「あー、くっそー、何でこんな日に限って日直なんだー」
翔はズキズキ痛む腰を手で押さえることも出来ず、授業で使用した銃器を入れた木製の箱を抱えて走っていた。
本日一番目の授業で腰を痛めてしまい、いやその前から痛かったような気もするが、とりあえず現在体調は不調。そんな中、日直で重い荷物を持って倉庫に備品を返しに行く為に走っていた。
銃器系の返却は午後6時まで、と決められているのだ。
普段なら自慢の足ですぐ行けるのだけれど、腰が痛いから遠い倉庫が更に遠い。
それでも、頑張らないと怒られる。
ついでに、同じ日直でもっと重くてかさばる防弾チョッキを返しに行った克己にも悪い。
振動するたびにガチャガチャ鳴る銃とズキズキ痛む腰に、もういっぱいいっぱいだったけれど。
そんな時だったけれど。
「誰か、助けて!」
「バッカだな・・・・・・こんなとこで騒いだって誰もこねぇよ」
女の子の声とどこかやらしいねっとりとした男の声が聞こえたら、誰だって思わず足を止めてしまうだろう。
見ると、建物と建物の間にある僅かな隙間で、男二人が一人の女生徒を囲んで嫌な笑みを浮かべている。
ここで助けに入らないと、男が廃る。
一応、身分がわからないように一年だという事を示す緑色のネクタイを外して、エンブレムやらなにやら色々と付いている学校指定のシャツも脱いだ。これは、克己に言い聞かされていた方法だ。
下に着ていた黒いTシャツ姿で、路地の中に入った。
「何やってんだよ、嫌がってるだろ」
多分、夕日が背になっていただろうからこちらの顔も相手には見えないはずだ。それはかなり後々好都合。
「・・・・・・別に何もしてねぇっての」
一戦する羽目になるか、と思ったが相手は第3者の登場に驚いたらしく、舌打ちをしただけで路地の奥のほうへ消えていった。
何だ、拍子抜けだな。
男が去ると脅されていたらしい少女はへなへなとその場に座り込む。
制服は翔と同じ陸のもので、ネクタイも同じ緑色。と、いう事は同じ一年生だ。
「大丈夫か?」
慌てて震える彼女に声をかけるとわずかだけれど頷いてくれた。
「立てる?」
手を差し出すと彼女はもう一度頷いてその手を握る。
怯えている彼女をこんなところに置いていくのは気がかりだけれど、時間が迫っている。
「一人で帰れるか?」
とりあえず暗い路地から彼女と共に出た。
本当は寮まで送ってあげたいところだけど。
「あー、と、そうだ」
確か、と翔は自分の制服の胸ポケットに入れていたものを思い出し、腕にかけていたその服を探ると丸い飴玉が出てきた。
クラスメイトから貰った、いちごみるく味の飴だ。
「コレ、あげる。まー、ほら、元気出して、な?」
彼女の手にそれを握らせて、ぽんぽんと肩を叩く。
ずっと俯いていた彼女はそれに少し驚いた様子で、ようやく顔を上げてくれる。
その顔は、男に絡まれていただけあって結構可愛かった。
「って、急がないとヤバイな・・・・・・。んじゃな、早めに帰れよ!」
夕日が沈みかけている空に気が付き翔は再び木箱を抱えて走り去る。
そんな自分の背を、ぽーっとした目で見られていたことなんて気付きもせずに。
気付きもしない、というか二三歩走ってすぐにその出来事を忘れていたのだが。
「うひー、毎日毎日、潤いのない日々だぁ・・・・・・」
毎日毎日同じ台詞を言うのは元不良の篠田正紀。放課後になると机に倒れこんで、毎日同じ事をぼやくのだ。
「いぃなぁ、甲賀は。何か、毎日が潤いって感じでさぁ」
そして、大体矛先は我関せずの態度を取っている克己に行く。
「・・・・・・どこがだ」
迷惑な正紀の台詞に克己もため息を付きながら聞き返す、が
「今君の背に引っ付いてる小動物の事だと思うけど」
正紀の親友であるいずるが笑顔で指摘してくれた。
因みに、今克己の背にはぐったりしている翔がへばりついていたりする。
「あー・・・・・・腹減ったー・・・・・」
今日も過酷な授業を乗り切った所為で、空腹感が激しくとても自分で自分の体を支えていられない。
だから隣りに居た克己の背を借りていたのだけれど、何だか周りの視線が生暖かかった。
「あら、日向君お腹減ったの?」
甲高い男声に、その視線が瞬時に同情のものに変わったけれど。
「は、林っ!」
教室の端で何故か嬉しそうに腰をひねる彼は、クラスメイトの林望。どこか女性的なものを漂わせる彼は実家が歌舞伎の一座をやっているとかいないとか。細くのっぺりとした顔と眼は、かなり化粧栄えするらしいが、化粧をした彼を見たことのある人間が居ないからその噂はさだかではない。
でも、体格はしっかり男なワケで。
「ならアタシと一緒にお茶しない?おごるわよ」
バチン、とウィンクをされたけれど思わず克己を盾にしていた。
「・・・・・・林、止めろ」
盾にされた克己は少し疲れた様子で目の前にやってきた彼に注意をする。
それでも負けないのが林なのだが。
「あら、甲賀君ったらヤキモチ!?やっだー、アタシったらモッテモテ!?甲賀君にならアタシのバージン奪わせてあげてもいいわよ」
「丁重に遠慮させていただく」
「照れちゃってぇ」
喋るだけで克己にダメージをくらわせる人間は、きっと林以外に居ない。
彼に対して冷静に接する事が出来る人間も、きっと克己以外に・・・・・・居るけれど希少価値は高めだ。
彼は多少変な人だけれど悪い人間では無いので男子にも女子にも交友関係は広いと聞く。
普通の友人としてなら、きっと接しやすいタイプだ。
「ねぇ、日向君、本当にお茶しに行かない?」
「へ?」
「ちょっと、お願いしたい事があるの」
お願いポーズで彼は有無を言わせない笑顔を翔に向ける。
・・・・・・逆らったら、絶対何かされる。
そう直感的に思い、翔は頷いていた。
「別に甲賀くんは来なくてもいいのよ?」
食堂の窓際の席に林と翔が座っていたが、翔のとなりには克己が鎮座していた。
どうやら林は克己の中のブラックリストに入れられてしまっているらしく、その警戒振りはまるで戦場の兵士のよう。
林の気遣いにも似たその言葉に克己は無言だった。
「あ、もしかしてヤキモチ!?やっだー、アタシってば愛されてるのね!」
「・・・・・・」
もう否定する気力も失っていた克己は終始無言だ。
「あ、でー、林、俺にお願いって?」
とりあえず克己が不機嫌だし、早めに話を終わらせよう。
そう思って翔から話を振ると、林ははっとした様子で隣りの椅子に置いておいた街でそれなりに有名な服屋の紙袋を翔に押し付けた。
「やだ、忘れてた!もうすぐ時間だわ。日向君、トイレでこれに着替えてきて!」
「は?着替えるって・・・・・・」
「いいから!早く着替えて来なかったら犯すわよ!」
ヒィィ、眼が本気だ。
林の血走った目に逃げるように近くにあるトイレに翔は紙袋と共に走っていく。
それを見送ってとりあえず林はほっと息を付いたが
「・・・・・・甲賀君、アタシの足に銃口押し付けるの止めてくれる?」
テーブルの下でさり気無く向けられている銃に、林は表面上は我関せずの表情でぼんやり窓の外を見ている克己に笑顔を向けた。
「そんなに怒る事無いわよー。ってかむしろ感謝して欲しいわ?」
「感謝?」
恨みこそすれ何故感謝。
胡散臭いものを見る視線を向けられても林は意味ありげなウィンク一つ。
「そう、感謝」
「林ぃぃぃぃ!!」
自信満々に林が言い切ったその時、着替えを終えたらしい翔の怒りを含んだ声が飛んできた。
その声色だと克己が感謝すべき事は何もないと思われた、が。
「あら早いわね〜〜。まぁ下だけだから当然ね」
待ってましたと立ち上がった林は怒りで肩を震わせる翔の姿を見て、ぱっと表情を明るくした。
「可愛い〜〜、日向君!」
「可愛い〜〜じゃねぇ!お前俺に喧嘩売ってんのか!!買うぞ!?」
「やだ、日向君ってば暴れたら見えるわよ」
「っだぁ!」
意外と長身の林の陰になって克己からは翔がどういう状況なのかまだ見えていなかった。
会話からも全然わからないし。
「ねぇ、見てよ甲賀君、日向君可愛いでしょ?」
不意に林がこちらを振り返り、翔の姿を視界に入れることが出来た。
そして、その瞬間克己は硬直する。
「可愛いとかの問題じゃねぇっての!」
乱暴な言葉遣いではあるが、短いスカートの裾を握っている翔の姿はまんま女生徒。
下だけこの士官科の女子スカートに替えたらしく、そのまま廊下を歩いていてもなんの違和感も無い。
「ってか、日向君足白いし毛も殆ど無いわねー。アタシなんて毎朝剃ってるのにぃ」
少し悔しそうに林は言ってくれるが、そんなの男の翔には何の自慢にもならない。
「お願いって女装かよ。もう気が済んだろ、着替えてくるッ!」
「あー、待って!待って!!」
くるっと背を向けようとする翔の肩を慌てて林は掴んで止める。
「何だよ」
「違うの、お願いはこれからで・・・・・・」
「これから?」
「お姉さまっ!!」
へ?
軍学校にはあわない叫びに翔は首を横に動かしてその声の方向を振り返る。
と、そこにはどこかで見たことのある少女の顔が。
きらきらとした眼に、頬を紅くしたその表情は恋する乙女そのもの。
だけれど、その前に叫んだ言葉は多分「お姉さま」。
疑問を残す言葉だけれど、兎にも角にも男である自分は関係ない。例え、その視線がこちらに向けられていたとしても。
「ようやく見つけました!私の愛しのお姉さま!」
彼女が自分に向かって抱きついてこなければ、の話だったが。
「お、おねぇさまぁ!?」
胸に擦寄ってくる彼女の言葉に呆気にとられつつ林に眼を向けると、彼はハンカチを眼に当ててなにやら感動している様子。
「良かったわね、雅美ちゃん。ようやく恩人に・・・・・・初恋の彼女が見つかって」
「有難う、林さん!」
まさかと思うが、お願いというのはこれだろうか。
でも、ちょっと待って欲しい。
「ちょ、ちょっと待って」
彼女の肩を掴んで自分から離させると、彼女はきょとんとした眼を向けてくる。
不思議そうなその表情は可愛いと言えば確かに可愛いが・・・・・・。
「俺、どっかで君に会ったかな?」
まず最初の質問は、コレだ。
すると彼女は眉を下げて少し悲しげに表情を歪めた。
「お忘れですか?私、先日貴方に危ないところを助けて頂いたんです」
そのヒントで忘れかけていた出来事を思い出す。
そういえば、そんなこともあったっけ。
自分にとってはそんなこともあったっけ程度の出来事だったのに、彼女にとっては一大事件だったようだ。
翔の表情から思い出したと思ったのか彼女はもう一度抱きつこうとしてきたけれど、それを慌てて肩に置いていた手に力を入れて止める。
「でも、俺“お姉さま”じゃないよ」
男だから、と続けようとしたら林が割り込んできた。
「そうよ、雅美ちゃん。日向ちゃんは私達と同じ学年だから、お姉さまじゃあないわねぇ」
「あ、そっか・・・・・・じゃあ日向さんでいいですか?」
違う!!
いや、間違っては居ないが、訂正するところが違う。
「い、いや、だからね」
更に否定をしようとしたら目の端にいた林が懇願するように両手を合わせて見せた。
それは一体どういう意味なのか。
後で説明するから黙っていて!と彼の眼は語っているのだ。
どうすればいいんだろう・・・・・・と途方にくれていたら、隙をついた彼女が強く抱きついてきた。
「じゃあ、日向さん・・・・・・私、貴方に助けられて凄く嬉しかったんです、お願いします。私日向さんが好きです。付き合ってください!」
・・・・・・・・・・んん?
彼女の告白には喜ぶ前にちょっと首を傾げてしまう。
彼女はさっき自分を「お姉さま」と言った。
ついでに、自分はスカート着用で。
「あのさ・・・・・・さっき、お姉さまって言ったよね?俺の事」
「はい。私、男の方が苦手で・・・・・・恋愛対象は女性なんです」
きゃ、と恥じらいながら彼女はカミングアウト。
いやいやいやいや!!
ぶんぶんと首を横に振ると彼女は目元に涙を浮かべる。
「だめ・・・・・・ですか?」
う。
文句なしに可愛いその表情に思わず顔を赤らめてしまう。
そういえば、女の子に告白されるなんて久し振りで。
「い、いや・・・・・・その、あの・・・・・・」
返事は決まっている。NOだ。
けれど、予想外の展開と状況と、ついでに彼女の可愛らしさに戸惑ってしまう。
あわあわと決定的な言葉を言えないでいる翔の顔をじーっと彼女は見つめて
「日向さんって、可愛い」
心底嬉しいと言う様な言葉のすぐに、口を口で塞がれる。と、いう事はキスか、コレは。
そのキスで気付いたことは、彼女の身長が自分より弱冠高いことと、最近の女の子というのはかなり積極的だという事だった。
しかも、一瞬ではなく長い。
は、と我に返った時にもまだ彼女の顔が近くにある。食堂は静まりかえり、痛いほどの視線を感じた。
見た目女同士でキスしているのだから、興味関心を引いても仕方が無い。
ぎゃあああああ。
悲鳴を上げたくても、音声を発する口を塞がれていてはどうにもならない。
「きゃあ!」
と、思っていたら甲高い悲鳴が上がり、口から新鮮な冷たい空気が入る。
「ちょ、何するんですかぁ!」
悲鳴を上げたのは自分ではなく、キスを仕掛けてきた彼女のほう。
じたばたと目の前で暴れる彼女を自分から引き剥がしてくれたのは、克己だった。
「人のモノに手を出すなんて、いい趣味していないな」
淡々とした彼の台詞に彼女は勝気な眼で克己を睨みつける。
「人のモノ・・・・・・?貴方、日向さんの彼氏ですか?」
「ああ」
あっさりとした返答に林は「まぁ」と声をあげ、さっきまで静かだった食堂はどよめいた。
それを聞いた彼女はまん丸だった眼を一瞬にして厳しいものに変えた。
「汚らわしい!私が日向さんを貴方の手から救い出してみせる!」
もう何がなんだか解からない。
当事者である翔を取り残して、話が進んでいくのをぼんやりと見ているしかなかった。
「雅美ちゃんね、昔っから男性が嫌いで・・・・・・でもこの学校に入ったらそう言っても居られなくなるでしょ?だからねー、日向君に助けられたって聞いて、ここは男嫌いを治すチャンス!って思ったのよぉ」
とりあえず場所を翔と克己の部屋に移して、翔は服も着替えて、林の話を聞くことになった。
林としてはそれなりの理由はあったのだが・・・・・・。
「だから俺にスカートを・・・・・・」
「だからね、お願い、日向君!これから少しの間だけ彼女と付き合って、それから男だって言って!そうすればきっと彼女も男嫌いが治るわ!」
「断る」
きっぱりと返事をしたのは翔ではなく克己だった。
それに林はしばし沈黙するが、すぐに生温かい眼を二人に向ける。
「二人、付き合ってたのねぇ・・・・・・誤算だったわ。っていうかアタシのことないがしろにして酷いじゃない!」
ぷんぷんと彼は怒るが、ないがしろにした覚えも必要も無い気がするのに、何故責められるのだ。
「そうだわ、これから雅美ちゃんと日向君をくっつけて、せめて甲賀君だけでもアタシのものに」
そういう画策は心の中でするべきだろうに。
「それが駄目ならせめて3Pで!」
「さんぴー?」
「地獄に逝け」
パァァァと表情を輝かせながら林は謎の言葉を言うが、翔はそれを理解出来ないし、克己は冷たい眼を向けるだけ。
「どうせなら天国に逝かせ」
「お前、もう出てけ」
さっきから下ネタ連発の林をドアを開けてその細めの体を思い切り蹴り飛ばし、部屋から追放。
鍵をかけてもう二度と入って来れないようにしたけれど、しばらくドンドンとドアを叩く音がした。
「でも、大変だよなぁ・・・・・・このガッコに入って男が苦手ってのも」
さっきの林の説明を思い出し、翔は考え込んだ。
教官は女性もいたけれど、圧倒的に男性の方が多い。それで男が苦手と来たら、大分教官から眼を付けられているだろう。
翔の呟きに、ドアを睨んでいた克己は驚いたように振り返る。
「駄目だ」
「いや、俺まだ何も・・・・・・」
「言わなくても解かる。あの女を助けるとか言い始めるんだろう。余計な事に首突っ込むな」
「でも・・・・・・」
「告白してきた相手に余計な優しさを向けるのは感心しない」
そんな事をされたら、誰だって勘違いをするだろう。
少し叱るように言ってくる克己の言葉には押し黙るしかなかった。
「それに、俺にも不誠実だ」
あ。
じっと見つめてくる克己の目に、慌てた。
「ご、ごめん!」
そういえば、食堂で思いっきりキスされた。
克己の前で、だ。
「いや、まさか彼女があんな行動に出るなんて思わなくて!最近の女の子って積極的なんだなー・・・って違うよな。ゴメン、アレ別に浮気とかそんなんじゃないからな!俺、俺が」
「解かってる」
あまりの慌てっぷりに克己は苦笑して翔の台詞を止めさせた。
まぁ、よくあるテレビドラマのすれ違いもののように、そのキスシーンだけみたら浮気とか考えるのだろうが、最初から最後まで事の顛末をみているのだ。あの状況で浮気と判断するほどバカじゃない。
むしろ、近くに居たのに止められなかった克己に否があるのかもしれない。翔が意外と無防備かつ鈍いなのは自分が一番よく解かっていることだ。
相手が誰でも警戒しろとは言っているが、今回は油断していた。自分も彼も。理由は簡単。相手が女だったから。
「俺も悪かった。まさかあんな行動に出られるとは思わなかった」
「だよな!」
同意をされて翔はほっとしながら強く頷いた。
よかった、別れ話まで話が進まなくて。
それを心配するのは少々飛躍しすぎたかと思ったけれど、とにかく良かった。
「でも、いくら告白されたからって自分より可愛くない相手に顔を赤らめるな」
「可愛くないって、そんなワケないだろ」
彼女の顔立ちを思い出して思わず首を振っていた。
女の子らしい丸い大きな眼が印象的な彼女の容姿は文句なしに可愛かった。それを可愛くないとは何事か。
視力落ちた?という翔の眼に克己はため息を吐く。
「お前の方が可愛いって言っているんだ」
「・・・・・・へ?」
「惚れ目分を差し引いても、充分に、な」
口角を上げて穏やかに笑う彼の顔をまともに見てしまい、失敗したと思う。
彼も彼で一般的にかなり格好良い方で、それに惚れ目分を足すとこちらの心臓がもたない。
翔の白かった頬に段々赤みが差してゆくのを見て、克己は人の悪い笑みになった。
「その顔だ」
「な、何がその顔だよっ!」
「人前でその顔になるな」
「うー・・・・・・」
抱き締められてキスされて、幸せじゃないと言ったら嘘になる。
それでも何だかいつも負けた気分になるのは何故だろう。
「なんか悔しいんだよなぁー・・・・・・」
「何が?」
「・・・・・・解かんないけど」
「何だそれ」
くすくすと笑う克己を軽く睨み付けたけれどやっぱり効果無し。
それどころか反対に優しげな眼で見つめられ眼を逸らしてしまった。
「か」
「聞いたぞ日向!女子に告られたってぇ!?今日は祝いだな!グハッ!」
バターンとでかい音を立てて、ドアが開いた。
おかしい。鍵をかけたはずなのに何故正紀が邪魔をしてくるのだろう。
手元にあった漢和辞典を正紀の額にヒットさせてから克己は冷静に考えていた。
「いってぇー・・・・・・あぶねぇな、甲賀お前いい加減その常に臨戦態勢なのやめろよー。迷惑だって」
まったく状況を読めていないのか、正紀が少し紅くなった額を擦りながら筋違いな文句を言ってくる。
「お前もタイミングを見計らったように邪魔をしてくるのを止めろ」
「は?タイミング?」
克己の言葉に彼は首をかしげているということは、やはり無自覚ということか。
ちょっと色々な意味で負けそうだった部屋の空気から脱出出来て翔はほっとしていた。
いまだにああいう、世に言う良い雰囲気というやつは慣れない。普段一緒にワイワイやっている相手と一緒にいるのが途端に恥ずかしくなるから。
まぁ、悪い気はしないからいいのだけど・・・・・・。
とにかく、今度彼女に会った時はきちんと告白を断ろう。
目の前にあった克己の手を何となく握ってみて、そう思った。
「・・・・・・何だ?」
対正紀中だった克己はいきなりの事に少し驚いた感じで振り返ってきたけれど、それにははにかんだ笑みを返しておいた。
「なんでもない」
何だろう。なんと言うか、幸せだな。
「・・・・・・俺、邪魔なら帰りますけど」
ようやくタイミングの意味を理解した正紀が小声で恐る恐る二人に声をかけた。きっと、自分がドアを蹴破った、多分鍵を壊した時も部屋の中はこんな状況だったのだ。
それなら、克己の怒りも何となく理解出来るが・・・・・・。
「そう思うなら黙って行け」
やっぱり、こちらの気遣いの気持ちを彼は汲んでくれず冷たい答えだった。
別にいいけど。
隣りの部屋はバカップル。
今更ながら、独り身の正紀には冷たい現実だった。
「で、一体誰に告白されたんだ?」
次の日の放課後、教室内でなら良いだろうと正紀は翔に昨日からずっと聞きたかったことをようやく聞くことが出来た。克己も用事で教官室に行っているから丁度良い。
前の席の椅子を借りてすっかり長い時間話す構えにいる正紀の様子に、翔は「あー」と少し言葉を選ぶ時間を作ろうとした。
言えない。
まさか、女と間違えられて告白されたなんて・・・・・・。
「えーと、だな・・・・・・」
「日向さーん!!」
説明を始めようとした途端にあの声だ。
びしりと固まった翔の表情に、正紀が「あれか!」と教室のドアの前を凝視する。
「可愛いじゃ」
「ようやく見つけた!日向お姉さま!」
きらきらとした眼で見ている彼女の最後の一言に翔は血の気が下がる思いだった。
「へ・・・・・・?おねえ」
思わず正紀がその単語を言い終わる前に思い切り椅子を鳴らして立ち上がっていた。
ワケが解からないと言いたげな正紀の眼に、繕う気力も無かった。こっちだってワケが解からない。
でも、ここは男子クラスなのだからいい加減自分が男だと気が付いて欲しい・・・・・・。けれどきっと彼氏である克己のクラスだと解釈して彼を教室内に入って待っているとでも思っているのだろう。
「とりあえず・・・・・・俺、断わってくる」
行きたくないけど、他にどうしようもない。
重い空気をまとう翔の姿に正紀も囃し立てることが出来ず、黙って見送る事しか出来なかった。
「日向さん、こんなところに居たんですね、女子クラス探したのに居ないなって思ってたけどあの男のクラスですね、ここ」
にこにこ笑顔で予想通りの解釈をしていたことを教えてくれ、翔は曖昧な笑みを返した。
一応、制服も男子のものなのにまだ彼女は気付いてくれない。
「とりあえず・・・・・・行こうか。あんまり人が来ないところがいいな」
人気のないところに行って、断わろう。
けれどその言葉を彼女はどう解釈したのか、ぱっと頬を染めていた。
「は、はい!私、裏庭が良いです!」
彼女も人気の無いスポットをリクエストしてきたから、とりあえずその願いを聞き届ける事にした。
裏庭は木がうっそうと茂っていて、どちらかといえば庭というより林に近い。ここで演習をすることもあるというからその存在の意味は理解出来る。
裏、と表現するのに相応しいほど天気の良い日も暗いところだ。
別に自分が告白するわけでもないのに、翔は妙に緊張していた。
「で、日向さん」
うきうきと話しかけてくる彼女に向かって、勢いよく頭を下げた。
「ごめん」
その一言で彼女の今まで明るかった空気が落胆に変わるのが解かった。
この変化が嫌だから、告白を断るのにいつも緊張する。
なるべく相手を傷つけないように言葉を選ぶのが翔のやり方だった。克己みたいにバッサリ斬られるような返事はしたことはない。
「・・・・・・私が、同性だから?」
沈黙していた彼女が口を開いたその声は涙声だった。
一番心苦しいパターンで、翔は思い切り首を横に振る。
「違うんだ」
同性だか断る、という理由にだけはしたくなかった。自分だって好きな相手は同性なわけだし、克己にも何となく悪い気がするから。
「俺、好きな人がいるし」
「・・・・・・甲賀さん?」
「うん、まぁ・・・・・・」
そう、です。
翔が小さな声で言うと、彼女は落ちそうだった涙を拭いた。
哀愁ただようその雰囲気にこちらはどうしても罪悪感が拭えない。
「あ、そ、それに俺、ね。男なんだよ」
慌てて今までついていた嘘を暴露すると、彼女はその涙で濡れた眼を大きく見開いた。
「え・・・・・・?でも今好きな人」
「うん。克己だけど・・・・・・俺も、好きな人はそうだから」
なんというべきか。
だから、
「えと・・・・・・お互い、がんばろ・・・・・・」
頑張ろう。
一体何を頑張ればいいのか解からないな、と自分でも思ったその時、視界が反転した。
「翔は?」
教官室から帰ってきたら、待っているはずの彼が居ない。
教室を見回す克己に、正紀が肩を竦めながら親切に教えてやった。
「昨日告白された彼女が来たから告白断わりに行ったぜー」
「・・・・・・一人でか」
表情を厳しくした克己の様子には正紀も呆れるしかない。
相手はか弱い女性だ。対して、翔は小さいけれど武術経験のある男。間違いが起きるのなら、翔からアクションを起こさない事には無理だ。女性に襲われてもきっと彼なら上手く立ち回れる。
「大丈夫だろー。相手が男ならともかく、女だぞ?」
「俺がアイツと異性だったら既成事実を作っているが?」
「うわぁ、お前最低」
さらりと危ない事を言ってくれた克己にはちょっと背筋が寒くなった。
同性でよかったな、日向。
思わず今頃四苦八苦している翔に同情していた。
けれど、正紀のその一言を気にも留めず、自分の席に座り待つことにしたようだった。
そんな彼にちょっとした疑問が一つ。
「・・・・・・な、甲賀」
「何だ」
「お前が女でも作るのか、既成事実」
「当然」
「・・・・・・そんな女嫌だ・・・・・・」
それ以前に克己が女という事がまず想像出来ない。矢張り、女性側であるべきは翔だ。先ほど、何故かお姉さまと呼ばれていたし。
「・・・・・・そんな女でも、女は女だ」
はぁ。
克己の重いため息に正紀は思考を止めて彼の顔を凝視する。
その視線に気付いた克己はうっとおしいと言いたげな表情になるが、正紀としては意外だった。
「もしかして甲賀、同性っての結構気にしてる?」
「しないわけないだろう。俺は良いが、アイツは女役だからな・・・・・・いつ抱く側になってみたいと言われるか」
はぁ。
もう一度深いため息をついて克己は項垂れていた。
ああ、そっち方面の心配事ですか。
正紀もふぅ、と息を吐いてからとりあえずアドバイスを口にする。
「それならお前が抱かれる側にな」
「却下」
悩んでいるにしては即答だ。一体何の根拠があって素早く否定できるんだか、謎だ。
「もしかしたら日向もお前の事抱きたいって思ってるかもしれないじゃん」
ああ見えて結構男前な翔なら、それくらいは思っているかも知れない。
正紀が続けて言ってきたことに克己は不快気に眉を寄せる。
「俺があんあん喘いだところで何が楽しいんだか理解出来ないから有り得ない」
それは有る意味楽しいような、不気味なような・・・・・・想像するだけで地獄へ行ける気がした。
その克己の意見には賛成だけれども。
「それはちょっと自分本位なご意見じゃないですかねぇー?甲賀君」
「あぁ?」
「だってやられる側って相当辛いって話じゃん?それに日向だって男の子だし?たまに役割変えてあげないと、本当に女の子になびいちゃうかもよー?」
にやにや笑いながらそう言ってくる正紀は100パーセント楽しんでいる。思いやりとかそういう感情は全く見られない。
けれど、その意見が間違っているわけではないから腹が立つ。
「余計なお世話だ」
「って、どこ行くんだよ」
一度正紀に背を向けた克己は首だけで彼を振り返り、面倒臭そうに口を開いた。
「探しに。何かの間違いで既成事実を作られても困るからな」
「あらー、そんな心配しなくても大丈夫よー?」
一体いつから居たのか、教室のドアのところで林がちょっと驚いたように眼を大きくして、手で口を押さえていた。
その間延びした言い方が気に食わなくて無視しようとしたが
「何で心配しなくても大丈夫なんだ?」
正紀が首を傾げながら聞いた質問に、思わず足を止めていた。
「へ・・・・・・?あ、あの?」
一体この状況は何だろう。
後頭部の痛みがおさまりつつあった時にようやく自分が彼女に押し倒されていると自覚した。
目線を上げると無表情の彼女がいる。
「俺、何か悪いこと言ったか・・・・・・?」
ケンカ慣れしている翔から見れば、これは相手が自分の顔を殴る絶好の体位だ。振られたから殴る気なのか、それとも女じゃないと知って騙されていたことに彼女は怒りを感じたのか・・・・・・。
どちらにしても、自分が不利だ。体制も、その理由も。
「えーと、明日の授業に支障が無い程度なら・・・・・・」
「・・・・・・ホント?」
今まで無言だった彼女の口からか細い声が降って来た。
「ホントに、明日の授業に支障が無い程度なら、いいの?」
今にも泣き出しそうな声だったから、胸に小さな痛みを感じた。やっぱり、彼女を一瞬でもだましたのは良くなかった。彼女を深く傷つけてしまった。
「構わない。それで気が済むんなら何発でも」
ぐっと眼を閉じて歯を食いしばって準備は万端。
舌は噛まないようにしないと後々辛いし、一応腹筋にも力を入れておこう。
・・・・・・。
・・・・・・・・・全然衝撃が来ない。
眼を開けて様子を伺おうか迷ったけれど、眼を開けた瞬間に殴られたら、網膜剥離になるかも知れない。
あやふやな医学知識が脳裏を過ぎり、もう少し待ってみることにした。
それでも、なかなか衝撃が来ない。歯なんて強く食いしばりすぎて顎が痺れてきた。
けれど、体の上から彼女の体重が無くなったわけではないし・・・・・・一体何がどうしたというんだろう。
「あの・・・・・・」
とりあえず眼を閉じたまま声を出すともぞもぞ上で動いていた彼女の動作が止まったのだけ解かる。
「殴らない・・・・・・のか?」
恐る恐る聞くと上から驚いた声が降って来た。
「殴る?なんで?」
あれ?殴るんじゃないのか?
その彼女の返事にぱっと眼を開けて・・・・・・眼を見開いた。
「な、何してんだよ!!」
自分の制服のシャツのボタンが外されて、更に中に着ていたTシャツも胸元までたくし上げられているのを見て思わず叫んでしまった。
けれど、こっちの驚きにも構わず彼女はにっこりと可愛い笑顔を向けてくる。
「明日の授業に支障が無い程度に気が済むまで何発でもいいんでしょ?」
そ、そういう意味じゃないのに!!
曲解されてしまっていた事に翔は青ざめて身を起こそうとしたが、彼女の意外に重い体重に邪魔される。
「ちょ、落ち着いて・・・・・・!こういうことは好きな相手とやった方がいいって!」
「私、日向さんのこと好きだけど?」
「いや、あのな!そうじゃなくてー!!」
「気持ち良くしてあげるから、大丈夫」
そういう問題でも無いような気がする。
けれど彼女はにっこりと笑い、身をかがめて肌蹴させていた翔の胸に紅い舌を這わせ始める。
この人本当にやる気だ!!
茫然としている暇はないけれど、女の子を殴るというのはどうしても出来ない。しかもこんな可愛い系の子を。
「ちょ・・・・・・本当に待てって!」
力いっぱい肩を押したけれど全然びくともしない。
「気持ちよくない?」
こてん、と小鳥のように目の前で首を傾げられ、思わず泣きたくなった。
拒否したいのに、こんな子殴れない・・・・・・。
「お願いだから止めてくれ、こんなの俺にとっても君にとってもいい結果にならないだろ?」
とにかく交渉しないと。
必死に説得を試みたが、彼女は妖しげな笑みを浮かべてまた胸に口を寄せる。
わざとらしく水音を立てられて恥ずかしい。
・・・・・・いや、やられっぱなしになってるわけにもいかないだろう、自分!
「本気で怒・・・・・・っひゃぁ!」
どうにか今まで鍛えた腹筋を生かして起き上がろうとしたその時に体に甘い衝撃が駆け巡り、腹に入れた力が抜けた。おかげで本日二度目の後頭部強打だ。
「日向さん可愛いー。ここ、感じるんだー?」
ぐにぐに胸を触られているのは解かったけれど、どうも頭の痛みの方が優先されてしまい感じるも何も無い。
痛い、泣きたい。
「じゃあ、日向さんにだけ私の秘密教えてあげちゃおうっかなぁ」
けれど彼女の恐ろしい発言に痛みどころではなくなってしまった。
「へ!?」
「待っててね」
にこっと笑ってから彼女は自分の制服のネクタイを外して、更にシャツのボタンまでも外し始める。
嘘だろ!?
「あー、日向さん目ぇ閉じないでよー」
思わず眼を閉じてしまったが、それは彼女に咎められてしまう。
でも、眼を開けるわけにはいかない。
「ね、日向さん目、開けてよ」
「嫌だ!」
「じゃあ触らせちゃうよ」
え。
彼女に手を握られ、どこかに導かれると気付いた時思わず眼を開けていた。
「やめ・・・・・・・・・・・・・・・・」
あれ?
「驚いたー?」
彼女は明るく笑うが、こっちは頭の中が真っ白になってしまった。
翔の手はぺったりと平たい胸に置かれていた。触覚でも視覚でも確認出来る。
「胸・・・・・・無い・・・・・・?」
思わずべたべた薄い胸を両手で触って確認してしまう。
「うん。だって私男だもーん」
「・・・・・・はぃ?」
にこにこと彼女は笑い、翔はそれをただただ茫然として見る。
男。
確かに、男という説明があればこの体の意味は説明出来るのだが。
何故か何かを納得出来ない。
「ってーわけで、続きやらせてね」
心なしか、続行宣言した彼女・・・・・・いや、彼の声がさっきまで聞いていた声よりトーンが低い気がした。
本当に男なのだ。
・・・・・・本当に。
「っだぁぁぁー!!離せ!!」
もう容赦はいらないとばかりに翔が暴れだしたのに、彼は少し驚きながらもその体を地面に押さえつける。
「無駄だよ。私、これでも昔柔道習ってたんだから」
「はぁ!?」
「得意技は寝技でーす」
そんなこと言われて諦められるようなことではない。
「離せよ!何するつもりだ!」
じろっと彼をにらみながら拳を強く握ると彼はちょっと驚いた後に面白そうに笑った。
「女だって思ってた時と大分態度違うねー、ギリギリまで教えない方が良かったかな?でも、そんな顔も可愛いけどね、日向さん」
甘い声で名前を囁かれても全然心はときめかない。
「ふざけんな!人をだましておいて!」
「だましてたのはそっちだよ?私は本当に君を女の子だと思ってたし、それに私は実際男が嫌いだ」
「っじゃあなんで俺を!」
「可愛かったからに決まってるでしょ?君の為なら、今日が女の私の最期の日にしてもいいかな、って」
どうやら彼は女装好きの女好きだったらしい。
色々あるけれど、大きく見たらノンケだったのに。
「今まで女しか抱いてこなかったけど、男も気持ち良いもんなのかな?ね?」
しかも女抱いた事があるのか、それで。
「俺に聞くな!」
じたばた暴れながら叫ぶと、雅美は首を傾げる。
「何で?あの甲賀って人には抱かれてんでしょ?」
「う・・・・・・それは」
「気持ちいいんだよね?じゃなかったらこんなにキスマークつけてないでしょ?」
「ぎゃー!!」
べっしぃぃぃぃん。
むにっと無遠慮な手付きで胸の突起をつねられ、思わず平手で雅美の顔を叩いていた。
叩けない、と思っていたけれど男だと知らされたら迷う事なんて何も無い。
が
「私の顔・・・・・・」
段々と紅くなっていく頬に手をやりながら彼は低い声で呟いた。
まさか、とは思うが。
「私の顔・・・・・・叩いたね」
怒りに満ち溢れたその声に、翔は自分の行動を後悔した。
そういえば、授業でも人質になったら犯人に逆らわずに様子を見ろ、と習ったような。
取り繕う間もなく頬に硬い衝撃が走り、口の中に錆びた鉄のような味が広がった。
「痛・・・・・・ッ!」
先ほど自分が叩いた時のような生易しい音ではなく、骨と骨とがぶつかり合うような音を立てた殴り方に頭がくらりとする。
この力の強さは男のモノ以外の何ものでもない。
「酷い!女の子の顔叩くなんて日向さん酷い!」
けれど殴ってからさめざめと泣く動作をした雅美の態度にもくらりとした。
「お前、今男だって言っただろーが!!」
「あ、そうだった」
女だと思っていた顔が笑う。
これくらい、自分で何とか出来ないといけないのに。
・・・・・・いけないのに。
どうも、彼が恋人という位置に立ってから自分は彼に頼りすぎな気がする。
それでも
「・・・・・・克己」
彼に助けを求めてしまった翔を、雅美は鼻で笑う。
「来るわけないよ。ここだってのも解からないだろうし」
彼の言葉は間違っていない。広い校舎内で自分を見つけることは出来ないだろうし、まず彼は雅美と自分が一緒にいることを知らない。そして雅美が男であることも知らない。
「・・・・・・わかった。もう抵抗しない」
ふっと体から力を抜いて翔はため息を吐く。
「下手に抵抗して痛い目みるの嫌だしな・・・・・・」
「話が早いなぁ・・・・・・」
雅美は嬉しげに笑い、そっと翔の髪を撫でてくる。その優しげな指づかいに翔は眼を細めた。
「・・・・・・なぁ、もっと寄ってくれるか?」
「え?日向さん?」
「キスもしないで、なんて、俺嫌なんだけど・・・・・・」
じっと見つめられて、それを実行にうつさない人間がいるだろうか。
「日向さん!凄いかわ」
「はい、おやすみなさい」
ドス。
さっき翔が殴られた時と同じくらい、いやそれ以上に激しい鈍い音に雅美は言葉を止めた。
いや、恐らくそれ以上物を言う事が出来なかったのだろう。
みぞおちにめり込んでいる翔の拳を見ることなく、彼はどさりと地面の上に倒れ伏した。
「やっぱ顔は殴れないし・・・・・・」
ゴメンな、と手を合わせて謝りながら身を起こす。
ずっと昔遠也から教えてもらった対処法の一つだった。下手に反抗するとこちらの怪我が増えるだけで、危険度も増す。だから、少しヤバイと思った時は相手に服従の意思を見せて、油断したところを・・・・・・と。
「相変わらず助けにき甲斐のない光景だな・・・・・・」
「あ、克己」
走ってきたらしく息を切らした克己が倒れている雅美を確認してからネクタイを緩めていた。
とりあえず、翔は大事にはいたっていないらしく、良かった。
「悪い。林を軽く殴っていたら遅くなった」
今まだ教室で正紀に今回の事を言及されているだろう林の一言は、「雅美ちゃん男の子だもの」。
聞いた瞬間に手が出ていたけれど、後は俺に任せろと正紀に言われたので慌てて広すぎる校内を走りまわっていた。
人づてに聞いてようやくここにたどり着いたわけで。
そしたら、肝心の敵はすでに倒されているし。
毎度のことながら、ちょっと物悲しいものがあると思ってしまう。
「気にしなくていいって。俺無傷だし・・・・・・ま、助け」
「・・・・・・じゃないだろう」
「へ?」
乱れた服と頬の異常な赤みに気付いた克己は眉を寄せていた。
「どうしてアイツの思うがままになっていたんだ?お前の力だったらアイツくらいすぐに殴り倒せただろう」
助けに来てくれて有難う。
そう言おうと思っていたけれど、振り返ったところに居た克己は何だかとても怒っているご様子だった。
のん気に礼なんて言っている場合では無さそうで。
「い、いや・・・・・・だってアイツの顔・・・・・・思いっきり殴るの可哀想かな・・・・・・って」
「んんー?」
「だって、ホラ!女顔だし!っていうか女の子だと思ってたし!」
「それで自分の顔を殴らせて、体も触らせたと?」
「だって殴れないだろ!あの顔!!克己殴れるのかよ!」
「ああ、殴れる。女だろうがガキだろうが、お前に何かしたヤツは全員息の根止めてやりたいね」
「ほら、やっぱり殴れ・・・・・・・・な・・・・・・・へ・・・・・?」
てっきり、意外と紳士的な克己なら「殴れない」との返答が来ると思ったのに。
何だ、何なんだ、この微妙な空気は。
「お、オイ・・・・・・克己」
さっきまで威勢が良かったのに突然おろおろとし始めた翔の顔を見て克己は目を細めた。
「殴られたのか。・・・・・・腫れそうだな」
「いや、あの・・・・・・」
「口開けろ・・・・・・切れてるな」
どうしよう、どうしよう。
こちらの動揺に気付いているのか気付いていないのか、克己はただじっと顔を見つめてくるだけ。
何やら空気の流れがおかしな方向に向かっている気が。
そういえば、まだ服は乱れたままで。
「・・・・・・翔」
「は、はい!?」
「・・・・・・どうしたんですか、日向」
次の日、机にぐったりと身を任せている翔の珍しい姿に遠也が声をかけた。
普段は何があっても明るい彼が、人前でそんな疲れたような様子を見せるのは珍しい。
「・・・・・・遠也ぁ」
「何かあったんですか?」
ただならぬ様子に遠也は天才と呼ばれる頭脳で素早く原因を推理する。
授業中に怪我をしたか、それとも何か病気にかかってしまったのか、それとも・・・・・・。
「克己に・・・・・・」
「甲賀に?」
克己の名が出てきて遠也のまとう空気の温度が低くなる。心なしか、聞き返した声が苛立ちを含んだ気がする。
彼と仲が悪い遠也に愚痴を言うのは危険かもしれないが、この際構っていられない。
「・・・・・・口の中の傷が治るまでキスしないって言われた」
けれどか細い声で理由を言われて、遠也はしばし沈黙する。
そして
「・・・・・・それは甲賀が正しいですよ」
てっきり無理矢理性行為でも挑まれたのかと思ったがどうやら杞憂だったらしい。
無粋な想像をしてしまった事と、安堵の意味を込めて遠也はため息を吐いた。
「他人の唾液は基本的に雑菌だらけで危険なんですよ。傷も他人のものは舐めちゃ駄目ですからね?」
「・・・・・・わかってるけどさぁ」
この、やり場の無い切なさを理解出来る人はきっと居ない。
というか、普通ああいう場面ってこう、色々な手で慰めてくれるのが普通じゃないのか。映画とかドラマとかではそういう展開がお決まりだ。
お互い想い合っていた人物がそれを切っ掛けに両想いになったりして。
なのに、何故一応恋人同士なはずの自分達がキス禁止。
不満を募らせつつ口の中にあるちょっと深めの傷をひたすら舐め続けた。
喋るたびに痛み、食べるたびにしみる厄介な傷だ。
「・・・・・・遠也、口の中用の傷薬ってある?」
「それくらいなら協力しますよ」
終わり。
終わり・・・・・・ました。ようやく。ギャグですが(笑)
えーと、オマケ部屋があるので探してみて下さい。別にエロじゃないですが。
内容は、これの続きとエイプリルフールネタとオマケです。
ノーヒントで。BBSで聞かれてもお答えは出来ません。
多分、カンタンに見つけられる方と悩む方がいらっしゃると思い・・・・・・ます。
何かうっかり見つけちゃった的なノリで楽しむのが丁度良い内容です。
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