ぴぴぴぴぴぴぴぴ
けたたましい電子音が脳内に響き、翔はぼんやりと眼を開けた。気の所為か耳が痛い。
寝惚けながらも布団から手を出して頭上を探れば、少しひんやりとしたプラスチックに触れる。
がしょん。
叩けば不快だった音が消えた。
長めの髪がぱさっと顔にかかってきたのをかき上げながら時計を見て、ため息を吐いた。
「朝か・・・・・・」
眼を上げると眩しい朝日を遮るカーテンの色が普段より明るくなっている。
何だかとても体がだるいのは、きっと奇妙な夢を観ていたからだ。
「あー・・・・・・兄さんが変な映画借りてくるから」
変、というのは語弊がある。一応国内でそれなりにヒットし、誰でも題名を聞いたことがある軍ものの映画を兄が半額レンタルをしてきて昨日兄弟で観ていた。多分、その所為だろう。
「俺が、士官学校に入学って、何だそりゃ」
しかも笑ってしまいたくなるくらい自分の願望が反映されていたような気がする。
背伸びをしてカーテンを開けると、見えるのは隣の家の窓。カーテンが引かれたその先にいる人物を少し想い、再びカーテンを閉めた。
「っだー!遅刻遅刻、今日出なかったら単位が危ういのに!あー、おはよ、翔!悪いけど遠也起こしてきてくんね?」
わたわたと朝食の準備をする兄の姿にやっぱりこれが現実だよな、と密かに思いながら翔は彼に「おはよ」と返した。リビングのソファには、兄を待っているらしい友人、矢吹いずるの姿が。
「おはよう、翔くん」
「あー、矢吹さんおはようございます」
そういえば、彼も夢に出てきたような気がするなぁ。
視線を巡らせるとテレビの横にレンタルビデオ店の青い袋が無造作に置かれていた。
「うっし、出来た!翔、にーちゃんもう行くから、遠也の事よろしくな」
ぱんっと手を叩いた音が聞こえたから振り返ると、テーブルの上には朝食の準備が整えられていた。
大学生の兄はいつも同じ大学に通ういずると共に学校へ行っている。彼がいるから不精な兄があまり大学に遅刻したり欠席しないで済んでいた。
「矢吹さん、いつも兄の面倒を見てくれて有難うございます」
「あっはっは。翔くんはしっかりものだね。遠也くんもしっかりしてるのに、何で一番上はこんなんかね」
ちらりといずるが見た先には、殆ど飲み込むようにしてパンを頬張る兄が。
「違っげぇよ。俺がこんなんだから、下がしっかりしたんだ」
「正紀、それ言ってて悲しくないか?」
「悲しくない!っじゃ、翔、後よろしく」
「はーい。いってらっしゃい」
笑顔で兄とその友人を送り出し、階段を登る。現在中学生の弟を起こすのは翔の役目になっていた。
母親の浮気がきっかけで両親が離婚し、3人兄弟全員父に引き取られてもう5年はなるか、父は海外出張が多く1年に家に帰ってくるのが数日で、ほぼ兄弟だけの暮らし。家事も分担して、何とかやっていっている。大学生の兄、高校生の自分、中学生の弟の3人兄弟で結構賑やかな毎日だ。
「遠也、起きてる?」
弟の部屋をノックし、中に入るとぼーっとした顔で着替えをしていた遠也が目の前に。その眼の焦点があってないのは彼が低血圧だから。普段は大学生の兄をしのぐほどの切れ者の目なのに、朝だけはとろんとした黒い眼だ。
「あ・・・・・・翔兄さんおはようございます」
「おはよう。早くしないと遅刻するよ」
ぼんやりとした彼も遅刻という言葉に反応し、鈍い動作でこっくりと頷く。この状態で送り出すのはちょっと不安だけれども。
「おっはよーございまっす!!」
最近は、遠也の学校の友達が毎朝チャイムと共に迎えに来てくれる。
慌てて先に階下に行くと、玄関に遠也と同じ制服を着た少年がキラキラした眼で「おはようございます!」と挨拶をしてきた。
「おはよ、三宅君。毎朝悪いなぁ」
一体彼が遠也の何を気に入ったのかは解からないが、何故か彼は遠也の後を付いて回っているらしい。遠也の話によると。
「いいえ。普段はものすっごいビシバシオーラ飛ばしてるのに、朝の遠也は無防備ですから。この俺が遠也が変な人間に誘拐されないよう見張っています!それが俺の使命なんで!任せてくださいお兄さん!」
熱弁してくれている彼も確か、夢に出てきたような気がする。
何か変な子だなぁ。
「・・・・・・みやけ?」
「遠也!」
ふらふらと階段から降りてきた遠也に彼は表情を輝かせた。ちょっと危険な香りがするが、ここは兄として釘を刺しておくべきなんだろうか。
んー、まぁいいか。
「遠也、友達が来たんだから早くご飯食べろよ。俺少し出掛けるから。三宅君、ちょっとよろしく」
「え?あ、はい」
彼は翔が玄関から出ると思ったんだろう、自分がいるスペースを避けてくれたが、翔はそのまま二階へ駆け上がっていく。
「兄さん・・・・・・」
行き先に気付いた弟のちょっと呆れたような声が聞こえたような気がした。
さっきは閉めたカーテンを思い切り良く開けて、ついでに窓も開ける。目の前には隣りの家の窓。ここは住宅街で、隣の家とはくっ付きそうな距離だから屋根を渡って隣りに行くことも可能だ。実際今までそうしてきた。
ほんの数センチの屋根の距離をまたいで隣りの家に。目的の窓に手をかけて少しだけ覚悟をする。窓に鍵をかけられている覚悟を。
けれど、窓はあっさりと開いた。
その事に安堵してカーテンも払うと、窓際に寄せられたベッドで寝息を立てている人物の顔がすぐそこにある。いつもと変わりの無い光景にほっとして、そして共に寝ている人物に眼をやり泣きたくなる。
それがおかしいという事は解かっているけれど。
「克己さん、朝ですよー。克己さんのお相手も、そろそろ起きた方がいいんじゃないですか?」
「えっ」
まず驚いて飛び起きたのは彼女の方。なかなかに可愛い顔をしている彼女は大きな眼を見開いて自分を見つめている。前は彼女じゃないけど、裸を観てしまったこともあるが、今日は彼のシャツを着ていた。多分高校生である自分に気を使ってるんだろう、彼が。
「貴方、何で窓から!?っていうか誰!?」
ああ、この質問に答えるのも何度目だろう。
「俺は隣りに住んでる人間です。克己さんとは昔から仲良くさせてもらっています。克己さんのご両親が今海外にいらっしゃるので、彼に人間的な生活を保って欲しいというお願いから、俺が毎朝彼を叩き起こしに来ています。いわば、目覚まし時計です。あぁ、でも貴方みたいなお綺麗な方が彼を優しく起こす役目を担うのであれば俺はもう用無しですね、それではこれから毎朝彼を起こしてあげて下さい、よろしくお願いしますさような」
「待て翔」
朝日が眩しかったのか、一度開けられた眼が細くなる。ぐしゃりと前髪をかき上げた彼はため息を吐きながら身を起こした。
「あ、克己さんおはよー。じゃ、俺は帰るから」
「朝食は?」
「・・・・・・そこの人に作ってもらえばいいだろ。それに、今日の朝は兄さん作」
「正紀か・・・・・・あまり期待出来ないな。夜は?」
「・・・・・・夜は俺だけど」
「なら8時までには帰る」
何だよそれ。
毒づきながらも少し嬉しい自分はきっと大馬鹿だ。
「つーか、女連れ込むなら前の日言うか、窓の鍵かけておけよな。何で開けっぱにしておくんだよ。高校生の教育に悪いと思わないのか?」
「今更だろ」
「・・・・・・じゃあな。あ、お騒がせしてすみませんでしたー」
ぽかんとしている女性によそ行きの笑顔を向けて思い切り音をたてて窓を閉めてやる。
夢の中の彼は物凄く優しかったのに、結局現実はこれだ。自分にだけ優しい彼が欲しい、という願望があったのだろうか。アホらしい。
それと、今は5つもある歳の差が一気に縮まって、同年代になんて夢のようだった。実際夢だったのだけれど。いずると正紀、大志と遠也が羨ましい。
「兄さん、何なら明日から俺が行きますか?」
パンを齧っていると眼が覚めてきたらしい遠也が何かを察したらしく、そう言ってくれた。弟に心配をかけるなんて情けない。
「低血圧の遠也には難しい役目だし、教育に悪いからダメ」
「良質な教育なんて今でも大して受けていませんが」
低血圧ということは否定出来なかったらしく、遠也はそれ以上何も言わなかった。自分を心配してくれるその姿は夢でも健在だった。
「じゃ、俺お先に。友達と約束してるからさー」
喉に詰まりそうだったパンを紅茶で流し込み、ブレザーを着る。高校に入ってもう2年目になるけれどいまだにネクタイの結び目は汚いが、直している暇も無い。
遠也はまだ学ランだからネクタイのお世話になっていないし。
「いってきまっす」
自分も近くに同じ歳の友達がいればいいのに。
一人で家を出る寂しさにため息を吐きながら玄関から出た。中学までなら学区が同じだから外に出れば目的地が同じ友人に沢山会う。けれど高校となるとそうはいかない。
自分はただ、兄達とその友人に妬いているだけだ。解かっている。
「遅い」
「・・・・・・へ?」
夢の続きを見ているのかと思った。
さっきまでベッドに寝転んでいた男が玄関先で愛用のバイクに座り、メットを投げてきたのだ。
「え、克己さん、何で」
「遅刻しそうなんじゃないのか。それに、この間正紀から聞いたぞ。お前、電車の中で痴漢にあったんだって?」
「うわ、兄さん何喋ってんだよ!!信じらんねぇ・・・・・・」
男が痴漢に会うなんて情けない。弟には言えず友人にも言えず、それでもむしゃくしゃした気分は晴れず兄に愚痴を零した覚えがある。それがそこで彼に伝わるなんて。
「さっきの人は?」
「帰った」
「その人は送らなくていいのか」
「・・・・・・ネクタイの結び方下手だな、お前」
黒い革の手袋をつけた指が結び目をあっさりと解いた。唐突な彼の動きにびくりと体を揺らしてしまっていたが、わずかなものだったから気付かれなかっただろう。
「ちょ、俺遅刻しそうで、ガッコ行ったら友達にやってもらうから良い!」
「遅刻なら俺が送って行ったら大丈夫だ。良いから動くな、翔」
至近距離にある好きな相手の顔に耐えられなくなり、どうか相手に気付かれないように視線をそらしてこっそり深呼吸した。それでも心臓の鼓動だけはどうにもならない。
「よし、行くぞ」
彼はこっちの事情なんて知らずにさっさと綺麗に結んで、自分のバイクに跨った。
何も知らない彼が悪いわけでは無いが憎らしい。
「夢とは全然違う・・・・・・」
ぼそっと思わず呟いてしまうとメットをかぶろうとしていた彼がそれを止めて「何?」と聞き返してきた。聞こえてしまうとは。
「昨日夢見たんだよ。克己さんは俺と同い年で、変に意地悪じゃなくて、俺に結構優しかった。あぁ、でも料理だけはすっごい下手なのは同じだったかな」
「・・・・・・料理のことはほっとけ。というか、俺結構優しいだろ?今だってこうしてお前を学校に送ってやろうと」
「どうせ、兄さんに頼まれたんだろ。生憎、痴漢に遭ったのは一回だけだし、次遭ったら指の関節外してやる」
ごき、と指の関節を鳴らす翔は武道を習っている。兄も投げ飛ばすことの出来る力を持つのだから、その腕は本物だ。けれど克己はハンドルにもたれながら眉を上げる。
「ふーん。で、そのお強い翔くんが、何で初犯を捕まえられなかった?」
「・・・・・・そんなん最初は驚いたし、どうすればいいのか解からなかったし・・・・・・」
「ほぉ」
・・・・・・克己の声と目がやっぱり意地悪く映る。
「そんな状態でどうにか出来るわけないだろう。早く乗れ」
「出来る。やってみないと解からないだろ」
メットを投げてやると片手で受け止めた彼は呆れたようにため息を吐きながらも、投げ返してきた。
「出来ない」
何でそんなにはっきり言うんだ。
「出来る!」
少し口調に比例して強い力で投げると流石の克己も苛立ったのだろう。
「出来ない」
克己から投げられたメットを受け取ると少し手の平が痛かった。何で彼が怒るんだ。
「出来るって言ってんだろ!」
思い切り強く投げたのに克己はあっさりと受け止めた。
「出来ない。というか出来たとしてもお前それはまた触らせ」
「何やってるんですか?」
克己がメットを翔に投げた時、玄関から騒がしさを聞きつけた遠也が顔を出す。それに気を取られた翔はメットを受け損ない、克己の手から放られたメットはコンクリートに直撃した。
ぱきん、と何かが割れるような音がしたと思えば少し割れてしまったようだ。地面に透明な破片が散らばっている。こんな脆いものだったのか、克己が結構な力で投げたのか。もしかしたら段差に当たったのかもしれない。
「あ・・・・・・」
何度か克己にバイクに乗せてもらっていた時に使っていたものだったから、喪失感が広がるが、いい機会かもしれない。
「俺の分のメット壊れたんだからもう良いよ。克己さんも学校だろ、早く行けよ」
「翔」
「メットは後で弁償するから。じゃあ俺急がないと」
足には自信があるから、今駅まで走れば遅刻は免れる。
「翔!」
「兄さん」
克己と遠也の声を振り切るように、陸上部所属の足を踏み出した。
のに。
「何でこうなるんだ・・・・・・」
電車には乗った。多分遅刻もしない。
けれど、いつもの満員電車の風景に何故か克己が居た。しかも自分の目の前に。
「お前、足速くなったな」
「まぁな」
「昔は克己にーちゃん克己にーちゃんって引っ付いてきたのに、何でいきなり冷たくなる?可愛くない」
「引っ付いて欲しかったらそれなりの態度とれよ。恋人との一夜明けの姿俺に見せんな」
「悪かった。もう二度としないから」
「つーかもう俺、克己さん起こしにいかなくてもいいだろ。次の誕生日は目覚まし時計で決定だな」
「・・・・・・ま、可愛いから痴漢なんて目に遭うんだろうな」
「克己さん、俺の話聞いてる?」
じろっと睨んでやったら苦笑される。その笑いにどんな意味があるのかは解からないけど。
遠也に付いて行ってくれと頼まれたと説明されては、無下には出来なかった。あの弟に、自分は甘い。
「俺はお前には優しいつもりだけど」
「そうですね、優しいですね。満員電車に一緒に乗ってくれるんだから」
頼まれてそれを了承するんだから、確かに彼は優しい。でも自分が欲しいのはそんな優しさではなく・・・・・・そんなこと、言えるわけが無い。彼にしては自分が何故苛立っているのか解からず、いい迷惑だろうに。
「俺だって子どもじゃない。心配して貰わなくても、大丈夫だから」
克己には両親の離婚の時は世話になった。毎晩喧嘩をする両親に怯えていた自分と幼い遠也を、兄が克己に頼んで彼の家に泊まらせてもらった事も何度か。まだ理解出来るほど大きくなかった遠也や、事情を客観的に理解出来るようになった兄とは違い、翔は物凄い剣幕で喧嘩をする両親を見てただ怯えるしかなく。
両親の喧嘩を止めに行った兄の代わりに自分を慰めてくれたのは克己だった。その所為か、彼はいまだに事あるごとに自分を子ども扱い。
5歳の歳の差は大きい。歳を取ればこそ、大した年齢差では無いと感じるが、同じ学校に通うことが無いこの歳の差は翔を焦らせるのには充分すぎた。中学生で詰襟を着ている彼を見上げていた自分は小学校に入ってまだ数年。ようやく中学に入ったと思ったら彼は後一年で高校卒業。
高校に入った今は、もう色々と諦めていた。いつも前を歩いているこの人の隣りを歩くことはないのだと。
俯いていたらふぅ、というため息と一緒にぐしゃっと頭をかき回された。
「・・・・・・俺のバイクの後ろに乗せてるのは、お前だけだ」
「え?」
「今度の日曜空いてるか?」
「空いてることは、空いてるけど」
「メット買いに行かないとな、お前の」
え、え?何だって?
がたんと電車が軽く揺れたと思ったら翔が降りるべき駅に停まっていた。早く行け、と眼で言われたけど人の流れをどうにか堪えてまだ自分は彼の前に立っている。
「克己、さん」
「電車が出るぞ。詳しい話は今日の夜に」
「・・・・・・うん。ありがと」
出発を告げる電鈴が鳴り響き、電車から飛び降りてすぐにドアが閉まった。
あぁ、やばい。気を抜くと顔が、笑う。
何とも単純で、簡単だと自分でも呆れてしまうけれど。恋なんてこんなものなのかもしれない。
告白なんて全然考えてもいないし、黙っていれば自分と彼は一生こんな付き合いで終わる。それでも構わない。彼のそばに居られるのなら。
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続かないですよエイプリルフールですよ(゚∀゚)
どうでもいい簡易設定。
名字はややこしくなるので考えませんでした。
正紀(19)大学生。長男。料理が出来ることに吃驚。
翔(16)高校生。次男。何かツンデレ。本物の翔はもうちょい懐いてる気がする。
遠也(14)中学生。三男。長男は可愛がってるつもりだけどそれがウザく感じられるお年頃。
矢吹いずる(19)正紀とは幼稚園のころからの親友。でも大学の学部は違うらしい。
甲賀克己(21)大学4年。隣の家に住むおにーちゃん。
三宅大志(14)最近ここら辺に越してきたガキ。今回妙に扱いやすかった。
こんな嘘しか思いつかなくてごめんなさい。色々と考えたんですけどねー・・・。
ま、楽しんで頂けたら幸いです。明日には消えていますのでご安心を。
引き続きよろしくお願いします。