「と、遠也にやってもらったから、もう、大丈夫だ!」
「……佐木に?」
「そう、結構痛くって……授業終わってすぐに!」
「そうなのか?なら良いが」
 克己はあっさりと納得してくれ、そのことに翔はほっとした。さらに助けられたのは、彼がそのままシャワールームに直行してくれたことだ。
 弱い薬だったようで、彼がシャワーを浴びている間に適当に処理を済ませる事が出来た。こんな事をしている間に彼が戻ってきたらどうしようかと思ったが、バスルームの方を見ればまだシャワーの音がする。ほっとすると眠くなってきた。
 ああ、変な一日だった……。


 ……そういえば、タオル忘れたな。
 この部屋のシャワーはお湯になるまで時間がかかるタイプだった。しばらく水を出しっぱなしにしていないとお湯にならない。その事を知っているから、先にシャワーを流しっ放しにして温まるのを待っていた時にそれを思い出す。服を脱ぐ前で良かった、と克己は部屋に続く扉に手をかけ、開け放とうとした。
「……く」
 ん?
 何か堪えるような声は間違いなく翔のものだ。傷でも痛むのかと思ったが、そんな声ではないような気がする。
 シャワールームの扉は翔のベッド側にあり、ほんの少しの隙間でも彼の様子は伺えた。いや、隠れる理由はないはずなのだが、長年の訓練で培った勘と言うのだろうか。
 ベッドに寝転んだルームメイトは片腕に枕を抱え、それに顔を埋め、体も縮ませている。背中の傷でも痛いのか、痛み止めでも買ってくれば良かったかとも思う。
 まぁ、これは見なかった振りをするのが一番だろう。気の強い友人は弱みを見せることを嫌う。
 だが、タオルを取りにいけるタイミングではないな。
 そう判断し、何か自分が今から外に出るということを知らせる良い合図がないかと周りを見回した。自然な物音が一番なのだが……。と、目に付いたのは湯気が上りつつあったシャワーだった。この音が途切れれば、彼も気付くに違いない。
「……ん!」
 ん?
 しかし、その不自然に高めの声にシャワーへと向かおうとしていた足を止める。振り返ると相手には気付かれない程度の隙間から、彼の顔が見えた。多分、翔自身も思わぬ声だったのだろう。ハッとしたように顔を上げ、こちらを振り返っていた。
 一瞬目が合ったかと思うが、翔はほっとしたように肩の力を抜いて、視線を落とす。
「あー……めんどいなぁ、くそ」
 そう呟き、ティッシュで右手を強く擦り、再びベッドに寝転んでいた。
 ……今のはあれか。まぁ……あれか。
 彼も男だったということだろう。そう考えると何だか感慨深いものがある。何故かは解からないが。
 今更他人の自慰などみたところで動揺しなかった。戦場はもっと酷い。自慰どころかたまに、男同士の交接や占領先の婦女子に乱暴する姿も見せられる。それよりはずっとマシで、驚く事でもない。
 ないはず……なのだが。
 思わずゴツリとタイルに頭を打ちつけ、さっきまでお湯だったシャワーを冷水に換えた。


 結局お湯を浴びる事無くシャワールームから出ると当の翔は眠っている。ほんのりその顔が紅いのは多分気の所為では無いだろう。その上、シャツの裾が捲りあがっているのが何だか生々しく、思わず彼の体に毛布を被せていた。
「俺はガキか……」
 この程度で動揺するなんて、今までなかったことなのだが。
「……あれ?克己?シャワー終わった?」
 その時、浅い眠りだった翔が目を開けた。それに少々動揺したが、それを隠すのはお手の物だ。
「ああ……なんだ、疲れてたのか」
「ん、まぁ……色々あったからな。俺もシャワー浴びよ」
 眠い目を擦りながら翔は身を起こし、ふらふらとシャワールームの方へと向かう。と、入る寸前で思い出したように足を止め、振り返った。
「あ、克己。シャワー終わったら怪我の手当てしてくれるか?」
「は?」
「ほら、シャワー浴びたら薬とれちまうだろ。よろしくー」
 苦笑しながら翔はシャワールームに消え、一人残された克己は自分のベッドに座り込むしかなかった。
「……何か、試されているような気がするんだが……」



 次の日、篠田正紀は欠伸を噛み締めながら食堂に来た。いつもと変わらない朝なのだが、食堂の端に見覚えのある顔が一人、新聞を眺めているのを発見する。
「うぃーっす、甲賀。何だお前早いな?日向は?」
「まだ寝ている」
「ふーん。俺もコーヒー飲もう」
 克己の手近に熱いコーヒーが入ったカップがあるのを見つけ、正紀は視線を彷徨わせた。朝のコーヒーは無料で配られているのだが、先着順だ。
「……篠田」
「あ?」
 席を立とうというところで、克己に呼び止められた。何だ珍しい。自分が呼び止めても、彼が自分を呼ぶことは今までなかったのだが。
「お前は見たことあるか、矢吹の自慰」
「は?あるけどー……」
 それが?と言いたげな正紀に克己は何も言わない。しかし、どこか疑わしいというような克己の目に、正紀は身を乗り出した。
「え、だってAV観賞とかやるし。つーか同じ部屋だし、普通だろ?別に男同士、恥ずかしがるもんでもねーし」
「……そうか」
「何だよ甲賀……まさかいずるに気があるとか……!」
「安心しろ、それは無い」
 あんな隙を見せられない相手を好きになる事は絶対に無い。そう言い切った克己に、正紀は首を傾げた。
「んじゃ、なんだよ?」
「……いや……」
 多分、思春期の子どもを持つ親の心情というのはこんなものなんだろう。そんな気分を齢10代後半で味わうというのはある意味貴重なのかもしれない。
 ため息を吐いた克己に正紀は何かを察したようで、意地悪く口角を上げた。
「ああ、もしかして日向のそんな場面に出くわしちゃったのか?」
 きゃーと細い悲鳴を上げて見せた瞬間、額を裏拳で殴られた。分かりやすい反応だが、痛い。
「へー、分かっちゃいたけど日向もオトコノコだったんだな。どんなタイプが好みなんだろう、やっぱ巨乳?」
「俺が知るか」
「いや、知っとけよ。そこからまた新たな友情が芽生えるかも知れねぇだろ?」
「どんな友情だ」
「ヌキ愛?」
 満面の笑みで片手を怪しげに動かした正紀に、克己は小さく息を吐いた。



「そういや、篠田は?」
 朝食を食べ終わり、片付ける少し前に翔は声を上げた。
 朝食の時間は定められているので、同じクラスの正紀が未だに顔を出さないことに首をかしげ、目の前に座っていた遠也にも目で問うが、首を横に振られた。
「まだ寝ている」
 しかし、何故か克己が答えてくれる。理由は解からないが、それ以上の問いは受け付けない言い方だった。
「……そう、なのか?」
「ああ、多分後2,3時間は目が覚めない」
「……そう、なのか」
 多分何かがあったんだろうが、真相を聞くのも怖かったので聞けなかった。


お終い。


ルームメイトは見た!EDです。
普通ならそこで襲いかかるのですがここで堪えるのがうちの克己ですヘタレってゆーな(笑)