「要〜〜朝だぞー」

 息子が生まれてから15年。島崎周星は毎朝欠かすことなく息子である要の部屋に行って、寝起きの悪い彼を起こしてきた。


 のに


「ノックも無しに入ってくんじゃねぇよ!!」

 この日は何故か要の寝息ではなく怒声と枕に迎えられた。

「か、要?」

 今までに無かった出来事に、沈着冷静と言われる名弁護士もたじろいだ。

 枕が重力にしたがってぼたりと落ち、開けた視界の中に居た息子は顔を紅くしてこっちを睨んでいる。

 何か悪いことをしただろうか、と考え直してみても普段と特に変わった行動をした覚えは無い。

 そりゃ、要が娘だったら朝から部屋に入ろうだなんて思わないし、まず愛しい妻が自分に目覚まし時計の役割をさせようだなんて思わないだろう。
でも、生憎要は息子だ。確認の為、彼の胸に視線をやるが矢張り女性のそれではない。

 あれ?と首を傾げる父親に要は落ちた枕を拾い上げ、もう一度彼に向かって投げ付けた。

「これからは一人で起きられる!入ってくんじゃねぇよ!」

「ちょ、要!?」

 部屋から押し出され、バタンと扉を閉められた。

 こんな扱いを受けたのは初めてだった。

 これはもしや

「ナギさん!」

「ん?どした、周星」

 転がり落ちる勢いで階段から降りてきた彼は、新聞を読んでいた妻に真剣な顔で


「要が反抗期だ!!」


 法廷で検察側に有力な証拠を突きつけられても表情を変えない島崎周星が、世界の終わりのような顔をしている。コレ、
写真に撮ったら売れるだろうな、なんてナギが思ってしまったことを彼は知らない。

「・・・・・・ふーん」

 彼から目を離し、ナギは再び新聞を読み始める。

 あまりにも素っ気無い返事に周星は衝撃を受けた。

「ちょ、ナギさん!要が反抗期なんだってば!何でそんなに冷静!?」

 今まで蝶よ花よと育ててきた可愛い我が子の一大事に周星はすっかり取り乱していた。彼にとって、自分の子供に拒否されるのが
一番の苦痛だったらしい。

「反抗期なんてあるのが普通でしょ?ほっとけば?」

「そんな、ナギさんー!!」

「でも、反抗期とは違うんじゃない?要、ちゃんと夜には夕食一緒に食べるし、私昨日要と結構長く話をしていたし」

 こういうものは突発的なものでは無い・・・とは言い切れないが、少なくとも朝にいきなり始まるようなものではないだろう。キリが良すぎる。
学校から帰ってきた後なら考えられるのだが。

「えぇ!?じゃあ何で・・・・・・」

 ナギの証言に本格的に周星はうろたえ始めた。

 他に、考えられる原因は一つ。

「周星、要に嫌われたんじゃない?」

 一番考えたくない事象を彼女はあっさり言い放ってくれた。

「な、何でだ―――!!」

 がっくりと床に膝をつく姿が哀れだったが、ナギはフォローを入れようとは思わなかった。

「知らない。要に聞いてみれば?それにほら、まず息子が嫌う相手は男親って言うし」

「そんなの嫌だー!!」

 周星にしては、この世で一番愛しい相手にそっくりである上自分と彼女のたった一人の子供である要に嫌われるのは死刑宣告より
避けたい事で。

 そのこの世で一番愛しい相手がまったくフォローを入れてくれない、ということは気にしてはいけない。

「もうすぐクリスマスだっていうのに・・・・・・」

 そう、しかもそれがさらに周星をへこませる理由の一つだった。

 12月25日は周星の誕生日だから、家族に祝って欲しいと思うのが当然だろう。

「おはよーゴザイマス、要、起きてます?」

 そこにやってきたのは隣の家に住む要の親友であり幼馴染である水瀬利哉。毎朝要を迎えに来てくれるなかなか良い子、と
ナギは認識しているが

「あ、利哉君、おはよう。今部屋に居るから」

「そうですか、おはようございます、ナギさん。今日もお綺麗ですね」

 周星は彼を油断ならない相手だと密かに認識していた。

「おはよう水瀬君。毎日悪いな」

 にっこり笑いながら、利哉がナギの手を取ろうとしているのを自分の体で阻んだ。

「あ、いらっしゃったんですか?島崎さん」

 利哉も笑顔だが、その言葉に棘があるのは多分気のせいじゃない。

「・・・・・・ところで水瀬君、最近要に何か変わったことは起きなかったか?」

 要に一番近いところに居るのは親友でありクラスメイトである彼だ。彼なら何か、聞いているかもしれないと思い聞いてみることにした。

「変わったこと?」

 けれど、彼はあまり心当たりが無いらしく、反応がいまいちだ。

「変わったことだよ!例えば・・・・・・そうだな、先輩に虐められてるとか先生に虐められてるとか!」

 そんな事があったらこの手で法の裁きを!!

 固い決意が見え隠れする真剣な目に利哉は少し後ずさっていた。

「別にそういうのは・・・・・・無い、と思いますけど」

「じゃあなんだ!彼女か!彼女が出来たのか!?どこの馬の骨だ!!」

 それは女側の男親が言う言葉だろう。そうは思ったが、口には出来ない。

「それも無いと思いますけど・・・・・・」

「じゃあ、ま、まさか・・・・・・っ彼氏!?」

「んなわけねぇだろ馬鹿親父!!」

 制服に着替えて降りてきたら父親の信じられない一言が聞こえてきたので、要は思わず手に持っていた英和辞典を彼に向かって投げ付けていた。

 ゴッという鈍い音が周星の頭に命中したことを知らせてくれる。

「か、要・・・・・・」

 痛む側頭部を押さえる父親を強く睨みつけて、床に落ちた辞書を拾い上げた。

「なーんでそこまで思考が飛躍するかなぁ・・・・・・この弁護士は!!」

 想像力豊かなのは良い事だ。だが、豊かすぎるのには困りもので。

 周星は怒りの視線を向けてくる息子相手に初めて恐怖というものを感じた。

「い、いや、だって・・・・・・俺はお前が心配なんだよ。今までそういう証例色々見てきたんだ。イジメ問題から色々。自分の息子にそんな目に
遭って欲しくないって思うのは当然だろう?」

 もっともらしい事を言われ、流石の要も納得すると同時に辞書を投げ付けたのはやり過ぎたか、と思いかけた、が。

「要が!ウチの要が!あんなことやこんなことをされたと思ったら!!っていうか彼氏が出来たらどうし」

「・・・・・・父さんなんて大嫌いだ」

 いい加減その突飛な考えから離れろ。

 ゴス・・・っともう一度彼の頭に辞書をめり込ませて要は家から出ようとしたが、それを慌てて止めたのは気絶させたと思った周星だった。

「か、要!!」

「・・・・・・なんだよ」

「明々後日のことだけど!!」

 明々後日は12月25日。すなわち自分の誕生日だ。

 予定を空けているかどうか、ただ聞こうと思っただけなのに

「明々後日?・・・・・・何かあったっけ?」

 要の怪訝そうな目と一言に、撃沈。

「ま、いーや。いってきまーす。お、クロン〜おはよ〜行ってきまーす」

 周星が硬直したのを良い事に要は玄関から出て行き、利哉もその後を追う。

「25日は俺達と遊ぶ予定ですよ、要は」

 出て行く寸前でにやりと笑う利哉が言った一言が、止めだった。

 というか、気のせいか、要の口調がクロンに対しては妙に甘くなかったか?

 わんわん、と元気良く要を送り出すクロンをついつい羨望の目でみてしまう。

「俺はお前以下なのか・・・・・・?」

 当のクロンは周星の涙目の理由がわからず、可愛く首を傾げるだけだった。



「相変わらずお前の親父面白いよなぁ」

 追いついてきた利哉の第一声に要はため息を吐くしかなかった。

「面白がるなよ、利哉・・・・・・」

「だってさぁー」

「今担当している裁判が、そういう裁判だからあの人変な知識得てんだよ」

「そういう裁判?」

「だからー、一人の少年が複数の男に集団暴行受けたってヤツ」

 昨日の夜のニュースで言っていた、と補足してやれば利哉も合点がいったらしい。

「あの事件担当してんの島崎さんなんだーへぇー」

「それが普通の暴行じゃなくて性的暴行だったから、証言聞いてくうちに親父も大分気が滅入ったんじゃね?母さんには任せたくなかった
らしくて、親父が一人で聞いてるみたいだし」

「世も末だなぁ・・・・・・」

 まったくだ。

 ふぅ、とため息をつくとその色はやけに白かった。

「そいや、要、昨日拾った猫は?」

「ん?あ、クラスの女子が引き取ってくれるっていうから、連れてきたよ。家に連れ込んだこと誰にも言ってなかったからさぁ。親父が朝いきなり
入ってきたとき慌てて枕投げ付けちまった」

 バレたら怒られそうだし。

 要は胸に隠していた猫を取り出して利哉に渡した。手に納まるくらいの小さな子猫は「みぃ」と鳴く。

「可哀想だな・・・・・・」

 ぽつりと利哉が呟いたことには要も頷いて共感する。

「本当、こんなちっこいヤツ捨てるなんて―――」

「いや、猫じゃなくてな」

「へ?」

 島崎さん・・・・・・。


 きょとんとしている要に利哉は笑いをこらえるのに精一杯だった。





「ちょっと先生、仕事してくださいよー!そんなんだったらいつまでも冬休みになりませんよ!」

 事務所のデスクで抜け殻のようになっている周星に事務所の仲間である瀬尾が叱咤する。瀬尾は新米弁護士でまだ経験は
あまり無いが、それなりに優秀だと周りに認知されてきている将来有望の青年だ。

「ああ、ほっといても構わないよ。馬鹿なんだから、本当に」

 テキパキと仕事をこなしているナギが彼に優しく声をかけたが、周星を見る目は少し冷たい。

「要に嫌われちゃったんだよ。それにショック受けてるだけだから」

「要君に?何したんですか?家庭内暴力とか?」

「そんなことしたら今頃私が離婚裁判しているよ。家庭内セクハラかな」

 彼女の言葉に「はぁ・・・・・・」と瀬尾は納得するしかなく。

「ま、いっか」

 意外とアバウトな弁護士事務所だった。

 カタカタカタカタ。

 ばさっばさっ。

 カリカリカリカリ。

 タイピングの音、書類を捲くる音、書類を書く音はするが人の声が全く聞こえない時間が時々出来る。

 それが終わるということは、仕事がひと段落したことを指すのだが・・・・・・。

「ふぅ、終わったー」

 出来上がったばかりの書類を整え、ナギは背伸びをする。ほぼ同時に瀬尾も仕事を終わらせたらしく、安堵のため息が聞こえてきた。

 が

「・・・・・・な、ナギ先生」

「ん?どした?瀬尾君」

 瀬尾の震える指が指したそこは

「し、島崎先生が居ません!」

 大量の書類を積み重ねたもぬけのカラの机だった。

 二人共ほぼ同時に心の中で「逃げやがったな!!」と叫び、慌てて彼の仕事を確認した。が

「・・・・・・仕事は終わっているな」

 意外にも大量の書類は手付かずだと思ったが、きちんと完了しているものだった。これはナギの躾の賜物だろう。

「だったらどこへでも行ってくれて構わないよ。裁判も年明けにしか入ってないし」

「まぁ、そうですけどねー」

 やっぱりアバウトな弁護士事務所だった。



 雪がちらつく並木通りは厳かで神秘的な空気に包まれている。

 その風景を歴史の長い教会から眺めるのがイーヴは好きだった。

 もうすぐクリスマスだから、普段は少し古ぼけて見える教会が今は輝いてみえる。一つの行事のお陰で大分自分たちの身辺は変わるものだ。

「やっぱりいいわよねぇ、この時期は。ねぇ?カヅキ」

 まだ人の出入りが少ない時間帯だから、そこの教会の神父の一人である久我は同僚に声をかけられ、読んでいた本から目を上げる。

「そうだな」

 ふっと微笑むその顔に、ときめきを感じずに居られるだろうか。いや、いられない。

「カヅキー!!」

 どーんとぶつかって来たのかと思ったら、イーヴはただ抱きついてきただけらしい。いきなりの攻撃に久我は本を取り落としていた。

 そんな彼の迷惑気な目に気付かず、イーヴは彼を抱き締める腕に力を入れる。

「今年こそ!今年こそ!!アタシとケッコンしてぇぇぇ!!」

「同性愛は大罪ですよ、イーヴ神父・・・・・・」

「そんな事どうでもいいわ!私たちの愛は神にだって阻めないもの!」

「たち、って・・・・・・複数形にしないで下さい」

 彼の過剰なスキンシップのお陰でずり落ちそうになった眼鏡をどうにか上げて、久我はため息を吐く。

 ここはフランスの某教会。ここで冬を過ごすのは何年目だろう。

 ついでに、彼にプロポーズをされたのも何回目だろう。数えるのも憂鬱だった。

 こんな状況で木で出来た教会の大きな扉が軽くノックをされたのに、気付かないわけにはいかない。

「イーヴ、来客です」

「そんなのほっとけばいいのよ。っていうか見せ付けちゃえ!」

「お前はそうでも俺は困るんだよ」

 離れろゴラァ。

 少々乱暴に彼の手を自分から引き剥がして、扉の方に投げた。

「やーん・・・・・・カヅキの照れやさん」

 石で出来た壁に顔から激突したとしても彼はめげない。

 熱い視線を久我に投げ付けて、ついでにウィンクなんてしてみて、イーヴは扉を開ける。

 その顔は神父のものに早変わりしていた。

「はい、何か御用ですか?」

 扉を開けると雪がちらつく並木通り。

 そして、目の前には一人の日本人が立っていた。

「や、久し振り〜〜」

 馴れ馴れしく手を上げて挨拶をしてきた彼に、イーヴはあからさまに嫌そうな顔をして扉を閉める。

「イーヴ?誰だった?」

 久我の不思議そうな目に彼は笑顔を振りまいた。

「うーうん。気のせいだったみたぁい。変なゴミが居ただけよ」

「ゴミは酷くない?イーヴくん・・・・・・」

 自力で扉を開けたのは、頭に雪を積もらせた周星だった。

「周星?」

「日月、久し振りだな」

 格好良い笑顔で挨拶をしてくれるのはいいが、手ぶらの彼の姿に久我は目を細めた。服装も、気温の低いことを
すっかり忘れていたらしく、スーツに冬用のコート一枚。

 突発的行動なのはバレバレだった。

「そうか、ナギさんに三行半を突きつけられたか・・・・・・」

 ならば今すぐに彼女を口説きに自分が日本へ向かおうか。

 いつの間に用意したのかスーツケースを手に教会を出ようとする久我の襟元を周星は慌てて掴んでいた。

「違う!違うんだって!」

 彼の必死の否定は真実のようで、久我は内心舌打ちをしながら旅行を取りやめた。

「じゃあなんだ?」

「か、要に嫌われたー!!」

「帰れ」

 クリスマスが近い時期だと教会は忙しい。それを知っていての行動だったら多分久我は周星を殴っていただろう。それを堪えたのだから
むしろ感謝して欲しい。

 さっき周星が入ってきたドアを指差して、まるで悪魔祓いの時のような威厳で久我が命じると、そのあまりにも酷い対応に
周星はショックを受けて石の床にへたり込む。

「酷い!ココ教会だろう!?話聞いてくれるのが普通だろうが!訴えるぞ!勝つぞ!?」

「それはそうだがわざわざ日付変更線超えてくるな!近くに教会あるだろ!」

「うあー!日月ってば冷たい!この石の床のように冷たいな!」

「暖房効き難くて悪かったな!!財政難なんだよ!!」

 論点がどんどんずれていく二人の喧嘩をイーヴはひたすら羨ましげに見つめていた。

 そして、ある程度怒鳴りあって体が暖まってきた頃、ようやく二人は座って話をすることにする。

 久我だって鬼じゃない。久し振りの友人の来訪を歓迎する、悩みがあれば聞いてやる、それくらいの礼儀は心得ているつもりだった。

 というか、下手な対応をして教会の評判が悪くなっては困る。

「で、要に嫌われたって?」

 煙草に火をつけながら彼は話を元に戻してやった。因みにココは禁煙場所だ。

 要、という存在は大分前から知っているし時々来る周星からの手紙には彼の事も書いてある。悩み相談を聞くくらいの知識は得ていた。

「何かわかんないんだけどさぁ・・・・・・いきなり朝に部屋に入ったら怒られたんだよなぁ」

「思春期なんだから仕方ないんじゃないか?」

「ついでに、要が男に襲われたらどうしよう、みたいな事言ったら嫌われた・・・・・・」

 しゅんとしている周星には悪いが、久我は彼の顔に油性ペンで「馬鹿」と書き殴りたくなる衝動を堪える。

「お前、そりゃ引かれるだろう・・・・・・」

 コイツの息子じゃなくて良かったーと、思ってしまう瞬間だ。

「だって!今担当している事件が!要くらいの男の子が男6人に暴行されて!ボロボロになって!」

「あぁ、成程、世の中物騒なんだと注意したつもりだったのか」

「それに暴行された男の子より要の方が可愛い!」

「あぁ、成程、親馬鹿根性もはいっちゃったわけね」

 はぁぁぁ・・・・・・と久我は深いため息をつくしかなかった。

 こんなことでフランスまでやってくる彼の行動力と決断力、ついでに経済力には脱帽ものだが、尊敬するには値しない。

 というか、クリスマス時期に来られても正直なところ邪魔なのだ。

「お前、とっとと帰」

「寄付金持ってきたんだけど、要らない?」

「まぁ、ゆっくりしていけよ」

 周星の手の中に有る分厚い封筒を見せられては笑顔にならずにはいられない。

 ついでに紅茶まで持ってきた久我の商売根性にイーヴは目元を押さえていた。

「んで?何の話だったかな」

 長椅子に座り、久我は足を組んでようやく本格的に聞く体制に入る。その態度に周星も真剣な目で彼を見た。

「だから、要に嫌われてるかもって話」

 親友である彼なら、真剣に聞いてくれるだろうと無駄な期待をしてフランスまで来たのだ。この話の結論を見つけないことには日本へ帰れない。

 神父の鑑と言われる久我神父サマの言葉が欲しい、とワラにもすがる勢いだったのだが。

「んー、まぁ、どうしようも無くねぇ?」

「・・・・・・日月・・・それでよく神父なんてやってられるな」

 なんだか、ワラを掴んだはいいがやっぱり溺れてしまった気分。

 周星の落胆ぶりに久我としては少々ムカっとくるモノがあったが、ここで怒るとさらに自分の職を疑われることになる。

「生憎、俺はケッコン経験もありませんし、子育てなんてしたことありませんからね。ついでに親なんてモノに触れたこともないので」

 教会に来る人々の懺悔は自分の人生経験でまかなえるものばかり。と、いうか、懺悔は別に自分の人生経験なんて関係なく、
相手が自分の罪悪感を語り、それをこっちが「許す」といえば終わるのだ。何て楽な職業なんだろう。

 と、思っていたけど

「何だ、神父のクセに」

 時々、こんなワケのわからない駄々をこねる奴もいる。

「文句があるなら金置いてさっさと帰れ」

 犬を追い払う仕草で手を振ると、周星は苦笑い。

「それにしても、相変わらずスゴイ教会だなぁ・・・・・・」

 日本では滅多にお目にかかることのない、広く静閑な教会は丸ごと歴史的価値がありそうなもので、高い天井に精巧に作られた
ステンドグラスがキラキラ光っている。

 当時の文化が集結している広壮としたこの教会は一級芸術品だ。

 しかし

「うー、寒い。こんなに広いから暖房もかかりにくいんだよ」

 思わず身震いする周星の指摘どおり、寒さも一級品だった。

「これも神の試練だ・・・・・・諦めろ」

 くだらない試練・・・・・・なんて神父の目の前で言えるわけがない。

 多分、そう言う久我もそうやって自分に言い聞かせているのだろう。涙ぐましい。

 何か気を紛らわせるものはないかと、あちこちきょろきょろ見ていたら久我の手元に古い本が置いてあるのを目敏く見つけた。

「日月、その本は?」

「『クリスマス・ブックス』」

「あぁ、ディケンズの。懐かしいなぁ」

 子供の頃読んだっけ、と周星は呟き、懐かしげに目を細める。

 久我も再び本を手に取り、茶色くなりつつある紙をぺらりと捲った。

「そういえば・・・・・・要に誕生日も忘れられていたんだよ・・・・・・」

 思い出したように暗いオーラを背負い始めた周星の一言に、つまりそれが一番彼にとってはショックだったのだろうことを察す。

「・・・・・・息子だろ?しかも今年高校生の。そんな歳になってまで、父親の誕生日を祝う方が珍しいんじゃないか?」

「そうだけどさぁ・・・・・・」

 周星も解かってはいるのだ。弁護士になって、少年事件にも時々関わって、彼らが両親とどんな付き合いをしていたのか調査すると、驚く時もある。

「要がね、凄く可愛いんだよ」

「・・・・・・お前の話の通り、ナギさんに似ているんなら可愛いだろうな」

「まぁ、顔はともかく、親としてさ。それって、変だと思うか?」

 最近、ニュースで良く聞く虐待とか少年犯罪とか、ニュースでよく聞くのだからその仕事が回ってくるのも当然で。

 子供を殺した母親や父親の弁護は苦痛だった。皆声をそろえて子供が可愛くなかったと言う。

 仕事だから、と割り切って彼らの弁護をし、多くは心疾患を主張して減罪もしくは無罪を勝ち得た。

 残ったのは罪悪感と行き場のない怒り。

「俺は、自分の子供だし、ナギさんとの子供だし、要が大きくなっても可愛いと思うんだよ。だけどさぁ、嫌われるし、
誕生日は忘れられるし・・・・・・要が大人になるのは解かるし、嬉しいけどやっぱ淋しいんだよ・・・・・・」

「あぁ、親離れ子離れの時期か」

 成程ねー、となんてことないように久我は言ってくれるが、それはかなりキツイ一言だった。

 親離れはもうされているかも知れないが、子離れは多分難しい。

「折角可愛く育ててきたのになぁ・・・・・・やっぱり、子供は離れてくもんなんだよなぁ」

 成長を見守るのは楽しいけれど、結局は手放すのだと気付いた時のこの物寂しさ。

 やり切れない。

「周星・・・・・・」

「だって、本当に可愛いんだよ」

「わかっている。お前が自分の息子を可愛がってることくらい」

 恐らく、要本人もよく知っていることだろう。この馬鹿親は毎日毎日可愛い可愛いと息子に言い続けているだろうから。

「日月・・・・・・」

「なんていったって、お前、要が生まれた時に俺に『要の教育に悪いからお前には会わせない』っつってくれたしな」

 教育に悪いとはなんだ。俺は一応神父だぞ。

 昔の恨みを思い出し、馬鹿親を睨みつけるが、彼はそ知らぬ顔。

「だってー。解かるだろ?日月」

「何だ、俺の存在はR−15か?」

「いや、お前の存在自体はX指定だろ」

 18歳以下お断りということは、要が18にならない限り久我とは対面させないつもりのようだ。

 それは別に構わないが、その理由が腑に落ちない。

「・・・・・・お前、やっぱり帰れよ」

「なんだ、寄付金欲しくないのか?」

 どうやら相手のほうが一枚上手らしい。






「なぁ、母さん。最近父さん見ないけど、何やってんだ?」

 父親の姿を見なくなってから早二日。てっきり仕事が忙しいのだと思っていたが、仕事のパートナーである彼女は
のんびりリビングで寛いでいるのだから、仕事はそんなに立て込んでいないらしい。

 けれど、父親の姿は見えない。

 要の問いに彼女は新聞から目を上げて「さぁ?」と首を傾げた。

「プチ家出中かなぁ」

「プチ家出!?」

 そんな何年前のギャル用語だろう。それ以前に彼はギャルどころか一家の家長。そんな立場である彼が家出!?
しかも普通の家出じゃなくてプチ家出!!

「母さん、父さんくらいの年齢と立場から考えてそれは失踪もしくは蒸発という表現の方が」

「真面目に考える事無いってば、かなちゃん・・・・・・」

 両親譲りで冷静な頭を持つ息子がそんなこの状況ではどうでも良い事を話し始めたのを見ると、彼もそれなりに動揺しているらしい。

「大丈夫。行き先も何となくわかるし、心配する事は何もないよ」

 本当に、どっちが反抗期の子供の行動だか解からない。

 ナギはふぅ、と海の向こうに行ってしまった周星に対しため息を吐かずにはいられない。

「そ、そうなのか?」

 まだ少し不安げな要にナギはにっこりと笑ってみせる。内心、子供に心配をかけるなんて・・・と周星に怒りを燃やしつつあったが。

「そう。どうせ明日はクリスマスだし、帰って来るよ」

「え?何で?」

 きょとん、としている要にナギは軽い違和感を覚える。

 クリスマス、と言って、何故クリスマスだから帰ってくるのだろうと要は暗に聞いている気がしたから。

「あれ?かなちゃん、もしかして本当に忘れてる?」

「何を?」

「12月25日。周星の誕生日だよ?」

 母親の指摘に、要は軽く目を見開いていた。

 あ、と声を上げそうになるのを慌てて堪える。

「・・・・・・忘れてたんだぁ」

 それでも、肉親である彼女の目は誤魔化せなかったらしい。

「ご、ごめ・・・・・・てか、まさか父さんの失踪はそれが原因?」

 まさか、と思う。そんなことで父親が失踪していたら、世の中の子持ちの親は一回は絶対失踪しているだろうし。

「んー、それだけじゃないと思うけど・・・・・・」

 ぽすぽす、とナギは自分の隣りを叩いて要に座るように促した。それに素直に従ってくれるのは、親の目から見てとても可愛い。

「かなちゃん、周星に理不尽な態度とっちゃったでしょ」

 この間の朝の事を言われ、そういえばあの朝以来父親を見ていないという事に要は気付いた。

「おいおい・・・・・・父さん・・・・・・」

 あの程度の事で。

 がっくりと肩を落とす要にナギは苦笑するしかなかった。

「まぁ、そう思いたい気分はわかるけどねー。周星の思いも受け取ってあげてよ。かなちゃんの事心配してるんだよ」

「心配してくれてるのはわかるけど・・・・・・俺、もう高校生なんだよ?」

 ついでに、男だ。

 高校生の男に対する心配の仕方じゃないと思うのだが・・・・・・。

「かなちゃんももうちょっと高校生男子っぽい体格になればいいんだけどね」

 ナギの一言はぐさっと来た。

 身長は伸び悩みつつある上になかなか太らない体質。ついでに顔は彼の最も愛する女性にそっくりだときた。
それで彼が過保護にならないわけが無い。

 筋肉隆々の男子だったら、周星もここまでにはならなかっただろうに。

「でも、だからって・・・・・・男に気をつけろとか、彼氏とか言う事はないだろ!?」

「まぁね。よっぽど酷かったのかなぁ、今回の事例が」

「それにしたって」

「ダーメ、かなちゃん。自分の悪いトコ棚に上げてあの人ばっかり責めないであげてよ」

 にっこり笑う彼女の笑顔には有無を言わせない威力がある。

「周星は要を心配してるだけなんだから」

 わかっているけど。

 反論をしようにも正当な反論が見つからず、要は黙り込んでしまった。弁護士に弁論で勝とうなんて10年早いのかも知れない。

「・・・・・・母さんって、意外と父さんのこと好きだよな」

「え?心外だな。かなり愛してるつもりだけど?」

 悔し紛れの言葉も、恥ずかしい返事を頂く羽目になり、要は自分が大分この両親に振り回されているのだと知った。

「ところでかなちゃん、あの猫の飼い主は見つかったの?」

「うん、クラスの―・・・・・・って何で知ってんだよ、母さん」





「一体俺の何が悪かったんだろう・・・・・・」

 はぁぁぁ・・・と重苦しいため息を吐いて教会の端の方で膝を抱えている父親に、そういうところじゃないか?と言いたくなる。

「嫌われる要因とか、心当たりないのか?」

 神父の性か、ついつい悩みの解決に手を貸してしまう。そんな自分の良心に拍手を送りたいところだ。

「・・・・・・アレか!?それともアレ・・・いや、アレかも」

「お前、それくらい考え付くことがあるんなら嫌われて当然じゃねぇか」

 真剣に考え始める弁護士にはもうかける言葉が見つからない。

「カヅキ、電話ぁ」

 教会の奥のほうからイーヴの声が聞こえ、取り敢えず周星は放置しておくことにした。

「誰?」

 受話器を差し出してきたイーヴはその質問に「ニホンから」と不機嫌な顔で答えてくれる。

 ニホン、と言われすぐにピンと来た。

「もしもし」

『日月君?』

「お久し振りです、ナギさん」

 ついつい明るい声になってしまうのも仕方ないだろう。彼女と会話をするのはもう何年振りになるか解からないほどだ。

 それもこれも、邪魔をする馬鹿がいるから。

『周星、いるよな?』

どこか確信している言い方は流石だ。

「はい、いらっしゃいますよ」

『じゃあ、周星に、今すぐ帰ってこないと離婚するって伝えて』

「・・・・・・伝えないかも知れませんよ?俺なら貴方と要くん二人、養う事出来ますし」

『そうだね、要が貴方に周星ほど懐いたら考えなくも無いよ。じゃ、よろしく』

 がちゃり。

 ものの数秒で通話を切られ、彼女の鉄壁の守りには感服する。

 しかし、要があの馬鹿親ほど懐けば、彼女をこの手に出来ると。

 本気でまず要攻略を考えつつあったが、いまだに教会の隅で蹲っている友人の姿を見てその気が失せる。

 多分、今彼の息子を手なずけようとしたら、彼から制裁を受ける事になるだろうから。

「おい、周星」

「何だよ日月・・・・・・」

「ナギさんから伝言。今すぐ帰ってこないと離婚だと」

 それからの周星の行動は速かった。

「それじゃ!」

 ちゃっと手を上げてさっさと教会から出て行こうとしているあたり、恐らく離婚と言う単語に怯えて今回の家出の理由を忘れている。

 それでいいのか。

 まぁ、要には悪いがランクをつけると周星にとっては一位ナギ、二位要、といったところなんだろうけど。

「周星」

「ん?何?」

 ため息混じりに名前を呼ばれ、くるりと振り返ると少しカビくさい香りが鼻を掠める。

 と、思ったら額に堅いものが当たった。

「日月?」

 目の前に差し出された本は先程話題に上ったクリスマスボックス。

 さっきは気付かなかったけれど、装丁や紙の日焼け具合を見るとかなり古いもののようだ。

「お前、自分の誕生日だってのは判るけど、自分の子供にちゃんとクリスマスプレゼント用意してんのか?」

 久我の指摘にそういや今年はまだだな、とか考えてしまったことを口にしたらきっとかなり馬鹿にされる。

「大丈夫」

 自信満々な笑みを返してやると、彼も何かを納得してくれたようだった。

「じゃ、コレ、要に」

 クリスマスプレゼントにはぴったりな本を周星に押し付けて、久我は新しい煙草を一本取り出す。

 予想していなかった彼の行動には驚かされた。

「え・・・・・・マジ?あの日月が他人に贈り物!?はっ!ウチの要は男の子だよ!口説こうたってそうは」

「根性焼き入れてやろうか?」

 笑顔の久我に火をつけたばかりの煙草を顔に近づけられそうになり、周星は慌てて口を閉じる。

 本当に、こんなウザイ父親を持って、彼も迷惑だろうに。

 海の向こうの彼の息子に同情する瞬間だった。

「もう読み飽きたからな。それに、俺はどっちかと言えば別な出版社の装丁の方が好きだし」

「なら俺にも何かくれ。そうだなー、トールキンの『シルマリリオン』の初版本がいいな!それでなかったら、アトナールの
『天使の反逆』とか・・・・・・あ、でも『オーレリア』とか『黒衣の僧』でも。勿論全部初版で!」

「・・・・・・お前が南総里見八犬伝の初版本全巻揃えてくれるんなら考えなくも無いが」

「お前それ文化財並だって。無茶言うな」

「じゃあお前もお前で無茶言っている事に気付けよ」

 周星ご指名の本の初版は貴重本だ。特にトールキンは彼の代表作が最近映画化され、注目されているのでオークションでの値段も跳ね上がっている。

 それを、タダで寄こせと言う方が無茶だ。

「いいじゃん。俺は誕生日なんだからさぁ」

「その歳で他人に誕生日プレゼント求めないでくれないか?」

 要にこの本をあげるのは同情だ。こんな変な父親で大変だな、と。

「わかったよ。俺はさっさと帰ってナギさんと熱い夜を過ごすから。おお!最高の誕生日プレゼント!」

 発言が親父臭いことに周星は気付いているのだろうか。

 むしろこの発言を彼女に聞かせたら即離婚なんじゃないだろうかと思案してみる。

「じゃ、これは貰っていくな。サンキュ、日月。要も俺に似て本好きだから、きっと喜ぶよ」

 友人の奸心に気付かずに、周星は笑顔でコートを着込む。

 どうやら本気で帰る気らしい。まだここに来て数時間だというのに。

「あら、お帰り?」

 周星が帰るのだと空気で読み取ったイーヴがウキウキと奥から出てくる。彼が来た時とは正反対の満面の笑みで。

「ああ、イーヴ君、邪魔したねー」

 その邪魔、という言葉に色々な意味が入っていそうなのだが、突っ込むべきところなのだろうか。

「ええ、本当に。もう二度と来ないで下さいね。アタシとカヅキの邪魔したら悪魔送りつけますよ」

 やりかねない。

 周星は悪寒を感じ、笑顔も引き攣らせてしまう。

「ココは教会だってのになんか邪悪なものが満ちてるな・・・・・・帰ろ」

 余計な事には関わらないのが身の為か。

「じゃーな、日月。お前から誕生日プレゼントせしめられなかったのは残念だけど」

「・・・・・・お前、実はそれが目的だったんじゃないか?」

 家出だったら一泊とか言い始めるんじゃないかとの久我の予想は杞憂だったが、彼の目当てはそこだったのではないかと思うと。

「そうかもな」

「ってオイ!」

「頼み事をね。来年のクリスマス、要を一緒に居てやれそうにないから、日月に面倒みて貰いたくて」

「はぁ?何だ、またナギさんと旅行か?冗談じゃねぇよ、なーんで俺がガキの子守なんてしないといけないんだ。第一、息子もう高校生だろ?
二三日くらいどうにか出来るだろうが」

 そこまで過保護にしなくてもいいだろう。

 むしろ、その歳だったら親の不在を喜ぶのが普通だろうに。

「二三日、じゃないとしたら?」

 その周星の呟きは古い扉の軋んだ音に掻き消されてしまったが、彼が何か言ったことは久我にも届いて怪訝な視線を貰ったが、軽く首を横に振って
“何でもない”と伝える。

「ま、よろしく頼むよ、日月」

 冷えた外気といつの間にか散らついていた雪が教会の中に入り込み、内部の温度が少し下がったような感じがした。





 お金あげるから、何か買ってあげてよ。



 そう母親に言われて街に出て、ついでに出迎えも頼まれて。

「ったく・・・・・・一体どこまで行ったんだよ、あの馬鹿親父は」

 クリスマスで人通りが多い最寄の駅でひたすら待っていた要は、昨日母が電話して、彼女の言葉が「今すぐ帰って来い」。なのに、迎えに行って、
と頼まれたのは翌日の夕方。

 今すぐ帰って来い、とあの母親に言われて父がすぐに行動しないわけが無いのに、何故こんなに時間があいているのだろう。

 まさか、海外に家出?

 ・・・・・・まさかな。

 有り得ない、というか家出にしてはスケールのでかい予想をしてしまい、自分の馬鹿みたいな結論を打ち消した。

 きっと寒いからこんな変な考え方しか出来ないのだ。

 つけているマフラーの中に冷えた顔をうずめて、ひたすら流れていく人をぼんやり眺めていた。

「要!?」

 母親の計算どおりだ、とその聞きなれた声を耳にして思う。

 多分、今から行けば10分以内にくるよ、と彼女は自信満々に言って要を送り出した。そして、要が駅に来て今は6分と少し経過したところ。

「どうしたんだ?こんなところで」

 父親は偶然会ったとでも思っているのだろう。少しオロオロしているのが何だか情けない。

「・・・・・・父さんを迎えに行けって、母さんが」

「ナギさんが?」

 途端に表情を明るくする父にはこっちが恥ずかしくなる。

 まるで、初恋に一喜一憂する子供のようで。

「そ。寒いんだからとっとと帰るぞ」

「あ、か、要。何だったらどっかでお茶でも」

「ダメ。母さんが待ってる」

「あ、じゃ、じゃあクリスマスプレゼントでも買ってあげようか?」

 妙にオロオロしている父親の行動に要は首を傾げる。普段なら、強引に自分の道を行く人なのに、珍しくこっちの機嫌を伺っているようなのだ。

 もしかしなくとも、この間の事を気にしているのだろうか。

「ごめん」

「え?」

 突然謝られた周星は、何に対しての謝罪かわからなかったらしく、目が点だ。

「だから、この間の。気にしてるんなら悪かったよ。あれは、まぁ・・・・・・ちょっとワケがあって。だから、別に父さんのこと嫌いとかじゃないし」

 色々騒がれる前にとっとと訂正したほうが楽だ、ということを要は長年彼の子供をやってきて学んでいた。

「ほ、本当!?」

「まぁ、多少ウザイってのはあるけどな」

「俺ウザイ!?」

「うん、それなりに」

 息子からそう言われるのはかなりの衝撃だったようで、彼は頭を抱えていた。

「えー、マジで?じゃあ・・・・・・」

「別に、変わんなくてもいいよ。俺慣れたし」

 っていうか、もう諦めの域だしな。ハハハ。

 今更変われと言っても、無理だろうし。

 心の中でまさか息子に諦められていようとは思うわけがない周星は、要の心優しい言葉に感激していた。

「要・・・・・・」

「っていうか、さ。俺、もう高校生だし。大丈夫だと思うんだけど。色々」

 右腕を擦りながら要が何を言っているのかわからない程、周星も馬鹿じゃない。

 気遣われているのは自分の方なのだ、と。

「・・・・・・そーだ、要に渡すものがあるんだっけ」

 少し暗くなりかけた空気を明るくするように、周星が要に差し出したのは一冊の本。

「何?この本」

「俺の友達から要に、だってさ。要、まだディケンズ読んだ事ないんじゃないか?」

 かなり古い本らしく、状態があまり良くない。

 適当に開くと何故か煙草の香りがした。

「つーか、英文じゃん・・・・・・訳せと?」

「それくらい読めるようにならないと。要、頑張れ!」

 ぽん、と肩を叩いてきた父親は確か、部屋にずらりと洋書を並べていた。英文どころか、どこの言語かわからないものまで。

 本好きがたたって語学を学んだと彼は言っていた。元々の頭の作りが違う気がする。親子だけど。

「わかったよ。訳せばいいんだろ、訳せば」

「わかんなくなったら俺に聞いて。それ初版本だから、多分ちょっと良くわかんない単語もあると思う」

「・・・・・・初版本?」

 えーと、ディケンズって何年くらいの人だっけ・・・・・・。

 考えても今まで彼の本に触れたことが無いから、わかるわけが無い。

「じゃー要、お父さんが要にクリスマスプレゼントを買ってあげよう、何が良い?」

 すっかり機嫌が良くなった周星は今度は強引にプレゼント購入の道を進むだろう。

 そういう時は、それに乗ってしまったほうが得だ、と母親に言われ続けていた。

「クロンの新しい首輪!」

 ぐっと拳を握りながらのおねだりに、多分要はかなり欲しかったのだろうと思うけど。

「この間ペットショップで可愛いヤツ有ったんだ!絶対クロンにぴったりだと思うんだよな!あ、後新しいクロンの玩具も欲しい!
それと、あー、早くペットショップ行こう!首輪、色んな色有って、何色がいいかな?青とか、黄色も似合いそうだしー・・・・・・
何やってんだよ、父さん!早く!」

 茫然と立ち竦んでいる周星の腕を掴んで要は急かす。その空気が妙に生き生きしているのは気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。

「や、父さんは要のプレゼントを聞いたんだけどなー・・・・・・その、クロンじゃなくて」

「何言ってんだよ。だから、クロンの首輪って言ってんじゃん」

「・・・・・・他に無いのか?ホラ、洋服、とかアクセ、とかCDとかMDとか!!」

「要らない。クロンの首輪が欲しい」

 そこまでキッパリ言わなくても。

 自分ではなく愛犬を飾り立てたい要の気持ちは多分、自分が息子を可愛がる気持ちと同じなのだろうけど、何か腑に落ちないものがある。

「あ、はい。父さんコレ」

 色々考え始めた周星に要は今まで自分が手に持っていた紙袋を彼に押し付けた。

「クリスマスと誕生日プレゼント。何買っていいのかわかんなかったから、店の人に勧められたの買ってみた」

 プレゼント!!

 その単語に要に対する不信感が北風に乗って吹き飛んでいった。

「え・・・・・・あ、開けてもいいか?」

「別に良いよ」

 ドキドキと胸を高鳴らせながらがさがさと袋を開けて手を突っ込んだその感触は


「・・・・・・・・・要」

「何?」

「コレ、どこで買ってきたんだ?」

「んー、街のジャンク屋。利哉とも時々行くんだー。っていうか、それ買った時も利哉と一緒だったけど。利哉も一押ししてくれたしさ、それで良いかなって」

「いや、でも・・・・・・俺まだ30後半だしさぁ、要・・・・・・」

 だらだらと寒いはずなのに汗を流し始めた周星に要は小首を傾げる。

「店一番の人気商品だって聞いたんだけど・・・・・・」

 周星の手の中には、茶色い髪のカツラが有った。

 袋の中をみると、安っぽい眼鏡と白いマフラーが入っている。

 これはもしやというか、まさかというか。


「ヨン様セット」


 やっぱり!!

 要の一言に周星はがっくりと地に手をつきたい気分だった。

「でも、ヨン様って何なんだ?父さん」

「・・・・・・知らなくていいよ、要・・・・・・」

 しかも、中に入っていたセットの名称は『べヨンジョンセット』と書かれていて、どうみてもパチものだった。名字と名前の区切りが無い。ついでに言えば、ばっちりメイドインチャイナと印刷されている。


 なんだよ、韓流なのにメイドインチャイナかよ。


 どうでもいい突込みをしたくなるくらい、周星は色々な意味で寒い思いをしていた。

 これは誰を恨むべきなのか。これを要に勧めたそのジャンク屋の店員か、それとも購入を止めず隣りで笑いを噛み殺していただろう要の幼馴染か、それとも海の向こうのオバサマのアイドルか。

「・・・・・・き、気に入らなかったのか?」

 ただ一つ言えるのは、今心配げに自分の顔を覗きこんで来る要には罪は無いということ。

 誰が何と言おうと、要の弁護はこの自分がしてやる!と心に固く誓った瞬間だった。

「いや!俺、丁度カツラと眼鏡と白いマフラーが欲しかったんだよな!有難う!要!」

「そうだったのか?良かったー。俺も店の中で一番目についたのがそれでさ」

 そりゃ、店頭に大量に並べられていたら誰だって目に付くだろう。

「何か、この毛並み見てるとクロン思い出して」

 結局そこなのか。

 しかも、カツラを毛並みと言うか。

 ボケボケな自分の息子に突っ込みどころは多かったが、ここで黙っているのが大人だ。

「そっか、ま、取り合えず要が俺に何かくれたってとこが嬉しいよ・・・・・・」

 それが例えベヨンジョンでも。

 それが例えパチものでも。

 問題はそのプレゼントに込められた気持ちだ。

 気持ちだ。


 手の中にある安っぽいカツラは、なんだか触り心地がゴワゴワしていた。





「で、要から何貰ったの?」

 要がクロンに新しい首輪をつけている時、ナギは思い出したように周星に聞いた。

 あまり触れて欲しくなかった話題なだけに、周星はナギに向けていた甘い笑顔をついつい引き攣らせてしまう。

「・・・・・・ひ、秘密だっ」

「なーに?そんなに嬉しかったわけ?ずるいなぁ、私にも教えてくれたっていいじゃん」

「・・・・・・マフラーだよ」

 貰ったプレゼントの三分の一を言うと、彼女は「隠す事ないじゃん」というような目で見てくる。

「ふーん。マフラーねー。よかったね」

 どっちかといえばそう微笑んでくれるナギの方が自分にとって心癒されるプレゼントだった。

 今年もいい誕生日を迎えられた気がする。

「ナギさん・・・・・・愛してるよ!!」

「な、何だ?いきなり・・・・・・」


 何はともあれ、多分幸せ。






「ようやくクリスマス終わったな」

 準備と本番のミサを終えた次の日、ようやくいつものダラダラした生活に戻れるのだと久我は教会で一息ついていた。

「まったくね。これでアタシもようやくカヅキとゆっくりラブラブ」

 きゃっとイーヴが腰をくねらせていたが見ない振り。

「さーて、でもすぐに新年のミサがあるからなぁ・・・・・・ったく、マジでこの時期は忙し・・・・・・」

「カヅキ〜〜カヅキ宛に荷物届いたよ」

 ぐったりしているところに、神父仲間である同僚が荷物を持ってやってきた。

 荷物というほど、大きな包みではないのだけれど。

 受け取って差出人の名前を確認すると、周星の名前だった。

「何だ?」

 この間会ったばかりなのに、といぶかしんでいるとイーヴもその名前を確認してため息を吐く。

「迷惑料じゃない?この間の」

 そう考えると納得がいくのだが、そんな事をするような人間だっただろうか、彼は。

 取り合えず袋の中身を長椅子の上に出してみると


「・・・・・・マフラー、眼鏡・・・・・・」
「・・・・・・ヅラ?」


 奇妙な三点セットにイーヴと顔をつき合わせ、ほぼ同時に首を傾げる。

「何だこりゃ・・・・・・」

「あ、カヅキ、コレ、日本語じゃない?何て書いてあるの?」

 イーヴが指したそこにはカタカナで

「・・・・・・ベヨンジョンセット・・・・・・?」

 聞きなれない単語に久我は眉をひそめ、日本についての知識が無いイーヴ達は久我の言葉を待った。

 そんな期待に満ちた目で見られても、久我の辞書にそんな単語は無い。

「ねぇ、カヅキ、ベヨンジョンって何?」

「何・・・・・・って言われても・・・・・・知るか」

「っていうか、ベヨンジョンって、人?」

「まぁ、人なんじゃないか?セットって書いてあって、眼鏡とヅラとマフラーだし・・・いわゆる変身セットだろう」

「でも変身セットって、子供向けとかじゃないの?」

「多分・・・・・・これも子供向けなんじゃないか?」

「でもそれにしては大きい・・・・・・」

「・・・・・・新しい特撮ヒーローの変身セットなんじゃないか?ホラ、少し昔に紅いマフラーがどうのこうのっていうヒーロー、
日本でブームになっただろ。それが白いマフラーになってまた出てきたんじゃ」

「あ、なるほど〜〜流石カヅキ!」

「にしても、何でヅラ・・・・・・?」

「もしかして、ヅラをつけたら変身するーってヤツなんじゃない?」

「そうなのか?そう考えるのが普通かもしれないが・・・・・・」

「ってゆーか、ベヨンジョンって、日本名じゃないわよねぇ」

「変身後の名前だったら日本名じゃなくても不思議じゃないだろう」

「あー、ナントカ戦隊ベヨンジョン?あ、意外としっくり来るかも〜〜」

「でもどっちかといえば敵の名前っぽい気が・・・・・・」

「きっと日本の子供は歌っているんでしょうねぇ、“白いマフラーのベヨンジョン”って」

「ジャングルジムの上でポーズつけて、な」



 そう考えるととっても微笑ましい。



 
 多少微笑ましい気分にはなるが、何故周星が自分にこれを送ってきたのか、その謎だけは解明できなかった。




「取り合えず、そこのキリストにヅラ被せてやるか?何か寒そうだし」

 そこのキリスト、というのは祭壇近くにある大きな十字架とそこにはり付けられているキリスト像のこと。腰に布しか巻いていない彼は
とても寒々しいのだ。

「やーん、カヅキってばやさしぃ〜〜。あ、ついでにデジカメでその写真撮ってアイツに送ってあげたら?」

「お。そうするか」

 有効利用有効利用。

 いそいそと十字架につけられたキリスト像にイーヴがヅラを被せ、マフラーをつけ、眼鏡をつけて。

 それを「暖かそうだぜ、パーパv」と言いながら久我が写真を撮り、3クリックほどで周星のパソコンへ送られた。




 迷惑だったのは、恐らく誕生日を迎えた次の日にいきなり受難に遭遇した救世主だろうが、それが周星の初笑いになることは、言うまでもない。








長いですか、そうでもないですよ(笑
でも観たいです、ベヨンジョンキリスト。
誰か、ヅラと眼鏡とマフラーを提供してくれれば・・・・・・。
・・・・・・ウチのガッコにキリスト像あったっけ・・・・・・?
やりたい・・・すごくやりたい・・・・・・!