昨日のことが、さっぱり思い出せない。
和泉は眉間にこれ以上ない位に皺を寄せ、考え込んでいた。昨日、目が覚めたら何故か体が痛くて、目の前には満面の笑み……というより締まりの無い笑顔の蒼龍がいた。結局帰るまで彼は上機嫌で、まぁ、楽しめたのならそれでいいかとも思うのだが、矢張り納得いかない面もある。なぜなら、あらぬ場所が今でも痛いから。
翔に何か聞いてみるかと思えば、何故か彼は休みで、話を聞けば特別休暇を貰ったらしい。何だか益々怪しいと勘ぐってしまうのは、悪い癖なのだろうか。
第一、蒼龍と共にいたというのに、その大部分の記憶がないというのはどういうことだ。本人は満足げだが、こっちは全然満足出来ない。自分は腰が痛くて木にも登れないというのに。
「くそ」
この掠れた声が意味するのがどういうことかも分かっている。だが、記憶はない。
記憶があるというのも辛いが、ないと言うのもなかなか恐ろしいものがある。変な事を口走っていたらどうしよう。変な事をしていたらどうしよう。まさか自分が彼を犯したということはないだろうな?いや、ここまで腰が痛いのだからそれは無い。帰り際の彼の爽やか過ぎる表情から考えても……っていうかなんであんな爽やかな顔をしていたんだ、教えてくれ蒼龍様!!
「……和泉君?」
そんな事を悶々と考えていたところで突然声をかけられ、正直驚いた。人の気配を察せないほどに自分は慌てていたのか。振り返るとそこには
「何だ、御巫……」
英語担当教師の御巫が不思議そうな顔をして立っていた。警戒する必要もない相手だ。しかし、その呟きを聞きとがめた彼は眉を上げる。
「何だ、とはちょっと失礼じゃないかな……次は僕の授業なんだけどな?」
ああ、はいはい、日和ってないで出ろって事か。
面倒だと思いつつも立ち上がろうとしたが、何分腰が痛い。これは鍛えたら軽減出来るのだろうか。そんな事を考えつつ、どうにか立ち上がるとふら付いた。
「和泉君、大丈夫か?」
そこを御巫の手に助けられ、こんな男に助けられるなんて恥だと思いつつも
「ああ、センセ、ありがと」
一応良い生徒を演じてその場を後にした。
……ああ、やっぱり腰が痛い。
「……おい」
宇佐木は科学準備室で屍になっている御巫の背を蹴り飛ばした。何故か彼はたまにこの宇佐木が根城としている部屋に来るのだ。でかい男の体が狭い部屋に二つもあると息苦しくてしょうがない。
「宇佐木君……」
しかし、男は背を蹴られたというのに痛がることもせず、首だけ動かして宇佐木を見上げた。
「聞いてくれないか」
「嫌だ」
「今日の和泉君の声が果てしなく色っぽかったんだ……!」
嫌だと言ったのに構わず話してくるこの男は一度殺してもきっと誰も文句は言わないだろう。それでも殺さないのは、自分達の計画のためなのだが。そうでなければとっくの昔に殺してる。
「授業の時に朗読させたらホントヤバくて……!何あの声、R指定にするべきだ!授業中に欲情しかけたぞ、俺は!」
「俺はお前の存在をR指定にしたいな」
「レコーダー持って行けば良かった!というか、アレは情後の声だろう!くっそ、もっと早くに知っていれば盗聴したのに……!」
「ああ、お前がそれを実行してくれていたら俺は遠慮なくお前を犯罪者として生徒会に突き出せたんだがな……」
「惜しい事をした!」
「本当に惜しい事をした……」
はぁ。
二人ほぼ同時にため息を吐き、ほぼ同時に顔を上げた。
「……というか、御巫。お前がその和泉くんを抱けばいいんじゃないのか?」
「は?何で俺が男を、しかも声以外に全く可愛げのないヤツを抱かないといけない?それに宗教上無理」
ああ、そういえば彼の国の国教は同性愛は禁じているんだっけ、とその時思い出したが、何だろう、真っ当な事を言われているはずなのに腑に落ちないこの気持ち。
変態の倫理観というのは謎だ。宇佐木は心の底からそう思った。
「和泉君、声優とかになったりしないのかなー……そうすれば俺も祖国に帰っても回線ジャックしてあの子の声聞けるんだけど。歌手でも良いなぁ。アナウンサーでも良い」
意中の彼の将来の姿を夢見て、ぽわんと御巫のオーラがピンク色に変化する。いや、姿を夢見ているのではなく、洗練された声を想像しているのだろう。
「いや、でもやっぱりここは声優だな。色んなタイプの声が聴けるし、知っているか宇佐木君!この国の声優は男でも喘がされるらしいんだ!いやー、何というカルチャーショック!しかしおかげでエロボイス聴き放題!ここはやはり和泉君にも是非!どう思う宇佐木君!」
「お前が消えてしまえば良いのにと思っているぞ」
お終い。
お疲れ様でした。隠しシナリオ終了です。ちょこっとラブを届けられたら幸いです。