「……本上がそんなことを言ってたのか」
 木戸は苦笑し、肩を竦める。村上のどういう意味?と説明を求めるような上目遣いは適当に笑って誤魔化して、その場から逃げ出した。放課後の呼び出しも何人からか受けていて、時間が無かったというのもある。
 今日はバレンタインデー。木戸も色々な女の子から本命義理の二種類の意味が込められたチョコレートをいくつか受け取っている。甘いものが特別嫌いというわけでもなく、最近はチョコレートに限らず様々な贈り物もあるから、合否はともかく受け取るようにはしている。育ち盛りの胃袋は常に空腹で、このチョコレートは良い携帯食料にもなるから。
 一応感謝して食べているから、打算的な面があっても許して欲しい。
「木戸君が、好きです」
 呼び出しを受けたところへ行くと真っ赤な顔をした見覚えのある少女に綺麗にラッピングされたチョコレートが入ってるだろう箱を差し出される。告白と一緒に差し出されたものは受け取らないようにはしているので、これは受け取れない。
「ごめん、これは受け取れない」
「……そっか」
 しょんぼりと彼女は差し出した手を下げ、眉を下げた顔で笑う。
「やっぱり。噂では聞いてたんだよね、木戸君好きな子いるんでしょ?」
「……まぁ、一応な」
「告白は?しないの?」
「そこまでの勇気は、なかなか……」
 自分に勇気が足りない事は自覚していた。目の前で勇気を出して告白をしてきた少女は本当に尊敬している。男から女性に告白するというようなイベントがあれば、背中を押されたかもしれないけれど。
 少女と別れて、教室に戻る廊下を歩いていた。鞄も午前中に貰ったチョコレートも全部教室だ。もう誰もいないだろうと思いながら夕日の差し込む教室の扉を開けると
「あれ。木戸?」
「……日、向」
 さっきまで考えていた片恋の相手が一人で机に座っていた。
 どくりと心臓が鳴るのがわかった。普段なら二人きりになってもこんな緊張はしないのだが、タイミングが良いのか悪いのか……。
 なるべく平静を装って、いつもの笑顔を取り繕い、片手を上げて「よ」と挨拶をすれば、相手も同じ動作で「や」と軽い返事をする。
「お、木戸君モテモテですねー。それ全部チョコ?」
「まぁな。日向だって結構貰ってるじゃないか」
 翔の机の上に散らばってるラッピングされた箱の数は目算で9個。照れたような笑みを浮かべる翔は「義理だよ義理」と肩を竦めた。彼は片手に平たい箱を持っていて、どうやら一足早くチョコレートを堪能していたようだ。
「だって、女の子達克己にあげるついでに俺にもって感じだし」
「あー、甲賀モテるもんな。今ももしかして呼び出し?」
「そうそう。見て見て」
 窓際の机に座っている翔は手招きをし、近寄ってきた木戸に窓の下の光景を指した。そこでは、何人かの女の子に囲まれている克己がいた。
「こっから見えるんだ。面白ぇだろ」
「日向、それちょっと人が悪くないか?」
 悪戯っぽく笑う翔に苦笑し返すと、彼は肩を竦めてみせる。
「イイ男が困ってるところって見てて面白いって。男としては、ざまぁみろって感じ?」
 俺はこれだけだけど、克己はこれの3倍くらいだぞ、と悔しげに付け足す翔は少年らしい。普段女顔とからかわれることが多いが、中身は時々本当に男らしい。
 そういうギャップが良いのか?とじーっと顔を見つめていたら、何を勘違いしたのか手に持っていた平たい箱を差し出してきた。
「喰う?結構美味かったよ、コレ」
「あ、ああ……じゃあ、いっこ」
 木戸本人もこれから数日間チョコレート漬けの日々が待っているのだが、差し出されたそれを思わず摘んでいた。ココアパウダーが塗されているこれは、生チョコというヤツか。
 翔もついでに一つ手に取り、口の中に放り込んでいた。
「あぁ、美味い」
 確かに、口の中であっさりと溶けるそれは甘すぎず苦すぎずの丁度良い味で。
「ま、美味いけど今日はここまでだな……あんまり沢山喰えないよな、こういうの」
 指に付いたココアを舐める翔を視界に入れてしまい、木戸は思わず心の中で大絶叫していた。
 普段ならこんなことでは動揺しないのに、何だか今日の自分はおかしい。何の意図も無いだろうその動作が艶かしく見えるなんて、相当頭がやられている。
「克己はまだか……」
 箱に蓋をしてから翔は窓の外の様子を眺め、まだまだかかりそうな様子に自然とため息が出た。
「……日向、それくらい貰ったんだから、一人くらい告白してきた子いるんじゃないか?」
 木戸の唐突な問いに少々驚いたような顔を見せたが、視線を宙に漂わせてから「まぁな」と頷く。どうやら翔の前で勇気を出した子もいるらしい。
「このチョコ、くれた子が」
 翔が視線で指したのは、さっき自分が貰ったチョコレートの箱で、急に口の中の甘さが苦味に変わる。
「受けたのか?」
「いや。んでも、折角だから受け取って欲しいって言われたから」
「……好きな子、いるのか?」
「んー、いない……と、思う」
 多分。
 そう付け足した翔の視線は夕焼け空に流れ、その眼が自然と下に下がっていくのを見て、思わず彼の肩を掴んでいた。
「へ?き、」
 どうしたんだと振り返ったところで、口元を何かが塞ぐ。目蓋を何度も瞬かせて5回、ようやく友人に口唇を奪われているのだと知った。
 訳が解からないままで抵抗しようとした手が木戸の胸に触れる。そのまま押し返せば彼はあっさりと離れていったかもしれない。けれど、その胸が速いリズムで鼓動していて、思わず手を引っ込めていた。その衝撃で肩が窓硝子にぶつかり、揺れる。
 お前、何で俺にこんなドキドキしてるんだ。
 そう言いたいが声を発する事は出来ず、緊張から口を思いっきり引き締めてしまう。
 それに気付いた木戸はすぐに離れた。
 ようやくひんやりとした空気が口に触れ、眼を開けて相手を睨みつけてやろうとしたとき、肩口に軽い重みを感じる。
「……き、木戸?」
 彼の顔がそこに埋まっていて、文句を言おうにもそのどこか弱い印象を与える姿に言いたい事が引っ込んでしまう。
「俺さ、お前のこと好きなんだけど、どーすりゃいい?」
「……ぅえ?」
「日向が決めてくれよ。俺、どーすればいい?」
 顔を上げた木戸は、今まで見たことのない顔をしていた。幼い頃から知り合いだった翔は木戸の色々な顔を見ている。クラスの先頭に立ってリーダーシップを発揮する頼もしい顔、友達とくだらない話で笑い合う顔、勉強に悩んでいる時の難しい顔。今のこの顔はなんと形容すれば良いのか。
「もう、話かけないほうが良い?」
「……ぇ」
 思いもかけない事を言われて眼を見開くと木戸が少し安心したように笑う。
「それは、嫌……だ」
「じゃあ、どうすればいい?」
「どうって……木戸は、大事な友達だ」
「ふぅん」
 まぁ、予想通りの答えだ。翔らしいといえばらしいし、それを考えればショックは受けない。大事な、という言葉に嘘はないだろうから。
 けれど、木戸の返事が少し素っ気無く聞こえたらしい。翔の眉間に僅かに皺が寄る。
「ふぅん、って……なんだよ。木戸は違った、のか……」
 言ってからしまったというような気まずい顔になった翔の様子に思わず噴出し、彼の隣りに身を避け、座る。
「ばっかだなー。大事じゃなかったらこんな事言わないっての」
「……ですよね」
 ははは、と乾いた笑いをしながら、翔は前から避けた木戸の行動にほっとしていた。正面から顔を覗きこまれると上手く口が回らない。
「なぁ、篠田は?」
「は?」
 これまた唐突に別な友人の名前を出され、木戸の真意がわからず首を傾げた。
「篠田は、大事な友達?」
「あ、うん、まぁ……そりゃな」
「矢吹は?」
「うん、いい友達だけど」
「じゃあ、三宅」
「ああ、友達だよ」
「佐木は?」
「大事な友達」
「じゃあ」
 木戸は一端そこで言葉を止め、小さく息を吸い込んだ。
「……甲賀は?」
 この名前を出すのにどれ程の勇気が必要だったか、翔はきっと気付いていないだろう。
「大事な友達だな」
 それと、その簡潔な答えにどれほど安心したか。
 まさか探られてるとは思っていない翔の方は怪訝な顔だ。
「何だよ……」
「いや、別に?」
 まだまだその程度の関係だったのか。
 ちらりと窓の外を見ればまだ数人の女の子が彼を囲んでいた。こっちもまだまだの御様子。
「……別に、今すぐ返事欲しいとかじゃないからな」
「……おぅ」
「……気が向いたら恋愛対象に加えてくれればっつー下心はあるけど」
「れ、れんあいたいしょうって、おま……っ!」
 リアルな単語に顔を紅くして後ずさる翔の反応が何だか面白くて、思わず意地悪く笑んでしまう。
「初々しいなぁ、日向ってば」
「う、……しょうが、ねぇだろ……俺は、そんなにされた事ねぇんだよ、こ、告白とか」
 拗ねたように顔を背ける幼い仕草に、彼は無意識だろうがそれがなんとも心の琴線に触れる。可愛いとか苛めたいとか様々な感情が錯綜するが、どうにかそれを押し殺して一歩踏み出した。
「じゃー、俺先に帰るわ。まだ待つんだろ、甲賀」
「ああ、うん。また明日……な?」
 伺うような「明日」という言葉に翔が自分との友情を保存しておきたいという気持ちが伝わってきて思わずその頭をぐしゃぐしゃと撫でていた。
「ああ。また明日!な」
 手を振って教室から出て、扉を閉めて、ふっと全身から力が抜けてその場にしゃがみ込む。押さえた顔面は物凄く熱くなっていた。
 ああ、言ってしまった。
「うあー……恋愛対象に加えてくれとか、何言ってんだ俺……」
 今更恥ずかしくなって、頭を思い切り振った。バサバサと音を立てる髪の毛が顔に当たり少し痛い。
「……木戸?こんなところに座り込んで、何をしているんですか?」
「げ。佐木……」
 挙動不審なところをクラスメイトに目撃され、思わず呻いてしまう。佐木遠也は中学からの友人で、翔と共通の友人だ。
 ぽかんと顔を見上げられ、遠也の冷静な眼が少し怪訝そうに細められる。
「何ですか……?」
「佐木!!」
「うあ!?」
 がばっと小さな身体に抱きつくと、思った以上に腕が余り、彼の体との体格差を知るが、それどころじゃなかった。
「どーしよ佐木」
「俺もどうしようなんですが」
「俺、何か今ちょっと幸せかも」
「知りません、知りたくもありません。離れて下さい」
「冷たいなー。同郷の仲だろ」
「聞いて欲しいんですか?」
「そ」
「……何があったんですか?」
「秘密」
 木戸の締まりのない笑顔は、遠也の冷静な平手打ちを受けた。
 顔は痛かった上に、あまり敵に回したくない相手に喧嘩を売ってしまったが、その程度では今の木戸を止める事は出来ない。
 話すなんて勿体ない。
 イライラしている天才の肩を組んで「チョコ食べる?ストレスに効果有るらしいぞ」と聞いたらまた顔面を叩かれた。


終。
本編とは混同しないようにお願いします……。木戸君エンド。
木戸君は良い思いしまくってますね。私木戸が好きかも…。
告っちゃったけど、多分投げっぱなしになると……



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