「左の俺食べて良い?」
克己が止める前に手を伸ばして、右にあった白いシュガーパウダーに包まれたヤツを口に入れた。
あ。おいしい。
もごもご食べていると頬を軽くつねられる。
「おい、それ、俺にくれるんじゃなかったのか?」
・・・・・・あ。
「いいじゃん、俺が買ったんだしー」
克己を視界に入れて、硬直する。
・・・・・・あれ?
何かが変だ。
「翔?」
克己を見て何だか異常なほど胸がドキドキするのだ。
あれ?あれれ?
首を傾げてその感覚を払拭しようにも、なかなか納まらない。
「か、つみ・・・・・・」
「失礼します!!」
切羽詰ったような声の持ち主は、今度は遠也だった。その頭にはまだアクセサリーのようにネズミがくっ付いていた。
「日向、さっきのチョコレートですが!!」
大志の様子を見て慌てて翔の元にやってきた彼は部屋の様子を観て、というか翔の様子を観て頭が真っ白になった。
紅い顔に妙に潤んでいる瞳。しかもその視線の先は克己だ。
「お、遅かった・・・・・・!」
がっくりとその場にへたり込む遠也の様子に気付くことなく翔は視線を克己に注いだ。
「翔・・・・・・?」
いきなりそんな視線を向けられるとは思わず克己も少々動揺する。
「どうしたんだろ、俺・・・・・・」
熱い頬を比較的冷たい手でパチパチ叩いたけれど熱は納まりそうにない。
心配げに顔を覗きこんできた克己の顔に、また動揺する。
おかしい。何で克己を見てこんな気分になるんだろう。
おかしいとは思うけれど、克己から目を離したくない。
「俺・・・・・・克己が、好き・・・・・・」
いきなり、どうしてこんな感情が出来たんだ。
「まさか、惚れ薬が出来上がるとは・・・・・・・」
遠也はため息を吐きつつ、自分の頭に引っ付いているマウスを手に取る。
確かにきゅーきゅー鳴いて鼻を摺り寄せて、求愛されているように思う。
すりすりと手のひらに擦寄ってくる姿は、今現在の翔の姿と同じだった。
「・・・・・・か、翔」
戸惑う克己に構わず、翔は彼の腰に手を回して彼の背中に自分の顔を摺り寄せている。
体いっぱい使って好きだとアピール中のようだ。
何だか仄かに顔を紅らめている克己が、ムカつく。
と、思っていたら手の中のマウスを力いっぱい握っていたようで、細い悲鳴が聞こえてきた。
「甲賀・・・・・・日向に手ぇ出したら地獄より恐ろしい思いをさせて差し上げますのでお楽しみに」
遠也のブラックな笑いに、克己は本能的に本気で殺られると察した。
「とにかく、解毒剤の作り方と効き目が切れる時間を計算してきます」
一刻も早く始めないと、翔の貞操が危ない。
克己に手の中のマウスを投げ付け、翔を彼から剥がす遠也の姿はまるで弟を守る兄のよう。
それでも、克己に惚れている翔は気がつけば彼の側に居て彼にしがみ付いていた。
この様子では、克己と違う場所に連れて行くのは無理そうだ。
「ぜっっったいに手を出さないで下さいね、信じていますから」
「・・・・・・そう言いつつその手に持っている銃は何だ・・・・・・」
遠也は絶対零度の笑みを浮かべつつ、克己に銃口を向けていた。
このままでは埒が明かない。
遠也は仕方なく銃をしまって部屋から出て行く決意をする。
「じゃあ、日向をよろしくお願いします。・・・・・・多分、薬の効き目が切れたら、効いている時の記憶が無くなると思いますから」
それだけ言い残して遠也は部屋から出て行った。にしてもそれくらいの情報はあるというのは、流石遠也というか、なんというか。
「おい、翔」
「ん・・・・・・」
克己に呼ばれて顔を上げると、部屋には自分と彼しか居ない。
それ即ち、二人っきり。
二人っきり、だ。
そう認識した瞬間、顔が熱くなった。
「わ、あぁぁぁ!」
どたん。
今まで大胆に抱きついていた自分が恥ずかしくなったのもあり、二人っきりということに意識しすぎたのもあり、思わず克己から手を離して後ずさろうとしたら床の上に倒れてしまった。
「翔!?」
「い、いてぇー・・・・・・」
フローリングの床に思い切りぶつけてしまった後頭部を撫でながら体を起こすと、克己の心配げな顔に迎えられる。
「大丈夫か?」
「う、うん・・・・・・」
やばい、ドキドキする。
熱い顔を両手で押さえていると、パニック状態になっている翔を見かねて克己は息を吐いた。
「・・・・・・どっか行くか?」
「え?」
「だから、どこか出かけようって言っているんだ。気晴らしに」
こんな二人っきりの部屋で解毒剤を待つなんて、気まずいにも程がある。
また克己がため息を吐いたのに心臓が鈍く痛んだけれど、取りあえず頷いた。
「うん・・・・・・そ、だな」
椅子にかけてあったコートを着る克己をぼんやり見ながら、やっぱり面倒臭いよな、とか、男に好きなんて言われて気持ち悪かったよな、とかマイナスな事ばかり考えてしまっていた。
「翔?」
考え事ばかりしていた所為か、準備に手間取ってしまい、克己の不審げな呼びかけに我に返る。
「あ・・・・・・ご、ごめ」
「これ」
何?と聞き返す前に首周りの温度が上がった。
この感触はマフラーのようだけど。
「お前、いつも寒そうだから」
いつもの優しげな克己の目に、本格的にときめいてしまった。
今の状況でそんな事をしたらどうなるか、きっと彼はわかっていない。
「・・・・・・あ、ありがとう」
マフラーに埋めた顔はきっと真っ赤だったに違いない。
この間と同じ道のりを、この間とは違った気分で歩く。
バレンタインデー当日の所為か、周りにはカップルが多く街全体がピンクのオーラに包まれていた。
こんなところ、鬼教官に見られたらどうなるのだろう。
「・・・・・・オイ翔」
克己の声が聞こえ、はっと顔を上げて足を止める。
そこには、どこか不満げな克己の顔が
・・・・・・数メートル先にあった。
「・・・・・・お前、さっきからこの距離保ってるよな」
呆れたような克己の言葉には笑って誤魔化す。多分、この距離は授業で習った尾行の際の距離だから、多分6,7メートル強といったところか。このまま歩いていたら回りからは彼と自分は完璧に他人だと思われるだろう。
「や、だってさぁ・・・・・・」
半径1メートル以内に克己がくると心臓に悪いんだ!
なんて、本人相手に言えるわけが無く。
さっきまで克己にくっ付いていた自分が取る行動じゃないかもしれないけれど。
「はぐれるだろ」
わざわざ離れている7メートル、克己は戻ってきてお説教。
「だって・・・・・・」
「だっても何もない」
あ、呆れられたかな?
いつもはそんなこと思わないし、それくらいでハラハラしたりしないのに、惚れ薬の効力とは恐ろしいもので、克己の些細な言動に一喜一憂してしまう。
こんなんじゃ、心臓が本当にもたない。
「さっきまでずっと俺にくっ付いていたのに」
なぁ?とからかうように言われ言葉に詰まる。
気のせいだろうか、克己が何だか意地悪い。
「さ、さっきは人がいなかったからっ」
「佐木が居た」
「遠也は良いんだ!」
「何故?」
「遠也だから!」
訳のわからない理由を並べ立てていることは自分でも解かっている。
惚れ薬っていうのは、頭の脳細胞も何個か破壊しているんじゃないだろうか。
「ま、どうでもいいけどな」
克己に、はい、と手を出され反射的にその手の上に自分の手を乗っけてしまう。いわゆる、お手だ。
克己のしてやったりというような笑みを見てからではもう遅い。
「ちょ、待て、克己!」
「却下。こうでもしないとお前本気ではぐれるだろ」
もしくは逃げる。
そう付け足され否定は出来なかった。現に、そろそろ逃げようか考えていたところだったし。
でも、手を繋ぐなんて行為でそんなことは一気に吹っ飛んでいた。
恥ずかしいような嬉しいような、そんな2つの感情が頭と顔を熱くしている。
「お願いだから、もう離せ・・・・・・」
消え入りそうな声で頼んでも、彼は手を離してくれない。聞こえていない振りをしているのか。いや、そんなことをしても克己の特にはならないだろうから本気で聞こえないのだろう。
なんていうか、もう。
色々限界だった。
「っつみのバカー!!」
手を繋いだまま少し先を歩いていた克己の背を思い切り蹴り飛ばしてやった。
まさかそう来ると思わなかったらしく、流石のオールマイティもその攻撃をまともにくらってしまい、冷えたコンクリートに膝をついていた。
「な・・・・・・っ翔!」
痛む背中を押さえつつ振り返ると、翔がこっちを悔しげに睨んでいる。
「お前、ふざけてんのかよ!俺、俺、お前のこと好きだって言っただろ!」
熱くなる目元を擦ると涙が指に付いた。
「なのに、変に優しくすんな!期待する自分が、馬鹿みたいじゃねぇか・・・・・・っ」
男に好かれるなんて、気持ち悪いとか思っているだろうに。
面倒臭いことになったとか、思っているだろうに。
腕で零れそうになる涙を拭って、元来た道を振り返った。
「帰る!」
それだけ克己に叫んで、あとは元陸上部だった足を使いその場所から必死に逃げた。
もう駄目だ、しばらく克己にも顔を合わせられない。
「やっちまった・・・・・・」
ここまで来たらいいだろう、と思った辺りで壁に両手をつけて反省ポーズ。
怒ってるかなぁ、怒ってるだろうなぁ。
克己としては多分善意で外に誘い出してくれたのだろうけれど、こちらとしてはかなりの拷問だった。
はぁぁぁ。
深いため息をついて顔を上げると、見知らぬ路地に自分が立っている状況に血の気が引いた。
「・・・・・・どこだ、ここ」
薄汚れた壁には落書きもあり、顔をあげるとピンク色の看板がチカチカ光っていた。
その看板に書かれている店名に脱力する。
「蜜部屋・・・・・・」
なるほど、ここはそういうホテル街か。
現在地がわかれば帰る道が解かる。にしても、さすがバレンタインというかなんというか、次々とカップルがそのホテルに入っていくのだから、思わず赤面してしまう。
「あれぇー、もしかして彼女一人?」
頭の悪そうな軽い声にビシッと硬直してしまう。
ゆっくり振り返ると、若い男が4人ほどニヤニヤしてこっちを見ている。・・・・・・多分センパイだろうけれど。
彼女、って言われたのだろうか、今。
「バレンタインだってのに一人でこんなところで何してんのー?」
「もしかして振られちゃった?」
「俺たちも暇してんの」
「部屋代出すから遊ばない?」
頭の悪い台詞を口々に言われては、頭痛がしてくる。
「迷っただけですまだ振られてません暇じゃないです遊びません」
一気に彼等の問いに答えてさっさとこんなところからおさらばしようとしたけれど、腕を強く掴まれ阻まれる。
「お堅いのー。だから振られんだよ」
イライラしているところでそんな事を言われると、本当に頭に来る。
ストリート系の格好をした4人を眺めて克己と比較してみるけれど、こんな頭も性格も軽いヤツよりずっと彼の方が格好良い。
「うるさい黙れ!」
私服で階級章が無いのが幸いだった。
これで、上官命令と言われたら嫌でも彼等の言う事を聞いていないといけないから。
拳を握って腕を掴んでいた男の顔を殴りつけると鈍い痛みが手に走るが、お陰で彼の腕からは解放された。
「いてぇ・・・・・・んだ、コイツSM好きか?」
「それならそのお誘いに乗らないとねぇ」
代わりに、妙な勘違いをされたけれど。
すぐに頭に血が上らないのと、どこか余裕さえ感じられる男達の雰囲気に、本当に上官だった事に気が付く。同学年だったら、大方一発殴ったらすぐに頭に血が上って、殴りかかってくる。そういう相手は大方一人で倒せるのだけれど。
今回は、相手が悪い。
「ナイフは好き?」
しかも一人は笑顔でナイフまで取り出してきた。
ヤバイ。
「あ、アハハハハ・・・・・・は、刃物はちょっと怖いかな」
引き攣った笑みを浮かべてみたが、相手は満面の笑みのままだ。
「大丈夫。そのうち気持ちよくなるよ」
なるかい!!
ひゅっという風を切り裂く音に反射的に沈んでいた。おかげで一発目は避ける事が出来る。
「おいおい、一発目からナイフはないだろ、殺す気か?」
一人の男がナイフを使う仲間を注意し、注意された男はあ、そっかと呟いてナイフを持っていた手を下げる。
「あんまりにも生きがいいから、つい」
ナイフが無ければ、逃げ切れるかもしれない。
そう判断して目の前で進行を塞いでいる男の腹を殴りつけたけれど、腹筋の堅さに悲鳴を上げたのは自分の手だった。
本気で彼らは自分より階級が上だ。
「おいおい、急かすなよ」
ノーダメージの男が近付いてくるけれど、まだまだ策はある。
「急かしてない!」
昔習った掌底で思い切り相手の顎を殴ると、相手は後ろに倒れた。これでも一応少林寺をやっていた上に、今はこの学校の1年生だ。
まさか仲間が倒れると思わなかったのか、他の男達は茫然と翔が逃げていくのを見ていたが、我に返ったヤツから追いかけてきた。
生憎、足には自信があるんだ、と心の中で呟いたけれど、段々と薄暗くなっていく風景にこの街の奥に誘導されている気分になってきた。
ヤバイ・・・・・・か?
その予感は大当たりだったようで、着いた場所は行き止まり。大きなコンクリートの塀が目の前にでーんと立っていた。多分、この造りはこの学校の敷地内の分かれ目になっている塀だ。
「マジかよ」
「マジだよ」
独り言に返事をしないで欲しい。
振り返ると、さっき倒した男以外の3人がこっちを見てにやにや笑っている。
諦めて、戦うしかないか。
ファイティングポーズは我流ではなくこの学校で習ったもの。それはお互い様のようで、3人も同じ構えをしていた。
「顔は狙うな。女の子だからな、一応」
一人が仲間にかけた言葉にかちんと来る。
「誰が女だ!男だ、俺はぁ!」
「あれ?男だったんだー。んー、それでも顔は無しな、青あざなんて出来たら萎える」
「イエッサ」
他の二人も眉も動かさずリーダー格らしい男の言う事を聞いている。
なんていうか、もうムカつくの一言に尽きる。
「これも全部克己の所為だ!!」
殴りかかってきた男の拳をしゃがんで避け、二番目の男の拳もどうにか避けた。3番目に待ち構えていた男には拳を向けたが、それはあっさり避けられる。でもそれはこちらも計算済み。
避けたら相手のミゾオチに入れる、という技は一年でも習っている為、その攻撃を予想していたら案の定自分の腹に彼の手が向かってくる。
それを両手で握って、そのまま鉄棒のように体を一回転。
すたっと地面に足がついて、まさか実戦で成功するとは思っていなかったけれど、とにかく前方に敵は居ない。すかさず走り出した。
「ちょこまかと!」
計算外だったのは、3番目の男が例のナイフを持っていた奴だった、ということで。
嫌な予感に振り返ると、日光で銀色に光ったナイフが目に入る。
「うわ・・・・・・っ」
斬られる!
「敵に背を向けるなと、大分前に習ったはずだ」
思わず目を閉じそうになったけれど、聞きなれた声に目を見開いた。
あ、と思う前に誰かに引き寄せられ、翔はその攻撃を回避することが出来た。
「か、克己・・・・・・」
自分の腕を前に出して翔を庇っているその顔は、まさしくさっき置いてきた克己だった。
「お友達?美形じゃん」
「いいねぇ、じゃあ今日はその子も入れて6P?すげぇ!」
何がすげぇ!のだか解からない。
「克己・・・・・・」
上官だ、とはまさかこの状況で伝えられるわけが無く。
克己は翔を庇っていた体制から戦闘態勢に変わる。
「ナイフは俺が引き受ける。一人なら大丈夫か?」
彼の小声の指令に小さく頷いて、もう一度翔も構えのポーズをとる。
克己とは授業で何度もペアになっているから、お互いの呼吸も把握出来ているはず。
二人が戦闘体制に入ったことに3人は驚いたのか、興味深そうな視線を向ける。勝てるはずがない、と思っているのだろうか。
けれど、生憎こちらも、克己が居れば負ける気はしない。
「行くぞ」
彼の小さな号令に従い、ほぼ同時に一歩足を踏み出した。
「何とかなって良かった・・・・・・」
ほっと一息がつけたのは、克己が最後までしぶとかったナイフの男を倒してから。
全員地面の上でオネンネ状態だという事を確認してから翔は身伸びする。
念には念を入れてか、克己は男が持っていたナイフを取り上げ、遠くに投げ捨てていた。
銃器を持っていないことも確認したからようやく彼らに背を向けられる。
「翔、怪我は?」
「俺は無い。克己はー・・・・・・」
まず目に入ったのは、彼の手の甲。パックリ切れて血が溢れているのを克己が適当に血止めしている最中だった。
多分、自分を庇ってくれた時の傷だと察し、慌ててその手を掴む。
「お前、この怪我、俺を庇った時の!?」
「別に庇ったわけじゃ・・・・・・」
克己が言葉を濁してそのまま怪我をした手に手袋をはめようとしているのを止める。いつも気になっていたけれど、克己は自分の傷に関しては本当に無頓着だ。
「ちゃんと手当てしないと傷残るだろ!」
「手当てと言われても、今そんな装備は持ってきていない」
自分が怪我したというのに平然としている克己にはいつもハラハラさせられる。まぁ、戦場ではそうでないといけないのかもしれないけれど、でもそれって実際どうなんだ。
そんな、人間止めました的な行動はあまり取って欲しくない。特に、自分の想い人である彼には。
「見たところ静脈性出血みたいだしな・・・・・・」
「そんな冷静に分析してるなよ!」
「お前は落ち着け」
「落ち着いてるっての!」
いや、あまり落ち着いていられないのが本音だった。
だって、克己の手が真っ赤になっている。悲鳴をあげたいところだけれど、ぐっとそれを堪えた。
「とにかく、すぐに手当て・・・・・・」
きょろきょろ辺りを見回して、目に入ったのがピンク色の看板。
「あ、アレ・・・・・・」
克己の手を握って、怪我人を走らせるのは危険だということは解かっていたけどその建物に迷わず駆け込んだ。
「って、オイ翔、ここは!」
「いらっしゃいませ」
自動ドアが開いて一礼するスタッフに、何て言えばいいのかわからずどうしようか考えていたら、スタッフの一人が晴れ晴れするほど爽やかな笑顔で「お休みですか?」と聞いてきた。
それに首を縦に振るとすぐに部屋のキーカードを渡される。
「あの、ここって救急箱ってありますか?」
「ございますよ。各お部屋に一つずつ」
翔の問いに彼はやはりとても爽やかな笑顔で答えてくれる。
「あるって。よかったー」
ほっとして渡されたカードの部屋に入ると、なかなか広い部屋に大きなベッドが一つ。
何だか変な部屋だな、と思いながら救急箱を探すとベッドの脇にきちんと十字マークが入った白い箱が常備されていた。
「よかった。あったぞ、克己」
箱を開けて手入れの準備をする翔に克己はなんとなくため息をついていた。
「翔・・・・・・」
「あ、麻酔注射もある。すごいな」
翔の呟きには背筋に寒いものが走ったが、自分達には関係ないことだから聞き流す事にした。
「これくらいの傷だったら縫わなくても大丈夫だ。傷も出来ないと思う」
一生懸命手入れをしようとしてくれている翔の姿が微笑ましく、ついつい助言をしてしまう。
彼はそう?と首を傾げて消毒薬を探し始めた。
「・・・・・・に、しても翔」
「何?」
「傷を負っている時は、手、つなげるんだな」
ごとんッ。
克己の一言に膝に乗っかっていた救急箱が足の甲に激突した。
これが、かなり痛い。
「・・・・・・大丈夫か?」
「これが大丈夫に見えるんだったら、眼鏡買え!」
膝を抱えて痛みに堪える翔の様子に流石に責任を感じたのか、克己はその後頭部を撫でていた。
「・・・・・・悪かったな」
「まったくだよ」
「いや、今のこともだが、その前の事も」
前?
首を傾げて“前”を考えて、翔はそれに該当するだろう騒動を思い出して赤面した。
「あ・・・・・・っ、いや、あれはその」
出来れば今すぐ記憶から抹消してほしい。
わたわたとフォローを考えるけれどなかなか思いつかなかった。嘘だ、というのも癪で。
「からかうとか、そういうつもりは無かった。だけど・・・・・・お前、惚れ薬で俺に惚れてるわけだし」
「ちがっ」
惚れ薬、と言われて翔は思わず否定していた。
そんな薬なんかで好きになったと思われているのか、と思うと胸が痛かった。
まぁ、確かに実際はそうなんだけれども。
「薬なんか関係ない。俺は、本気で!」
「まぁ、聞け。取りあえず」
克己の手に包帯を巻いていると口を手で塞がれた。
目を上げると、克己がいつもの優しげな目で自分を見ていた。
「俺も、浮かれてたというのがあって、だな」
克己にしては珍しく言いにくそうで、台詞をじっくり選んでいるという感じがした。
「その・・・・・・何て言うか、嬉しかったんだ。お前に、好きだって言われて。惚れ薬の効果でも」
「・・・・・・へ?」
イマイチ、意味がわからないような・・・・・・わかったような・・・・・・。
というか、自分が考えている意味で取ると、かなり自分に都合のいい解釈になってしまうわけで。
じっと克己の顔を見つめていると彼はバツの悪そうな表情で、「解かれ」と言う。
「あのさ、勘違い・・・・・・だったら悪いんだけど」
「ああ」
「克己って・・・・・・俺のこと、好き、なのか・・・・・・?」
「ああ」
しばらく気まずい沈黙が降りる。
「・・・・・・まさか、そんな、だってあの克己だよ?コレ夢!?夢!?ベッドの上だしなー!!」
初めに沈黙を破ったのは翔で、軽くパニックになっている様子。
あの克己、と言われてどの克己だと突っ込みたかったが、今そんな恐ろしいことは出来ない。
「夢じゃない。それとも、夢にしたいのか?」
ん?と克己ににやりと笑われ、慌てて首を横に振る。
「無茶苦茶嬉しい!」
満面の笑みを見せられ克己の方もほっとしていた。夢を見ているのは、どちらかと言えば自分の方なわけで。それだったら、なるべく甘い夢を見せてもらいたいものだ。
「俺、克己大好き」
いつも言われるその台詞、今日は少し意味合いが違ったものと考えても良いのだろうか。
「俺も、ずっと好きだった」
克己の包帯を巻いた手で頬を撫でられ、布の感触であることが少し残念だったけれど、自然に目蓋が落ちる。
口元に軽く触れた暖かいものが何であるかことくらい、考えなくても解かる。
「な、克己」
「ん?」
「俺、薬なんか無くたって、克己のこと絶対好きになるよ」
正直なところ、今の感情が薬によって出来たものとは今の自分には信じられなくて。
自信満々に笑ってみせたら、額を撫でられた。
「安心しろ。絶対に惚れさせてやる」
意地悪いけど何だか妙に色気のある声で囁かれ、その耳から熱が広がっていく感じがした。
「何でそんなに自信たっぷりなわけ?何か悔しいんですけど」
熱くなった耳を手で押さえながらじろっと睨んでやると、克己はいつもの笑い方。告白してくれた時は結構しおらしかったのに。
「・・・・・・でも、ま、楽しみにしてるから」
「ああ」
なるべく早くだと嬉しいな。
そう呟いたらもう一度キスされた。
「あ・・・・・・」
ぽすっと柔らかいベッドに背中を迎えられ、顔を上げると克己の顔がすぐそこにある。
「あ、あの・・・・・・」
「嫌か?」
何をするのかは言わず、ただそれだけ聞いてくるのは卑怯じゃないのか。
それでも
「や、じゃないけど・・・・・・」
そう答えてしまう自分が一番ダメダメかもしれない。
でも、噂では物凄く痛いって、次の日は立てなくなるという話は聞く。
明日は学校な訳で。と、いうか学校じゃなかったらOK出していたのだろうか。
「無理をさせるつもりはないから」
そう言いつつ上着を脱がされて、下着代わりに着ているTシャツの下に手が入る。
「わ・・・・・・あのっ」
肌に直接感じた克己の皮膚にびくりと体が揺れる。
「手、手の傷・・・・・・開くって!」
逃げの口上ではないけど、包帯を巻いたほうの克己の手を取ると、何故か彼はその包帯を解き始めた。
茫然とその様子を見ていると、解き終えた包帯を克己はベッドの下に放っていた。
「ほーたい・・・・・・」
「邪魔」
「折角巻いたのに・・・・・・」
「また、巻いてくれればいい」
なんか、観念しないといけない状況かもしれない。
どうすればいいんだろう。
恋愛沙汰に縁の無かった翔はこんな行為には本当に縁が無くて。
「あ、あの・・・・・・」
こっちがドキドキしっぱなしだというのに対する克己はどこか余裕があるように見えて、こっちが何か言おうとするとすぐに聞く体制に入ってくれる。
多分、そこも彼の優しさなんだろうと思った瞬間に陥落してしまった。
「痛いのは、嫌、だからな・・・・・・」
「って、違うだろ俺!!」
がばっと身を起こすと、自室のベッドの上だった。
・・・・・・アレ?
しかも、この様子からすると早朝のようだ。
・・・・・・アレ?
首を捻っていると、克己のベッドの目覚まし時計が鳴り響き、すかさず克己の手がそれに伸びる。
「・・・・・・翔?お前、今日は早いな」
「へ・・・・・・?アレ?今日、って・・・・・・何日?」
「15日。何か変な夢でも見たのか?」
怪訝そうな克己の顔に夢?と首をかしげ少しさっきまで見ていた夢を思い出そうとしたが・・・・・・無理だった。
体も、別にどこも痛まないし。
・・・・・・何で体が痛むことを考えているんだ?自分は。
どうやら本当に奇妙な夢を見ていたらしい。
「早く起きたのなら、先にシャワー浴びて来い。今日はナイフの試合があるだろ」
けれど克己の助言に、夢どころでは無くなってしまう。
「やば・・・・・・そうだった!克己、後で練習付き合って!」
慌てて着替えを引っつかみシャワールームに消える翔を見送り、克己は苦笑を浮かべる。
あの様子だと本当に忘れているらしい。
「まぁ・・・・・・いいか」
寝癖のついた髪を撫でるその手には、白い包帯が巻かれていた。
「あれ、克己その手、どうしたんだ?」
本日の昼に翔はようやく克己の手の傷に気がつき、首を傾げる。
彼は無表情で「襲われた」と言い、それ以上の質問は許さなかった。
「あ、そう・・・・・・」
「日向翔!」
教室の外から女の子の声がして、背筋に寒いものが走った。
この声は、物凄く聞き覚えがあるぞ、と。
恐る恐る振り返ると、そこには怒りのオーラを漂わせた女子の一群が。
「あ、あの・・・・・・何か?」
翔の怯えた態度が気に食わなかったのか、彼女達は堰を切ったように怒鳴り始めた。
「何かじゃないわよ!自粛してって言ったじゃない!」
「なのに昨日いきなり二人でデートしてたって!」
「しかもラブホテルに入ったって言うじゃない!!」
は?え?デート?ラブホテル??
言われてもまったく身に覚えが無く、翔は首を傾げるが、その態度を誤魔化していると解釈した彼女達は怒り心頭といった感じで。
「ラブホテル!?やったじゃない、日向君!」
「あ。若生さん」
そこでさらに話がこじれるような希乃と若生達の登場だった。
「是非ともその話を詳しく聞かせて欲しいわ!」
希乃にがしっと手を掴まれたものの、何も知らないのだから何も言えない。
「何がやったなのよ!」
若生達の一言が癇に障ったらしく、リーダー格の女子が怒鳴っていた。
確かに、何がやったなのだろう・・・・・・。
2つのグループの中で火花が散っているのを見て翔は教室の中に逃げてきた。
関わっちゃいけない、と思う。
「ちょっと日向君、どこ行くの」
けれど逃げようとしたところでがしっと肩を掴まれてしまう。2つのグループのリーダーに。
「俺何も知らないってのー!!」
「とぼけないでよ!」
「そんなに恥ずかしがらなくていいのよ」
「うわぁぁぁん、克己―!!」
こいつ等話通じねぇよ!!
最後の策として克己に助けを求めてみたけれど、彼は教室の自分の席に座って面白そうにこっちを見ているだけ。
助けてくれる気は無いようだ。
けれど女子に引きずられていく翔を見送る克己にも、恐怖の手が迫っていたことに、彼はこの時気付いていなかった。
「ラブホテルって何ですかね、甲賀」
「・・・・・・佐木」
気がついたのは、銃を片手に無表情な遠也が自分の肩を叩いてきた時だった。
終わり
取りあえず一瞬だけラブらせてみました。
にしても克己の攻め属性がどこに入るのか自分的に謎です。
包容攻めか?
ラーブラーブ。どこまでやったのかは・・・。まぁ、痛くはなかったわけなんで・・・。