつも顔や腕、足に傷を負っていた。不自然なほどに。

「・・・・・・こーちゃん、俺、こーちゃんが住んでるところに行きたい」

 翔がそんな事を言い出したのはこれが最初で最後だった。

 俺は親が居なくて、施設に預けられていた。翔はその施設の事をこの時は指していたのだ。

「何言ってんだよ、お前にはちゃんと父さんや母さんがいるじゃん」

 俺は流石に憤慨した。両親が居るのに、そんなことを言うのは翔の甘えだと。

「何があっても、両親の元にいるのが一番幸せなんだよ!」

「こーちゃん・・・・・・」

 珍しく声を荒げた自分に彼は驚いたのか、眼を大きくして俺を凝視した。

「・・・・・・そうだよね、ゴメン、こーちゃん」

 俺は、馬鹿だ。

 このとき、施設の先生に彼の事を話していたら、何かが変わっていたかもしれないのに。

 この時の過ちを後悔するのはもっと先の話だけれど。




「木戸、何ぼーっとしてんだよ?」

 昔のことをぼんやり思い出していたら、視界に成長した彼の姿が入る。

「日向」

 すでに、お互い名前呼びでなかったのは成長したからか。

「今日俺日直だろ?日誌取りにいったら、教官が木戸に用があるって」

 学級委員である木戸はよく教官に雑用を頼まれる。

 その伝達係となった翔が、自分に声をかけたようだ。

「そっか、さんきゅ」

「んじゃなー」

 翔が行こうとする方向には、つい最近までクラスで恐れられていた甲賀克己が待機している。

「翔」

 何となく、というか。

 つい、というか。

 いや、多分故意だった。

 昔のように名前で呼ぶと、翔はちょっと驚いたような顔をしてこっちを振り返る。

 けれどすぐに何事もなかったかのように、笑った。

「何?こーちゃん」

 懐かしい呼び方に、何となくほっとしていた。

 昔は、翔の側に居たのは自分だった。

 側に居た、というか、一番近い位置にいたのは自分だったはずだ。

 中学になって、佐木遠也が彼の隣りに位置するようになって、この学校では甲賀克己がそこにいる。

 淋しいような、不思議な気分だ。

 もし、あの時違った返答をしていたら、今の彼と自分の関係もまた違ったのだろうか。

 ただの結果論にすぎないかもしれないけれど。


 でも、まぁ


「お前、最近楽しそうだな」


 昔は無かった翔の雰囲気に、安堵している自分が居た。


「そ、かな?でもまあ、克己がいるし楽しいよ」

 何気ない会話にさり気無く入ってくる彼の名前に、少し胸がちりっとした焼けるような痛みを感じたけれどそれもすぐに消えた。

「良かったな」

 それは、心の底から言えた言葉で。

 自分の昔を知る相手からの言葉に、翔も笑顔で頷いた。
 



「木戸とは知り合いだったのか?」

 その日の夜、突然克己に聞かれて翔はこくりと頷いた。

「うん。小学校からの友達。なんで?」

「お前が名前で呼ばれてたし、お前もあだ名で呼んでたから」

「あー、昔はそう呼んでたからなぁ。木戸って昔から人の上に立つヤツでさぁ、小学校の時も学級委員長やってたんだよ。
皆から慕われてこーちゃん、って」

 そういえば、彼の事を名字で呼ぶようになったのはいつからだっけ?

 思い出せるわけが無い昔の記憶をたどっていると克己の視線を感じた。

「何?」

「別に」

 ふいっと逸らされた視線に一体どんな意味があるのか翔にはわからなかった。

「何だよ」

「何でもない」

「何でもないって・・・・・・あ、もしかして克己もなんかあだ名つけて欲しいとか?」

「断じて違う」

 翔の昔を知る人間、遠也より翔を知る人間が居るとは思っていなかった。

 その相手が、他人から信頼を得やすい性格の木戸。誰にでも優しい彼に翔が懐いていただろうことは容易に想像できた。


 だから、か。


 奇妙な焦りを感じたのは。

 もしかしたら、今翔の隣りに立っていたかも知れない人物だから。彼の昔を知っている分だけ木戸の方が優勢だ。

 でもそれは、“もしかしたら”で現実ではない。

 自分が密かにほっとしているということに、翔は気付いていない。

「んー、克己って名前、あだ名つけにくいな。かっちゃんとか?かっつんとか?」

「気が抜けるから止めてくれ」


 克己でいい。


 そんな意味を込めてため息を吐くと翔もこっちの心情を知ってか知らないでか「だな!」と元気良く笑う。

 本当は、彼の過去なんて知らないから自分が彼の隣りに居られるんじゃないかと思うときもある。

 それなら、儲けものだ。

 笑った彼の頭をぐしゃりと撫でてやると、彼の顔がさらに深い笑みになる。

「なんだよー、克己」

「別に」

 取りあえず、自分の役目は今の彼のこの笑みを守るだけ。

 木戸には出来なかった事をやろうとしているから、今自分は翔の隣にいられるのだろうし。

 なるべく長く、こんな関係でいたいもので。

 
「あ、甲賀って名字だし、忍ってのはどうよ?」

「それ、俺の小学校の時のあだ名」

 

終わり。





本当に克己はあだなのつけようが・・・・・・。
まだくっついていない二人。何が書きたかったって克己のヤキモチ(笑)
本当はキスの一つや二つさせたかった気がする(気かよ)
こういう話も増やしていきたいデス。

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