そういえば、さっき大志から貰った飴を口に入れたばかりだった。彼も結構女の子からプレゼントをもらえたらしく、その中の一つを貰ったのだ。苺の味は意外と美味で、今すぐ噛み砕いてしまうのは少々勿体ない。
 まぁ、チョコレートは後で食べよう。すぐに腐るようなものでもない。
「何だ、翔、お前帰ってたのか」
「お。克己、お帰……って、何だその顔」
 帰ってきたルームメイトの顔に翔は瞬きをした。彼の顔半分が赤くなっている。克己も自分の顔に触れ、「あぁ」と声を上げた。
「……断わったら叩かれた」
「お疲れ」
 克己に恋をする女の子は様々で、大人しい子もいれば激しい子もいる。その激しいタイプの子に当たってしまったのだろう。普段はあまり疲れたような顔を見せない克己も、今日は流石に疲れた横顔で制服を脱いでいた。
「そんなお疲れな克己君に俺からプレゼントだ」
 さっき開けようとしていたチョコレートを取り出し、友人の前に差し出した。高級品だろうから、恐らく甘いものが苦手な克己も気に入るのではないだろうか。
 苦手なものを差し出されたからだろう、克己の表情が一瞬固まる。それに苦笑して手を引っ込めた。
「悪い、冗談。好きでもないもん勧めねぇっ……」
「いや、貰う」
 がしりとチョコレートを持っていた手首をつかまれ、今度は翔が驚く番だった。
「へ、何で?」
 自分の記憶が正しければ、この友人は甘いものの類が苦手だったはず。翔の驚きように克己も何を驚かれたのか察し、視線を逸らした。
「……高級品に、見えたからな」
「お前……」
 成程、その気持ちは何となく分かるぞ。
 克己の意外な庶民性に少し感動しながら、箱を克己に渡した。箱も綺麗で、この後捨てるのは勿体ないくらいの出来だ。
「全部喰うなよ、俺も喰いたい」
 口の中にはまだ飴が残っている。中には、食べてすぐに噛み砕いてしまう人間もいるらしいが、翔はひたすら舐める方だった。
「ああ、分かった……お前が貰ったのか?」
「貰った、ってか……うん、まぁ、そんな感じで……どうよ、美味い?」
 友人が口に入れたのを見てそう聞いてみたけれど、思ったより甘かったらしい。克己の眉が寄り、ネクタイを解きかけていた手が口元に移動した。
「……お茶、飲むか?」
 無言で何度も頷かれ、備え付けの小さな冷蔵庫へ向かった。そういえば、チョコレートの中には翔でも閉口してしまうくらいの甘さのものがある。喉が焼けるようなアレだ。
 ペットボトルのお茶を投げれば克己はすぐに飲んでいた。よっぽどの甘さだったらしい。何か、悪い事をした。500mlを飲み干してもまだ足りないようだ、顔がまだ苦い表情をしている。甘いものを食べて苦い表情になるというのは面白いと言うか、何と言うか。
 いや、面白がってはこの友人が可哀想だ。
「コーヒー買ってくるか?つか、買ってくるから待ってろ」
 扉に手をかけ、部屋から飛び出そうとしたとき、背中に体温を感じた。
「へ?」
「待て、翔……コーヒーは良い」
「あ、そう……か?」
 耳元で聞こえた克己の声と、何故か自分の体を抱き締めている腕に疑問を抱きつつ、翔は扉から手を離した。きっと、全身を使って自分の行動を止めたのだ。
 しかし、もう動かない事を示しているというのに、克己は離れない。それどころか、自分を抱き締める腕に力が入ってきたような気がする。
「あ、あの……克己、さん?」
 よく解からない状況に、自分が彼に何かしただろうかと考えてみた。思い当たる事と言えば、甘いものを食べさせたくらいだ。しかもこれは彼が自主的に食べたような気がしないでもない。
「俺、なんかしたかな?あ、もしかしてちょっと具合悪いか?やっぱコーヒー飲んでおいたほうが」
「……コーヒーよりお前が良い」
「はっ?え、ちょ?」
 言われた言葉が理解出来ず、混乱している隙に体を反転させられ、克己と向かい合う羽目になった。いつもなら平気だが、困惑したまま相手を見上げると、何故か妙に熱っぽい視線を受けた。
「え、あの、か、克己?」
 おお、相変わらず格好良い顔の造りをしているな、とどうでも良い事を思ってしまう。が
「翔……可愛い」
 えぇー?
 今度は正面から抱き締められ、思考が止まりそうになった。いや、ここで考える事を放棄してはならない。
「ちょ、待て!何だよ、いきなり!お前、ちょっと変だぞ!?」
 慌てて相手の体を突き飛ばそうとしたが、流石克己と言おうか、その体はびくともしなかった。同じ年齢の男なのに、この差は一体何なんだろう。
「変じゃないし、いきなりでもない」
「いや、どう考えても変だしいきなりだろうが!!お前、一体何……」
 ハッと気が付いたのはさっき克己が口にしたチョコレートだ。まさか、中に何か入っていたのではないか、惚れ薬とかそこら辺の。
 その予想に血の気が引き、次に浮かんだのは眼鏡を掛けた少年の顔だった。そうだ、遠也。遠也ならきっと何とかしてくれる。
「わかった、克己……とりあえず、落ち着け」
「落ち着いていないのは翔の方だ」
「それはそうかもしれねぇけどな……!」
 しかし、本当にそんな薬の影響なのだろうか。これが克己の本当の気持ちならもうちょっと違う方向で慌てないといけないのだが……。
 ちらりと伺うように克己を見上げると、洗練された笑みを返された。
「大丈夫だ、焦ってる翔も可愛い。みーみー鳴いている子猫みたいだ。だが、そんなに焦らなくても大丈夫だ、何があっても俺が守ってやるから。可愛く鳴くのは俺の前だけにしろ」
ああ、うん、薬だ。
 心の中でそう呟いて、翔はため息を吐いた。早いところこの状況をどうにかしよう。こんな克己相手にするのは少々心臓に悪い、色んな意味で。
「あー……わかったから、克己、俺ちょっと遠也んところ行ってくるから、ここで待っててくれないか?」
 とにかく、遠也を呼んでこよう。それが一番だ。彼ならきっと何とかしてくれる。少なくとも、自分よりは良い解決方法を見出してくれるはずだ。
「……佐木?」
 はやる心の所為で、克己の声が少し低くなった事には気付けなかった。
「そう、遠也。ちょっと、用事あって。すぐ戻るからな!」
 ノブに手をかけ、回そうとしたがそれは克己の手に止められる。
「え、おい……」
「お前、佐木が好きなのか?」
 さっきまで優しかった眼がどこか冷たくなったことに、背筋に冷たいものが伝う。恋する男の扱い方というのはなんて面倒なんだろう。一体何が地雷か解からない。
「ば、っか言うなよ。佐木は友達だって」
「……じゃあ、何でバレンタインの夜に会う用事を取り付けている?」
「い、いや……つーか、バレンタインとか関係ねぇから!マジで!」
 下手に用事と言ってしまったのは失敗だった。克己の疑いの目に必死に首を横に振ると、彼は諦めたように息を吐いた。
「……翔が、佐木を好きなら別に良い」
「へっ!?」
「それで翔が幸せなら、俺はそれでいい」
 何だかあっさりと引き下がった克己には驚かされた。あまりの引きのよさにお前俺の事が好きじゃないのか(薬使用してるけど)とも思うが。
 取り合えず、人の話は最後まで聞いてから、暗いオーラを背負って欲しいところだ。
「あのさ、克己……俺別に遠也とは」
 普段の克己からは考えられないほどの落胆振りに、翔は思わず声をかけていた。誰でも良いから、自分の親友を返して欲しい。
 少し泣きたくなってきたところで、克己が顔を上げる。
「翔、今日だけは俺の側にいてくれないか」
「え」
「……頼む。お前が佐木の事を好きなのは分かっているから」
「いや、あのな」
「今日一日だけでいい」
「俺の話聞こうぜ、克己君」
 その真摯な顔を思わず軽く叩いてしまった自分の心情を誰か察して欲しい。
 何故叩かれたのか解からないらしい克己は怪訝な顔をしていたけれど。
「あー!分かった、今日はお前と一緒にいる!」
 そう言った瞬間、克己の表情が輝いたのを目の当たりにしてしまい、ちょっとときめいたのは秘密だ。
「本当か?」
「ああ」
 どうせ薬の効力など一晩で終わりだ、そうに決まっている。それに遠也からは惚れ薬の類は中和剤がない、もしくは作るのに1週間はかかるという話も聞いている。つまり、今夜はどうあがいてもこの克己と一晩過ごさないといけないということだ。
 それに、あの甲賀克己に好かれるというのは少々気分が良い。誰もが羨む良い男が、自分みたいなちょっと女顔なだけの男に縋るなんて、滅多に見られる光景ではない。よく見られるのも困るが。
「……抱き締めても良いか?」
「まぁ、それくらいなら……」
 恐る恐る聞かれたことに、渋々といった感じで頷くと、克己の腕がすぐに自分を包み込んだ。ちょっと犬か何かを抱き締めるような感じなのは気のせいか。
「翔、可愛いな」
「……そりゃどーも」
 頭を撫でられ、何だか眠くなってきた。
 ……というか、これは愛しい相手を抱き締めるというよりも、子どもないしペットを可愛がるような気がする。それに抱き締める以上の事はしてこない。いや、されても困るけれど。
 されても、困るけれど。
 頭を預けたところにあるその違和感に、翔は目を細めた。鎖のような物体の正体は知っている。克己が、前の恋人の形見を身につけたまま自分の頭を撫でている事も。
 前?いや、彼にとっては今でも恋人か。
 その恋人の事を想って、今日も沢山の女性の告白を断わってきたのだろうに。
 何で、今こいつ俺に可愛いとか言ってるんだ。
 心の中でそう呟いて、思わず拳を強く握っていた。理不尽な怒りなのは分かっている。何で自分が怒りを覚えているのかは解からない。
 でも、何だろう。淋しすぎる。
「……克己」
「ん?」
「お前、本当に俺の事好きなのか?」
「……信じてないのか?」
「あ、いや……そうじゃなくて、その……はるか、さんのこととか、は」
 初めてかもしれない。克己の彼女の名前を口にしたのは。慣れない音に少々戸惑いながら、聞き流してくれれば良いとなるべく小さな声で言う。
 けれど、克己の手は頭を撫でるのを止めた。
 その瞬間、何故か心臓に鈍い痛みを感じる。
 薬で誤魔化す事もできないくらいに、好きだったんだろうか。
 誰かに告白されるたびに、きっと彼女の事を思い出しているのだろう。だからこそ、バレンタインは彼にとって苦い一日になるのか。
「遥」
 そんな音が上から聞こえて、翔はすぐに後ろを振り返り、彼の肩を押してベッドに倒した。
「翔?」
 驚いたような友人の顔に苦笑するしかない。自分でも吃驚だ。
「……だってお前、すげー良いヤツだから、さぁ」
 良いヤツなのに、どうして恋人が出来ないんだろうという疑問を少し前まで抱いていた自分が情けない。
「俺の事好きなんだろ?だったら別に、俺……」
 目の前の相手は未だに死んだ恋人が忘れられずに、一人でいる。いつかは忘れられる日が来るのかも知れないけれど、それまでは彼はずっと独りきり。淋しくないのか、いや、淋しくないわけがない。
「俺、お前淋しいのは嫌だから」
 だから、偽物の感情だとしても一晩でもそれを紛らわす事が出来るのなら。
「俺、その……別に、だっ、抱いても」
「……なに?」
 静かな声でその先を促され、言葉を詰まらせた。自分が今から物凄く恥ずかしい事を言おうとしている自覚はあるが、更に思い知らされ、顔が熱くなる。
 でも
「別に、だ、抱いてもいー、ぞ」
 恥ずかしすぎて顔が上げられない。心臓の音が激しくなるのに、耳を塞ぎたい気分だったが、耳を塞いだところでこの音が途切れない。
 いや、おかしいだろ、何か色々。
「……翔」
「あ、い、いや!違う、今のは」
 冗談。そう言って笑えば、終わりだ。
 けれど、そう続ける事は出来なかった。出来なかったというよりも、許されなかった、が正しいのだろう。鼻に触れたチョコレートの甘い香りに目蓋が自然と落ちる。確かに、甘い。甘いものがそれほど好きでないと言いながらも、疲労回復には丁度良いので苦い顔で訓練中チョコレートを食べていた友人に、キスをされているのか、自分は。
「……冗談なんて言わせない」
 口内に甘さを残して離れた克己の低い声に目を開けると、すぐそこに真剣な顔がある。彼の上に倒れこんだ状態なのだと、その時気が付いた。
「かつ、おま……」
 大きな手が頭の側面を撫で、その優しげな手付きとさっきのどこか怒りを含んでいたように聞こえた声との差に自分の声が震える。
 服を捲り上げられる、その布が滑る感触に不安を感じ上を見ると、抱き締められた。
「もう良い、翔」
「え」
「面倒だ」
「な、何がだよ」
 突然あまり聞きたくない言葉を言われたような気がして、体を起こすと克己が小さく笑う。
「面倒だから、もう何も考えないで俺を好きになれば良い」
 一瞬硬直してしまった自分が情けない。今、この男はあのチョコレートの所為で自分にこんな事を言っているのに。別に本気ではないことを自分は知っているのに。
 なんで、ちょっと嬉しいなんて思っているんだ。
 しかし、克己に触られるのはそれほど嫌ではないことを今まさに実感させられていた。普通なら男に、しかも性的な意味で触れられるのは吐き気がするほど嫌だ。それほど力を込めていない辺り、振りほどけば簡単に逃げられる状態だと分かる。なのにどうして抵抗しようとしないのだ、自分の体は。
 訳が解からない。
 捲り上げられたシャツを強く掴み、困惑する。けれど、その時にさっきの克己の言葉が蘇る。何も考えないで、というのはつまりそういうことか。
 何で、とかどうしてとか、この行為の意味とか、そんなもの考えずにこの相手を好きになれば、答えが見つかると。
 でも、確証が今すぐ欲しい。
「……克己」
「ん?」
 別に抱かれても良いと思ったのは、何故か。こんなに触られても嫌じゃないのはどうしてか。何故、克己なら許せるのか、自分の中の確証が欲しい。
「……もっかい、キ」
「失礼します、日向いますか?」
「すぅだあああああっ!!」
 突然部屋の扉が開かれ、翔は咄嗟に近くにあった枕を掴み、克己の顔に押し付けていた。
「や、やぁ!遠也!!」
 満面の笑みで友人を迎えるが、彼は思わぬ部屋の状況にきょとんとしていた。彼に気付かれないように不自然に上がっていた服を瞬時に直す。幸いにも気付かれなかったようだ。
「……殺人現場ですか?別に良いですけど。日向、一思いにやっちゃって下さい。死亡時刻は俺が適当に誤魔化します」
 目指せ完全犯罪、と遠也は眼鏡を光らせるが、その言葉が理解出来ず翔は首を傾げる。殺人現場?死亡時刻?聞きなれない単語に視線を下げて、硬直する。
「わ、あ、か、克己―!!」
 無意識のうちに力いっぱい枕を押し付けていたらしく、克己の意識が既に飛んでいた。
 慌てて枕をどかして授業で習ったとおりの生存確認をすれば、生きている、良かった。呼吸もまだあることに心底ホッとしたが
「……後20秒だったのに……」
 その背後で遠也が小さく舌打ちをした理由は怖いので聞かないことにした。

 その後遠也に事情を説明し、克己が起きるまで一緒にいてもらった。彼が起きてすぐに状態を確認してもらう為だ。一応窒息して意識を飛ばしてしまったのだし、健康面も気にかかる。遠也は話を聞いてまた小さく舌打ちをし、「20秒……」とまた呟いていたが、やはりその意味は怖くて聞けなかった。
 目が覚めた克己は、どうやらチョコレートを食べた辺りから記憶がないらしく、遠也がいることにまず眉間を寄せ、口の中に残る甘さにさらに不快な顔をしていた。それに彼が眠っている間に買ってきたコーヒーを渡すと、普通に礼を言われてしまい、良心がチクチク痛む。克己には何も話していない。チョコレートを食べたらすぐに寝入ったと説明しておいた。自分が彼を殺しかけた事も、変なチョコの所為で男に好きだと言っていたことも当然の如く話していない。知らぬが仏とは一体誰が作った言葉なのだろう。この言葉を作った人物の聡明さには脱帽する。
 ははは、全く変な一日だった。
 そう、自分の中で綺麗にまとめようとしていた時に克己を見れば、彼は折角渡したコーヒーに手をつけず、どこか納得し切れていないような顔をしている。
「何ですか、その顔」
 機嫌の悪い遠也がそれを指摘すると、克己はさらに眉間を寄せ
「……苺」
「は?」
「苺の味がする」
 チョコレートを食べたはずなのに、何故苺の味がするのだろう。自分の記憶では確かにチョコレートは甘かったが苺の甘さはどこにもなかったはず。
「翔、俺何か食べたか?全然覚えていないんだが……」
 そう首を傾げる克己に、翔も怪訝な顔になる。
「苺?克己が食べたのはチョコレートだけだったぞ。その後すぐに寝たんだから、いち、ご……な、んて」
あ。
心当たりにハッと自分の口を押さえていた。確かに克己は苺関係のものを口にはしていない。口にしていたのは翔だった。もう溶けてなくなってしまったが、苺の飴をさっきまで食べていた。
 克己が、苺の甘味を感じているということは……。
 カッと顔が熱くなるのが分かった。
「お、お前っ早くコーヒー飲め!口の中甘いの、嫌だろ?虫歯にも、なるし!」
「あ?あ、ああ……でも、大丈夫だこれくらいなら。それに、この味はそれほど不味くない」
 他意がないのは分かっている。しかし、やんわりと断わられた言葉に翔は心の中で悲鳴を上げた。
「いーから、お願いだから飲んでください!!」
 人から貰ったチョコレートは、食べない食べさせない。その教訓を翔はしっかりと胸に留めておくことにした。
 


お終い。





多分一番幸せなEDです。いちごえんど。お疲れ様でした。
私は頑張ってラブソングを聴きながら書きました。

戻る